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ローテクがハイテクのキーポイント?!

日本の研磨技術は世界最高レベルと言われている。人工衛星に搭載されているカメラのレンズは日本製が多く、そのほとんどが“手磨き”によるものだとか……。これは、ローテクに見えることの精度がハイテクを支えている例の一つにしか過ぎない

携帯電話の小型化、軽量化は充電池の進化によってもたらされたものだし、ウォークマンの開発で最も苦労したのはイヤフォンジャックのミニサイズ化だったと聞いた。パソコンの小型化を遮っていたのは熱処理問題で、大きなケースを使わざるを得なかった理由は、熱を放出するための空冷ファンが必要不可欠だったから。

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Kappar愛用のデスクトップは、今はこのサイズ。高さ20センチ程度の小さなもの。熱に弱い精密機器の熱対策が高度になったおかげだ。デスク上が随分すっきりした。

NTTの仕事をしてた頃、携帯電話の1号機の大きさと重さに驚かされたが、同時に腕時計型の携帯電話が既に出来上がっていたことにもっと驚かされた。ただ、バッテリーが1分程度しかもたないので実用化はできないと聞かされ、バッテリーがこれからの開発のキーポイントになるんだなあ、と思った。アップルウォッチ登場までの約20年は、ほとんどバッテリー開発に費やされたと言ってもいいのかもしれない。ローテクが絡むことのないハイテクは秒進分歩で発達していくが、民生品にはローテクが関係せざるを得ず、その分発達のスピードは弱まるのだろう。高精度なローテクの需要はこれからさらに高まっていくのかもしれない。

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昨日、近所の(個人の方が公開してくれている)“つつじ園”に佐助と瑠奈ちゃんの幼馴染みコンビが飼い主を連れて旧交を温める散歩に出かけた。僕は遠慮しておいた。

          Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”は、NO.28をもって終了しました

*”昭和少年漂流記第三章”は、5月中旬頃連載開始予定です。

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時間の浄化作用?

認知バイアスから人は逃れることはできないものなのだろうが、行動やそのために必要な決断に関わらないことであれば、多少のバイアスは楽しむべきもののようにも思う。

短期間に同級生と数多く接すると、お互いの記憶の違いに気付かされることが多い。 “任意的推論”や“個人化”などの意識作用によって、多くの記憶は“自分にとって都合のよい方向”や“自分にとって好ましい方向”へと歪められていくものだ。しかたのないことだ。

ただ同級生との思い出話は、異なる部分を検証する必要があるほどの話でもないので、記憶内容の違いはむしろ話題を深化・拡大させてくれる手助けになる。

「そうだったっけ?そうじゃないよ」「いや、そうだよ。だって……」と、記憶違いの部分を微に入り細にわたって言い募るエネルギーとこだわりは、もはやない。むしろ記憶の輪郭が霞んでいるくらいの方が、ただただ懐かしく楽しくていい。

時間と涙には浄化作用があるものだと思うが、浄化されることを拒否さえしなければ、浄化された記憶は共有しやすく、共に味わいやすいものになってくれる。人(特に亡くなった者)を誹謗中傷することにならなければ、バイアスがかかっていようがそうでなかろうが、お互い口に出して楽しむ。それだけの浄化の時間を、僕はもう経験したのだと思う。……そんな気がして、少し心がまた自由になったような3泊4日だった。……その分だけ、一方では寂しさや虚しさも感じざるを得なかったが……。

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25日のナナじいちゃん弁当。筍&豆ご飯、蕗の煮物と、春の旬が中心だが、鶏肉のピカタはナナじいちゃん初めてのメニューかもしれない。きっと喜んでもらえるだろうが……。

          Kakky(柿本)

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天気のいい日は銀行回りも口実……

午前10時、早々と室内気温が20℃を超えた。窓を開け放つ。風も心地よい。今日は月2回の銀行回り(2行を回るだけだが……)の日。僕の足の具合を気遣い、Kapparが行ってくると言う。しかし、このいい天気。一緒に出掛けない手はない。

というわけで、11時過ぎ、まずは京王線柴崎へ向かった。信用金庫なので、近くで支店があると言えば、ここ柴崎か久我山のみ。いずれも30分程度はかかる。時間の都合さえつけば“ついでにちょっと楽しんじゃおう”と思いたくなる距離だ。

