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VANワンダーランド3年 ①…入社式

中学2年の夏休み、東京と“東京的なもの”とは無縁でいたいときめたはずだったのに、大阪新阪急ホテルで待ち合わせをしたVANのO課長に「東京本社の僕の部署に入れば、社内報やPR誌や企業PRといった仕事ができるよ。楽しいよ。東京に来た方がいいんじゃない?」と口説かれ、決まっていた大阪本社(当時は二本社制だった……賢明な体制だったのだが……)勤務をあっさりと捨て、新聞配達仲間だったH君(昨年、多系統萎縮症で亡くなった)運転の2tトラックで1週間後には引っ越した。1975年、4月直前のことだった。東京暮らしのスタートだった。

引っ越し完了から数日後、入社式に向かった。空は青く澄み切っていた。入社式が開催されたのは、VAN99ホール。会場は、胸に名前と出身大学名の入った名札を付けた大卒新人約150名で埋め尽くされていた。

石津社長の簡単な挨拶から式は始まった。「VANは自由だ。一人ひとりの発想を大切にしている。好きなことをしていい会社だ。楽しんでほしい」といったような意味のことを語り、「そんなVANの可能性を体現した男を紹介する。彼は高卒でVANに入り、自転車に商品を積んで百貨店営業をしていた男だが、営業本部長としてラングラーを成功させ今はVANの常務取締役営業本部長となっている。ご紹介しよう。〇〇君です」と壇上から消えた。次いで現れた〇〇常務の話はしかし、アトラクティブではなかった。石津社長の魅力にはとても及ぶものではない、という印象だった。

その後、全員の所属部署が発表された。O課長の約束通り、僕ともう1名は情報室だったが、半数以上は販売部だった。要するに派遣社員である。まずは全員が販売員を経験させられるものと思っていただけに、意外だった。同期のみんなに申し訳ないと思った。怒りさえ覚えた。

石津社長には興味を抱いたし、思っていた通り楽しそうな会社だとは思ったが、少し嫌な感じが残ったまま会場を出た。すると、そこに待ち受けていたのが、ビラを小脇にした組合のメンバー達。何を主張しているのか、口にする言葉は理解できなかったが、手渡されたビラには業務の“差別性”とか“不当性”とか“労働者の権利”という言葉が目についた。京都大学の入学式が中核白ヘル集団の壇上乱入で粉砕されたのに比べれば穏やかなものだ、と思いつつも、ビラの文字や言葉には“本物の全学連出身者”影がチラついているのが気になった。“まさかここでも……”と嫌な気分になった。

石津社長は個人の発想と魅力で発展したVANを新たな経営布陣に置き換えようとしていること。同期からの情報によると、社員募集が縁故採用ではなく一般公募になってまだ2年目であること。おそらく社員募集を開始した時点の予想を売り上げが大きく下回ったことが原因で大卒約150名の扱いに困り、その多くを販売員にすることにした人事に戦略も政策もなさそうなこと。組合(総評系で共産党の匂いがする)が力を持ち始めていること。

入社当日に、“この会社、大丈夫かなあ”と考えざるを得ない要素に一気に出会ってしまったのだが、僕にとっては“楽しいことが出来そうだ”という魅力だけで十分だった。

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まだまだ続く届き物。田舎のミッちゃんから“益田産トウモロコシ”が本日到着!これが美味しいのだ!

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夏の届き物にピッタリ?な暑さ。佐助は、首に保冷剤入りスカーフを巻いてもらっている。

            Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”は、NO.28をもって終了しました

「告知」:番外編として連載中だった、タイトル「風に揺れる蛹」も、終了しました。次作は、7月末からになる予定です。

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