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音は開いた窓の方角から聞こえてくる

いやはや大変な状況になっている。

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お隣の家の解体が終わり基礎工事が始まったかと思うと、お向かいの家の解体がスタートした。連日、なかなかの音量だ。

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そして、改めて思った。「音は開いた窓の方角から聞こえてくるんだなあ」と。音源の方角は、意外と正確にはわからないものなのだ。

考えてみると、どこから入ってきたかによって、情報の価値や真偽が問われることが多い。音源を確かめるのと同様、それがどこから聞こえてくるものなのか、を知ることも情報の精度を高めるためには必要なことだ。一か所だけしか窓が開いていないと、いつも、なんでも、そこからしか聞こえてこないことになり、きっと偏った社会認識になっていくんだろうなあ。

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佐助は、「関係ない音」と思っているらしく、いたって平静だった。が、解体の音量が大きい時、試しにオヤツを一粒床に落としてみたら、素早く反応した。佐助のアンテナは、実に都合よくできている。

              by Kakky

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おもてなし~~,の土曜日

土曜日(一昨日)、仲良しワン友のT夫婦と2頭のワンちゃんをご招待。誕生日がとても接近しているT夫妻お二人の誕生日祝いをした。

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さあ、スタート!と、一枚写真を撮ったきり。

飲む、喋る、食べる、そして飲む、で忙しく、この後出てきた料理の写真は撮れていない。

おまけに、4時間後には、居眠りをしてしまい、Kappar手作りのケーキにもありつけなかった。今日のお昼ご飯代わりに食べたけど……。

少しずつ残っているご馳走を肴に、今夜も名残を楽しむことにしよう。

           by Kakky

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失恋を癒すことができるのは新しい恋!?

東芝の白物家電部隊を中国の電機メーカーが買収した。GEの一部門も同じく中国のメーカーに買い取られた。パクリもんやパチもんで顰蹙を買うよりも、買い取りもんで勝負した方がいいに決まっているが、これは、買取ブランド戦略でもある。日本家電が買い取られていくのを嘆く人も多いが、かつての日本も同じようにして世界市場に羽ばたいていった。

「真似して大きくなって、本家に攻め込んできやがって。ったく!自制しろ」とアメリカが怒り、繊維、自動車、鉄鋼等々の輸出自主規制をしながら、その間に技術力を磨いてきたのが、日本企業だから、これからはアメリカがかつて味わった悔しさを感じることになるのは、いわば必然と言ってもいいだろう。アメリカが航空産業を死守しながら、薬品、バイオ、金融等に活路を見出してきたように、日本も日本らしい特性を持った新産業を育て、その中の幹になるものを死守していかなくてはならないのだろう。ロボット産業などは向いているような気もするが、今の立ち位置はどうなのだろうか。

譬えはよくないかもしれないが、“失恋の痛手を治すことができるのは、新しい恋をおいて他にはない”なのだから。

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……そんな譬えでいいのかなあ?……

              by Kakky

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吉祥寺、“夜な夜な”ランチ

今日は、お昼前、Kenちゃんが魚を届けてくれた。新潟の漁師さんから届いた(その経緯は後日)“わらさ”が一本。三枚におろしてある。なんだか豊かな気分だ。

その直後、予定通りKapparとお出かけ。久我山の銀行~吉祥寺というルート。吉祥寺で、Kakkyの麻痺側の膝のサポーターをスポーツショップで購入し、ランチして帰ろう、という計画。

サポーターは試してみて良かったので購入。途中の路地で見つけたお店でランチョンマットを買って、コーヒー休憩。そして、ランチへ。

目的地は、地ビールのブランド“夜な夜な”のレストラン。

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三種飲み比べセットを注文し、飲みながら待った一人前の料理。

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チキングリルのプレート。量が多い!一人前にしておいて正解だった。というわけで、“夜な夜な”ランチをビールと一緒に楽しんで帰ってきた。

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佐助は、玄関を開けてしばらくしてから、やっとお出迎え。すっかり寝ていたようだ。そのおかげか、夕方の散歩は珍しく休憩なしで歩いたらしい。2年前にはよく見ることができていた上のような颯爽と歩く姿を、Kapparは久しぶりに見たということだった。

              by Kakky

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暑さしのぎ

京都の夏は暑かった。エアコンも扇風機もなしによくしのいでいたものだと、今になって思うが、夕方、鴨川べりを目指して数分歩くと、心地よい川風に出会える楽しみは、昼の暑さあってのことだったような気もする。

夜も鴨川べりを、友達とよく歩いた。三条大橋に近づく辺りからは、見事に等間隔に並んで座るカップルの邪魔にならないように気をつけた。時々、男同士で並んで座ってみたりもしたが、話は盛り上がらず、長居できなかった。

