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いつも通りが安心

ナナじいちゃん、弁当を届ける時以外は、約束事がある。

朝は、起きたら雨戸を開けること。夜は、6時から7時の間にKapparの携帯に電話をすること。の二つだ。

朝は散歩の途中に立ち寄り、開いていることを確認し、夜は携帯が鳴ることで無事を確認している。それぞれ朝晩きちんとすることが、ナナじいちゃんの暮らしのリズムになってくれるのもいいことだろう、という思いもある。

それぞれ2~3回、「忘れてた~~」ということがあったが、いずれもKapparが駆け付けチャイムを鳴らし、無事を確認している。我々の暮らしにもリズムをもたらしているようだ。

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一昨日のナナじいちゃん弁当。弁当作りもすっかりリズムになってきている‥‥ようだ。

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午後3時頃、吠えてベランダに出たいと要求。出るとすぐ「入りたいよ~~」と吠え、窓を開けると入るのを渋り、小さなオヤツで引き寄せるまで粘る。

というのが、寒くなって以降の佐助の作戦だったが、今日は4月中旬の暖かさ。窓を開けていても平気なので、作戦は失敗に終わった。残念でした~~。

              by Kakky

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”の連載を始めています。

本日⑩アップデート済み。

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陽当たりの良い所ほど影も濃い

「13歳のハローワーク」という本がある。村上龍がまとめあげ、2003年に刊行された中・高校生のために500種類以上の職業を紹介。120万部を超えるベストセラーになっている。

この本、学校の図書館には必ず収められるべき「職業の百科事典」であり、実際に全国の相当数の中・高校の図書館に置かれたことがベストセラーになった背景にはあるものと思われる。とかくイメージ把握に陥りやすい職業というものの実態を知るために、大人も手元に1冊置いておいてもいい本だろう。

大手広告代理店D社の労働環境の劣悪さがニュースとなっているが、派手で煌びやかに見える業種や企業の実態は、えてして暗黒の部分を持っているものであり、労働環境は過酷であることが多い。その過酷さは、労働時間だけで測れるものではなく、様々なハラスメントによってもたらされるものでもある。D社もそうだが、そこには企業風土も大いに関与している。敢えて無理強いをするというイジメに近いことや女性蔑視に起因する不当な評価などが横行している会社は意外と多く、そんな会社を訪ねると、社内の空気に下品な“力”の臭いが漂っている。

陽当たりが良く煌いている所ほど影は濃いものなのだ。裏があるから表がある、ということなのかもしれない。

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裏表がない存在に“力”や“カネ”は期待してはない。つきあって楽しいだけの存在に留めておくべきだろう。

              by Kakky

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本日⑨アップデート済み。

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3時間のショッピング外出

昨日、Kapparの時間が少しだけ空いたので、京王線で2駅の仙川までショッピングに出かけた。目的の店は、セリア、カルディ、伊勢丹クイーンズ。

“ちょっとおしゃれな100均”セリアは、身辺の片付けに僕たち二人がそれぞれ「欲しいなあ」と思っているものを探すため。カルディは、“地中海沿岸地方でよく使われる辛口調味料”ハリッサを購入するため。そして、“新装オープンしたと聞いていた”伊勢丹クイーンズは、どんな変わりっぷりなのかを見学し、ついでにちょっと買い物をするためだった。

仙川駅に着き、まず北口方面へ。南口方面は実によくできた街で人通りも多いが、北口方面はまだまだ開発の余地があるエリア。しかし、だからこそ自転車やクルマでの来街者を意識した集約型施設も存在する。

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目指すセリアは、女子高生が時々“しまパトする”ファストファッションの店“しまむら”と総菜と生鮮に力を入れているスーパー“いなげや”と並んでいる。その奥には名古屋出身の珈琲ショップチェーン“コメダ”。庶民派がコンパクトにまとまっている。

 “しまむら”“いなげや”はざっと見て、“セリア”で細々と14点、1400円のお買い物。京王線の陸橋を遠くに富士山の頭を見ながら南口へ。

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“ハリッサ”購入後、“カルディ・カフェ”で休憩。平日だというのに相変わらずのなかなかの人出を眺め、すぐ近くの“伊勢丹クイーンズ”へ向かった。

