« 2017年5月 | トップページ | 2017年7月 »

来週(7月3日)から……

雨続き。空気が重いせいか、グダグダ気分が続いている。

が一方、連日頂き物も届いている。VAN時代からの大の友人からは“手作りの梅ジャム”。ワン友からは“母が作った野菜”。他のワン友からは“たこ焼き”。さらに他のワン友からは“北海道旅行のお土産”……。“さくらんぼ”や“メロン”が届いて以降、いつもおいしものに囲まれている感じがするくらいだ。ありがたい。お返ししなければ、と思う。

そんな中、今日は高校の同級生が3人やってくる。松江市から一人、都内から二人。下瀬君、小林君、石原さん、そして僕の合計4人でミニミニ同窓会が今夜開催される。Kapparの料理と辛口の日本酒で歓迎だ。

月・水・金と週3回弁当の配達を受けることになった(…やっとその気になってくれてよかった…)ナナじいちゃんにKapparが届けてきた“ナナじいちゃん弁当”も続いている。梅雨から夏へ、健康への気遣いは他人事だけではない。

0625

6月25日のナナじいちゃん弁当。

0629

6月29日、昨日のナナじいちゃん弁当。

今夜のミニミニ同窓会の料理の下ごしらえもあり、昨日は半日が料理タイムだったKapparだが、仕事の調整は済んでいたおかげか、メニューを考える段階から楽しんでいるようにも見えた。

Photo

一方、僕はというと、グダグダしながら「VANのことを、自分なりにきちんと書いておこうかなあ」と考えていた。理由はある。それも含めて、来週(7月3日)から書き始めてみようかなあ、と思っている。……ところだ。

            Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”は、NO.28をもって終了しました

「告知」:番外編として連載中だった、タイトル「風に揺れる蛹」も、終了しました。次作は、6月末からになる予定です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

届いたもの、届けたもの

一昨日、昨日と、相次いで友人から恒例の“季節の美味”が届いた!

Photo

山形生まれ、丹波育ちで大阪在住のエブちゃんからサクランボ。完熟の“佐藤錦”!2箱入っていたので、いつも頂き物をしているワン友夫婦2組に1箱を半分ずつ。我が家で1箱。冷やしておいて夕食のデザートで一部いただいた。ウマ!かった。

エブちゃん、毎年毎年ありがとう!!

Photo_2

高校の同級生、ミッちゃんから届いたのが、島根県益田産のメロン。26日以降が食べ頃、というメモ付きのパンフが入っていた。やはり2個入りだった。半分をワン友夫婦のお宅に届けた。後3日でやってくる“食べ頃”が今から待ち遠しい~~。ミッちゃん、毎年毎年ありがとう!!

20170622

そして、届けたのがナナじいちゃん弁当。サクランボが少しお裾分けしてある。次の弁当の日は26日の予定。メロンがお裾分けになるだろう。

明日は、Kapparは毎年恒例の高校の剣道部の同窓会。佐助とのお留守番の夜、ステーキを焼いて食べるつもりだから、佐助もお裾分けにあずかることができる(?)だろう。
            Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”は、NO.28をもって終了しました

「告知」:番外編として連載中だった、タイトル「風に揺れる蛹」も、終了しました。次作は、6月末からになる予定です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

敢えて競合店の近くに出店……相乗効果狙い

家具の東京インテリアが、ポートアイランドに神戸店を明日出店する。今年2月に大阪市大正区に大阪本店を出店したのに次ぐ関西2店目だが、2店ともイケアの隣接地への出店。一見、先行する強力な競合店に果敢な挑戦を仕掛けたとも見えるが、相互の扱い商品の特性が異なるので、完全に競合するというよりは、相乗効果の方が大きい、という確かな戦略あってのことだと考えられる。無謀な挑戦はビジネスの世界では、普通はありえない。家具を買いたいと思う人にとって、好立地に個性の異なる大型店が2店舗隣接している利便性は大きい。しばらくの間は、思惑通り相乗効果を上げることだろう。

少し意味合いは異なるが、オリジン弁当の出店戦略は“コンビニ(セブンイレブン)の近くに出す”というものだった。セブンの売り上げと利益を支えているのは弁当なので、セブンの顧客に新たな選択肢を提供すれば販売につながる、というシンプルな考えだ。そして、昼食ニーズの多いエリアでは、その戦略は成功した。だが、10年ほど前(?)、オリジン弁当(社名:オリジン東秀)はイオンに買収されてしまう。イオンには、“セブンを困らせるには弁当を狙え”という戦略意図があったのではないか、と思う。セブンの弁当開発に一層拍車がかかり、チルドの総菜が充実していったのはその頃のような気もするが、確かではない。オリジン弁当の調子は、現在はどうなのだろうか……。

Photo

自宅から徒歩10分ばかりで到着する中央高速の高架下。佐助がまだ若い頃(4~5年前)、先輩や同年代のワンコ達と交流を重ねた場所なのだが、今やベテランの風情。走ることなど希だ。

            Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”は、NO.28をもって終了しました

「告知」:番外編として連載中だった、タイトル「風に揺れる蛹」も、終了しました。次作は、6月末からになる予定です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

“遊び心”投資。賛成~~!