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30度を超えた昨日。夕方の散歩で今年初めて見せた佐助の“暑さしのぎ”。まず、土を掘り、そこにお腹を当てる。これは、動物君たち定番の身体の冷やし方。ライオンやカンガルーがやっている映像を見たことがある。

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そして、ひと段落して、顎を投げ出して気が付いたらしい。「ここ、まだ暑いじゃん。もうちょっと掘らなくちゃ」。で、寝そべったまま、ちょこちょこと目の前を掘る。

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「さ、これでよし」。冷たい部分に顎を乗せて“暑さしのぎ”体勢の出来上がり。……長くはもたないのが、ちょっとねえ……

              by Kakky

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南仏テラス、始めました~。

30度になろうかという日曜日。Kappar、久しぶりの週末完全休日二日目。朝の散歩から帰ってきたKapparと佐助を、裏公園まで迎えに行った。とっても久しぶりのことだった。

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公園に着くと、遠くで見つけた佐助が走り寄ってきた。6~7頭いたワンちゃんたちに挨拶に行こうと公園の中へ入って行くと、寄り添うようについてきてくれた。

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佐助大好きのジンジャーちゃんにまとわりつかれるのを眺めたりして、帰ってきた。

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そして、お昼過ぎ。Kapparが昨日掃除をして準備しておいてくれた“南仏テラス”オープン! 梅雨が来るまでのお楽しみの始まりだ!

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今日はビールと冷やしうどんだったが、南仏メニューも登場してくることだろう。夏になれば、ミニ・ビアガーデンだぞ~~~。

                by Kakky

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ちっちゃなことだけど……

販促手法としてポイント制度が導入された頃は、賛否両論あった。商品原価が下がるわけではないので、ポイント還元分の負担はメーカーや店舗が負うか、見えないところで消費者が負うことになるのか、という基本的なことから、ポイントの死蔵率をどれくらいと推測すればいいのか、消費者は値引きとポイントのどちらにメリットを感じるのか、ポイント制度は本当に顧客の囲い込みにつながるのか、といった疑問や課題まで、いろいろと議論された。

が、競合がやるから我が社もやらねば、という“みんなが乗るバスに乗り遅れてはならない”といった意識からポイント制度は広まっていった。

そして、一気に広まっていく時の常だが、ポイント制度がバラバラと乱立したために、ポイントのメリットが一時的に減退することになった。そうして生まれてきたのが、様々なポイントを統合する統一型ポイントへのニーズ。大手流通チェーンやクレジット企業を中心にして様々な統一ポイントが生まれ、今や“ポイント制度戦国時代”だとも言える。楽天ポイントとTポイントが一歩リードしている感もあるが、メリット訴求のために“ポイント○○倍キャンペーン”でしのぎを削り合う状況は変わらない。

ただ、ポイントが○○倍というのには裏があって、余分に獲得できるポイントの多くは“期間限定ポイント”。一定期間を越えると失効するというものだから、たいしたメリットはない。

しかし、そこはうまく立ち回り、期間限定ポイントを巧みに貯め込み、失効前に使い切るという手段で“ちっちゃな楽しみ”を得ている。

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たとえば、この“ゆで卵メーカー”のような、わざわざ買うのには抵抗がある“便利かもしれない”アイデア商品などは、絶好の期間限定ポイントのターゲット。約900円だから、ポイントセールで貯める期間限定ポイントにぴったりだった。幸いにして、「意外と便利だよ~~」とお褒めの言葉までいただいた。よかった、よかった。

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小さなことでもうれしくなると、寝転んじゃいます~~~。

                by Kakky

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綺麗事で生きる難しさ

30歳の時、一人だけの会社を作ろうとしていた時、あるVANの先輩が、借りたばかりのワンルームを訪ねてきた。どんな会社にしていくのか、社名は決まったのか、当面の収入はどうするのか、と訊かれた。仕事に関わった人すべてが受益者となるような会社にしていきたい。当面は、一社契約しているのでなんとかなる。基本的に、大きくお金を稼ぐことが目標ではない。などと答えた。本気でそう思っていた。

「甘いなあ。綺麗事では会社はやっていけないぞ。すぐ倒産するぞ」と有り難い忠告を受けた。「綺麗事で生きていきたいので、綺麗事でやれるギリギリまで頑張ります」と答えた。