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こちらも複合店舗になったの?と訝しみつつ入店すると、クイーンズは相変わらずのクイーンズ。以前よりも個食対応、中食対応の気の利いた品揃えが増えているのは、北口勢力への対抗でもあり、顧客の高年齢化への対応でもあるのだろう。

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いずれにしても、クイーンズらしい“買い物する楽しさ”は健在で、ついつい買いたくなってしまう売場になっていたが、そこは我慢。最後に一つだけ、おねだりして帰ってきた。

それが、一個7000円で売場に出ていたものを半分にカット。一個(半分)980円で売っていたマスクメロン。ずっとウキウキしっぱなしだった。……おいしかった!!

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待っていた佐助も、マスクメロンの皮に着いた食べ残しを齧って満足そうだった。

              by Kakky

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本日⑧アップデート済み。

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微表情の変化

“目は口ほどにものを言う”と言うが、ものを言うのは目や口ばかりではない。眉、眉間、頬、鼻、等々、顔の部位のすべてが、雄弁にものを語る。

心の在り処や変化は、それらすべてが語ることそれぞれの意味、強弱、バランスによって表現し、あるいは感じ取っていくことになる。

ヒト、チンパンジー、ニホンザルは、乳児の頃から大人たちの表情を真似て表情筋を鍛え、動かし方を覚え、多様な感情表現を身に付けていく。

ヒトの場合、“天使の微笑み”と言われる、いかにも可愛く見え、世話を焼きたい気分にさせられる表情を生まれながらに身に付けてもいる。DNAは奥深い。

ところが、表情の変化を重要なコミュニケーション・ツールとしてきたことのない動物たちは、表情の変化で何かを訴えるというノウハウを持っていない。だから、ヒトとの相互理解は容易ではない。しばしば誤解が生じ、時には命が関わることさえ起きてしまう。

可愛がられている犬は目が大きくなる、と言われる。これはきっと、ヒトとのコミュニケーションにおける目の役割の大切さを覚えていくからだろう、と僕は思う。見つめる、という行動が最もヒトには伝わりやすい、ということを学ぶからだと思う(犬同士は、本来、正面から見つめ合うことを嫌うものだ)。

表情筋は発達していないので、あくまでも微表情だが、佐助の表情が微妙に変化していくを6年間見てきた。

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7年前、助けられた直後の佐助。

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5年前、先住猫“チビ”との折り合いをついた頃の佐助。チビと一緒に“膝”を狙っている。

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今日、オヤツを待つ佐助。

伝えられる安心感、伝わる喜びが次第に目に表れるようになってきている。……そう思うのは飼い主だけではない、と思うのだが……。

              by Kakky

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本日⑦アップデート済み。

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ガールズ・トーク(女子会)の行方

次々と枝葉に分かれていき、尽きることなく拡散していく“ガールズ・トーク”。聞いているのも参加するのも、僕は好きだ。

そんな“ガールズ・トーク”が“ウーマンズ・トーク”になり“オバチャン・トーク”になっていくのを、ずっと耳にしてきた。

Kapparの高校の剣道部仲間の同窓会と大学の同窓会。それぞれ年一度、女子高、女子大だから、合わせて約10名くらいの仲良しの人生を見つめてきたような気にさえなっている。さて、今日は剣道部の会。どんな話が聞けるのだろうか。友達同士、いつも明るく報告し合っている課題の行方や、それぞれの乗り越え方を聞き、年齢や時代を感じるのもなかなか楽しいものだ。

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昨日始まっていたKapparの準備。グループホームに立ち寄りお母さんに渡すための、ズボンのゴムの入れ替えなのだそうだが、佐助がずっと観察していた。

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炬燵で寝転ぶ僕に乗っかる佐助。Kapparがいない時は、むしろこんな姿を見せることはない。なぜだろう。ちょっと不思議‥‥。

              by Kakky

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”の連載を始めています。

本日、⑥を投稿済み。

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今日を明日へと繋ぐ、小さな楽しみ

“また明日”“また今度ね”という言葉をうれしく思えることが多い日々は、きっと幸せな日々なんだろうなあ。同じ時間の起床、同じエリアの散歩(コースは多様だが…)、決まったメニューのご飯。その一つひとつに喜びを表す佐助を見ていると、“明日もまた同じことが起きる”と信じていないのか、あるいは明日をイメージすることなく生きているのか、などと、付き合い始めた頃は首を傾げていたこともあったが、今目の前で起きていることに精一杯集中して生きているんだろうなあ、きっと幸せなんだろうなあ、と思うようになった。