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柴崎で一か所目の銀行を終え、その足で仙川へ。仙川は芦花公園から各停で2つ目のお気に入りの街。商店街とスーパー(4~5店舗ある)、ホームセンターが共生していて、そぞろ歩きも楽しめる。飲食店も数多い。

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今日はKapparの初夏のトップスとシューズを探しつつ、Kaldiで買い物とお茶。その後は、伊勢丹クイーンズでちょこっと買い物しようということにした。

Kaldi

Kaldiでは目的のものが見つからず、駄菓子をおねだり購入。Kapparの買い物も不発だったが、のんびり“アイス黒ゴマ豆乳”を味わい、ロト6も買って気付いた。もう一か所銀行に行くのを忘れるところだった。元々の目的を忘れてはいけない。

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なんとなく満足して帰ってくると、佐助はすぐに外へ。クローバーさんからいただいた愛用のマットで“セロトニン”生成に精を出していた。

今日はナナじいちゃん弁当の日。Kapparの料理が始まっている。暖かい日はのどかだ。

          Kakky(柿本)

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疲労回復と“筍祭り”の一週間

3泊4日の山陰の旅から帰ってきて1週間、やっと疲れが取れてきた。帰宅翌日はいつも通りの午前を過ごした後、2時間の昼寝。次の日もブログの更新以外はぼんやりと過ごした。

木曜、金曜も外に出ず、気になっていた細かいことを片付ける。

そして土曜日。Kapparは朝からお出かけの予定。小田原に向かい、両親が入居しているホームに様子を見に行った後、小学校の同窓会に出席。二次会にも出席して深夜に帰って来るとのこと。朝ごはんの準備をしながら予定を確認していると、Kapparの携帯が鳴った。ワン友Yさんからだ。「今、筍掘りに来てるんだけど、欲しい?どれくらいのサイズのがいい?届けるよ」とのこと。「うれしい!じゃ、中くらいのでお願いします」と返事。朝ごはんを食べ終わる頃には、採れたての筍と蕗が届いた。

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日曜日は、新鮮な筍で天ぷらだ、いや、“メンマ風煮つけ”だ、などと言いつつ、Kapparは小田原へ向かった。

昼過ぎから気温が下降。雨もやって来た“寒い”夜がやってきた。午後9時半過ぎ、チャイムの音。誰かと思えば、宅急便。こんな時間に?何だ?受け取ってみると、なんと!中学の同級生W君から筍!ご丁寧に湯掻いてジップロックに入れ、チルド便での到着だ。一日して“筍大臣”。日曜夜の“筍祭り”確定である。

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21日のナナじいちゃん弁当は、松江で恩師夫人にいただいた“鯛出汁”を利用した“鯛めし”(美味しかった~~)が目玉だったが、明日は“筍”祭りのお裾分けが加わるかもしれない。 *新鮮だったおかげで、“筍の天ぷら”も柔らかく、実に美味だった!!

ただ、困ったことに、麻痺側の左足太ももが痛くて困った。疲労が遅れてやってきたのだろうか。ロキソニン・テープのお世話になった。

          Kakky(柿本)

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17日、3泊4日最終日。中学ミニ同窓会

17日、朝5時過ぎに目覚める。シャワー、洗顔等々を安全にゆっくり終え(マヒが残る足にはバスタブは危険!)、ホテル備え付けのインスタントコーヒーを飲む。益田駅前を窓から見下ろすと、無人の路面が黒く濡れている。未明の雨は激しかったのだろうか。

バッグを帰り支度に整え、宅急便で送るものを紙袋にひとまとめにしておく。ホテル向かいの“森谷”(喫茶、フルーツ、土産物の店)でお世話になっているワン友へのお土産を購入し、一緒に自宅配送するためだ。9時にI君がホテル前にやってくるので、それまでに手配しなくてはならない。9時直前に“森谷”が開いていることは確認済み。田舎の朝は早い。お土産も決めてある。

9時に電話が入り、やや遅れてI君登場。宅急便の手配は終わっている。クルマに乗り込み、神田という所にある喫茶“ラベンダー”へ。20分程度で到着。3人待っていた。

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モーニングを食べていると、2人やってきて、他に来るはずだった人たちがそれぞれ忙しくて来れなくなったことを知らされる。そう言えば、月曜日。現役バリバリで働いている同級生たちは、動けなくて当たり前だ。

