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戒め④‥‥My way is our way.にならない

行き先が明確になっていて、行き方に選択肢がある場合、僕は道中が楽しそうな行き方を選ぶことが多い。時間や装備に制約がある場合でも、できるだけ楽しそうな行き方を選ぶ。

全行程に要する時間の見積もりも、自分自身と仲間の脚力と相談しながらではあるが、寄り道を計算に入れて行う。真っすぐ行くと簡単に到着できそうな時であっても、ちょっと迂回する行程を選んだりもする。

ただ、時間が限定されているとか、その次の段取りも決まっているとかいった、余程のことがない限り、自分の選んだ行程を他人に押し付けようとは思わない。賛同者を求め、それを仲間にはするが……。

“結果がすべてではない。経過こそ大切なのだ。”ということではない。“結果も経過も大切だ。”ということであり、何より“結果の求め方には、人それぞれ、それぞれに適した方法がある。”ということだ。

とかく老人は、社会人として積んできた経験が、何事につけ“これはこうするものだ。”となりやすい。“俺はこうしてうまくいった。”という成功体験があるとなおさらだ。

My way は所詮My way と考え、My way is our way.とならないよう気をつけなくてはならない。My way was our way.と昔話ができる仲間との間のことに留めておくべきだと思う。

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佐助と幼馴染の瑠奈ちゃん。会うと興奮して遊びまわっていた時間を経て、仲のいい老夫婦のような距離感が出来上がっている。お互いに無理のないいい関係だ。

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昨日のナナじいちゃん弁当。自家製おでんが初めて加わった。トンカツもあるよ~~。

              by Kakky

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戒め③‥‥謝辞と感嘆詞を忘れてはいけない

小学校4年生の時の担任は、後にして思えばバリバリの日教組、見方を変えればリベラルな人、当時の生徒からの目線で言えば公平な人だった。その先生によく言われたのが、“自分の思ったことを言葉にすること”と“大人に言うように言われている言葉を何も考えずに使ってはダメ”ということ。

思ってもいないのに“ありがとう”と言うのはよくない、“おはよう”って本当に言いたいと思って言っているのかな、等々、例を挙げられると「確かにそうだなあ」と思ったものだった。

その後、言葉の魅力と暴力性、一語一語の大切さと無力さ等々を考えつつ大人になっていけたのは、その先生に埋め込まれた問題意識のおかげもある、とは思っているものの、何事にも功があれば罪もあるもので、謝辞を口に出すのが下手な大人にもなっていた。

しかし、あるVANの先輩とよく行動を共にするようになった社会人3年目の頃、彼が「ありがとう」という言葉をよく使う姿に、目から鱗が落ちた。

言葉は使い慣れることが大切で、単純な言葉ほど伝わりやすいものだ。ということを思い知らされたのだ。思いを伝える役割以外に、言葉にはコミュニケーションの潤滑油としての役割もある。そんな当たり前のことを改めて教えられた思いだった。

とある調査によると、夫婦喧嘩のきっかけは“口の利き方”。おそらく、言葉の選び方と口にするタイミングの問題なのだろう。さもありなん、である。街でも“口の利き方”で

喧嘩になることは多く、時にはたった一言が刃傷沙汰につながることさえある。

謝辞を忘れないことである。そして、感嘆詞はためらわず口にすることである。失ったものとこれから失っていくものへの思いばかりが残り、苛立つことが多くなりがちな年寄りはなおさらである。他人の世話になることも多くなる。謝辞と感嘆詞を口にすることをためらうことなかれ。である。言葉は、口にするほど慣れ、使い方もうまくなっていくものなのだから。

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天気予報通りの雪。世田谷区は、23区の予報よりも東京都平野部の予報の方が当たっているようだ、とわかった積雪量だ。

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「散歩なし?」と思っていたらしい佐助。雪が止んで出かけた散歩は、大張り切りだったらしい。

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雪の中を届けた“ナナじいちゃん弁当”。添えられているメニューをナナじいちゃんは全部保管しているらしい。そんなことを伝えられるのも、うれしいものだ。

              by Kakky

 

