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途切れ、つながる過去

昨夜は、45年来の友人から送られてきた焼肉セットを20年来の友人夫婦と楽しんだ。10月には、高校の同窓会を東京で開催。数多くの懐かしい顔に50年ぶりに会うことができた。60代も後半に入って、こうして過去とつながっていられることの有り難さと幸せを実感した2015年の終わりだが、悲しい知らせもあった。

同窓会の準備をしていた7月に届いたのは、同級生石田君の死。真面目で温厚で、頑固な男だった。会ってみたかった。12月に入って届いたのが高校時代の恩師の死。僕の本がお手元に届くのも少し遅かった。残念だった。

そして、クリスマスの翌日には、うれしいと同時に気になる知らせも入った。京都で新聞配達をしていた浪人時代、ほぼ同時に仲間になった初鹿野君夫婦。鳥取県庁前で喫茶店の店主になっていると聞いてから40年になる。住所がわかったので本を送ったところ、奥さんから電話が入ったのだ。二人が付き合い始めたころからよく知っていて、頻繁にお酒を一緒に飲んだ仲。懐かしかった。彼女もうれしそうで、声は弾み明るかった。しかし、彼の声は聞くことができなかった。7年前に難病を患い、現在はほとんど病院のベッドの上だという。「9年から10年くらいって言われてるのよ~~」と聞かされた。彼女の関西弁は終始明るかったが、僕には言葉が見つからなかった。が、「遊びに来てよ~~」と何度も言われ、「行くよ、必ず。飲もうね~~。でも、決めたら連絡するから、彼が嫌ではないか、確認してね」と約束した。今は、来年春までの目標にしている。

今は過去という積み重ねられた紙束の一番上の一枚に過ぎない。黄ばんでかすれていきがちな過去の一枚一枚との触れ合いを大事にしなくては、と改めて思い知らされた年の瀬だった。みなさん、良いお年を~~~。

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この頃は途切れてしまいそうだった過去でした(by佐助)

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今はつながっています(by佐助)

*“昭和少年漂流記”に関して

*第二章~第五章に関して:第一章は既に加筆修正を終了し、出版されています(アマゾンや楽天ブックスで購入可能です)が、現在は第二章を大幅に修正中で、後10分の1かな?という状況です。かなりページ数も増え、テーマもはっきりしてきていると思います。

新しい連載も開始するつもりです。が、当分の間、お待ちください。

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今年も届いた!明日、食べるぞ~~!

大阪在住の47年来の友人EBUちゃんから、今年も焼肉セットが届いた。ロース、カルビ、タン、ミノ、ホルモン、センマイ等、すべてがおいしく、量もたっぷり。我々だけではなく、友人のS夫婦にとっても年末の楽しみになっている。みんなの仕事納めに合わせ、明日の夜は焼肉宴会。お酒も少し上質の日本酒を奮発し、準備は万端だ。心の準備はとっくに終わっているため、今夜は身体の準備。肉を口に入れず、湯豆腐などで“焼肉用の身体”に仕立て上げる。もう秒読みは始まっているのだ。

EBUちゃん、いつもいつもありがとう!これからも、ず~~~~~~っと、よろしくね~。

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匂うだろうなあ。佐助、いらつくかなあ。悠然と高みの見物の気分でいてほしいなあ。

*“昭和少年漂流記”に関して

*第二章~第五章に関して:第一章は既に加筆修正を終了し、出版されています(アマゾンや楽天ブックスで購入可能です)が、現在は第二章を大幅に修正中で、後10分の1かな?という状況です。かなりページ数も増え、テーマもはっきりしてきていると思います。

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みんな、“磁石”を持っている

「近寄ってくる人には気を付けなさい!」

田舎の中学生だったころ、親父とお袋に言われた。が、当時の田舎の往来では、近寄ってくる人もいなければ、クルマにさえ滅多に出くわさない。身の安全を思ってくれてのことだろうとは思いつつも、小学校低学年ならいざ知らず、中学生に何故そんなことを言うのか、当時の僕には疑問で、かつちょっと不愉快だった。

