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朝活&昼活

佐助効果とでも言うべきか、驚くばかりのライフスタイルの変化である。

脳出血を発症するまでは典型的な“夜型”。睡眠に就くのが早くて午前3時、徹夜することも多かった。入院早々は半身不随の身ながら“夜型”は継続。リハビリ病院に転院してからでさえ夜はあまり眠ってなく、小刻みな居眠りで睡眠不足を補っていたほど。退院してしばらく後、完全にKapparの庇護の下に暮らすようになっても、Kapparが仕事で遅くなることがほとんどだったことも手伝い、“夜型”の暮らしは続いていた。

しかし、住み替えで職住一体化に成功した1年半後、佐助が“うちの子”になった途端、ライフスタイルの“夜型”は突然“朝型”へと変わってしまった。と言うより“佐助ファースト”に変わったと言うべきだろうか。

佐助の溢れる元気と満々たる好奇心に応え、ストレス吠えや要求吠えから少しでも解放されるためには一日2回の散歩が最も有用性があるだろうと、朝・夕の散歩を欠かさないことにしたからだった。以来、起床は午前6時ということになった。

おかげで、必要に迫られてではあるものの、我々も“朝活”を始めることになったのだったが、これがまさに“早起きは三文の得”の諺通り、心身になかなかいい効果をもたらせてくれている。

今年は6月から“サマータイム”を導入。起床時間は1時間早まった。そして昨日、突然“ヤル気”が芽生えてきた。子供の頃の夏休み、早起きしてラジオ体操に出かけたのを思い出した気分だ。

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膝にサポーターを装着するなどで手間取りややいつもより遅くなったが、朝6時前、一緒に散歩に出かけた。そして、汗をシャワーで流して朝食……。「暮らしが随分変わったねえ」と実感。

その勢いが残っていたのか、今日の昼はなんと“南仏テラス”に出てノートを開く、という行動に出た。

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「一人っきりにしないでよ」と、佐助も付いてきた。暑さがむしろ心地よかった。きっとビタミンDとセロトニンの生成効果もあったのだろう。明日も!だ。

         Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”は、NO.28をもって終了しました

「告知」:番外編として連載中だった、タイトル「風に揺れる蛹」も、終了しました。次作は、7月末からになる予定です。

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元気の確認

18歳の頃、僕の下宿にほとんど居座っていた友人がいた。毎日いろいろなことを語り合った。意見の食い違いはもちろんあったが、それがまた楽しかった。が、一点だけどうしても折り合わないことがあった。

彼(O君)は、「目的を達成するために、目的を意識しながら今を積み重ねるべき」と主張し、僕は「日々が充実した楽しいものであれば、いつか何かを成し遂げられる」という立場だった。名誉や権力や社会的地位に重きを置かず、そんなものを目指す虚しさを強調する僕を、彼は“刹那主義者”と呼び非難することさえあった。

大学は東京と京都に別れ、彼は卒業後商社マンになった。僕は深い考えもなくVANに入社した。彼と最後に会ったのは40歳前。彼は一流商社の課長になっていた。僕はVAN倒産後設立した企画会社の10年目を迎えていた。

それから20年余り経った頃、電話で話す機会があった。僕は脳出血発症後数年が経っていた。彼は胃を半分切ったと言っていた。“今、何をしてるの?”とはお互いに聞くことはなかった。40~50代のどこかで彼が商社を辞め、ファイナンシャルプランナーの資格を取得してシンガポールに行った、というのは風の噂で耳にしていた。電話で話した時の彼が東京にいることだけは確かだったが、何をしていたのかはわからない。

とにもかくにも、元気そうだったことだけで十分ではあるが、機会があれば、18歳の頃を思い出しつつ語らい合いたい気もする。

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昨日の“ナナじいちゃん弁当”。メニューは、“鱈のムニエル”“しし唐のグリル”“おぼろ昆布入りだし巻き卵”“牛肉、長ネギ、しめじのすき焼き風”“春雨サラダ”“シラスおろし”“ミニトマト”“豆腐と揚げの味噌汁”“ご飯”“抹茶プリン”。ナナじいちゃん、昨日も元気な顔を見せたようだ。

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昨日の散歩で久しぶりに出会ったボルゾイの“メリーちゃん”。随分と年老いた感じではあったが、相変わらず人懐っこくて元気だった。

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散歩の帰りに「たこ焼き買って食べようか」と相談していたら、「僕ももらえるんでしょうね」と言わんばかりにお座りした佐助。アコレの駐車場で、ほんの少しお裾分けしてもらえた。僕たちも、元気だ。
 
         Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”は、NO.28をもって終了しました

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VANワンダーランド3年 ⑤…初めての売場

同期のK君の“会社の決定事項だ。販売の現場を応援するのは当然。”一本やりの主張を退け、G人事部長と話をした。「言いたいことはわかるが、後戻りはできない。新入社員数や配置に関しては背景となる事情もあり……」と説明を受けた。得心には至らなかったが、直情径行気味だった自分の行動にも問題ありと感じ、引き下がった。