それから、実に多くの仕事をした。一見綺麗に見える話や組織にまつわる金と、それに動く人や会社もたくさん見てきた。「売上の○○%を渡してくれれば、年間最低1億円の仕事を約束する」と言ってきた人もいた。「今すぐ○○万渡してくれれば、発注先は君の会社に決めるけど…」といったような話も何度かあった。すべて丁重にお断りした。裏取引でつながる話は、裏取引で壊れる。長続きするものとはならない。という信念があった。

ところが、裏があると考える人の方が世の中には多いらしく、一見綺麗事でやっているように見えるが、それほどうまく立ち回っているのに違いない、と思われていることに気付くことも多かった。自分の会社のスタッフの中にさえ、きっとうまく自分の懐にお金を入れているに違いない……、といった疑心暗鬼の目で見る者がいた。綺麗事で生きていたいと思い、そうしていることがかえって汚いと思われる理由になっていることに気付かされ、とことん嫌になった。が、挫けないようにした。汚れた水に慣れて大量に飲めるようになるよりも、量は少なくても貴重な綺麗な水を少しずつ大切に飲み続けていたい。と思った。

が、大変だった。小刻みにたくさんの嫌な思いもした。でも、“人を呪わば穴二つ”。忘れるようにしている。

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陽もあれば陰もありまっせ。陰は嫌なものではなく、ひんやりとして気持いいものでっせ。佐助はそう思ってるのかなあ。

              by Kakky

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努力と苦労あってこその、○○年の付き合い

思い出は“線”ではなく、“点”だ。あの頃は楽しかった、などと言ったところで、輝くような瞬間があってこその“楽しいあの頃”。多少の嫌なことや痛いことは、一瞬の強い輝きに色褪せてしまい、思い出に残りさえしないこともある。

ランナーズハイのように、苦しい時などは自分を騙し心地よくする物質を生産するくらい、脳は嫌な思いをするのが大嫌いだから、概ね幸せな気分で暮らすことができるように、人はできている。

気を付けなくてはいけないのは、“幸せボケ”や“平和ボケ”。元々忘れやすくできている“苦労”や“危険”は、意識しておかなければ予知能力や対応能力を失ってしまう。下手をすれば“あって当然のもの”だと錯覚してしまいがちでさえある。板子一枚下は荒波かもしれないのに、である。

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*佐助がやってきて2か月の頃。気を許してくれるようになったんだなあ、と思った光景

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*その頃、佐助がいるので一階に降りてこなかった先住猫チビ。様子を見に二階に上がったところ、膝にしがみついてきた。一階で佐助とのんびりできるようになったのは、この頃から約4か月後のことだった。

こんな平和な光景も、ここに至るまでの努力と苦労がお互いにあってこそのこと。そのことを忘れないようにしたい。

               Kakky

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松江からの頂き物

4月の終わり、松江に高校1年生の時の担任、岡野先生を訪ねた。昨年末、訃報を耳にしていたのだが、高校時代一番好きだった先生で、高校時代、お酒をご馳走になったことがあり、その際には奥様にもお会いしていたこともあり、ご仏前で不義理をお詫びせねばと、松江在住の同級生二人のお世話になりながら訪ねた。

遺影を前にして少しほろりとしたが、思い出話で楽しく過ごさせていただいた。何よりも、奥様にとても喜んでいただけたのが幸いだった。

おまけに!昨日、出雲のお酒が二本届いた。

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“利休”は、岡野先生が愛飲されていたお酒。“おろち”は、僕の好みに合わせていただいた辛口のお酒。早速、“利休”をいただいた。おいしいお酒だった。

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翌朝、なんだかうらめしそうな佐助。おいしいことに参加できなかったからではないとは思うが……。

              by Kakky

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本日も

休業なりぃ

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by sasuke

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どこにでも、なんにでもある“裏事情”

裏事情ってやつは面倒なもの。時には力ずく、時には情がらみ、時には金がらみで出来上がっており、それが理不尽なものであってもいかんともし難いことがほとんどだ。

最近では、パナマ文書しかり、オリンピックの贈収賄事件しかり、である。特に後者の場合、ことが電通がらみなので、報道されることすらない。海外ではすでにDENTUという名が報じられているのだが、何しろ広告費で成り立っているのがマスコミ。“出稿量を減らすぞ”という暗黙の脅しをいつも受けているDENTUのことを報じることができるわけがない。

最初のエンブレムのデザインにも裏で大きく関わっていた電通。政財界でオリンピックに関わっている人物は全員、“電通だったら何かあっても押さえてくれる”という安心感を持ってオリンピックの仕事に携わっていることだろう。

しかし、力を頼りにすれば力に傷つけられることもある。抹殺されることさえある。現在は、肉体的な抹殺ではなく社会的な抹殺であれば、情報や噂の誘導によってたやすくできてしまう。おそろしいことだが、力に依存する気がなければ無縁でいることもできる。日本ではまだまだ叩くのは虎まで。蠅まで叩かれる危険性はないからだ。