一部だけを取り上げて、全体の評価を決めるのはよくない。木を見て森を見ず、という言葉だってある。冗談を言いながらきちんとしたモノ作りをする職人やお茶目でちょっとHな哲学者などは、むしろその道の達人の匂いはしないだろうか。いつも真っすぐ懸命にそのことだけ、という姿には“修行中”や“発展途上”の匂いがする。

Photo

今日ネットで見つけた“日清食品関東工場の煙突”。1983年に茨城県取手市に建てた工場のようだ。煙突と言っても煙が出てくるものは、今の日本にはほとんどない。モクモクと風になびくのは水蒸気。まさにできたてのカップヌードルそのままの風情だ。

こんな遊び心にお金を使う会社の製品が品質が良くないなんてことなどありはしない、と思ってしまう。“遊び心”投資は、良質で効果的なPRになる!と思う。なかなか採用されないが……。

Photo_2
佐助は、“このことだけ”の繰り返しの日々。今日の昼は、いただき物の“犬用鰹節”(硬い!)に一心不乱だった。

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”は、NO.28をもって終了しました

「告知」:番外編として、タイトル「風に揺れる蛹」を連載中でしたが、昨日終了しました。次は、6月末からになる予定です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

世田谷“ちょっぴりアウトドア”ライフ

Kapparがほぼ半年ぶりに週末2日休めそうだとわかった昨土曜日、翌日が雨予報だったので、“ちょっぴりアウトドア”ライフを楽しもうと話し合って決めた。

20170617_173902

ナナじいちゃん弁当をまず届け、佐助と散歩に出かけた。

Photo_2

さすが“駄犬王子”、枯れ草がよく似合うなあ、と感心したりしながら、裏の公園へ。“たこ焼きとビール”を夕涼みの公園でゆっくり楽しもうという魂胆。

最近、近所の住宅の駐車場にたこ焼き屋さんの屋台が出ている、と聞いていて、先日ワン友が一舟プレゼントしてくれたその味がなんともおいしかったからだ。本来、散歩の途中に買う予定だったのだが、「今日は別の場所で見かけた」と、たまたま遭遇した他のワン友に教えられ、公園で僕と佐助を待たせておいて、Kapparは家までひとっ走り。自転車でたこ焼きを買いに行ったのだった。

Photo_3

午後7時前、空は暮れなずんでいる。

Photo_4

佐助は、隣のベンチの見知らぬ母子に近づき、少し頭を撫でてもらって目の前でご休憩。やがてKapparがやってきて、ビールと熱々のたこ焼きを楽しんだ。散歩に出たのが4時半。帰宅したのが、8時前。“ちょっぴりアウトドア”、充実の3時間半だった。

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”は、NO.28をもって終了しました

*”昭和少年漂流記第三章”を、書き始めています。が!書き直しの連続で進んでいません。6月上旬頃連載開始予定ですが……。

「告知」:番外編として、タイトル「風に揺れる蛹」の連載を開始しています。上記リンク“1969年。僕たち………”からどうぞ…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

テレビの視聴率って?

*記憶に頼った話なので、細かな誤りがあるかも……。詳細を知りたい人は要検索

まず、視聴率計算の母数となる“テレビ受像機の普及台数”だが、これは内閣府が毎年春に発表している“消費動向調査”に依拠している。消費動向調査は、全国の約5000万世帯(学生、外国人等は含まれない)から約8500世帯を都道府県別に単身世帯、二人以上世帯毎に抽出して、郵送調査を行うもの。全体の傾向を語るにあたって90%以上の信頼性があると確率論的には算出されているものだ。

テレビの保有率は、時系列的に見てもほとんど変化はなくほぼ90%だが、単身世帯では減少傾向にあり、現在は80%くらいだと思われる。テレビ離れは少しずつ進行していると言える。

一般的に視聴率と言えば“世帯視聴率”だが、この調査はビデオリサーチ社1社に依存している。視聴中のテレビ番組を記録する機械(2種類ある)を東京都で900世帯(?)、大阪、名古屋で600世帯、その他全国を20数ブロックに分けて各200世帯に設置(設置世帯はランダムに選出し、各2年間継続…?)。1分置きにデータとして収集される。各ブロックの“視聴世帯数”を該当するブロックの機械設置世帯数で割って算出されるのが、“世帯視聴率”ということになる。

東京を例にとると、900世帯のうち90世帯が視聴していると、視聴率10%ということになり、東京都の世帯数は約650万世帯なので、理論的には65万世帯が視聴しているということになる。一応理論的に裏打ちされているとはいえ、推計値であることに変わりはなく、1%や2%の増減で一喜一憂したり視聴傾向を語るには適していないように思われる。世論調査と似たようなものだと言えなくもない。

ただ、CM放映料算定の根拠としては、視聴率に勝るものは今のところない。1世帯当たり1円とした場合、東京単でスポットCMを打つ場合、視聴率10%の時間帯であれ1円×10%×65万世帯=650万円、という計算だ。計算式を提示することはないが、求められればこのようにして提示し、もっともな金額だと思わせる。そこでは、視聴率の1%も大きな意味を持つことになる。

スポンサーとしては、以前の番組が低視聴率で、その視聴率をベースに提示された番組提供料金で契約した後に視聴率が上がると、いい買い物をしたことになり、その逆だと悪い買い物をしたことになる。後者の場合は、宣伝部からクレームが来ることもよくある。視聴率がやたらと気にされる理由である。視聴者目線のものでは決してないのである。

ただ、“個人視聴率”(スポンサーは世帯よりも個人をターゲットにしている)がどれだけ把握できるか、ザッピングをどう考えるか、“録画視聴”(この場合、CMはスキップされる傾向が強い)をどう捉えるか、といったことや、単身世帯のテレビ離れ、インターネット広告の普及への対応(視聴者特性が把握しやすい、その場で購買行動につながりやすい、クリック毎の単価なので料金設定がわかりやすい、等々メリットはテレビCMより大きい)といった難問を抱えており、テレビCMそのものの衰退さえ見えてきている。

Photo

ビデオリサーチ以外の調査会社もテレビ視聴の実態調査に乗り出している。僕が協力しているのは、キューモニター(アンケートで当選して選ばれた)。

Photo_2

専用(wifi対応)のスマホのスイッチを入れると、視聴中の番組の音を拾い(地上波の番組にのみ反応)、データとして送信され、僕には送信状況によってポイントが入ってくる。Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”は、NO.28をもって終了しました

*”昭和少年漂流記第三章”を、書き始めています。が!書き直しの連続で進んでいません。6月上旬頃連載開始予定ですが……。

「告知」:番外編として、タイトル「風に揺れる蛹」の連載を開始しています。上記リンク“1969年。僕たち………”からどうぞ…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

祝!テレビ東京、ゴールデンタイム視聴率民放3位!