6月。販売応援が始まった。所属部署の業務に支障がきたさないよう、社歴の浅い者を交代で所定の売場に派遣することになっていた。僕の派遣先は、小田急百貨店のVAN売場。合計2週間だった。VANの派遣社員として恥ずかしくない格好で行かなくてはと、PXでサマースーツを購入。初日に備えた。

販売部からオリエンテーションを受けた後、6月中旬に小田急百貨店に行った。開店直後、VAN売場の派遣社員のリーダーに挨拶。若干の説明を受け、百貨店の主任に紹介された。百貨店の人間と派遣社員の力関係を目の当たりにすることになった。不愉快だった。

“立ち位置”が決められ、フィッティングルームへの誘導の仕方やレジ処理までの基本的な動き方を教わった。「じゃ、頑張って。頼むよ」と肩を叩き、リーダーは自分の持ち場へ。お客さんの姿が散見されるようになり、やや大きめのBGMには頻繁にVAN McCOYの“The Hustle”が登場し、売り場は徐々に活気づいてきていた。

入社時はまったく知らなかったファッション用語やIVYの基本は、2カ月余りの間に概ね頭に入っていたが、それがセールストークに使用できるレベルに到達しているものなのか(何しろ僕は、入社時、ボタンダウンシャツがいかなるものかさえ知らなかった……)、それが不安でたまらなかったが、売り場では誰に聞くこともできない。人の目に付かないように売場の商品を手にとっては知識の復習や確認をしていると、突然声を掛けられた。初めてのお客さんだった。社会人1年生と思われた。後ろに母親と思しき女性が付いている。“初ボーナスでVANの洋服を”とやってきたのだろうと思った。責任重大だと思った。

不安だったが、覚悟を決めた。自分がVAN入社後の買い物で感じた不安や疑問を思い出すこと、不安や疑問の解決のために参考にしたこと、手がかりになったこと、買い物の結果得た知識などを総動員すれば大丈夫だと思うことにした。

その母子と売場の中を一緒に歩き、彼が手に取り質問してくることや母親の心配などに精一杯答えた。幸い、全く頭にないことを問われることはなかったが、接客に30分近くは要したように思う。結果としてジャケ・スラ、BDシャツ、ネクタイをフルコーディネートで購入。BDシャツは着替え用にと合計3枚も買ってくれた。ほっとすると同時にうれしかった。しかも帰り際、名刺交換を求められ「次も貴方から買いたいのでよろしくね」と母親から言われた。頭の先までしびれるような幸福感を感じた。責任が果たせていけそうな気もした。

初日は、その後はあまり販売にまでは至らなかった。ただ、初めてのお客様からもらった幸福感を持ち帰ることはできた。しかし、翌日事件が起きた。

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一昨日、お使いで銀行に行き、買い物もしてきた。いつもの荻窪行きのバス停への歩道は、陽の強さに比例して明暗くっきり。涼やかな陰影を見せていた。

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帰りに立ち寄ったのは、京王スーパーの“キッチンコート”高井戸店。ここのお惣菜、お寿司、弁当は我が家では高評価なのだが、何しろKapparはまだ食べるわけにはいかない。白身魚とカロリーメイト・ゼリーなど、大丈夫そうなものを購入した。

……が!昨日の診察で「普通の食事OKですよ。でも、1カ月は刺激物や消化の悪い者は避けてください」ということになり、食事の不自由さは一応解決!早速お寿司を食べた。ただ、焼き肉はさらに1ヶ月お預け決定。う~~~~~む。

          Kakky(柿本)

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公道だって居間だぜい!by佐助

昨日の散歩は約1時間半。佐助の歩き方が“行きは青年”“帰りは老年”なので、こちらのペースは一定しない。速足で30分の後、のろのろと1時間。しかも、家が近づくとKapparの足にからみついたり、路上に寝転んでみたり……。

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いやはや、佐助にとっては“路上だって僕の居間”らしい。しかも、これでもKapparに言わせると、“僕がいるから”いつもより“よそ行き”の風情なんだそうだ。……いつもはどんだけ“路上を居間化”してんだ~~~。
          Kakky(柿本)

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散歩に行くぞ!!

暑い!うだる!……気力が湧かない。「書かなくては」と思っていることに向き合おうとパソコンを開いても、指がキーボードの上で少しだけ彷徨うだけ。ヤル気が起きない。10月の企画に取り組んでいるKapparの口からも「なんだかなあ。頭までうだってるみたい」とついつい愚痴が出てくる始末。エアコンを入れていてこれだから困ったものだ。

が、一ついいものを昼過ぎに目にして、ちょっと気分が変わった。それは、今朝早朝の散歩でKapparが見つけた“羽化直後の蝉”の写真。

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初々しいではないか……。蝉の人生(?)は、そのほとんどすべてが土中にある。人の目に触れるのは、死を迎える直前。子孫を残すために残った体力を使い切ろうとしている時だけ。鮭が、遡上する時だけ人に姿をみせるのに似ている。しかし、羽化は命の誕生を思わせ、遡上は命の活力を感じさせる。共に、生命の終末期を迎えている時の姿だというのに……。

などと、この写真を見て思った。……だから、今日は“散歩に行くぞ”と決めた。ゆっくりと暑さを噛みしめながら、少し痛い膝を騙せるだけ騙して‥‥気力醸成のきっかけにでもなればいいが……。

          Kakky(柿本)

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腕上がる、介護食?