しかし、今になって思う。大人になってから気を付けるべきことを言ってくれていたんだ。どうも、人はみんなそれぞれの磁石を持っていて、それぞれある種の人を引き寄せてしまうものらしい、と知った時は、もう遅かった。嫌な思いをさせられたり、具体的に被害を受けた人たちはみんな同じタイプで、近寄ってきた人たちばかり。「来る人は拒まず、去る人は追わず」などとカッコつけている間に、後から利いてくるような傷を負っていたようだ。今さら、近寄ってくる人を選ぶなんてできないが(うれしくなってしまう性質だし……)、Kapparの岡目八目の忠告は聞くようにしなくては……。

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佐助は、“おじさん磁石”を持っていて、そのお陰で命を長らえた。保健所のおじさんが、「こいつ、いい子だなあ」と思い、ボランティアさんに連絡してくれたらしい。2度も処分の期日を超え、命はつながれていったのだ。磁石のお陰だ!!

*“昭和少年漂流記”に関して

*第二章~第五章に関して:第一章は既に加筆修正を終了し、出版されています(アマゾンや楽天ブックスで購入可能です)が、現在は第二章を大幅に修正中で、後10分の1かな?という状況です。かなりページ数も増え、テーマもはっきりしてきていると思います。

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ワクワクの理由の大半は食べ物?

探せば毎日ある、いろいろな“ワクワク”。ぼんやりしていては見つかりにくいかもしれないが、“ワクワク”はあくせく求めるものでもない。日々ちょっとだけ工夫をすればいいものかもしれない。話し合ったり、こっそり調べたり……。そして、一人より二人で……。

そんな時の最も身近で見つけやすい“ワクワク”は、食べ物のような気がする。買う、作る、食べる、というステップそれぞれに“ワクワク”がある上に、食べてしまえば終わるので、また新しい“ワクワク”に向かって行くことができる。“ワクワク”はいつまでも続くものではないことを知り、かといってその事実をはかなむこともなく、連続する様々な“ワクワク”を創り続けることに“ワクワク”できるようになればいいのかもしれない。

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クリスマスの“ワクワク”の真ん中にも、いつも“食”があった。

元々多くは食べられない性質なので、メニューひとつ一つの味や食感を大切にし、セッティングや彩りにも気を使いたい。が、細かくこだわることはしない。楽しくなくなるもんね。家にあるもの、目についたものをひょいと利用して“なんちゃって風”にして面白がる。というわけで、昨日の夜は「クリスマス・イブみたいになったねえ」と乾杯したのでした。

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毎日同じものでも“ワクワク”できるのが、佐助の羨ましいところ。

朝の一番は、“ネシネシ”。容器の内側にヨーグルトを“ねしねし” と塗ったものだが、飽きるなんてことはまるでなく、いつも大切に抱えて舐めている。そばに立ち止まるだけで、慌ててちょっとだけ運び去ろうとするくらいだ。いつも新鮮で、いつもうれしそう……。いいねえ。

 *“昭和少年漂流記”に関して

*第二章~第五章に関して:第一章は既に加筆修正を終了し、出版されています(アマゾンや楽天ブックスで購入可能です)が、現在は第二章を大幅に修正中で、後10分の1かな?という状況です。かなりページ数も増え、テーマもはっきりしてきていると思います。

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習慣化している“正月準備”

都心に出かけることが稀になったせいで、師走やクリスマスの気分を味わう機会がほとんどなくなった。にもかかわらず!ふと気づくと、“正月準備”を気にかけている。今やいつでも買える、正月だって買い物はできる、と知りつつ、ネット通販であれやこれや“正月準備”商品を買ってしまっているのだ。

どちらかと言うと、日用品や食用加工品の在庫がなくなるのは嫌な方だが、それが無駄を生み出すということも意識しているせいか、日頃は家の中が在庫過多になることはなんとか避けることができている。が、どうも暮れ~正月は、別らしい。ハレの日だという意識が強いのだろうか、子供の頃のワクワク感の名残だろうか……。わざわざ年末にやらなくても、買わなくても、ということが多い。中学生の頃はそれが疑問で、「時間なんて人が勝手に区切って単位化しているものだから、それに縛られるのはおかしい」などと言っていたくせに、むしろ今は、縛られる喜び(????)を味わっているようにも思える。習慣化とか日常化ってやつは、恐ろしくもあり、楽しくもあるものなのかなあ……。

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今日は天気が良かったので、“正月準備”の散髪に行った。帰ってくるとすぐ、「ただいま~~のオヤツは?」とお座りする佐助。こういうことの習慣化は、早い!!