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ほぼ弾丸一人旅。広島での同窓会 ③

「もう、駄目だ」。観念してエレベーターの床に仰向けになった。しかし、たまたま乗降する宿泊客がいない限り10Fのドアは開かない。開いたところでカードキーは手元にない。“何とか痛みが少し収まるまで横になっていて、二次会場のラウンジに行くしかないぞ”と決めたのはいいが、エレベーターは動く。ロビーへ、最上階へと上下する。残念ながらラウンジ階には行ってくれない。その間、中国人のカップルに「Are you OK?」と心配そうに覗き込まれ「Im OK」と親指を立ててみたり、日本人の女性の二人連れに気味悪がられたりしながら3~4往復しただろうか、這い出るしかないかなあと思い始めた頃、ある階で同級生のKさんが乗ってきた。

「あら!どうしたの?大丈夫?」「こ、腰が、い、痛くて」「全然現れないから探しに来たのよ~~」「ご、ゴメン。こ、腰が、い、痛くて」「どうする?誰か呼ぼうか?」「う、うん」

片や立ったまま片や仰向けのままそんなやり取りをしてるうちに、同級生が4人、ホテルの従業員が2人やってきた。そして、車いす登場。無事入室。ベッドにごろり‥‥。となった。

幸い30分後にはかなり良くなってきたので“もう会費は払ってあることだし、二次会にこれから行こうかなあ”とも思ったが、翌日午後には帰りの便に乗る予定。そのために休んでおかなくちゃ、と涙をのんだ。

かくして実質3時間のための、1泊2日ほぼ弾丸広島旅行は終わったのだった。

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正面からスマホを向けると、時々そっぽを向く佐助。すっかりお気に入りの、クローバーさんからいただいたマットの上では、どういうわけか、きちんとお座りすることが多い。

              by Kakky

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ほぼ弾丸一人旅。広島での同窓会 ②

午後4時過ぎ、ホテル内の会場前で受付を済ませる。地元広島在住の世話役の人たちも含めて、まだ10人強。それでも高校卒業以来の顔がある。

会場には8つのテーブル。それぞれ6名ずつ席が設けてある。座って待つことにしたが、前夜の睡眠不足とバタバタだった全6時間の行程の影響か、少しだけ疲労感を感じた。しかしそれは一瞬のこと、次々と会場に現れる懐かしい顔に座っていられず、あちらで一言、こちらで一言と言葉を交わす。中でも気になっていた中学からの同級生M君とは、ついつい長話‥‥。等々で5時を迎えた。まずは別室で48名の記念写真。会場に戻り、同窓会の開始。

始まってしまえば自分の所定のテーブルを離れ、席にやってくる同級生。手にしたびーるを受けては飲み、注いでは飲みで、瞬く間に時間が過ぎていく……。同窓会終了の午後9時は、あっと言う間にやってきて、さあ次は最上階のラウンジで二次会だ、ということになった。

座りっぱなし、飲みっぱなしだった僕を気遣い、隣席だったOさんが「お土産とかの荷物、部屋まで運んでおいてあげるね」と、持って行ってくれる。見渡すと会場に残っている者は少ない。二次会会場へと向かうみんなの足の速さに驚きつつ、遅れてはならじと立ち上がる。エレベーターホールでボタンを押す。開いたドアから乗り込む。と、その時だった。腰に激痛!なんとか歩けるだろうとエレベーター内を移動してみようとしたが、立っていることもできなくなっていく。息も苦しい。“まずい!部屋で休憩してからにしよう”と10階のボタンを押す。が、反応しない。“そうだ!このセキュリティがしっかりしているホテルは、宿泊階のボタンはカードキーを持っていないと反応しないようにできていたんだ!僕のカードキーはOさんの手元。やはり二次会場までは行かざるを得ない。頑張らなくちゃ!エレベーター内で杖を頼りに立っていれば大丈夫。21Fでドアが開けば、誰かに引きずり出してもらおう”そう思ったが、すぐに限界が来た。 ……つづく

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同窓会3時間のための丸二日の後、月~水はKapparが激務に見舞われた。火曜日の夜はほぼ徹夜という状態。それでも水曜のナナじいちゃん弁当は出来上がった。