大腸憩室炎のため普通の食事がとれず、1週間で1.5kg体重が落ちたKappar。元々食が細く体重が増えにくい体質なので、“食えよ増やせよ”キャンペーンを勝手に宣言し「食べなくちゃ」「目指せ!1㎏増」などと言ってはうざがられていたのだが、さすがに急激な体重減に本人が危機感を抱き、食べられる素材を調べてリスト化。おいしく飽きずに食べる工夫に本格的に取り掛かった。

そして、4日。「介護食も得意になりそう。よかったね」などと言いつつ作る食事に食べる量も増え、体重を少し取り戻した今日、雨の日曜日。静かにのどかに過ごす午後。佐助の“嫌われてしまったかも…”ショックもすっかり癒えたようだ。

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昨日の“ナナじいちゃん弁当”。メニューは、“鶏モモ肉の塩麹ソテー”“鰆の西京焼き+大根おろし”“焼きナス”“マカロニサラダ”“ちくわきゅうり”“トマト”“長芋、オクラ、茗荷のポン酢和え”“ごぼう、人参、豚肉の煮物”“ミネストローネスープ”“桃”“ご飯”。

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次の診察予定の水曜日には、食事もほぼ全解禁になるはず。嗚呼、焼き肉食いてえ~~。

          Kakky(柿本)

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茹でる→うでる→うで上がる→うだる

木曜日午前中、25年来の女性の友人Kさんから突然電話。「今日、用事があって烏山に行くので、帰りに寄っていいかしら?」とのこと。「もちろん!是非!何時頃になります?」「また後で電話するわね」ということで、僕は冷蔵庫に缶ビールを追加し、買い物に行く直前だったKapparは「おつまみも少し買って来るね」と出かけた。

後はLineでやり取り。「駅まで迎えに行こうか」「タクシーで行くから大丈夫」「道順わからないでしょ」「なんとかなるわよ」「タクシーに乗る時、何処から乗るのか電話して。道順の説明の仕方教えるから」「わかった。4時と5時の間くらいかな」……ということになったが、心配だった。過去の経験から言って、Kさんがすんなり来られるとは考えられなかったからだ。どこかまでお迎えに行くことになるだろうと予測し、着替えて待ち受けることにした。

ところが4時過ぎ、まさかの“いきなりチャイム”。玄関を開けると、Kさんが背の高い男性と立っている。一目で“彼こそ、Kさんから聞いていた「同居人」に違いない”と思ったが、照れ臭いのか、Kさんがいつもの早口であれこれまくしたてるので、ご持参の西瓜とビールを受け取り、すぐに飲み始めた。

Kさんは広告代理店の優秀なマーケッターだった女性。多くの仕事を一緒にしてきたこともあり、昔話のネタは尽きない。しかし、その日は珍しく“6時頃には…”と時間を気にしていて、話を途中で遮り「実は……」と話しておきたいことがある風情。

聞いてビックリ!「実は、8月末に烏山に引っ越してくるのよ。今日はマンションの内覧。柿ちゃんの近くだっていう難点を除けばいい所なのよね」と微笑んだのだ。「そうなんだ!じゃ、しょっちゅう飲めるじゃない」とご主人と乾杯し、引っ越し完了直後に会食することを誓い合って別れた。

が!一つ!このお二人とのお付き合いには、実は大きな問題がある。Kさんは「私、動物ダメなの!」という人なのだ。この日も、佐助は階段の手摺にリードをつながれ、隔離状態。お二人が帰った後は、「僕、嫌われちゃったの?」とばかりに落ち込んだ様子で甘えてきていた。会食は外食、ということになりそうだ……。

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“うだる”ような日々。エアコン付けて30℃って……。というような昨日、今日だが、佐助のためのオヤツ作りには絶好の日和。“茹でた”鶏の胸肉をスライスし、干物製造用の折り畳みネットで干した手作りジャーキーもあっという間に出来上がり。一部、伊豆高原に住む友人に梅ジャムのお礼として送ることもできた。

それにしても、ビタミンDやセロトニンのことは忘れて、とにかく外に出ない日々はいつまで続けられるのだろうか……。

          Kakky(柿本)

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VANワンダーランド3年 ④…販売応援

入社して2か月が経った。採用決定時の設定初任給(10万円)から減額されていた給料(9万円)の5月の手取りが、交通費等々を含めて3万円強。く、暮らせない!何故だ?!と明細を見ると、新入社員用バーゲンの購入金額が一気に引かれている。社員の自社商品購入代金は“12か月の割賦”のはずだったのでは?と経理に問い合わせた。答は「社員はそうですが、君の場合はまだ“試用期間”であって正社員ではないから適用されません」。「え?!聞いてませんけど……」と食い下がると、「PXに書いてありませんでしたか?」と言う。これ以上食い下がったところで押し問答になるだけだと諦めた。