1年ぶりの同級生たちの会話は、聞いているだけでも楽しい。それぞれの日常が垣間見える。明るく冗談を交わすその言葉の向こうに、ささやかな希望や小さな不安なども見えてくる。健康に問題のありそうな者もいた。「明日にでも病院に行った方がいいよ」とだけ言うと、「そうかのお」と面倒くさそうに答える目が笑っていなかった。

2時間近くが過ぎ去る。「飛行機は?」と訊かれ、「12時55分」と答えると、「12時までに行ってラウンジで食事しようや」ということになった。クルマ3台、バラバラに空港へ。

ラウンジで、みんなでうどんなどを食べる。

12時40分、「みんなありがとう。元気でね。また帰ってくるからね」と言って、チェックイン。飛行機へと向かう通路からラウンジの窓を振り向くと、5人が両手を振っていた。

14時20分羽田着。雨の予報だったが、降ってはいない。しかし、益田の空港(萩・石見空港)で手渡されたお土産があるうえに、足が強行軍に覚束なくなっている。新宿からは、京王線ではなく小田急線にして、経堂からタクシーで帰ることにする。幸い、旅の総費用は予算をかなり下回っている。途中から雨になる確率も高い。

16時。無事帰宅。佐助の出迎えを受けて安心したのか、突然左足左肩左腕が悲鳴を上げ始める。

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Kapparは、ナナじいちゃん弁当作りに入っていた。東京でも、田舎でも、日常は淡々と動いていた。さ、また来年だ!

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16日午後~夜、同級生巡りの半日

16日お昼、“田中ブドウ園”を営む田中君の元へ。“田中ブドウ園”経営のパン&コンフィチュールの店“モヌッカ”を訪ねる。

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店の前で、ちょうどブドウ園の作業を終えて帰ってきた田中君と息子さんに出くわす。持参した企画書の説明をするために、店内で待つ。なかなかいい店だ。

ワインとパンをいただきながら約1時間、企画書の趣旨を説明。田中君あるいは“田中ブドウ園”がワイン・ビジネスにどのように取り組んでいきたいか、取り組んでいけるのか、その意志や計画の概略が固まってから、またやって来るべきだろう、との感想を持って、ホテルまで送ってもらう。

しばし休憩。次は、5時半。中学・高校と同級生だったI君が、高校の同級生たちが集まる飲み会の場所へと連れて行ってくれることになっている。

「帰ってくる時は電話しんさいよ~~。あんたに会いたがってる人に声を掛けとくけえ」。そう言ってくれていたO君に、1週間前に電話しておいた。高校1年の時同じクラスで仲良くしていた彼は、やさしくて面倒見のいい男だ。遠慮するよりお世話になった方が喜んでくれる。さて、何人くらいの飲み会になるのだろうか……。

5時半、オープンして間もないという台湾料理屋へ。遅れてやってきた1名を加えて、合計10名。飲み会参加者数は、期せずして松江と同数だ。会費は2時間食べ放題・飲み放題で、一人3880円。安い!助かる! 長テーブルに向かい合わせで5人ずつ。中ジョッキで乾杯しスタート。紹興酒もやってきて、会話が飛び交うこと2時間近く。と、腰が痛くなってきた。最近、飲むと襲われる腰痛。息をするのも辛くなる。右のU君に膝枕、左のI君に腰を撫でてもらう。

10分強で歩けるまで回復。次の店へと向かう数人を残念な思いで見送り、タクシーでI君にホテルまで送り届けてもらう。飲むばかりで食べていないが、空腹感はない。もう少し良くなったら、ホテル内の自販機で何か買ってこよう。ローソンまで行く気にはなれない。窓の外はそぼ降る雨。明日も、9時半にはI君が迎えにやって来る。今度は、中学時代の友人たちが待っている。

           Kakky(柿本)

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いつまで可能かな?墓参り

15日夜、益田駅前のグリーンモーリスホテルにチェックイン。Kapparに送ってもらっておいた宅急便からマーマレードを出し、一緒に益田に帰ってきた女性陣4名にプレゼント(岡野夫人に差し上げたものより小さいが……)。小雨の中、駅前のローソンへ。ビール、パン、缶詰、おつまみ、カップヌードルを買ってホテルへ帰る(……今回は節約旅行を目指していた)。