視聴率の精度は本来そんなに高くはない。(視聴率に関しては、明日の本ブルグで……)が、テレビ局経営の根幹と深く関わる指標なので、重視されざるを得ないものとなっている。視聴率は視聴者のためのものではなく、競合他局との比較資料、番組改編の基礎資料、CM料金策定の基礎資料といった、スポンサーのための言わば“営業資料”。視聴する番組選定の参考になどなるものではない。とはいえ、テレビ業界の現場は、昔から視聴率に振り回されていると言っても過言ではない。

そんな中、30年ほど前だったか、ひょんなことからテレビ東京の番組企画の仕事を広告代理店から依頼された。他の仕事の関係で日テレ、フジには何度か出入りをしていて、数少ないとはいえ知り合いもできていたが、どうも好きにはなれなかったので、テレビ東京もそんな感じかなと少し躊躇したものの、一応行ってみることにした。ところが、行ってみると雰囲気が全然違う。のんびりとした、自由な空気の匂いがする。例えれば、日テレとフジが大手商社だとすれば、テレビ東京は専門商社のようだったとでも言えばいいだろうか。おまけに「どっちみち視聴率は*印(1%以下?)なんで、自由に企画してください。スポンサーの意向に合わせてもらってもいいですよ」と、初っ端から言われる始末。元々、番組のテーマと番組提供を売り込む企業が想定されている話。これはやりやすいなあ、と思った。

そして、基礎プランが出来ていた“旅番組”を、スポンサーをヤマト運輸で想定し企画したのが、“いい旅夢気分”だった。“ゴルフ宅急便”と“スキー宅急便”のCM制作でお付き合いがあり、その頃試験的に始まったたばかりだった“クール宅急便”のマニュアル作りにもほんの少しだけ関わっていたヤマト運輸に“旅を通じて地方の生鮮を紹介し、その販売と配送をバックアップしよう”という企画意図を紹介。番組提供も実現した。

その後、クルマ専門の“モーターランド”や“ゴルフ番組”なども企画し実現したが、視聴率は気にする必要はなかったので、ただただ楽しかった。そんな“楽しい現場主義”と“マイナーだからこその独創性”が、予算の少なさを克服して花開くようになればテレビも面白くなるのになあ、と内心歯ぎしりしていた。

ところが、なんと、5月29日から6月4日のゴールデンタイム(午後7〜10時)の週間平均 視聴率(関東地区、ビデオリサーチ調べ)でテレビ東京は8・6%を記録!1964年の開局以来、初めて民放3位となった!

やったね、テレビ東京!という感じだが、このことがこれからの手枷足枷にならなければいいが、と老婆心ながら心配も始まっているところだ。

Photo

セロトニンを求めて、午後2時頃はベランダに出ていた佐助だったが、

Photo_2

小さな“雷鳴?”に、Kapparにしがみつき(Kapparの仕事が忙しくなくて幸い?)、

Photo_3

はっきりと“雷鳴!”だとわかり、恐怖の表情に変わったのだった。嫌な予感は概して当たるものなのだよ、佐助。

                Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”は、NO.28をもって終了しました

*”昭和少年漂流記第三章”を、書き始めています。が!書き直しの連続で進んでいません。6月上旬頃連載開始予定ですが……。

「告知」:番外編として、タイトル「風に揺れる蛹」の連載を開始しています。上記リンク“1969年。僕たち………”からどうぞ…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

楽しみな、自動セルフレジ機

コンビニ業界の売上がさすがに頭打ちになってきている。そして、コンビニのバイトは、日本人が40%を切った(らしい)。なんせ完全失業率が2.8%、バブルの時代よりも少ないレベル。働きたくても働けない、という人は理論的にはいない時代になっている。

すると人手不足が深刻になってくるのが、単純労働の世界。もちろん、単純だからといって質が低いとは限らないのだが、バイト依存なくしてビジネスとして成り立たないコンビニ店にとっては深刻だ。時間給をどんどん上げてもバイトは集まらない。やむをえず、中国からの留学生(?)に依存せざるを得ない。ただそれでは、安定した労働力供給はなかなか望めない、上に、これから先も状況が改善される見通しはない。う~~~~~ん。

というところに、いい報せが入ってきた。ローソンが自動セルフレジ機の実用実験に入ったのだ。かねてからパナソニックと共同開発に取り組んでいたという自動セルフレジ機。買い物カゴに入れてレジに行くと、もう会計はできており、ワンタッチで袋詰めもできてしまうというものらしい。予見できた現在の状況に備え、同じ関西の企業同士で開発に取り組んできていたのだろう。労働力不足を解消しつつ労働効率や生産効率を上げていく、という大きな課題の解決法が、こうして徐々にかつ確実に編み出されていくのだろう。えらいぞ!頼もしいぞ!うれしいぞ!

Photo

午後4時半頃Kapparと夕方の散歩に出て行くまで、ふと右を向くといつも佐助のこんな顔、こんな目に出会う。「佐助、何見てんの?」と聞くと、きっと「な~~んも」と言うのだろうが、気になってついついオヤツを上げてしまうことがある。いちいち立ち上がるのも大変なので、自動オヤツサーバーなぞがあるといいなあ、と思う。……ダメか……きっと太るなあ……Kapparに怒られるなあ……

                Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”は、NO.28をもって終了しました

*”昭和少年漂流記第三章”を、書き始めています。が!書き直しの連続で進んでいません。6月上旬頃連載開始予定ですが……。

「告知」:番外編として、タイトル「風に揺れる蛹」の連載を開始しています。上記リンク“1969年。僕たち………”からどうぞ…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

これからまた、暮らしアップ!

