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あれよあれよという間に、10周年

9月6日。夕方。突然、ショートケーキが目の前に出てきた。何事だ?何かのご褒美か?まさか、ほぼ毎朝出動している“Dyson隊”の報酬か?などと小首をかしげていると、「10周年、おめでとう!」というKapparの声と笑顔が。しかし、なんのことやら。思い当たる節がない。

「え?!なに?!」と尋ねると、「脳出血から、今日でちょうど10年だよ」とのこと。

「9月6日だったの?」「そうだよ。再発しなくてよかったね」「そうだね。早いもんだねえ」と、ショートケーキをいただいた。

あれよあれよという間だった。淡々と過ぎ去ったような気もするが、思い起こすと実にいろいろなことがあった。暮らしは大きく変わった。

しかし、Kapparのおかげで能天気を続けることができた。人のことを気に掛ける心を持ち続けることもできた。

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保護犬としてやってきた佐助も、もうすぐ6年。目指していた“駄犬王子”になることはできなかったが、“お気楽王子”にはなることができた。

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17日。近くの神社のお祭りの神輿が家の前を通っていった。勝手にお祝いしてもらったことにした。

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翌日は、“ナナじいちゃん弁当”の日。近くに引っ越してきたクローバーさんがやってきたので、お昼からビールを飲んだ。

次の10年も、きっと、いい人たちとのお付き合いはつづき、楽しい10年になることだろう。禍転じて福と成す、かな?

              by Kakky

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雨の中のお出かけ 犬との会話

昨日は朝も早から茅場町へお出かけ。

午前中3時間のセミナーへ出席してまいりました。

それは、犬のボディランゲージを勉強する会でした。
画像や動画を見ながら、その犬がどんな気持ちでいるのかを読み解く、というもの。
図解の専門書やDVDは見たりしていましたが、実際に説明を受けられるというので、興味深々でした。
実は佐助は世の中で言われる“問題行動”がてんこ盛りのワンコでした。何でも「ワンワン」とのみ、大音量で叫ばれ続け、私たちは疲弊し、悩まされた時代があったのです。
そんな時、「佐助はいったい何が言いたいんだろう?」と、シンプルな疑問から始まり、調べてみると、「カーミングシグナル」という犬の表現(言葉)があることを知ったのです。
これを勉強(?)してみると、なかなか興味深い~
犬の言葉で話してみると、時々通じるのですわ。
(未熟な犬言葉なので、いつもとはいかない・笑)
ただ、犬からのメッセージを多少でも理解できるようになると、お互い楽しくなるのは確かなようで、それは佐助も感じていると、勝手に信じているのです。
そんなわけで、昨日はちょっと真面目なKapparの秋分の日なのでした。
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でもってこれは?
by Kappar

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秋を知る

一葉知秋と言う。一葉落ちて天下の秋を知る、とも言う。

残念ながら雨続きで、一葉が落ちるのを見る機会もない。が、どうも秋がやってきたようだ。

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佐助ベッドに、秋を知る。……これまで廊下に寝そべっていることが多かった佐助が、お昼前にはさっさと二階へ行き、ベッドでだらりんとするようになった。三日前からのことである。どうも、三日前に秋はやって来たらしい。

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というわけで、今日の“ナナじいちゃん弁当”は、秋刀魚の塩焼きがメイン。秋到来気分のお裾分けなのだが、Kapparによると、涼しくなってきたおかげか、ナナじいちゃん元気一杯だった模様。よし、よし。

              by Kakky

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晴れ男の面目

梅雨の再来か?と言いたくなる雨続きの日々。秋雨前線、秋の長雨、などという言葉もあるが、なにしろ秋を実感した覚えがほとんどない。海水温上昇の影響で次々と生まれる台風が手をつなぎ合って北上し、巻き込んだ高温多湿な空気を順に列島に流し込んでくるのだからやむを得ないのではあるのだが……。

しかし、悪いことばかりではない。たまたま仕事がひと段落したKapparは、ほぼ丸二日の休日。雨をいいことに、まったりとリビングで過ごし、眠気にも抗わず身を任せる日々だった。散歩を諦めた佐助も、傍で寝てばかり。いい休日風景となった。