過去なんかどうでもいい。だって、今さらどうしようもないから。

今をしっかり見つめる。だって、明日という不確かなものが確実性を帯びる可能性があるとしたら、確かな今を積み重ねた時くらいなものだから。

佐助には、そんなことが、考えるまでもなく身に付いているのかもしれない。生き物全てが本来は持っているものなのだろうが……。

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今日のナナじいちゃん弁当。横のメモは、今日のメニューと次回の予定のお知らせ。ナナじいちゃんが弁当を買う予定を立てられるように、そして、次の楽しみまでの心の小さな励みになるように、というもの。交換日記代わりにもなるしね。

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料理の匂いに目を覚ました佐助。直前まで“寝吠え”をしていた。どんな夢を見ていたんだろうなあ……。

              by Kakky

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”の連載を始めています。本日、⑤を投稿済み。

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“逆境は最高の教師”ではあるけれど‥‥

恵まれた環境が人を育てるとは限らない。大切にされることが普通になると、甘えに鈍感になり、場合によっては大切にされていたことを縛られていたと恨むようにさえなってしまう。

自立を促すためには、転ばぬ先の杖を出したい気持ちを制御し、我慢した方がいいだろう。価値観や判断基準が与えられたものではなく自ら構築していったものになるためには、障害物の前で立ち止まって考える時間が必要だからだ‥‥とは言え、逆境にも限度はある。

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保護された直後の佐助。よく鳴くので“キャンちゃん”という名前で呼ばれていた。少しだけ安心しているように見える。

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保護されてからほぼ2ケ月後の佐助。“ここはずっといることができる場所じゃないのかも…”という不安が生じているように見える。

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その少し後、躾のためにボランティアのトレーナーの下へ運ばれる直前の佐助。目には“どこに連れて行かれるのだろう”という不安と緊張が窺える。

安心と安全が一番。食事が二番。と言われるのもよくわかる。学ぶや遊ぶは三番だもんね。

              by Kakky

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”の連載を始めています。本日、④を投稿済み。

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一知半解って言うけれど‥‥

今日、また散髪に行った。前回から一ヶ月も経っていない。いつもは2~3カ月おきなのだが、前回、左側頭部に切り残しが随分とあったのが気になっていたからだ。

カットだけなら、平日の12時~14時はタイムサービス価格で690円という安さだからできたことだが、今回の担当者の腕はよく、すっきりとした。

調剤薬局に立ち寄り薬を受け取って帰宅。その道すがら、“手に持ったビニール袋の中にある薬は“常用薬”と言うべきものであって“常備薬”じゃないよな"と思ったのがきっかけで、いろいろな言葉の正しい言い方や表記がきになってしまった。

帰ってパソコンに向かい、あれこれ調べた。すると、全く間違って覚えていた言葉に気付かされた。“知行合一”である。“ちぎょうごういつ”と読むのだと半世紀以上思っていたが、“ちこうごういつ”だった。知行を“ちぎょう”と読む場合は意味が違っていた。

そして、同時に思った。全く知らないよりは知っている方がいいのかもしれないなあと。ふと疑問や不安を感じた時、調べ直して是正するきっかけにはなるから。一知半解であっても無知よりはまし。半解を埋めていけばいい。

忘れてしまうことも恐れない方がいいような気がする。忘れる以上に記憶しようとすれば、記憶の総量が減少することも押し留められるだろうからだ。それにしても、若いころから苦手だった人名の記憶力の衰えっぷりは、尋常ではないような気もするが……。

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陽射しに油断して外出。寒風に驚いた日中。

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眩しいことは気にならない佐助

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今日のナナじいちゃん弁当。温かいうちにお届け~~~。Kapparが、ね。

              by Kakky

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”の連載を始めています。。

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小さな変化の陰の大きな努力

一昨日、2か月ぶりの診察に、成城リハケア病院に行ってきた。

当初は、週3回のリハビリに通っていたことを思うと、気付かないくらい小さな変化の積み重ねがもたらしてくれたものの大きさを改めて実感した。ちょうど10年。一昔の時間が経っている。