20170613

昨日のナナじいちゃん弁当。4日おきのお届けなので日々の食事としては十分とは言えないが、頻度としてはお互いにちょうどいい状況だ。ナナじいちゃんは「4日に1度で十分です。楽しみにしていますよ。これ以上してもらうと申し訳ないし、今でも何もお返しができないくらいなので……」という心境。Kapparは「無理し過ぎず持続できるようにすること。仕事に負担がかからないようにすること。そして、ナナじいちゃんの暮らしのサポートになること。と考えると、中4日くらいがいいところかなあ」という判断。4日に一度とはいえ弁当は量的に2日分くらいあるので、他に気になることといえば、もう2日分の食事を彼はどうしているのか、家事はどうしているのか、家の中の様子はどうなっているのか、といったこと。Kapparが多少は片づけを手伝ったことがあるといえ、もう1年以上前。彼はシャイで気遣いの人で、ヘルパーの人がやってくるのは苦手のようなのだが、とはいえ、彼ももはや92歳、日々のあれこれの負担は小さくないはずで、小さなことが怪我や健康を害することにつながりかねない。

ということで、優秀なケアマネージャーのワン友とKapparが協力して、なんとかいい形でヘルパーの導入(食事と掃除)が実現できないものか(ナナじいちゃんの心の負担なく)とお話をしたりしている。

げにありがたきは“ワン友の輪”である。ナナじいちゃんの暮らしアップが実現しますように~~~。

Photo

「おいらが気になるのは雨とおやつ。……あと、ちょっと眠いかな?」。佐助はいつも通り呑気だ。

                Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”は、NO.28をもって終了しました

*”昭和少年漂流記第三章”を、書き始めています。が!書き直しの連続で進んでいません。6月上旬頃連載開始予定ですが……。

「告知」:番外編として、タイトル「風に揺れる蛹」の連載を開始しています。上記リンク“1969年。僕たち………”からどうぞ…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

即買い!!即着!!

最近、J・COM(ケーブルテレビ)でユーチューブを観る機会が多い。地上波は、テレビ東京の一部の番組を録画して観る以外はほとんど観ず、夕食中にクイズ番組を観ている程度。朝食の時も、定番だったNHKBS3のニュースからユーチューブのKawaiiチャンネルに変更。動物たちの可愛い映像を眺めるようになった。

新聞は読まなくなって30年以上になる。仕事の資料として日経、日経BJをKapparの事務所として購読。Kapparが定期的に切り抜き作業を行っている。一般ニュースは、ネットで十分。偏らないよういくつかのサイトと、信用できそうな個人のサイトをほぼ毎日覗いている。

一昨日の夜、ユーチューブで面白い動画を発見。“いたずらBANK”という貯金箱で猫が遊んでいるものだったのだが、見た瞬間「買おう!」と“即買い”が決定した。そして、アマゾンに在庫があるのを確認。昨日の朝一番、注文。Kapparはアマゾンプライムの会員なので、昨日の夕方に到着した。

Photo

何の変哲もない箱(左右20cm弱?)の白い部分(白い皿の上に魚の骨が乗っているデザイン)にコインを置く(あるいは指で押す)と、ウィーンと箱が開き、

Photo_2

中から子猫が顔を出してきて、片手でコインを引き寄せポトリと箱の中に落とす。という仕組み。これは佐助に見せるとおもしろそうだ、とスマホを構えて動画を撮った。が、少し首を傾げただけで思いの外興味を示してくれず、ガックリ。はしたものの、これからは本来の貯金箱の役割を果たしてくれるはず‥‥だ。

                Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”は、NO.28をもって終了しました

*”昭和少年漂流記第三章”を、書き始めています。が!書き直しの連続で進んでいません。6月上旬頃連載開始予定ですが……。

「告知」:番外編として、タイトル「風に揺れる蛹」の連載を開始しています。上記リンク“1969年。僕たち………”からどうぞ…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

食事会メニューのお披露目

昨日午後6時から食事会(お祝い宴会)開催。4人と3匹で食べて飲んで喋って……11時まで。心地よく楽しい5時間だった。

酒は、ほとんどビール。僕だけ途中から日本酒(久保田!)。料理はすべてKapparの手作り。そのメニューを今日はお披露目。

最初は、男2人だったので、“枝豆”と“イカ焼き(屋台風)”からスタート。

Photo

次いで前菜3点盛り“アボカドと豆腐の天寄せ、海老と胡瓜の黄味噌合え、茗荷の甘酢漬け”。ここで4名に。

Photo_2

“骨付きラムのハーブグリル”。

Photo_3

サラダは、“素揚げレンコンと素揚げゴボウとリーフレタスと水菜と三つ葉のバルサミコ酢ドレッシング”……写真を撮り忘れる。

“ズッキーニのレバーソース”

Photo_4

“なんちゃってローストビーフ”

Photo_5

“枝豆と生ハムのミニコロッケ”

Photo_6

その他1品か2品あったはずだが、覚えていない。……そして、〆が“ボべご飯”。

お腹一杯になり、酔いも手伝って、12時頃にはコロリンと寝てしまった。さて今日は、豪華な残り物の夜だ!

Photo_7

お土産で頂いたビールもあるぞ~~~。

                Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”は、NO.28をもって終了しました

*”昭和少年漂流記第三章”を、書き始めています。が!書き直しの連続で進んでいません。6月上旬頃連載開始予定ですが……。

「告知」:番外編として、タイトル「風に揺れる蛹」の連載を開始しています。上記リンク“1969年。僕たち………”からどうぞ…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

遠足前夜?記念日前?…いいえ。宴会前!