*保護犬佐助は、預かりさんがボランティアのトレーナーさんに預け、室内での排泄の訓練を終えているので、排泄のために何が何でも外へ行く、ということはない。助かっている。

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そして今日僕は、歯医者の定期検診の日。朝から雨続きの予報だが、なんと!歯医者への往復の2時間だけが、ちょうど曇り。これぞ、“お出かけのお供にKakkyを!”と言い続けている晴れ男Kakkyの面目躍如、というもの。台風何するものぞ、行ってきます。

……とは言っても現実がどうなるかはまだわからないが……

 

昭和少年漂流記“とっちゃんの宵山”、更新しました。第11回です。

              by Kakky

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最近のナナじいちゃん

92歳のナナじいちゃん、入院中の奥さん(残念ながら、ナナじいちゃんのことはわからず、話もできない状態が続いているようだが……)を訪ねるという日課に、もう一つ大事なことが加わっている。目が見えなくなっている老犬ナナちゃんを動物病院に連れて行くこと。ナナちゃん本犬はいたって元気で、鼻と耳を頼りに、お客さんがやってくると飛んで出てくるようだが、心臓に問題があり、他にもいろいろと具合のよろしくないところがある。ここ一週間くらいは、毎日の通院。買い物用に奥さんが使っていたカートに乗せての病院までの往復だ。

今日はナナじいちゃん弁当の日だが、帰りが遅くなるとの電話が入った。午後6時過ぎ、もう辺りは暗くなってきている。ナナじいちゃんまだまだ健脚だとはいえ、少し心配になってしまう。おまけにナナちゃんは最近エリザベスカラーを着けている。狭いカートでお行儀よくしているだろうか……。

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30分後、電話が鳴ったのでKapparが届けた本日のナナじいちゃん弁当。

一旦帰ってきたが、佐助用のカートを貸してあげようと、また出かけた。

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これは、4日前のナナちゃん弁当。

誰かを気に掛けつづける、ということは心の健康にはとてもいいことだと思う。まさに“情けは人の為ならず”。それぞれがそれぞれを気に掛けることで、それぞれ生き生きと暮らせますように……。

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佐助もゆったりと、バタバタ出入りするKapparを見つめていた。

              by Kakky

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嘘から出た実(マコト)

誤解されていることが多いような気がする言葉である。嘘の中から実が浮かび上がってくる、という意味では本来はないはずである。嘘がいつの間にやら実になってしまう、という解釈の方が本来のもののような気がする。

歴史には真実はほとんどない、と僕が思っているのは、まさに“嘘から出た実”の偉大なる堆積物が歴史だからだ。常に為政者が書き、勝者が自らの正当性を示すために語る、その物語を、それがいかにもありそうなものに創り上げられているがゆえに、ありうることと信じて飲み込み、それを歴史的事実と思い込んでいく。そして、それらの事実に整合性を持たせ、あるいは辻褄合わせをして物語として展開されたものを歴史と認識する。

しかし本当は、歴史的事実は常にその最後に「~~と、○○は語っている」という言葉が付加されるべきものであり、「……と語っている人たちもいる。それは‥‥」という注釈も付くべきものである。と、僕は思う。

誰かがある意図を持って(多くの場合、自らに利するように)語られたことに、他者が(特に、一見公平無私に見える人が)「さもありなん」と納得する姿勢を示せば、たちまち語られたこと(嘘でさえ)の一つひとつは、事実と化していく。

そんなことが僕の周辺でも繰り返され、いくつかのこと(特にうまくいかなかったこと、うまくいかなくなってしまったこと)に関しては、「あいつのせいだ!」ということになっているらしい。

そのすべてとは言えないが、少なくともほとんどは“全く心当たりのないこと”が論拠になっている。つまり、“嘘から出た実”なのだ。

しかし、“実”になってしまっていることを「あれは嘘だ!」とあげつらってみても、「あいつのせいだ!」を裏書きすることにはなっても、不名誉を雪ぐことにはならないと考えた方がいい、と思って諦めている。“実”よりも“嘘から出た実”の方が、不思議なことに、出自が怪しいからこそ、より“実”らしく練り上げられ、“実”らしい顔つきになっているものだからだ。