と、そんなタイミングに、同じ部署の先輩女性社員から降って湧いたようないいお誘いがあった。「家庭教師やらない?週2回なんだけど」とのこと。すぐOKしたいくらいだったが、まだ正社員にもなっていない身で会社の規定に違反することになっては、と躊躇していると、「課長には言って了解取ってあるから大丈夫よ。会社終わってから7時くらいに行ってくれればいいんだからね」と、もう決定事項であるかのように言われた。であるならば願ったり叶ったりだ。早速詳細を聞いた。

相手は来春受験を控えている開成高校3年生の男子。住まいは京王線仙川駅から徒歩10分、VANのある表参道から1時間くらいの距離。謝礼は月に8回と想定して2万円でいかが?ということだった。無論OKだった。開始時間を7時半にしてもらい、早速翌週先輩に連れて行ってもらうことにした。

6月になった。「今月までが試用期間だからね。7月までに、君一人で担当してもらうことを決めるから、改めて頑張ってくれ」と課長に言われた。食いつなぐためのバイトも楽しかったが、7月からの仕事が待ち遠しかった。が、その一方で、派遣社員として店頭で働き続けている多くの同期社員が気になってならなかった。自分が恵まれた状況にあることが、申し訳なくてたまらなかった。彼ら外勤の者のために内勤の人間としてできることと、しなくてはならないことに責任を持たなくてはならないと思った。

そんな折、内勤の平社員全員が“販売応援”出るようにとの指令が人事から出てきた。ボーナス時期の繁忙期に合わせて、派遣社員の負担を軽減し、売り上げ増を狙うのだという。「変な話だなあ」第一印象だった。課長にまず疑問をぶつけた。

●販売経験のない者が繁忙期に売場に出て、本当に役に立つのか。派遣社員の足手まといになる危険性はないのか。

●“我が社は販売の現場を大切にしている”という姿勢を示すことが主たる目的ではないか。それは、“派遣社員の仕事はキツイ”と認識していて、“ファッション企業の業務としてイメージしていたことと全く違う仕事をさせていてゴメンね。でも、すごく大切な仕事なんだからね。みんな、応援してるからね”という後ろめたさがあるからこその、お為ごかしの試作なのではないか。

●むしろ、本来必要なのはきちんとした“ジョブ・ローテーション”政策で、新入社員は最初の2年間は全員派遣社員として売場に出て、販売の現場、VANの顧客、商取引の実態、商品やファッション等々に関してきちんと知識を身に着けた後、適性を判断しつつ、希望も聞きながら配属を正式に決めていくべきではないか。今からでも遅くないので、新入社員は全員販売の現場に出す方がいいのではないか。

といった3点を説明したが、「それは一理あるが……」と首を傾げ、「なかなか理解してもらえないだろうな」と顔を背けた。若い義憤のようなものが込み上げてくるのを抑えきれず、「じゃ、僕が人事に抗議と提案をしに行ってもいいですか?」と詰め寄った。すると課長は、「いいぞ。行ってきな」とあっさり了解してくれた。僕はその足で99ホールの上にあった人事部へ向かった。対応してきたのは同期の男だった。*やがて彼を僕の会社に誘うことになるのだが、その時は終始喧嘩腰だった。そのことが、彼を誘うという判断ミスの遠因になったのだと、今は思う。

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昨日の“ナナじいちゃん弁当”。大腸憩室炎のため固形物を口にすることのできないKapparの苦心作。

メニューは、“うな丼(錦糸玉子と水菜のお浸し添え)”“高野豆腐としめじの含め煮”“ズッキーニのハーブソテー&さつま芋の甘煮”“きゅうり、茗荷、大葉と鶏胸肉のゴマ辛し和え&トマト”“杏仁豆腐”“豆腐、揚げ、ネギの味噌汁(保温水筒入り)”

ナナじいちゃん、“うな丼”と聞いて、目が輝いたそうだ。よかった~~~。

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休み~病院~休み

お昼過ぎの「仕事終了だ~~」というKapparの歓呼の雄叫びで始まった三連休。ビールで乾杯した後のダイニングからの景色は、もうすっかり“のんびりお休みモード”。

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2時間後も、ちょっと体勢と場所が変わっただけで、“のんびりお休みモード”は続いていた。

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翌日曜日、しっかり休息をとったはずのKapparが、しかし、朝ごはんを残した。前日と同様、横になって過ごしているのだが、どこか様子がおかしい。お腹が痛く、朝から様子見をしていたが良くならず、「大腸憩室炎の時と同じ感じ」だと言う。

夕方、久我山病院へ問い合わせ。診察OKとのことだったので、タクシーで向かった。ただ、ここまでKapparがすべて自分で手配、自ら行動したもの。僕は気を揉んでいただけだった。

診察の結果は、Kapparの予想通り“大腸憩室炎”の再発症。点滴を受け、薬をもらって7時半頃に帰ってきた。しばらく流動食しか口にできないが、少しだけ痛みも和らぎ、眠ることもできた。