昨日から始まっている。メニュー決め、買い物、下ごしらえ、ビール配送……。ワン友夫婦ご招待の、今日の宴会。二人の誕生日やら結婚記念日やら、定かではないお祝いを一気にすべて、という夜。午後6時頃からスタートだ。

20170611

冷蔵庫は満杯。奥の方にはおいしい〇〇が既に完成済み。これから製作に入るものもある。ちょっと珍しいものやお客好みのものや……。

Photo

待ち遠しいのは、佐助も一緒?

                Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”は、NO.28をもって終了しました

*”昭和少年漂流記第三章”を、書き始めています。が!書き直しの連続で進んでいません。6月上旬頃連載開始予定ですが……。

「告知」:番外編として、タイトル「風に揺れる蛹」の連載を開始しています。上記リンク“1969年。僕たち………”からどうぞ…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

役割が人を創る!?

中学生の時、ほんの少しだけ不良の匂いがする同級生がいた。それほど乱暴な男だとは思わなかったが、一部の同級生たちは微妙に彼を避けていた。さして大きな問題にはなっていなかったが、平和でのどかなクラスに、少しだけ不快な空気が流れ込み始めているのが気になった。誰も気づかないふりをしているのが嫌だった。

クラス会でクラス委員を決める時、僕はその“ちょっと不良少年”を風紀委員に提案した。彼のことに関しては話題にすることも意見を述べることもしない同級生たちの反対はなかった。彼は風紀委員に決まった。

「やりたくない。なんで俺なんだ」と、彼は僕に抗議してきた。「みんな、お前の言う事なら聞くから、向いてる」と僕が言うと、彼は複雑な表情を浮かべながら、「風紀委員なんて、何すればいいんだよ」と口を尖らせた。「みんなの服装チェックしてくれないか」と僕は言った。開けてあった第一ボタンと詰襟のフックを止めながら、「わかった」と彼は言った。

翌朝から、校門を抜けると、登校してくる男子生徒の服装をチェックする彼の険しい目に出会うようになった。「おはよう!」。彼の挨拶の声は大きく少し威嚇的ではあったが、朝の登校時の風景をピリッとさせる力があった。

ちょっと気合が入り過ぎじゃない?と思うくらい早い時間に登校し続けていた彼の風紀委員生活は1週間ほどで終わったが、彼は満足げだった。そして、不良の匂いも消えていた。ただ残念ながら、同級生の彼に対する態度に大きな変化はなく、彼の学生服のボタンと詰襟のフックがまた外されるようになるのに、そう多くの時間を要することもなかった。

良きにつけ悪しきにつけ、役割は人を変える。人を創ることさえある。ただ、それぞれが自分の役割に対する深い理解と責任を持ち、お互いの役割に対する強い理解と敬意を持っていないと、役割も人も歪んだものになる。彼は元に戻ることができてよかったのかもしれない。

スタンフォード大学“監獄実験”のおぞましい経過と結果は、人と役割との関係を随分と考えさせてくれる。 *“スタンフォード大学監獄実験”で検索してみてくださいね。

_20170609

昨日の“ナナじいちゃん弁当”。僕たちは、ナナじいちゃんに対する自分たちの役割を過度に意識しないよう心掛けている‥‥。

                Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”は、NO.28をもって終了しました

*”昭和少年漂流記第三章”を、書き始めています。が!書き直しの連続で進んでいません。6月上旬頃連載開始予定ですが……。

「告知」:番外編として、タイトル「風に揺れる蛹」の連載を開始しています。上記リンク“1969年。僕たち………”からどうぞ…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いかん!気分が夏休みになってるぞ!

次の日曜日は食事会。今月末は同級生が松江からやってくる。……我が家に泊まることに決まった……そして、今月中にまだ何か一つや二つは楽しいことがありそうな予感が。

思い起こせば、VAN入社後の6月、「そうか、これからは学生時代のような夏休みはないんだ~~」と茫然と夏空を見上げたものだ。

元々夏が好きだからだろうか、抜けるような空を眩しく見上げると、わくわくしてしまう。汗や日焼けはさほど気にならない。だから、今日のお使い(久我山の銀行まで)は、「僕が行きます」と積極的(いつも、ですけどね)だった。

Photo

12時過ぎの出発。服装は、すっかり夏仕様。「わっ!暑いねえ」と口では言うものの、うれしさも大いにある。

Photo_2

「暑そう~~」と、家に逃げ込むKapparに見送られて出発。

Photo_3

午後2時前、高井戸まで帰ってきて、歩道橋から見上げた空には“いかにも夏!”の雲があった。

これから、夏の楽しみ方を考えなくては……。“暑気払い”や“暑気浴び”や……

                Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”は、NO.28をもって終了しました

*”昭和少年漂流記第三章”を、書き始めています。が!書き直しの連続で進んでいません。6月上旬頃連載開始予定ですが……。

「告知」:番外編として、タイトル「風に揺れる蛹」の連載を開始しています。上記リンク“1969年。僕たち………”からどうぞ…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

30代で経験したゲシュタルト崩壊

ゲシュタルト崩壊……全体をまとまりのある全体として認識できなくなる現象。一種の知覚異常。全体性がわからなくなり、個々の構成部分に切り離されて認識されるようになる。同じものを見つめ続けていると起きがちで、全体像を“あれ?何か違うなあ”と思い始め、そう思い始めると部分部分が気になり検証し直してみても、部分から全体を組み立て直すこともできなくなる。……“失認”の一種なのだが、30代前半の頃、僕自身経験したことがある。

当時はワープロが普及しつつあった頃だったが、まだ異常に高く、ほぼ個人事務所に近かった僕の会社では購入できる代物ではなかった。したがって、企画書もコピーも原稿もすべて手書き。長時間文字を書き続けることも多かった。