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今日からほぼ平常運転。佐助との散歩もいつもの風景になっているようだ(写真は一週間前のものだが……)。

              by Kakky

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ほぼ弾丸一人旅。広島での同窓会 ①

11月11日(金)午後5時から。場所:広島グランヴィアホテル。

高校の同窓会だった。昨年は東京、来年は大阪、と誰が決めたのやらスケジュールは決まっているらしい。60代後半、これからは参加者が減っていくのみの同窓会、毎年開催くらいの方が、後悔先に立たずにならなくて済みいいのだろうが、収入が障害者年金のみで、Kapparに依存している身には、時間の融通はつくが、費用の負担は気になるというもの。毎年春の墓参帰省はANAのマイレージでなんとかなるとしても、もう一度マイレージで、というほど貯める手立てはない。かと言って、昨年の東京開催で幹事を務めた者が、広島は行きません、というわけにもいかない。余分な日程は組まず、シンプルに同窓会のみの旅行として、なんとか安くならないものか、と探して見つけたのは、楽天トラベルのANA楽パック。往復のエアーとグランヴィアホテル1泊で予約をした。同窓会の参加費その他、空港までのアクセス等々と合わせ、すべてで6万円以内という予算だった。

11日朝8時過ぎ出発。生憎の雨。しかも12月中旬の寒さ。Tシャツ、ロンTと重ね着した上にタートルとジャケット。さらにチェスターコートまで着込んで家を出た。京王線~山手線~京急と乗り継いで羽田空港へ、というルートだったが、雨の日の通勤時間ということで“心配だから”と品川までKapparが同行することになった。

すると、京王線がいきなり20分の遅延。間に合わないかもと、井之頭線に乗り換え、NAVITIMEでチェックしながら品川まで。京急に乗りKapparに手を振った時点で9時28分。これでもう大丈夫と安堵したものの、空港に着くと電光掲示板に「締切り間近」の文字が。バタバタとまた急ぎ、ほんの少しの余裕を残して間に合う。

羽田10時40分発、広島12時10分着。出発は遅れたが到着は時間通り。“無事到着”をKapparに知らせ、ゆっくりとバス停へ。目的のグランヴィアホテルが立地する広島駅までは45分。かつて仕事でよく広島に行っていた頃よりは相当時間は短縮されている。空港でご飯を食べてから、とも思ったが、朝のバタバタの記憶があるため、ホテルに着いておくことを選択。午後2時前には、ホテルのフロントに到着した。

少し早めにチェックイン。10階の部屋の窓から景色を撮って、ベッドに横になった。

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4時からの受付まで、同級生のことを思い出したりしながらのんびり過ごしたが、本当はこの間に何か食べておくべきだった。

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「それでどうしたの?」。佐助は興味ナシかもしれないが、その夜ちょっとだけ騒ぎになったのは、空腹で同窓会に臨んだことにも一因があったような気がする。……つづく

              by Kakky

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戒め②‥‥籠ってはいけない

子供の頃、自宅の前ばかりか向こう三軒両隣の家の前を掃いているお年寄りをよく見かけた。夏になると往来に縁台を出し、何をするでもなく行き交う人(そんなにいるわけでもないが…)を眺めていて、知っている人を見かけると声を掛けてくるお年寄りもいた。

「お~。今日も川に行くんか?」「はい」「気をつけてな」「は~~い」。

どこの誰ともわからないまま挨拶代わりの言葉を交わし駆け抜けて行ったことが何度もあった。そしてやがて、見かけると挨拶をするようになっていった。何気なく交わす言葉に日常の穏やかさがあった。交感があった。

懐かしく思い出す暮らしの風景だが、かつて声を掛けられる側だった僕が、今や声を掛ける側になっている。

とにかく何でもいいから用事を見つけ、時には用事を作り、出かける。近所の人を見かけると挨拶をする。そんなかつてはありふれていた光景の中に自らを置く。心にわだかまりがちな小さな抵抗感を飲み下し、外に歩み出し、少しだけでも心を開放してみる。そんなことが心身に健康をもたらしてくれるきっかけになる。

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近くに“ミッキーの家”を発見するような楽しみもある。

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外には様々な出会いがある。一つひとつが、心に明るさを与えてくれる。たまに出会う嫌な人や気分の悪くなる事柄にくじけないことだ。世の中、そんなに捨てたもんじゃない。

              by Kakky

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戒め①‥‥汚れてはいけない

脳出血になった時、痛感したことでもある。

そんなに神経質になる必要もないが、できるだけ身ぎれいにしていなければ、心が萎えていくと思った。口元、目元、鼻先、指先‥‥。すべてが自分でケアできるわけではなくても、可能な限り自分できれいにしていようと思った。食事の時、人がやってくる時、看護師や医師と接する時、そして一人でいる時も、汚れていないことはとても大切だと思った。なけなしの自律であろうと、それは守りたいと思った。ティッシュの消費量が増えた。