そんなことは、忘れるのが一番なのだが、

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穏やかに寝ていても、

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ひょんなことから、あるいは小さな刺激から、「ん??!」と思い出してしまうことがある。佐助のように淡々と見つめ、すぐに忘れ去ってしまうこともできない。困ったものだ。

 *昭和少年漂流記“とっちゃんの宵山”、更新しました。第10回です。

              by Kakky

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世が世なら…

左半身が不自由であることを悲しいと思ったことはない。脳出血も、言わば自分のせい。人を呪わば穴二つ、の言葉通り、脳出血を呪いその後遺症を悔やむということは、自らを呪い自らの過去を悔いることに他ならない。起きちまったものはしょうがねえ、と考えるべきことだ。

が、それでもごくまれに“ああ、左手が使えればなあ”と思うことがある。一つは、佐助を両手で撫で、両手で抱き上げること。もう一つが、料理をすること。大学入学前から入学後の秋まで、中華料理屋に住み込んでいた時、いくつか覚えた中華料理、料理上手だったお袋から盗んだいくつかの料理、学生の頃考えた簡単レシピなどを、作りたくなること。

後者は、Kapparが忙しい時や友人の来訪がある時などに、特にむずむずとしてしまう。何度かチャレンジもしてみたが、なかなか危険で、何よりも時間がかかった。どうも“食べる専門”は性に合わないのだが、“世が世なら”と思いつつ諦めている。

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などと眺めているうちに出来上がった今日の“ナナじいちゃん弁当”。料理が全くできないというナナじいちゃんも、“食べる専門”はどうも心苦しいようだ。健全な感覚なのだろうが……。

              by Kakky

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ん?変わった?

今日は、二カ月に一度の診察の日。雨の予報の中、晴れ間を狙ってバスで出かけた。成城学園までは無事。しかし、コルティを出た瞬間、パラパラっときた。強行突破かな、とも思ったが、徒歩6~7分の間に雨が強くなっては大変と、コンビニで傘を買った。

それから100m、いきなり来た!大粒の雨。俄かに風も出てきて、横殴りならぬ後ろ殴り。瞬く間に膝から下がびっしょりになった。やむをえない、焦らず行こう、と決めたら、2分程度で雨は弱くなった。雷様に、その覚悟やよし、とでも思ってもらえたのだろうか。

濡れて足にまとわりつくパンツ。足元はサンダルだから影響なし。幸い上半身はほとんど濡れていない。まあまあラッキーだったとすべきだろう。入口で元気よく挨拶をして中へ。

すると、なんと受付ができている。しかも、そこに立つのは、あのソフトバンクのペッパー君?こんな所まで進出?

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IoT、AIと、先端技術は次のステージへと向かっているが、実用レベルのロボットが既にサービス体系を変えつつあるのか?前に立ってみたり、彼の反応を見たり聞いたりしてみたが、印象としてはマダマダな感じだった。

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変わっていないのは、ナナじいちゃん弁当。4日前、手の怪我がよくなってきたKapparの手になる弁当は、また少し手が込んできていた。

              by Kakky

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禍転じて福となす

5~6年前にiPadを手放して購入した東芝のタブレット。ノートパソコンの保管機として、あるいは帰省時の持ち歩き用として使用していたが、使用機会が少なすぎるので、先日来“電子ブックリーダー”としての役割を持たせていた。やや重いのは難点だが、それでも電子ブックを読むのには十分事足りていた。電子ブックと言っても、“青空文庫”という無料のライブラリーを利用するだけ。最新本は手に入らないが、多くの懐かしい名前の著者には会える。ハードもソフトも無料で名著や名著の著者の小品を読めるとは何ともお得な話ではないか、とうれしくなり、受験浪人時代にしか経験したことのないような読書三昧の日々を数日過ごした。いい気分だった。

しかし!好事魔多し!突然タブレット沈黙!ああ、東芝だからねえ、動いていたのも粉飾かい?許すから、頑張れ!と、あれこれ手を尽くすこと2日間。遂に、すべてを拒否して黙りこくってしまった。