そして、もう一日のお休み。

昨日何もできなかったので、コンビニにお買い物へ。

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こんなものを2000円近く買い込んで帰ってきた。

昨日少し不安げだった佐助は、今日は寄り添うように寝ている。

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一週間はゆっくりしてもらいたいところだが、きっと“ナナじいちゃん弁当”が気になって動き出すことだろう‥‥。*取り寄せた“鰻の長焼き”があるので“うな重”にすること提案してみようかな。丑の日も近いことだし。

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久しぶりの料理教室

昨日は料理教室。すごく間が空いてしまったが、毎日料理はしているので、特に違和感もなく、いつものように楽しんできました。

テーマは夏のおもてなし。旬のとっておきを、涼しさと一緒に盛り付けます。
食材は、じゅん菜、鮎、鱸、大和芋、加賀太きゅうり、南瓜、とうもろこしなどなど…
どれもおいしゅうございました。
今回の個人的なポイントは、とろろと冷しゃぶの肉のゆで方、ごまだれの作り方でありました。
どちらも、ひと手間やプロの隠し味が多々。でも、家庭でできる範囲なのがうれしい。
盛り付け用のあしらいや飾り切りなどは腕やお財布の関係上難しいのですが、多少の手間なら家でもできそうです。
なので、そのうちKakkyの舌を喜ばすこともできるでしょう…(遠い目…)
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あれっ、佐助がひがんでいる?
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by Kappar

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通院、買い物、料理、料理教室

 昨日は2カ月に一度の診察の日。“ついで”をついつい考えてしまう性質なので、通院先の成城学園前から、“ついでに”帰りは経堂へ立ち寄ることにした。高校の同級生Iさんの「療術研究所」で身体のチェックをしてもらおうというわけだ。経堂コルティには小田急OXもあるので、“ついでに”美味しい刺身を買って帰ろう、という段取り。

Kakky

夏だ~~!と、僕はアロハシャツを着て、

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Kapparは白ずくめで自転車を押して、一緒にバス停まで、10時過ぎに家を出た。Kapparは、“ナナじいちゃん弁当”に備えて駅前のサミットへ。僕は成城学園前へ。それぞれ向かった。

汗だくで帰ってきたのは午後2時過ぎ。Kapparは仕事を中断し、弁当の一部を作り始めていた。煮物、揚げびたし、スープは作っておこう、ということのようだ。“ナナじいちゃん弁当”のメニューは我々の夜の食卓に2日連続は並ぶだろう。今夜のために刺身の盛り合わせを買ってきたのは、きっと正解だ。よかった……。

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出来上がった昨日の“ナナじいちゃん弁当”。

肉詰めかぼちゃ(薄味)、焼き塩鯖(大根おろし添え)、切り昆布の煮物、夏野菜の揚げびたし、小松菜のゴマダレ和え、茹でアスパラ、ミニトマトとモッツァレラチーズのサラダ、ゴマ豆腐、ご飯、デザートの桃。写真にはないが、鶏と大根とネギの生姜スープ。お届けしたのは午後6時半だった。

そして今朝、Kapparは2~3カ月に一度の料理教室へ出かけて行った。プロの技やコツを学ぶのが楽しいらしい。          Kakky(柿本)

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VANワンダーランド3年 ③…粉飾?決算

記憶に頼った内容なので詳細は多少異なるかもしれないが、VAN入社年度(1975年度)の前々年(73年度)の年商が320億円。前年(74年度)は400億円だった。それだけを見れば順調な業績推移なのだが、問題は経常利益。73年度35億円だった経常利益が74年度は3億円余りに落ち込んでいる。73年度の経常利益率は10%を超えていたのに、74年度は1%にも満たない。80億円の売上増には相当な無理があったのではないかと思われた。

そこで72年度の年商も調べてみた。200億円だった。印象として、順調に伸びてきた売上も400億円あたりがとりあえずの天井なのかな、と思った。それにしても、経常利益の落ち込み方は異常だ。何が原因だったのか、調べてみようと思った。73年度、74年度の貸借対照表を机に並べて見比べた。すぐに差が見えたのは、三つの項目。一つは在庫、一つは物流経費、そしてもう一つが賞与だった。

最も異常な数値を見せていたのは在庫(金額は残念ながら覚えていない)。資産の部に入っていたのだが、課長に詳細を訊ねると、「下代評価になってるからなあ」と苦い表情が返ってきた。下代(VANから店への売値)で評価されていることに問題ありと考え、親しくなった業界紙の記者に在庫評価に関する業界の常識について聞いてみた。答えはこうだった。「その年の在庫が翌年も同じ値段で売れるとは普通考えませんね。トレンド変化の激しいレディス業界では、評価を設定した下代の10%にしている会社もありますよ。売れ残った商品はゴミだ、なんて極端なことを言う経営者もいますからねえ。メンズはそこまで激しいトレンド変化はないとはいえ、どうでしょう、6掛けとか半掛けに評価を下げて、評価損をその年度に処理してしまうのが普通なんじゃないですか?」VANの決算の欠陥を知っているかのような口ぶりだった。