そんなある日、秋の午後だったと思う。疲れて手を止めた原稿の“ぬ”の文字がふと気になった。“何が気になったのだろう”と見つめているうちに、やがて間違っているような気がしてきた。“まさか!相手は平仮名だぞ!間違えるわけなどあるものか!”と思い、じっと見つめ直してみる。すると、尚更間違いのように思えてくる。“一体どうしたっていうんだ”とメモ用紙に何度も“ぬ”を書いた。しかし、何度書いても正しいという自信が持てない。かといって、開いては平仮名、辞書に頼ろうという気にはなれない。疲れで頭がどうにかなってしまったんだ、テラスに出てボンボンベッドに横になった。瞼の裏に強い陽の光を感じつつ、“なんだろう?間違えるわけないけどなあ”と考えた。そして、ふと気付いた!“これこそ、ゲシュタルト崩壊に違いない!”と。きっとそうだったんだ、と今では自信を持って言える。

ゲシュタルト崩壊は日常生活の中でも起こりうる。一つのことを見つめ続けていると部分ばかりが気になり、部分から全体を組み立て上げる力を失って判断を誤る。……部分ばかりが気になり、部分のチェックばかりするようになると危険だ。それは、ゲシュタルト崩壊の一歩手前かも……。“大事な全体性”を見逃してしまうかも……。

Photo_3

佐助は“雷怖さ”のため、小さな異常音(例えば、遠くの飛行機の爆音など)にも怯えを見せることがある。違うのにね。

Photo_4

一方で着々と進行する、Kapparの自家製マーマレード生産第二弾。第一弾の在庫が少なくなり、Kapparの仕事がひと段落するのを心待ちにしていた僕にとって、部屋に充満する夏ミカンの香りは、うれしい報せだ。

                Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”は、NO.28をもって終了しました

*”昭和少年漂流記第三章”を、書き始めています。が!書き直しの連続で進んでいません。6月上旬頃連載開始予定ですが……。

「告知」:番外編として、タイトル「風に揺れる蛹」の連載を開始しています。上記リンク“1969年。僕たち………”からどうぞ…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

春の仕返し合戦

4月に松江でミニ同窓会をした時のこと。S君に「昨日の夜はどうしたの?」と聞かれた。前日鳥取に入り、亡くなった旧友の家とお墓を訪れた後、米子まで移動してホテルに泊まった旨を告げると、「松江まで来て、うちに泊まればよかったのに」と言われた。「いや、それはちょっと……。松江まで来ると9時前くらいになっちゃってただろうしさ。泊めてもらうったって、寝るだけじゃないぞ。酒は飲むしさ。肴はおいしいものがいいって言うだろうしさ」「別に構わないけど。うちとしては」「構わないって言い方の裏に無理を感じるなあ。是非!お願いします!って言うんだったら泊まってやらなくもないけど…」「是非、お願いします!我が家に泊まってください!」「我が家?」「いやいや、拙宅に。……拙宅にお泊りください!」「そう?しょうがないなあ。そこまで言うんだったら、来年は泊まってやってもいいよ」「お願いします!」「よっしゃ、わかった。安心しなさい。泊まってやるから」……というやり取りをした。

そのS君が東京に来る。昨日メールがあり、「一緒に飲む時間ある?」と言ってきた。「あるよ!是非!是非!うちにお泊りください!」と返事を書くと、「それは申し訳ないからできない。近くのホテルでも紹介してください。K君にも声を掛けていい?」と返してきた。ううむ。これからどんな“仕返し合戦”になるのか……。楽しみだなあ。

Photo

気温によって運動量が大きく変わるようになった佐助。日陰に入ると安堵の表情になるような……。
                Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”は、NO.28をもって終了しました

*”昭和少年漂流記第三章”を、書き始めています。が!書き直しの連続で進んでいません。6月上旬頃連載開始予定ですが……。

「告知」:番外編として、タイトル「風に揺れる蛹」の連載を開始しています。上記リンク“1969年。僕たち………”からどうぞ…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

垣間見た中国人(とのビジネス?)の実態 ③…の10(おしまい)

指定された店は有名なようで、タクシーの運転手もすぐにわかってくれ、10分ほどで到着した。聞いていた通りの“日本語ペラペラのマスター”が「いらっしゃいませ!」と迎え、「Kさん、お見えですよ」と友人に知らせてくれる。店内は“日本語だらけ”。しかし、日本人ビジネスマンだけではないことは一目瞭然。服装と所作で見分けがつく。満員の店内、カウンター席を含め20名以上はいると思われる客の半分程度は中国人だと思った。

K君と「久しぶり~~」とグラスを交わす。K君は、広告代理店のマーケッター。上海支店勤務を命じられ、中国語を短期間にマスター。上海にやってきて2年、入浴剤を中国に浸透させる仕事を主に行っていた。

話はいきなり弾んだが、もう深夜。お互い酒好きだけに気を付けなくてはならない。お互いの仕事のことを話題の中心に絞った。

K君曰く、中産階級がすごい勢いで増えている。入浴剤は有望だと思われたが、まず入浴習慣を広げなくてはいけない。テレビCMはもう少し時間が必要だ。バス広告や街頭広告の方が即効性がある。一番大切なのは販促だが、業者が広州に多いので、付き合い方が難しい。危険なこともある。人の見極めが一番大切だ。柿ヤンも気をつけて欲しい。騙される心配はあまりしてないけど、ビジネス的な被害のないように……。必要な情報があれば、メールしてもらえれば、可能な限り伝える。………示唆に富んでいる有り難い話だった。

機会があれば東京で会いましょう、と約束してタクシーでホテルに帰った。午前1時前だった。西ヤンは飲みながら待っていた。僕は、帰りのタクシーの中で決めたことを伝えた。

ビジネスとして成立する可能性は希薄だと思う。でも、もし西ヤンが賭けてみたい気持ちがあるのであれば、ビジネス感覚は抜きにして西ヤンに付き合う。ただし、我々以外に依頼しなくてはならない作業が生まれてきて、費用が発生せざるを得ないような事態になるようだったら、申し訳ないけどその時点でもう一度判断させてほしい。話を先に勧めることができるレベルまでの仕事は約束するので……。店としての概要、運営計画、スタッフのオペレーションプラン、メニュープランまで、半月くらいで上げて、西ヤンの設計作業にバトンタッチということでいい?

