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野分

風は見えない。風に揺らぐものを目にするか感じるかによって、風の存在は知ることになる。頬に感じるそよ風も揺らめく産毛のおかげ。直接には認識できないものを他のものの動きや反応によって認識しているケースは意外と多く、風などは身近な代表のように思う。

人によって認識力に差ができるのは、小さな動きや変化を感じ取る力の差であり、それが何によってもたらされた動きや変化なのかを読み解く力の差だと言ってもいいだろう。調査結果や統計が教えてくれる数値による景気やトレンドよりも、暮らしの中で感じる微細な変化から類推する景気判断やトレンド理解の方が、むしろ実感的で正確。その実感を検証し、より説明的なものに仕立て上げていく時に、調査結果や統計は本当に役立つものになる。……台風のことを昔の日本では野分と言っていたことを思い出し、そんなことを考えた。

野原に生い茂る草を掻き分けるように吹き抜けていく強い風。それが台風というものによってもたらされたものという認識は古代の人たちにはなかったはず。二百十日を過ぎる頃、毎年のように野の草を掻き分けて吹き抜ける強風が発生するものと思っていたことだろう。そして、その風は清々しい秋の空気と抜けるような空を連れてくるのだから、多少うの被害があってもやむを得ない。吹き抜けてくれるのを待とうじゃないか、と思っていたはずだ。

Photo

同じ心境というより、なんだか不気味だから隠れていよう、という佐助。雨風が落ち着いても不安は消えないらしく、ひたすらKapparにつきまとっている。

0822

こんな日は買い物に行くのも大変だと思われる“ナナじいちゃん”。大丈夫!Kapparが弁当を届けますよ~~。

              by Kakky

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