これは大変だ!と思った。在庫の評価損を考慮に入れると、前年度の決算は3億円強の黒字から一転、数十億円の赤字へと転落。内部留保は少ないので、急坂を転げ落ちるどころか、一歩間違えると崖から落ちるようにすぐ倒産してしまうかもしれない。と思った。

しかし、そんな財務のいい加減さはファッション業界で急成長できた個性の影の部分。今後改善できないというものでもない。事実、課長は影の大きさに気付いているようだし、他にも影を問題視している人は多いはずだ。希望はある。自由な発想を大切にし、やりたいことは何でもやりなさいと表明している石津社長の存在も大きい。それに、会社すなわちブランドとしてのポテンシャリティは、メンズ業界においては抜きん出ている。無理のない計画を着実に実行していく側面を持てば、業績回復はむしろ容易いのではないか。ヤバい会社に入ってしまったのかもしれないぞ。と、思った。しかし、とはいえ、楽しい仕事と理解ある先輩や上司に恵まれている状況は捨て難い。とも、思った。

若さの持つ気楽さもあって、ファッション音痴のくせに、既にVANという会社が気に入っていた僕は、むしろ“会社を立て直す小さな力になる”という目標ができたことに、喜びさえ感じていた。

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おそらく、佐助が一番好きなもの。それが、“ヨーグルトねしねし容器”。毎朝、この容器の内側に大スプーン1杯のヨーグルトを“ねしり付け”てあげているものだ。我々の朝ごはんの最後に、我々が食べたヨーグルトの器を丁寧に舐め終わると、この“ヨーグルトねしねし容器”に、佐助はありつける。「誰にも手を出させないもんね」と両手(?)で抱え込み、愛おしむように舐める佐助を見ていると、僕たちは朝からほんわかとした気分になれるのだ。愛おしいものは大切にしないとね。

           Kakky(柿本)

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暑い!そして、心配……。

土曜日夕方、ナナじいちゃんの家に弁当を届けがてら、団地脇の緑の道などを選んで散歩した。午後6時半頃だったが、暑かった!

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土曜日のナナじいちゃん弁当。冷やしおでんが入っている。……これが実に美味しい。出汁の力だが、使用した高級昆布はナナじいちゃんから頂いたものだ。

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近所の団地脇の道。北烏山には古い団地群があり、その周辺には緑の小道が多い。

翌日曜日も暑かった!

外出は一切しないことに決め、J・COMのユーチューブで“京都橘高校マーチングバンド”と“高校の男子新体操”を楽しく観ながら、うつらうつらと丸一日を過ごした。いい休日だった。

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明けて今日、月曜日。Kapparは平常営業に戻り、僕は銀行回りに。行き先は井之頭線久我山。出発したのが11時。帰りに少し買い物をして帰ってきたのは午後1時半。家の前の道路の景色は夏真っ盛りの様子。汗だくで玄関を開けた。

家の中はエアコンで冷えていてうれしかった。が、移動途中の携帯での会話の内容が気になってならなかった。

大切な友人の一人エブちゃんに電話したところ、入院中だったのだ。相変わらず明るく冗談の多いやり取りで、彼は病気については多くを語らなかったが、どうも腎臓が悪いようだ。入院も2週間くらいになっているらしい。心配だ。……かなり心配だ。

           Kakky(柿本)

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すっかりのどか……

薬のお蔭で、佐助の咳は昨日も今日も朝の1回のみ。追加の薬をもらいに行く必要はなさそうだ。よかった、よかった。ワン友の愛犬が咳き込み始めた一週間後に亡くなった(心臓病だったらしい)とか、人気ブログ“羊の国のラブラドール絵日記シニア”の愛すべき“エビス”君が危篤だとか、Kapparの親戚の人が亡くなったとか……、悲しい話が続いていたので、少し過敏になっていたのは確かだが、心配の素には早め早めに対応しようというのがKapparの方針(僕の脳出血の経験もあるので……)。“無駄足は無駄であったことをいいことと考えよう”という観点に立つことが未病対策の原点にも通じている。……ような気もする。

まあ、そんなこんなで、やはり多少具合が悪かったせいで元気がなかった佐助も、昨日の夜からやたら食い意地を発揮し始め、今日はおだやかに寝つづけている。

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二連休が確定しているKapparは、今夜のメインメニュー“冷やしおでん”を製作後、お昼寝。

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今夜のナナじいちゃん弁当用なのだろうか、冷やしおでんの具が一部取り置きしてあった。
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奥さんが亡くなった後、ヘルパーさんが家にやって来ることを受け入れるようになったナナじいちゃん。少し明るくなったような気がする。ナナちゃんの存在も大きいのだろうが、きっと意識の切り替えがあったのだろう。
           Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”は、NO.28をもって終了しました

「告知」:番外編として連載中だった、タイトル「風に揺れる蛹」も、終了しました。次作は、7月末からになる予定です。

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佐助!どうした?!