益田の濡れた夜景を見ながらビール。膝が少し痺れている。シャワーは翌朝に浴びることにして、ベッドに寝転びテレビのスイッチを入れる。

ここまでの一泊二日で、“今の等身大の自分”を再認識できたような気がする。肉体的にできないことが増えていきそうな予感、一人での活動に制限が増してきている実感、これから何をすべきか、また何ができるのか、あるいは何がしたいのか、いつまで麻痺の残る身体は使いこなせるのか、どれくらいの時間が残されているのか、不安と焦りは感じないが、頭の中にある自分と現実の自分のギャップは、いつも意識するようにしなくてはならない。……故郷の霧雨の空と10代の思い出に、いささか心も濡れているようだ。

眠りについて空腹に目覚めた午前2時。カップヌードルを食べる。

午前5時半、起床。9時に喫茶“ラベンダー”のF子さんが、お迎えに来てくれることになっている。シャワー、朝ごはん、着替え等々で2時間(危険のないよう、すべてゆっくり)とみて、6時から動き始めることにする。幸い、雨は上がっている。晴れ男の面目躍如だ。

今年はスケジュールを例年より早め避けたつもりの“益田祭り”が、なんと狙い撃ちをするかのように16日。交通規制となるので、9時半には駅前にクルマが入れなくなるらしい。遅れてはならない。

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9時前に電話があり、すぐに待ち合わせの場所に向かう。F子さんの近況を聞きながら“医光寺”へ。

“医光寺”近くのいつもの店で生花と線香を購入。おばさんと少し話し込む。さ、お墓だ。

F子さんに手伝ってもらい、雑草を抜き取り、F子さん持参のごみ袋に。線香に火を点け、お墓に手を合わせる。三人が眠るお墓は陽の光をたっぷり浴びていた。

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次の約束は、お昼頃。ワイナリ―開設の準備を進めている同級生T君を“モヌッカ”に訪ねることになっている。が、まだ早い。

「どこか行きたいところある?連れて行ってあげるよ」。クルマに戻るとF子さんがそう言ってくれる。思いつかないので、同級生I君が最近お気に入りだという蟠竜湖湖畔の“眺湖亭”に向かった。

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           Kakky(柿本)

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松江、ミニ同窓会(亡き恩師の奥様を迎えて)

14日夜、米子駅に隣接するホテルにチェックイン。その足で駅構内のセブンイレブンへ。翌朝食用も含め、パン二袋、珈琲、ビール、紅茶飲料、おつまみを購入。小雨がそぼ降る中を帰ってきて、ビールを飲みながら10階から米子の街を眺めた。

3歳の時、母親のいる宝塚へ親父と向かい、数か月後の帰路、米子に立ち寄ったことを思い出す。親父の戦友の家は米子駅から真っすぐ商店街を歩き、右へ曲がってわずかだった記憶がある。タッタと前を歩いて行く親父の後姿に怒りと悲しみが滲んでいるように感じ、「待って~~」と声を掛けることもできなかった。と、本屋の前で突然振り向いた親父が「よく黙ってついてきたなあ」と、絵本を買ってくれた。悲しくなるほどうれしかった。

親父の戦友の家は道路に面したガラスの引き戸から温かい明かりが漏れていた。玄関から伸びる廊下を長く感じた。和室に通されたが、挨拶をしたところまでしか記憶がない……。

“もう一度行ってみたいところ、もう一度会いたい人には、早く足を向けてみることだ”と改めて思う。

11時半頃までは覚えているが、ふと眠りに落ちて目を開けたつもりが2時を回っている。すっきりした気分だ。テレビをぼんやり見ながら次の睡魔を待ち、またも眠りに落ちた次の起床は6時過ぎ。もう起きてしまうことにする。

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10時のチェックアウトまでを、あれこれゆっくり行いながら過ごし、鳥取駅へ。益田から松江にやってくる5名は、松江駅12時半着。12時に到着すればいいのだが、さっさと電車に乗ってしまう。