答は、「もちろん!設計に入っても、素材やディテールに関して相談するかもしれないけど。ありがとう!」だった。お互い、ちょっといい気分だった。翌日は帰るだけだ。さあ飲もう!ということになった。

そして翌日、明け方からの大雨の影響で欠航が相続く中、我々の便は辛うじて出発。成田到着後は僕の事務所に直行し、Kapparに報告・相談。これからの手順と大雑把なスケジュールを決定して、近くの行きつけの店で“飲み直しだ~~”と飲んだのだった。

1か月後、平面レイアウト、一部のイメージボード、メニュープラン、オペレーション計画、運営計画等は無事完成。DVDに録画して中国に送った。ママとコンサル君は喜んでくれたが、その後が進展しない。春先になってやっとコンサル君がやってきたが、「日本で経営母体になる企業を見つけてもらえないか。中国には母体となる企業がない」と言う。

中国企業との合弁でなければ会社の設立ができない、という規制の存在は知っていたので、西ヤンとそれぞれが知っている中規模の企業に声を掛けた。合計4社が興味を示したので、日本に滞在していたコンサル君そのことを伝えると、「大企業が望ましい」と言う。それがいかに望むべくもないことか説明をしたが、聞き入れてくれない。しかも、「自分にはルートがある」と言う。では、頑張って!ということにして、その時点で決定的に諦めた。「悪かったねえ。ゴメンね」を繰り返す西ヤンを「作品ができたからいいじゃない」と慰めたが、徒労感は大きかった。

自己負担していた渡航費とホテル代に関しても“ナシの礫”。ママの携帯の番号も変わってしまった。僕たちの“ほぼ完成プラン”はどう使われたのだろう‥‥。

20170605

昨日のナナじいちゃん弁当。弁当を運んだ時、少し具合が悪そうで、Kapparに「ナナちゃん、お願いしますね。病院に行くと、そのまま入院になるかもしれないので…」と弱気だったらしいナナじいちゃん。ちょっと心配していたが、今朝は元気な姿を見せてくれたようでひと安心!!
                Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”は、NO.28をもって終了しました

*”昭和少年漂流記第三章”を、書き始めています。が!書き直しの連続で進んでいません。6月上旬頃連載開始予定ですが……。

「告知」:番外編として、タイトル「風に揺れる蛹」の連載を開始しています。上記リンク“1969年。僕たち………”からどうぞ…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

垣間見た中国人(とのビジネス?)の実態 ③…の9

コンサル君が呼んでいたらしい男は、「どうも、こんばんは~~」とにこやかに手を差し出してきた。西ヤンと僕は、日本食レストラン関連の人物だろう、と思った。日本語が堪能なようなので、現地を見ることでさらに増した疑問や今後の作業の進め方等、コンサル君との間ではできなかった大切な話ができるかもしれない。僕たちは「やっと担当者が来てくれたみたいだねえ」と期待を込めて、肘で脇を突き合った。何しろ、レストランの核ともなる水回りにさえ大きな不安があったので、それだけでも解決の見通しを立てておきたかったのだ。

ところがコンサル君、「彼はビジネス・コーディネーターの〇〇君です」と紹介し、「今回は何をコーディネートして……」と訊くと、「いや、今回の件は関係ないんですが、紹介しておきたいと思って……。柿本さんにもメリットがあると思うよ」と言う。やむをえず「あ、それは、それは。色々聞かせてください」と答えた。

食事をしながら話を聞くと、彼は日本と中国の間のビジネスをコーディネート“したい”人のようで、自分がいかに中国の大手企業と関わりが深いかを大いに語り、日本の企業に多くのメリットをもたらす可能性を持っている存在であることをアピールする。年齢はおそらく30代前半。関わっている仕事や企業に熱狂しやすい頃だとしても、その熱弁ぶりはいかにも胡散臭い。コンサル君が僕を過度に評価してくれているのかもしれないが、それだけでもなさそうだった。

しばらく彼の話を聞いた後、「上海市の青年商工会議所の人たちをアテンドしたことがあるんですけど、大変でした。ビジネス・マナーにも大きな違いがあるようですしね。なかなか難しいですねえ」と言うと、彼とコンサル君の表情が同時に輝いたように見えた。コンサル君が、コーディネーター君を見て同調を求めながらこんな話を始めた。

……僕たち中国人が一緒にビジネスをしたいと思っているのは、1番が台湾人で2番が日本人、3番が白人、要するに欧米人ですね、それから中国人、できれば付き合いたくないのが韓国人なんですよ。なぜかというと、台湾人はなんだかんだ言っても同胞だし、ビジネスの世界では先輩です。日本人は真面目で嘘をつかないから、付き合いやすい。欧米人は偉そうで支配者になりたがるし、いい部分は全部持って行きそうな不安がある。韓国人は、今は経済がいいから中国人を見下していて、意味もなく偉そうにしているのですごく嫌いだけど、こちらにメリットがある間は仕方なくおだてて付き合う。というのが本音。日本人に関しては、悪い言い方をすると、日本人ならどうとでもなると甘く見てる部分もあるし、騙すことも簡単そうだと思われている。だけど、若手のビジネスマンは付き合いたいと思っているわけだから、付き合った方がいい。ただ確かに日本と中国はビジネスのルールやマナーは違うし、騙そうとする中国人も多い。だから、そんなことで問題が起きないようにサポートするために、僕たちはいる。コーディネーター君も早稲田に留学していた男。両方の国を知っているから、もし日本で中国とビジネスしたいという会社があったら、是非話をしてみて欲しい。二人とも、いろいろな会社と付き合いがあるようなので……