4日前の午後、やすらかに昼寝していた佐助が突然起き上がり、“グヘ!グヘ!”とえずき始めた……ように思った。お腹が空き過ぎた時や、食べ慣れない物を食べた時などに吐くことはたまにあるので、おそらく少量の“水ゲロ”だろうとティッシュを片手に待ち受けた。が、そうでもなさそうだ。苦しそうだ。仕事が佳境を迎えパソコン作業に忙しいKapparも地下から駆け上がってきた。が、当の佐助は、10回くらい“グヘ!”を繰り返し、収まるとケロリとした表情で廊下に出て寝始めた。「何だったんだろうね。変なもの食べさせてないよねえ」と少し気にはなったが、すぐに元に戻るだろうと思った。

が、翌日、さらに翌日と3日間、一日数度同様のことが起きた。吐く音もえずく時のものではなさそうに思える。以前、かかりつけの獣医に“心臓に小さな問題あり”と言われていることも俄かに気になり始めた。

昨日夕方、Kapparの仕事がやっと一段落。千歳烏山の獣医にまで連れて行くことに。途中、ナナじいちゃんの家に立ち寄り、ナナちゃんの通院のためにお貸ししていたカートを受け取り病院に向かった。

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我々の心配をよそに元気な佐助は、行きは歩くことに。

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病院の待合室でカートに乗せられると、ちょっとどんより。

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診察が近づくと、ちょっと心配。

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診察中。

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軽い風邪だとわかり、我々だけではなくホッとした表情を見せる佐助。この恰好のまま家路に。早速昨晩から、処方された薬を粉々にしてヨーグルトに混ぜて飲ませているが、もう概ね良くなったような……。

というわけで、VANのお話はまた……。

           Kakky(柿本)

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VANワンダーランド3年 ②…初仕事

学生時代はファッションに全く興味はなく、VANもJUNも知らなかった。洋服で持っていたのはジーンズと綿パン1本ずつとシャツ数枚、高校時代からのセーターと親父からのお下がりジャンパー程度という状態。VAN入社に当たって、京都寺町通の洋品店で“清水の舞台から飛び降りる”感覚でジャケットとパンツを合計6000円(?)で購入したが、それを身に付けていた入社式での同期の白い目に気付き、本社近くの倉庫の一角にあった社員用の店“PX”の新入社員対象の特別セールを活用し、ジャケット、パンツ、ドレスシャツを2セット購入。通勤に備えた。

情報室(Information Desk…通称ID)は、北青山3丁目の本社ビル5階に所在、同フロアに社長室と計画室があった。初出勤の日、“ルーティン”としてやるべきことを教わり、早速先輩たちと作業に取り掛かった。

日替わりの担当が、一般紙、業界紙、スポーツ紙等、厳選されているとは多岐多数に亘る新聞にざっと目を通し、注目記事を切り抜く。集まった切り抜きからさらに絞った注目記事を“Daily News”というタイトルの台紙に貼り、本社ビル(VANタウンとまで言われた近隣一帯5か所に点在していた…フロアを借りていたものばかり)の各部署課長以上に午前中に配布する……というのが初仕事だった。

社内広報、社外広報、各種資料の収集・分析、社内レポートの作成等が主たる業務だとわかった。当時は言葉も知らず、その概念も意味も頭になかった“マーケティング”なるものを志向しているとも教えられた。“遊びの研究”という、出版を最終目的とする研究活動も行っていた。O課長の口説き文句に嘘はなかったんだ、とワクワクした。

数日後、「これ、やってみるか?」と課長に差し出されたのが、過去2期分の決算書と“Press Release”とタイトルの入った台紙だった。Press Releaseがなんたるものなのか、どんなスタイルで書かれるべきものなのか、O課長はきちんと説明をした上で、「やってみるか?」ともう一度聞いてきた。もちろん、「やってみます」と答えた。会社員になるにあたって、1.しばらくは、言われたことはすべて“やる”。2.期限よりも早く仕上げる。3.途中でどうしても無理だとわかったら早めに音を上げ、迷惑を掛けないようにする。と決めていたからだ。

取り掛かって“しまった!”とすぐ思った。決算書が読めない。やむをえず本を買ってきて読み込んだ。それでも容易には理解できない。ここでもう一つ決めていたことを思い出した。

4.簡単には諦めない。とにかく粘る。というものだ。1~2日締め切りを延ばしてもらい、決算書を眺めて半日過ごしてみた。理解しようというよりは感じてみよう、としたのだ。

すると、粘った甲斐があったか、フワッと“これは変だぞ”という箇所が見えるようになってきた。「あれ?この会社、倒産に向かってないか?」と思った。こんなに楽しい会社がなくなってしまうのは勿体ないぞ。一昨年は明らかにいい業績を残していたのに、なぜ1年で?ということは、ポテンシャルはあるのに何か下手なことでもやらかしたのかな?などと思った。そして、そんな思いがそれから丸3年のVAN生活のベースになった。

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昨日の“ナナじいちゃん弁当”。昨夕の弁当のお届けに続き、今日午後はナナじいちゃん家への“初めてのヘルパーさん来訪”の立ち合い(じいちゃんからの要望で)に、Kapparは出かけた。