いつか、裏事情を証言する人は出てくるのだろうが、その時はきっと脚色されていることになるんだろうなあ。

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テーブルの“下事情”はシンプルだ。何かおいしいものは?という一点に関心は絞られている。

                     Kakky

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隻手音声(せきしゅおんじょう)

僕の親父は禅寺で育てられ、大学を出ると禅寺を継ぐことになっていた。しかし、大学生の頃は英語に興味を抱き、得意科目は英語だったらしい。そのおかげで、戦後、進駐軍に雇われたり、英語の教師になったりと、英語を生業とすることができた。

が、大学は仏教系。禅修行や仏典研究は必須だったようで、時々家でも座禅を組む習慣が残っていた。僕も、高校1年の時、座禅の組み方を教えてもらい、気が向くと組んでいた。なかなかいいものだと思った。

ただ、時々会話が禅問答のようになることがあるのには困った。その中に本格的な禅問答があったことに気付いたのは、随分後になってからのことだ。

それが“隻手音声”。“片手の音とは?”とでもいうようなことだが、質問はこんな形をとっていた。

「洋一。拍手すると音が出るよな。あれは、右手から出てる音か?それとも左手から出てる音なのか?」

中学生の時だった。まともに受け止め、考えた。「両方から」と答えたら、「どちらから出てるんだ?って聞いたことへの答えにはなってないぞ。でも、まあいいだろう。じゃ、片手でも音は出るのか?」ときた。それからのやり取りは覚えていない。

何かもっと深く考えないとダメだ。経験も必要だ。理屈よりも感じることだ。といったような意味のことを言われたような気がする。面倒くさいとは思わなかった。こんな話、時々したいなあ、と思った。浮世離れした話ではあるが……。

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「そんなことより、ちょっと休んでいきましょうや」というスタンスも大好きだけど……。

              by Kakky

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異種間でも大丈夫な、いいお付き合い

わずか半年で、先住猫チビとの折り合いをつけた佐助。自己主張を抑え、無理に近寄らず、適度な距離を保つことがチビとの付き合い方のコツだと、意外と早く気付き、きちんと実践した結果だったように見えた。僕にはなかなかできることではないなあ、と思った。

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こんな風に寄り添うのが、動物君たちの姿。気にしつつ、踏み込み過ぎず、お互いの自主性を大切にしながらのお付き合い。学ばなければ……。今さら、ではあるが……。

                     Kakky

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どうもなんかね

今日はKakkyの友人がやっている「いしはら療術研究所」なるところに行ってきた。
Kakkyは随分前からお世話になっているが、アタクシは初。

病気ではないけれど、不調‥という西洋医学的な分野ではいまいち曖昧な症状を改善してくれるというのである。
実は少し前から微妙な変調がありまして、「疲れがたまっているのね」「年齢的に体力が落ちても仕方ないかしらん」、「あとは気力でカバーじゃ!」でいたところ、その気力さえもおぼつかなくなってきたのであります。
Kakkyは施術後は体が楽になるというので、アタクシも重たい腰を上げたというわけ。
まだよくわからないけれど、少し通ってみようと思っとります。
健康診断では、血液検査⇒問題なし。血圧⇒問題なし。尿検査⇒問題なし。心電図⇒問題なし。とまあ、すこぶる健康体のはずなんですけどね。


そうそう、この方も先日の健康診断では、「全く問題なし」。
だけど、道行くおばさま方に「もうシニアなの?」としょっちゅう尋ねられております。
やる気のない歩みと、どこにでも横になってくつろいでしまうのでね。
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by kappar

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時間がもったいない……って?

小学校6年間を五つの学校で過ごした。どの学校にもそれぞれ思い出がある。ほとんどがいい思い出だ。

中学校、高校は幸いにしてそれぞれ一つの学校だった。同じ友達と3年間を過ごすのは、初めてだった。それだけでも十分に楽しいことだった。

そして、57歳直前に脳出血を発症し、9年半が過ぎた。暮らしに大きな変化のない9年半だった。が、9年半も何をしていたのだろう、とは思わない。嗚呼、あの時間がもったいない、とも思わない。

子供の頃に受けた刺激とそこから得たもの、少年の頃に受けた刺激とそこから得たもの、と、57歳にして受けた刺激とそこから得たものは、比べるべくもない。淡々と同じことを繰り返す日々から得たものが、変化に富んだ日々から得るものより貴重な場合もある、ということを学んだ。少し心の容量が大きくなったような気もする。

