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30代で経験したゲシュタルト崩壊

ゲシュタルト崩壊……全体をまとまりのある全体として認識できなくなる現象。一種の知覚異常。全体性がわからなくなり、個々の構成部分に切り離されて認識されるようになる。同じものを見つめ続けていると起きがちで、全体像を“あれ?何か違うなあ”と思い始め、そう思い始めると部分部分が気になり検証し直してみても、部分から全体を組み立て直すこともできなくなる。……“失認”の一種なのだが、30代前半の頃、僕自身経験したことがある。

当時はワープロが普及しつつあった頃だったが、まだ異常に高く、ほぼ個人事務所に近かった僕の会社では購入できる代物ではなかった。したがって、企画書もコピーも原稿もすべて手書き。長時間文字を書き続けることも多かった。

そんなある日、秋の午後だったと思う。疲れて手を止めた原稿の“ぬ”の文字がふと気になった。“何が気になったのだろう”と見つめているうちに、やがて間違っているような気がしてきた。“まさか!相手は平仮名だぞ!間違えるわけなどあるものか!”と思い、じっと見つめ直してみる。すると、尚更間違いのように思えてくる。“一体どうしたっていうんだ”とメモ用紙に何度も“ぬ”を書いた。しかし、何度書いても正しいという自信が持てない。かといって、開いては平仮名、辞書に頼ろうという気にはなれない。疲れで頭がどうにかなってしまったんだ、テラスに出てボンボンベッドに横になった。瞼の裏に強い陽の光を感じつつ、“なんだろう?間違えるわけないけどなあ”と考えた。そして、ふと気付いた!“これこそ、ゲシュタルト崩壊に違いない!”と。きっとそうだったんだ、と今では自信を持って言える。

ゲシュタルト崩壊は日常生活の中でも起こりうる。一つのことを見つめ続けていると部分ばかりが気になり、部分から全体を組み立て上げる力を失って判断を誤る。……部分ばかりが気になり、部分のチェックばかりするようになると危険だ。それは、ゲシュタルト崩壊の一歩手前かも……。“大事な全体性”を見逃してしまうかも……。

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佐助は“雷怖さ”のため、小さな異常音(例えば、遠くの飛行機の爆音など)にも怯えを見せることがある。違うのにね。

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一方で着々と進行する、Kapparの自家製マーマレード生産第二弾。第一弾の在庫が少なくなり、Kapparの仕事がひと段落するのを心待ちにしていた僕にとって、部屋に充満する夏ミカンの香りは、うれしい報せだ。

                Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”は、NO.28をもって終了しました

*”昭和少年漂流記第三章”を、書き始めています。が!書き直しの連続で進んでいません。6月上旬頃連載開始予定ですが……。

「告知」:番外編として、タイトル「風に揺れる蛹」の連載を開始しています。上記リンク“1969年。僕たち………”からどうぞ…

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