そして、わかったこと。長く入院中だったナナじいちゃんの奥さんが亡くなっていた。おそらく1カ月ほど前のことだったらしい。彼はKapparにこの1ヶ月、そのことについて一切話してはいなかったが、半月ほど前、奥さんについて「色々な可能性を持っていた人なのに、僕なんかと結婚して本当に良かったのかなあ」などと語り、なれそめや逸話を話し、僕も伝聞ではあるが耳にして、「仲のいいご夫婦だったんだねえ」などと思っていたものだった。奥さん享年90歳。ナナじいちゃん現在92歳。幸せな人生だったことだろう。

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VANワンダーランド3年 ①…入社式

中学2年の夏休み、東京と“東京的なもの”とは無縁でいたいときめたはずだったのに、大阪新阪急ホテルで待ち合わせをしたVANのO課長に「東京本社の僕の部署に入れば、社内報やPR誌や企業PRといった仕事ができるよ。楽しいよ。東京に来た方がいいんじゃない?」と口説かれ、決まっていた大阪本社(当時は二本社制だった……賢明な体制だったのだが……)勤務をあっさりと捨て、新聞配達仲間だったH君(昨年、多系統萎縮症で亡くなった)運転の2tトラックで1週間後には引っ越した。1975年、4月直前のことだった。東京暮らしのスタートだった。

引っ越し完了から数日後、入社式に向かった。空は青く澄み切っていた。入社式が開催されたのは、VAN99ホール。会場は、胸に名前と出身大学名の入った名札を付けた大卒新人約150名で埋め尽くされていた。

石津社長の簡単な挨拶から式は始まった。「VANは自由だ。一人ひとりの発想を大切にしている。好きなことをしていい会社だ。楽しんでほしい」といったような意味のことを語り、「そんなVANの可能性を体現した男を紹介する。彼は高卒でVANに入り、自転車に商品を積んで百貨店営業をしていた男だが、営業本部長としてラングラーを成功させ今はVANの常務取締役営業本部長となっている。ご紹介しよう。〇〇君です」と壇上から消えた。次いで現れた〇〇常務の話はしかし、アトラクティブではなかった。石津社長の魅力にはとても及ぶものではない、という印象だった。

その後、全員の所属部署が発表された。O課長の約束通り、僕ともう1名は情報室だったが、半数以上は販売部だった。要するに派遣社員である。まずは全員が販売員を経験させられるものと思っていただけに、意外だった。同期のみんなに申し訳ないと思った。怒りさえ覚えた。

石津社長には興味を抱いたし、思っていた通り楽しそうな会社だとは思ったが、少し嫌な感じが残ったまま会場を出た。すると、そこに待ち受けていたのが、ビラを小脇にした組合のメンバー達。何を主張しているのか、口にする言葉は理解できなかったが、手渡されたビラには業務の“差別性”とか“不当性”とか“労働者の権利”という言葉が目についた。京都大学の入学式が中核白ヘル集団の壇上乱入で粉砕されたのに比べれば穏やかなものだ、と思いつつも、ビラの文字や言葉には“本物の全学連出身者”影がチラついているのが気になった。“まさかここでも……”と嫌な気分になった。

石津社長は個人の発想と魅力で発展したVANを新たな経営布陣に置き換えようとしていること。同期からの情報によると、社員募集が縁故採用ではなく一般公募になってまだ2年目であること。おそらく社員募集を開始した時点の予想を売り上げが大きく下回ったことが原因で大卒約150名の扱いに困り、その多くを販売員にすることにした人事に戦略も政策もなさそうなこと。組合(総評系で共産党の匂いがする)が力を持ち始めていること。

入社当日に、“この会社、大丈夫かなあ”と考えざるを得ない要素に一気に出会ってしまったのだが、僕にとっては“楽しいことが出来そうだ”という魅力だけで十分だった。

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まだまだ続く届き物。田舎のミッちゃんから“益田産トウモロコシ”が本日到着!これが美味しいのだ!

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夏の届き物にピッタリ?な暑さ。佐助は、首に保冷剤入りスカーフを巻いてもらっている。

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楽しさがもたらす疲労は心地よい。

金曜日、心待ちにしていた“同級生たちとの夜”が、遂にやってきた。他の同級生の消息や、高校生の頃一緒に聴いた音楽の話や、つまらない冗談のやりとりや……で、あっという間に5時間が経ち、都内在住の二人が順に帰った後、我が家に宿泊する下瀬君と少しだけ飲み直した。

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Kapparの料理も大好評だったが、写真を撮る暇はなかった。

翌土曜日は、家族とディズニーランドへ行くという下瀬君を見送った午前9時過ぎから、宴の後の疲労でぼんやりと一日過ごした。Kapparの疲労の方が大きかったことだろうが、僕は三人のことを思い出しつつ心地よい疲労にウトウトしたりして、まるで反芻しながら昼寝する牛のような一日を過ごしたのだった。

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そして、今日。Kapparは所用で小田原に出かけたので、パソコンの前にアイスが出てくることになった。フフ。

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朝の散歩の時点では、まだそんなに気温は上がっておらず、行きはタッタカ歩いた佐助だったらしいが、帰りはいつものペース。休憩と甘えの“動きたくないもんね”頻発だったようだ。さて、今週は何を楽しみにしようかなあ……。

            Kakky(柿本)

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