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松江駅到着11時過ぎ。1時間半をどう潰すか。駅構内を歩き回ってみる。スタバとドトールを発見。スタバに腰を落ち着け45分。次いでドトールに入り、喫煙ルームで一服しながら30分。改札の前で待つこと10分。5名がやってきた。

すぐにタクシー乗り場へ。2台に分乗し、会場の“みな美”へ向かった。

松江から参加の2名は既に到着済み。岡野先生の奥様をお迎えに行っている一人のクルマもほどなく到着した。玄関先で“ひさしぶりの再会”を喜び合う声が響く。

庭の見える会場にセッティングされたテーブル。岡野夫人を上座真ん中に10名が着く。すぐに乾杯して2時間のミニ同窓会がスタート。それぞれの岡野先生や夫人を巡る思い出が次々と披露されていく。話し声、笑い声が飛び交い、ビールとノンアルコールビールが次々空いて、2時間は瞬く間に過ぎ去る。

「珈琲でもいかが?」。奥様のお誘いにゾロゾロと移動。10名が収容できる店を求めて、“ぜんざい”の店へ。ぜんざいを分け合い、珈琲を飲んで、再会を誓って奥様と別れた。

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松江駅午後4時半過ぎの特急に乗り、益田へ。日本海の夕日をひさしぶりに窓外に見ながら、夕闇の益田に着いた時は午後7時を回っていた。

           Kakky(柿本)

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桜の下、旧友が蘇る

4月14日11時。3泊4日の山陰“墓参ツアー”に出発した。

まず、鳥取空港に到着。旧友初鹿野君の奥さん操ちゃんの出迎えを受ける。昨年春に比べて少し上達した彼女の運転で、初鹿野家へ。

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クルマを降りてすぐ、徒歩5分の所にあるという初鹿野君のお墓へ向かった。「また来年の春に来るからね」。多系統萎縮症という難病で寝たきりの彼に約束し、わずかに動く指先の反応を確かめて病室を去ってから丸1年。彼の墓の前に立つと、いつか話したいと思っていたことの数々が頭に浮かんでくる。どれもこれも懐かしく愛おしい思い出ばかりだ。もっと早く所在を探して会うべきだったと、後悔の念が浮かび上がってくる。 “いつか……”という考え方は、多くの場合後悔にしかつながらないとわかっていたはずなのに……。

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初鹿野家に戻る。庭の桜が満開だ。初鹿野君が長いはずの老後を楽しもうとしていた庭のテーブルにお酒と料理が運ばれてくる。彼は何度ここで桜を楽しむことができたのだろう。

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操ちゃんの思い出話を聞きながら、ビールと日本酒を飲む。仲間で過ごした京都の夜を思い出す。初鹿野君との笑い話をいくつか披露する。

2時間を桜散る中で過ごし、鳥取駅へ。見送りのクルマの中で、「僕は初鹿野君に嫌いな部分は一つもなかったよ」と、操ちゃんにどうしても言いたかった一言を告げ、「今度は泊まってね。私も飲みたいから」「わかった。またね」と別れて、米子に向かった。翌日お昼には松江なので、少し近づいて宿泊しようというわけだ。

電車に乗り、「今度……」と「またね」も実現しないと後悔につながるぞ、と思った。時間はもうたっぷりあるわけではないのだから……。

           Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”は、本日アップしたNO.28をもって終了です。

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明日から鳥取~松江~益田、3泊4日

かなり忙しい4日間になりそうだ。会う人(一緒に食べて飲む人)の数は、およそ30人強か……。ちょっと大切な話もある。簡単な企画書も作ってある。

疲れないように行程に気を使っているつもりだが、どうなるか……。

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楽しみではあるが、何しろバタバタだ。食事に気をつけなければ……。ただただ飲んでばかりにならないように……。でも、調子に乗っちゃうんだろうなあ。

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本日のナナじいちゃん弁当。今夜の我が家のメニューでもある。食べきれそうにないけど……。

           Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”の連載を始めています。No.27をアップしました。

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準備万端!