当時一緒にリハビリしていた人たちと病院で出くわすチャンスもなくなってしまったが、ただ一人、10年前には立ち上がることもできず、一言も発することのできなかった青年には、会うことができる。10年間ずっと両親が付き添って通ってきていた。

わずかな進展もほとんど見られないリハビリにも屈することなく、周囲への気遣いと笑顔を絶やさないご両親と挨拶や言葉を交わし、車椅子の彼にも声を掛けるようにしていた。

一昨日、そんな彼が帰るところに出くわした。受付の女性たちが三人、声を揃えてゆっくり「さ・よ・う・な・ら」と言う。彼は垂れてしまう首を精一杯持ち上げゆっくりと「さ・よ・う・な・ら」と、それに応える。頬には笑みが浮かんでいる。ご両親も一緒に「さ・よ・う・な・ら」と言い、最後に「ありがとうございました」と頭を下げた。かつては「お疲れさまでした」と必ず声を掛けていたのだが、今回は黙って笑顔で見送った。

この光景だけを初めて見る人は“可哀想だなあ”“大変そうだなあ”などと思うのかもしれない。しかし、タオルハンカチを咥え、ヘッドレストにもたらせた頭を動かすこともできなかった10年前の姿からすると、実に目覚ましい進歩だ。親子三人の時間にも、きっと今や明るい陽がさしていることだろう。

幸せの形などどうでもいい。一緒に獲得し、作り上げてきたものの価値を共有できるかどうか。大切なのはそんなことなんだなあ。たとえそれがわずかの瞬間にしか得られないことであっても‥‥。笑顔でエレベーターの中に消えて行く三人を見ながら、心が温かくなった朝だった。

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その夜、居眠りしている間にできあがり届けられた“ナナじいちゃん弁当”。

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翌日(昨日)は、散歩がてら調剤薬局へ。この冬最強の寒波到来と言われていた割には、お昼ごろの日差しは強く暖かかった。

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帰りに近所の洋館風の屋敷を塀越しに撮り、散歩を終えた。翌土曜日がKapparのお休みだということが佐助にも心の余裕をもたらしていたのだろうか、ゆったりのんびりの散歩だった。

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夜になると、さすがに冷え込み始めた。佐助もコタツに前足を‥‥。偶然だけどね。

              by Kakky

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あの頃、そしてこれから

25年前、みんな30代だった。そしてIさん(男性)をリーダーに女性3人でチームを組んでしていた仕事があった。

20年前、その女性3人で飲みながら、「何か一緒にできたらいいねえ」と話したこともあった。結局その頃はみんな目先の仕事に追われて、話で終わってしまった。

その後、Mさんは引っ越したのをきっかけに環境問題に取り組み始め、アクティブに活動し、本を書き、講演もするようになった。
Tさんは、中国で出会った果実にほれ込み、日本での加工販売を始めた。1人で店舗を回ってセールスをし、軌道に乗せた。

昨年、リーダーだったIさんは今までの仕事を辞め、地元に帰り、障害児のための学校(?スペース)を開設した。Tさんは、この3月からスリランカの子供たちのための支援活動を始めるという。Mさんは今年また新たな環境プロジェクトに参加するようだ。

25年前のみんなは広告・宣伝のマーケッターであり、プランナーだった。

生産性もなく、世の中のためにもならず、バタバタと日々が過ぎていた。


今は誰かのために、次の一歩を踏み出している。

そんな2017年。

私は身近な人(&犬)たちのために、できることをやっていくんだろうなあ。

 

だって、今は毎日の彼らの笑顔がとってもうれしいんだもの。

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by Kappar

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”の連載が始まっています。-本日更新済み

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“欲求不満耐性”と佐助

欲求不満は心にも身体にもよくない。フラストレーションの素となる。

だから、欲求不満耐性を身に着けるべきだろう。欲求不満はいかなる時もつきまとう、致し方のないもの。避けるべきは、欲求不満やそれが生み出すフラストレーションに突き動かされ、突発的に確かな考えもなしに、不適応な行動に出てしまうことだ。