コンサル君、自分とコーディネーター君をしっかり売り込んでおこうということらしかった。それはいいが、となると、日本食レストランの件はなおさら怪しい、ということになる。

4人での食事を終え、次の店を固辞した後、西ヤンとホテルに帰り、さあどうしよう、ママに連絡を頻繁にとってくれ、疑問や質問は全部ママにぶつけよう、納得したら作業を進めよう、とだけ決めて、僕は広告代理店の友人から電話で知らされたスナックへと向かった。夜11時頃だった。

……つづく

Photo

今日また、山陰からお取り寄せ商品が届いた。“ボベ貝”!田舎(島根県益田市)では“ボベえ”とか“ボべい”とか呼んでいた。5年生の頃、空き缶と米とマッチを持って朝10時頃から海に行き、お腹が空くと空き缶に海の水で研いだ米と“ボベ貝” を入れ、流木で炊いて食べ、夕方までずっと遊んでいたのを思い出す。

そう!今夜は“ボベ飯”なのだ~~~~~~~~!ウヒ!

                Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”は、NO.28をもって終了しました

*”昭和少年漂流記第三章”を、書き始めています。が!書き直しの連続で進んでいません。6月上旬頃連載開始予定ですが……。

「告知」:番外編として、タイトル「風に揺れる蛹」の連載を開始しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

垣間見た中国人(とのビジネス?)の実態 ③…の8

「ここも使ってないんですか?」「使ってないのよ」「一回も?」「そう」。勿体ない、と思った。映画、ミニコンサート、講演会、セミナー等々、様々に活用できるだけの設備とスペースを全く利用していないとは…。色々アイデアは浮かんでくるが、レストランの概要と、とりわけ経営母体が決まることが先決。道程は遠そうだ。

小一時間で資料館を出る。「中心街を見てみたい」とお願いし、ビジネス街やメインストリートの散策を始めた。日本企業が多く入っているビル、ユニクロ、回転寿司もどきの飲食店、ラーメン屋らしき店、日本語の看板も散見される。その中には“叙々苑”の看板も。「“叙々苑”の支店ですか?」とママに訊くと、「偽物よ。日本の“叙々苑”でバイトしたことがある、って子がオーナーだからね。上海では牛肉は食べない方がいいわよ。おいしいのは一部の高級ホテルのレストランだけだから」とのこと。ママは新しいビルや店にしか興味はないようで、我々の質問には生返事のまま、むしろ目線は道行く人に注がれていく。「あの人、上海の南の方の出身よ。格好でわかるわ。農民て感じでしょ」「あの人お金持ちよ、きっと。北の出身だわね。顔とスタイルでわかるのよね」などと、出身地別の人の評価を初め、自身が北京の出身であること、政府や軍部の主導権は北京が握っていること等々を誇らしげに語り始めた。その間も道行く人(主に女性)をチェック。時には眉を顰め、汚い言葉で罵ったりしている。見かねてコンサル君に提案した。「僕たちで適当に歩き回ってみますから、大丈夫ですよ。ママと打ち合わせもあるんでしょ?」。宿泊ホテルのカウンターで案内カードを入手済み。何処にいても、バンド地区に向かえば大丈夫。帰りは苦労しないはずだ。コンサル君「今夜は観光客に人気の店を予約してあるので、迎えに行きますから」と、ほっとした顔になる。ママは「西嶋さん、カクテル飲みに行こうね。ステーキ食べたい?」と、西ヤンとのデートにご執心のようだったが、「どんな店が観光客に人気があるのか知りたいよね、柿ヤン」とあしらわれ、未練がましそうにしつつコンサル君と去って行った。

僕たちは、店を覗いてみたり、道路わきに佇んで人を眺めたりして時間を過ごし、ゆっくりとホテルに向かった。ビジネス街は帰路につく人とクルマで混み始め、日本企業が多く入居しているビルの前では、迎えの車に乗り込む日本人ビジネスマンを多く見かけた。

「日本人は自分で運転しないよう、会社に言われてるからね。交通事情悪いから。人身事故起こしたら大変だから」と、コンサル君から説明を受けていた、その実態を目にしたようだった。街に夕闇が迫る中ホテルに着くと、午後6時半になろうとしていた。僕たちは、上海という街と、そこに住む人たちがぼんやりとわかってきたような気がしていた。僕は予め調べておいた友人(広告代理店の上海駐在員)の携帯に電話してみたがつかまらず、食事の後にでもまた連絡してみることにした。西ヤンに「夜中に友達と落ち合って飲むかも知れないけど、どうする?」と聞くと、「俺はいいから、ゆっくり会ってくれば?部屋で飲んでるよ」と言う。「じゃ、そうしよう」と部屋に別れ、コンサル君を待つことにした。

午後7時半頃、コンサル君はやってきた。ママはいない。徒歩数分の店に向かう。川の見える大きな店は、庶民的な印象。リラックスして食事ができそうだ。……と思っていたら、一人の男がやって来た。

……つづく

20170601

昨日のナナじいちゃん弁当。デザートは西瓜!

そして、今夜の我が家は、珍味大会。

Photo

山陰から取り寄せた“尻高”(しったか)と“亀の手”。共に500gある。塩茹でして酒のつまみだ~~~!

Photo_2

そして、近所のスーパーで偶然見つけた“稚鮎”。合計8尾。こいつは、天ぷらだ~~~!

                Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”は、NO.28をもって終了しました

*”昭和少年漂流記第三章”を、書き始めています。が!書き直しの連続で進んでいません。6月上旬頃連載開始予定ですが……。

「告知」:番外編として、タイトル「風に揺れる蛹」の連載を開始しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2017年5月 | トップページ | 2017年7月 »