時間がもったいない、なんてことはないんだと、ある日思った。時間はその時間の中にいる人にとって、その人なりの価値が必ずあるものだと気付いた。他人にその価値を査定する権利も資格もない。人は、意外と無駄なことはしていないのだ。

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飽きることなく辺りの匂いを嗅ぎまくる佐助。誰かからのお手紙、誰かの落とし物、美味しい僥倖……といった何かを求めているわけではない。ただただ嗅ぎたいだけ。外に出かけて嗅ぎまわることが安心の礎になっている。変わらないことが好きで、変わらないことの確認に時間を使い、安心を得て日常が終わる。

人間も同じような日常を過ごしているのだが、淡々としていればこそ異常な変化の兆しを感じる嗅覚が必要なことには、意外と気付いていない。変化や刺激だけが五感を磨くわけでもないのに……。

              by Kakky

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同一行動の明と暗?

人を理解することと動物を理解することに大きな差はない。理解するということは、目にした行動や耳にした行動からどれだけ深く的確に、対象の心理を読み取るか、ということでもある。対象が人か動物かによって違いがあるとすれば、言葉で確認できるか否かくらい。それにしたところで、人は嘘をつくことができるので、確かなものではない。理解し合えている、などと思っていても、思い込みか幻想にしか過ぎないことが多いと考えた方がいい。

一方、嘘のつけない動物君たちは、言葉での確認はできないが、その分、行動がシンプルでわかりやすい上に表情筋が発達していないので表情が乏しく、目や耳で理解できる可能性は人が対象である場合よりもたやすいような気がする。もちろん、理解しようという熱意と観察眼は必要だが、それは対象が人であっても同じことだ。

佐助の、同じようなことをしていても、そこに流れている心理がまるで異なる二つの姿。

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“喜び”のしがみつき。*Kakkyが帰ってきたから

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“怯え”のしがみつき。*雷の予感があったから

前者は攻撃と誤解されることがあり、後者は甘えと誤解されることもあるかもしれない。我々も佐助と暮らし始めた当初は、誤解ばかりしていたんだなあ、と今では思えるが、そう気づくまでは、佐助に苛立つことも多かった。悪いことしたなあ、と思っている。

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明暗くっきりになってきたこの頃。佐助も明るい場所を求めるようになってきている。幸せホルモン、セロトニン作りに太陽の光は欠かせない。

              by Kakky

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夏は来ぬ!?

昨日Eちゃんの相談を受けながら飲んでいたら、晩御飯を作りながらKapparも加わり、気付くと11時になっていた。楽しかった。

そして今日は真夏日。暑くなるのは嫌ではないが、何しろ5月になったばかり。また気温が下がる日が、きっとある。それが困りものだ。麻痺痛がやってくるからだ。

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でも、気分はすっかり夏。お気に入りの“ビーンズTシャツ”も登場

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佐助は、やる気なし。まったりとした日々の到来だ。

              by Kakky

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いひっひっ

今日も“へそ天”したったぜhappy02

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by 佐助

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3日は決まり!じゃ、明日は……?

“人生50年……”という謡曲「敦盛」の一節は、織田信長がよく謡い舞っていたことで有名だが、その時代の日本人の平均寿命が50年だったわけではない。日本人の平均寿命が50歳を超えたのは、戦後になってから。乳幼児の死亡率が高いと平均寿命は短くならざるを得ないので、終戦とともに急激に乳幼児の死亡率が減っていったことが貢献しているものと考えられる。ただ、平均寿命は“これからの人生の期間”を考えるのに向いているものではない。これから何年生きることができるのだろう、という目安にするのであれば、むしろ“平均余命”の方が向いている。例えば、現在66歳の僕の平均余命は、約19年。なかなか長い時間が残されていることになる。さあ、これから何をしようか。と考え、実行していくのに十分な時間だ。平均すると、の話ではあるが……。

楽しむ時間も十分にある。昨晩、親友Eちゃんと“今とこれから”について楽しく話し、飲んで午前0時頃帰ってきたKapparによると、Eちゃんが「Kakkyに話があるから3日に行くよ」と言っていたとのこと。おやまあ、これで3日も飲めるではないか、楽しいではないか。……明日2日は何しようかな?買い物かな?もちろん、これからの19年間を考えながらだけど、ね。

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先のことなど考えてどうする?というのは佐助。散歩途中で、ゴロリンするのはもう日課。なのだが、今日はKapparが「まさか??!」と覗き込むと、なんとそのまま寝ていたそうだ。その証拠写真がこれ。“どこでも居間”男の面目躍如、だとはいえ……。いやはや……。

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              by Kakky

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