“冬来たりなば春遠からじ”のスピリットがあれば、耐性は身に着く。人や環境を恨みに思わないことも大切かもしれない。“自分だけ”という思いに陥ってしまわないようにすることもいいかもしれない。“負の連鎖”をもたらす仲間ではなく、負を切り開いていく仲間を作ることも効果があるだろう。

欲求不満耐性のあるなしは、幼児期の環境や経験に大いに左右される。耐性は徐々に身に付いていくものなのだ。

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殺処分の期限を2度乗り越え、3度目の期限を迎える直前の佐助。

係員のおじさんがこの写真を撮ってボランティアの人に連絡してくれたおかげで、3度目も乗り越えて引き取られた。佐助の顎を持っているのは”命の恩人”の手である。

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「ここがいいなあ」と心に決めたらしい佐助。

遠くからクルマで運ばれてきた直後、ソファに飛び乗った。この時のことを我々は、「僕たちが佐助を選んだんじゃなくて、佐助が僕たちを選んだんだね」と思い出す。

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やってきて間もなく、Kapparの背中に身を寄せる佐助。

この頃は、一日中鳴き続ける佐助にノイローゼ気味だった僕たち。欲求不満耐性が安心感で溶けてしまった佐助の“要求吠え”だったことに後で気付いた。

しかし、「大変な思いをしてたんだねえ」「可哀想だったんだねえ」などとは思わないようにしよう、と話し合った。“過去”をあれこれ慮ってたり、悔いたり、怒ったりしたところで、“今”が豊かになるわけでもなく、同情心はむしろ甘えを生み出すと考えたからだ。

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今日の佐助。今日もこれからも、できるだけ楽しい時間を共にしたいと思っている。

漠然としたルールを設け、その範疇内であれば、お互いに自由であるようにしている“同居犬”である。

                 Kakky

“1969年。僕たちの宵山 ―昭和少年漂流記第二章―”の連載を始めました。

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老子の言葉

TVっ子なのに、地上波には見たい番組がほとんどない(NHKとテレビ東京には好きな番組があるが……)ので、ずっと観つづけてきた海外のTVドラマ。J・COM(ケーブルテレビ)との契約も、きっかけはFOX、スーパードラマTV、AXNミステリーといったチャンネルを観たいがためだった。

が、最近、少し遠ざかりつつある。代わりに浮上してきているのがBS。NHKのBSのドキュメンタリーや歴史番組が、今の我が家のメインになっている。

海外のTVドラマも全く卒業してしまったわけではなく、録画しておいて一気に観賞したりはしている。そんな番組の一つ“クリミナル・マインド”の冒頭に、毎回必ず“名言”が紹介される。忘れていた“名言”を思い出させられることもある。

昨夜、連休も仕事漬けだったKapparがベッドに行き、佐助が後を追って行った後の深夜。“クリミナル・マインド”で再会した“名言”は、今更ながら「言い得ているなあ」と思った。

老子曰く

人を愛せば愛するほど、強さが生まれる。

人に愛されれば愛されるほど、勇気が生まれる。

文字にしたり口にしたりするにはやや気恥ずかしい言葉だが、そうだなあ、と思わざるをえない。

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一昨日のナナじいちゃん弁当。これでもきっと我々はささやかに強さをもらい、ナナじいちゃんには多少の勇気を届けられているのかもしれない。そう考えるとうれしいものだ。

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昨日夕方、仕事がひと段落して部屋に入ってきたKapparを発見した佐助。

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コタツで横になったKapparの隣に寝転んで甘えまくっていた。これでもきっと強さは生まれているのだろうし、勇気を与えてくれているのだろう‥‥な!

              by Kakky

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新年の抱負という“自己成就的予言”

“自己成就的予言”という言葉がある。

大雑把に言うと、「こうなるのではないか」と思いながら行動していると、実際にそうなった時、思っていたことが“予言”だったかのように感じられてくることを言う。思っていた通りではなくても、思っていたことに近いことが起きると、「ほら、だから言ってただろう」と “予言”していた結果だと思ってしまう。“思いたい”のかもしれないが……。

大切なのは、「こうなるのではないか」という思いが「こうなるといいな」というポジティブなものか「こんなことになってしまうんじゃないか」というネガティブなものか、ということである。