幸いKapparも“病人は汚れてはいけない”と、衣服を気に掛けてくれた。リーズナブルなアウトドアブランドのウェアを購入して持ってきてくれた。新品を簡単に汚してはならないと思った。申し訳ないと思った。そして、着の身着のままにならないよう定期的に着替えた。着替える行為もリハビリだった。

それから10年、年老いていくにつれ、なおさら強く思うようになった。身ぎれいであることは、病人だけではなく老人の暮らしにとっても芯棒の一つになるものだと。

老人の気品に、汚れは大敵だ。

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8日のナナじいちゃん弁当。実はナナじいちゃん、92歳一人暮らしだが、なかなか身ぎれい。ニットのベレー帽を被って玄関に出てきたのをKapparは目撃しているし、僕は白のロゴ入りトレーナーを着ているのを見た。着ることをいい加減に考えていない、と思わせた。

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佐助の身ぎれいは、舐めることでできあがる。健康維持のためにも大切なことのようだが、時々舐め壊してしまうのが玉に瑕だ。

              by Kakky

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残り少ない秋を行く

昨日、午後になると急に「散歩に行かなくては」と思い始めた。開けた窓から見上げた空が“そろそろ秋も終わりですよ”と言っているように見えたからだった。気温も、まだダウンジャケットを必要とするほどではない。

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踏切を越えてサミットまで行き、Kapparの買い物(そろそろ終わりになる生秋刀魚を食べようじゃないか、ということになっていた)を待って、裏通りをゆっくり帰ってこようというコース。

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サミットの出入り口近くのベンチで佐助と待ち、買い物を終えて出てきたKapparに佐助がしがみつき、ゆっくりと家路についた。

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僕には初めての(一人だったら間違いなく迷ってしまう)裏通り。大きな民家(農家だったのだろう)の塀際に、大きな欅の古木を発見。見上げようとしたら、クラっとした。高所恐怖症なのを忘れていた(写真はKapparに撮ってもらった)。

世田谷区北烏山に居を構えてもうすぐ丸7年。まだまだ知らないことは多いようだ。

 

昭和少年漂流記“とっちゃんの宵山”更新しています。…次回は11月10日頃予定

              by Kakky

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老いる者の戒め ①

日本人の平均寿命は、江戸時代45歳、明治(24~31年)時代45歳、大正15~昭和5年46歳、昭和10~11年48歳、昭和22年52歳、という風に社会と経済の安定、戦争の有無と大きく関わりながら変化してきた。

そして、今や人生80年の時代。人生90年の時代も近い。織田信長がよく舞っていて、死の直前にも舞ったと伝えられている舞“敦盛”の一節「人間50年、下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり」が微妙に誤って解釈され、当時の平均寿命が50年位だったと認識されているが、当たらずとも遠からずではあるだろう。戦国から江戸~昭和と、日本人の平均寿命は大きくは変わっておらず、まあ大体50年程度、と考えてよさそうだ。

となると、当時の人の人生を現代人の年齢感覚で考える時は、5/8倍してみる方がいいかもしれない。つまり、現代の80歳は当時の50歳。現代の60歳は当時の37.5歳ということになるわけ。なんとも都合がよく、勇気付けられるではないか。

あの徳川家康が関ヶ原の戦いの前線に出陣した時の年齢が、確か56歳。これを現代の年齢に換算すると、89.6歳。健康年齢を維持すれば90歳で天下を取ることさえできる、ということになる。ナナじいちゃん92歳。その元気な暮らしぶりも不思議ではないわけだ。

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昨日のナナじいちゃん弁当。量が多すぎない?とご心配の向きがあれば、そんなことはないですよ、と申し上げたい。ナナじいちゃん、なかなかの健啖家である上に、自己管理ができる人。きちんと食べ、きれいに洗ったタッパーが戻ってきている。

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炬燵が登場し、佐助とゴロゴロするようになって改めて思った。年を重ねるたびに、きちんと自らを戒めておくべきことがいくつかあるなあ、と。次回はそのことについて‥‥。

昭和少年漂流記“とっちゃんの宵山”、更新しました。第15回です。

              by Kakky

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