そうなると収まらないのが、40数年ぶりに火の付いた読書魂。アンケートの謝礼ポイント等々でチマチマ貯めていたアマゾンのポイント1万分を奮発することを決意。それでも足りない約4000円の支出を「かくかくしかじかなんだけど、かくかくしきじかの理由でアマゾンのKindle買っていいっすか?」と了解を取り、昨日の夕方発注した。

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さすがスピードのアマゾン。今朝届いた。早速いくつかの全集をダウンロード。読み放題のKindle unlimitedのお試し期間30日も申し込みスタート。禍転じて福と為す、の一日となった。

しかし、日頃からの小さな努力の積み重ね(アマゾン・ポイント)があってこその、災い転じて福と為すであることも実感。またチマチマを続けていかなくては、とも思ったのだった。

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僕がKindleにかかりっきりだったからか、Kapparが仕事で忙しく散歩に出る時間が遅くなりそうだからか、佐助が突然地下に下りていき、Kapparの机の下に潜りこんで何やら吠え始めた。な~~に、おやつ少々で上がってきたけどさ。佐助は小さな福でもOKだからいいよね。

              by Kakky

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惜しみなく使う……

有島武郎の“惜しみなく愛は奪う”を読んだ時は、キリスト教者のアンビバレンスばかりが気になった。やがて彼が心中という最期を迎えたのもわかるような気がした。北原白秋が姦通罪で獄につながれるような時代、思い詰めるほど深くアンビバレンスと向き合う精神に安息の地はなかったのかもしれない……。というような陰気な話ではない。

Kapparの“ツキ”の話。

一昨日、ファミマでタバコなどを一気買いしたため、キャンペーンの籤を11回引いた。と、なんと5回も当たりだったらしい。

帰ってきての第一声が「惜しげもなく“ツキ”を使っちゃった~~」だったが、顔はほころんでいた。

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悔しい!!

なぜなら、8回引いて1回も当たらず、レジのおばちゃんに「下手ねえ」と同情され、こっそり追加してくれた3枚を引き、それでやっと1枚の当たりに辿り着いた前歴が僕にはあるから。

ただ残念なのは、Kapparの“ツキ”は細かいところに発揮される、いじましい種類のもののようで、宝くじなどには今のところ通用していない。…本当に残念……

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佐助も“ツキ”には縁がなさそうだしなあ……

              by Kakky

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未必の故意?

昨日、ナナじいちゃんの元へ弁当を届けたKappar。こんなことを言って帰ってきた。

「今日からしばらく簡単なものになっちゃいます。ごめんなさいね。理由はこれです」

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三日前の朝、佐助と散歩中のこと。鳩を見つけて走り出した佐助。鳩は飛び立つこともなく、トトトと走って逃げる(舐められているのか…)。Kapparは、リードを引っ張られながらも、慣れた手つきでコントロールをしていた。と、鳩が走る向きを急に変えた。佐助もクイッと曲がった。自ずからKapparも向きを変えることになる。とたんに手に衝撃が走った。鉄柱があったのだ。おまけに激突したのは角。血を滲ませながら帰ってきて包帯を巻いていたが、その夜から痛みがひどくなってきた。

「骨折してるかも。ほら、こんなに青痣が広がってきてるし、指も腫れてきてるから。病院行ってくるね」

折しも台風上陸近しの朝。雨の中をタクシーを呼んで久我山病院へ行ってきた。診断の結果は、「まだはっきりとはしないんで、金曜日にもう一度来てください。その時には、骨折かヒビかそうではないのか、はっきりしますから」とのこと。奥の細い骨がやられている場合は、すぐには判断できないこともあるらしい。

かくして、二人ともほとんど右手しか使えない、という状況になった。がための“しばらく簡単な料理”という事態。

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そして今日は、友人のクローバーさんのお引越し。片手でもお手伝いできるから、とKapparはお手伝いに行った。台風一過、少し秋めいてきた空気に、佐助はテーブルの下でひっそり。Kapparに、自分の未必の故意による負傷を与えてしまったことなど知る由もなさそうだった。

              by Kakky

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