4月14日に出発する今年の墓参帰省は、16日の墓参りはほとんどサブの目的。14日の鳥取、15日の松江がメインだ。

14日は、19歳の頃の新聞配達仲間の墓前へ。“多系統麻痺症”という難病(身体のいろいろな箇所‥系統‥が、麻痺する病気。どこが麻痺するかは予測不能で原因不明。治療方法なし)で昨年8月に亡くなったH君は、10代の最後から20代初めまでを親密に過ごしたた、最も記憶に残る友人。一昨年末、ひょんなことから彼の住所を知って連絡を取ったところ難病で入院しているとわかり、昨年春の墓参帰省の際に鳥取に立ち寄り、お見舞いした。

H君の身体は既に指先と目を動かせるだけだったが、その指先を握り目を見つめながら思い出話をした。喜んでくれたようだった。“来年も来るからね”と二度言って病室を後にした。4か月後、訃報が届いた。残念だったが、会っておいてよかったとも思った。そして約束通り、4月14日に墓前に会いに行く。

翌15日は、松江。昨年4月、その前年末に亡くなったと聞いた高校の恩師のお宅を訪ね、半世紀ぶりにお会いできた奥様と思い出話をして、“また来ます”と約束した。その約束を果たすと同時に、この機会に他にも思い出深く残っている同級生を連れて行こうと思った。

奥様が一人暮らしであることを配慮。お元気であるとはいえ80代とご高齢なので、松江のしかるべき店にご招待することにして、松江在住者がお迎えに行きお連れすることに。

出席者10名、落ち合う場所と時間、一人当たりの費用等を昨日最終確定。昨日それぞれに連絡を取り、奥様の“楽しみだわ~~”という明るい声を耳にすることもできた。昨年送って喜んでいただけたKappar手作りのマーマレードの2017年度製も出来ている。

これで準備万端だ!!

一昨日、近所の桜を順に見て回る“花見散歩”をした。

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新しい年がやってくる感じが強くした。

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昨日のナナじいちゃん弁当。ナナじいちゃんが“肉大好きじいちゃん”とわかったので、春を意識したメニューにビーフシチューが加わっている。

           Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”の連載を始めています。No.25,26アップしました。

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してあげたいことは続けられる!コツはあるけど‥‥

忙しいのは嫌じゃない。嫌なのは“しなくてはならない”ことに追われ続けること。“したい”ことや“してあげたい”ことに追われるのは、むしろ歓迎したいくらいだ。

もちろん、それも過度になれば“したい”や“してあげたい”はずだったことが“しなくてはならない”ことに変質していき、苦しいものになってしまう。

そんな時は思い切って休息を取り、自縄自縛の状況から一度抜け出て初志を再確認し、自分にとっての物事の軽重を冷静に見つめ直した方がいいのだろう。……これが意外と難しいことのなだが……

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春雷の日。のんびり寝ていた佐助だったが、

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雷の音に怯え、地下の仕事場で仕事中のKapparに飛びつき、抱っこをせがんだ。仕事を中断せざるを得なかったKapparはその夜、少しだけ腰痛に苦しんだ。

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今日も続く“ナナじいちゃん弁当”。お互いの負担にならないよう、お互いがさりげない気を使い合っているから続いているとも言える。もうすぐ丸2年になる。

           Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”の連載を始めています。No.24アップしています。

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何か匂いが違うぞ?

先週木曜日、私的な食事会に出かけた。行き先は品川。約束の時間は午前11時半。新宿から山手線に乗った。混んでいる列車を一本やり過ごすと、幸いにも座ることができた。渋谷に着くと、春休み中とはいえ平日とあって、車内にはビジネスパーソンが相当数乗り込んできた。目の前の吊革で展開される出張の話、同僚の転職の話、趣味の海釣りの話を、聞くともなしに聞きながら品川まで。

品川に着くと、広い構内を多くの新幹線利用の観光客も行き交っている。人の流れを避け、改札を出た。駅を出ると春の日差しが明るい。

目的の店を目指して歩道橋を下りる。が、途端に方向音痴丸出し。ぐるぐると20分以上もうろつくことになってしまった。

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「何か、匂いが違うぞ」

やむをえずガードレールにもたれながら店に電話をしている時、ふと思った。春の匂いだけではない何かを感じたのだ。

午後4時、佐助の迎えを受けて家に帰ってからもずっと、品川で感じた“何か”の正体について考えた。

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昨日、“ナナじいちゃん弁当”が完成した後も、“何か”が気になっていた。そして今日、少しわかってきたような気がしているところだ。

           Kakky(柿本)

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”の連載を始めています。No.23アップしました。

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