ポジティブな場合、それは“希望”であり、ネガティブな場合のそれは“不安”である。そしてもちろん、“希望”が成就した時、あるいは“希望に近いこと”が成就した時の方が、達成感があり幸せであるに決まっている。

達成感などというものは、基本的に人それぞれ異なり、かつ“自己成就的”なもの。願っていた通りであろうが、願っていたことに近いことであろうが、それを“成就”できたこととして見逃さないためにも、願い続けることが大切なのだ。そして、だから、“今年の抱負”というものは、大切なのである。

初詣の時、順番待ちの列の中で、そんなことを考えた。

“みんな、自分の心の中の神棚に拝んでいるのかもしれない”“決意や願いを自分の心に刻み込んでいるんだろうなあ”

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3日、初詣に向かう時の踏切で、夕日が一瞬電車に反射して煌いた。初日の出のようだと思った。

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4日、ナナじいちゃんの“初弁当”。

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5日、テーブル脇でのんびり“おやつ待ち”の佐助。どうも“今年の抱負?去年通りだといいなあ”と言っているようにしか見えない。

僕自身には抱負というより目標がある。が、しかし、それは成就を前提としたものではない。あまり他言できるようなものでもない。とりあえず、早く正月ボケから抜け出ないと‥‥。

予告:過去に書いておいた“昭和少年漂流記第三章”の連載を来週より始めます。

*“昭和少年漂流記第二章”の再連載は、もうしばらくお待ちください。

              by Kakky

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短いお正月

元日を寝正月で過ごし、翌2日、小田原へ。

Kapparのご両親をグループホームに訪ね、義理の弟のお宅でお屠蘇。いい気持で満員のロマンスカーで居眠りしながら帰ってきた。

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3日。右を見れば佐助が、

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左を見ればKapparが、

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のどかにお昼寝。明日からは平常営業に戻るので、そっとしておきたいところだが、今年こそ三が日の中に初詣を、ということになっている。

午後2時、心を鬼にして起こした。

行き先は徒歩10分ばかりのところにある烏山神社。

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小さい神社ながら、行列ができている。

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お祈りが終わって帰る時振り向くと、僕たちの数列前で長いお祈りをしていた女性が、祭壇を下りてからもまだずっと、遠くからお祈りを続けている姿が目に入った。悲しいことや苦しいことがあったのでなければいいが……。いやきっと、新たなチャレンジを決意し、大きく一歩、未知の世界へと踏み出そうとしているのだろう‥‥。そう思いたい‥‥。

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こうして人それぞれ想い想いの短いお正月は、アッつという間に過ぎ去った。

そして今日4日、朝、お笑い年賀状が届いた。

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差出人は、大学の同級生でただ一人交流のある森君。左下に挨拶の言葉でもあるのかと思いきや、“プリンターが突然壊れた。広い余白も味がある”といったお言葉。

「なんだ?言い訳か~~い!」と笑ってしまった。しばらくはテーブルの上に置いておき、目に入るたびに楽しい思いをさせてもらおうかな。

Kapparは平常営業に入り、僕はグラム48円の鶏むね肉を買いに行ってきた。ナナじいちゃん弁当の年明け第一便も今夜届けられるだろう。

とにもかくにも、順調に始まった2017年。楽しい年にしていきたい。

              by Kakky

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僕のお正月

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カアチャンがナナちゃんのおじいちゃんに弁当と蕎麦を運んだ夜。

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何故か、みんなで夜更かし。いつもの“夜のおやつ”を食べて寝ていると、「おめでとう!」の声で起こされた。かと思うとその直後、「さ、寝るよ。佐助」だって。なんだよ!

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翌朝、散歩から帰ると、何やらわしゃわしゃとテーブルの上で準備が始まった。いい匂いもしてくる。しかし!眠い!

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おや?肉の匂いが‥‥。ポン!て、大きな音もしたぞ。

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カアチャンに抱っこされた。わ~~~!おいしそうなものが一杯だ。どれから食べようかなあ。

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トオチャンの前には怪しい紙袋。うれしそうだけど、特別においしい物でも入ってるのかなあ。

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でも結局、ほとんど僕の口には入って来ず。残ったのは睡眠不足だけだった。

お正月なんだってさ。関係ないね。寝よう!

                 by 佐助                              

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