*“昭和少年漂流記”に関して

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たっぷり楽しんだ“ジャズ・ライブ”

昨日午後5時半、恵比寿に到着。向かったのは、“アートカフェ・フレンズ”(http://www.artcafefriends.jp/)。ビルの入り口で、誘っていただいたクローバーさんとお友達に遭遇。一緒にB1の店へ。

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まずは、ビールで乾杯。もうご機嫌モード。料理を頼みワインなどを飲んでいると、ピアニストとジャズシンガーの方がテーブルへ。クローバーさんからご紹介を受ける。*お二人の名前は失念。明日にでも改めて……素晴らしい演奏と歌だったので……。

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ジャズシンガーの方は、実は今改めて勉強中のクローバーさんのお師匠さん。というわけで、師弟の写真をパシャ。

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ピアノから始まり、

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ジャズ・ソングへ。クリスマス・ソングも。

バックヤードにカウンターバーがあるので、30分間、僕はそこへ。マスターと話し込みながら、バーボンをロックで3杯(すっかり仲良くなった)。ホールに戻り、最後のクリスマス・ソングを楽しんで出てきた。楽しかった。

そんなに酔ってはいないのに、緩やかな階段を下りたところで転んだ。怒られながらタクシーに乗り込み、帰ってきてから飲み直した。やがて、深夜12時。日が変わった。Kapparの誕生日だ!!…もう一度飲み直した。

そして今日、お昼過ぎ、Kapparは打ち合わせ&ミニ忘年会へ。8時過ぎには、宝くじを買って帰ってくるだろう。僕はちょっと脱力気味だったが、回復!!宝くじ当選後の暮らし方を考えておかなくちゃ~~~。

*“昭和少年漂流記”に関して

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おいしかった千歳烏山、ライブを楽しむ恵比寿

昨晩は、Kapparの“一足早い誕生日食事会”。場所は、千歳烏山の駅から少し離れた郵便局近くにある“38食堂”。フレンチとワインでお祝いをした。おいしかった。

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こんな風に待ってた?……わけないな!

佐助は留守番。9時過ぎと意外と早かった帰りにも、Kapparに飛びついてきた。過去、僕に飛びついてきたことは1度だけ。玄関に入る順序なのか、気遣いなのか、それとも……。というわけで、今夜帰ってきたら、順序を変えてみようということになっている。

そう、今夜もお出かけ。向かうは恵比寿。友人クローバーさんのお誘いを受け、“クリスマス・ジャズ。ライブ”に行ってくるのだ。場所は“アート・カフェ・フレンズ”。楽しみだ。

*“昭和少年漂流記”に関して

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ピッカピカの年の瀬

年末恒例の“キッチン大掃除”。と言っても、いつもお願いしている“GROWING25”(掃除と家事サービス)にきれいにしてもらっただけだが。

“GROWING25”の代表、川那部優希さんは、友人のS夫婦の娘Rちゃんの友人。4年前に紹介された。以来、4年連続、“歳末キッチン大掃除”をお願いしている。元気で明るく、仕事きっちり!換気扇、シンクからキッチンの床まで、ピッカピカにしてくれる。

「きれいだなあ。汚したくないなあ」と料理エネルギーが減退するのでは?と心配していたKapparにその傾向もみられず、今年もピッカピカの年の瀬が迎えられる。

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輝きを取り戻したキッチンと、“GROWING25”の二人。

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3時間半の掃除の間おとなしくソファにいた佐助。終わるとのこのこ出ていき、大好きな「かわいい~~」という言葉をもらい、尻尾ブリブリだった。

*“昭和少年漂流記”に関して

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岡野先生、亡くなる……

益田高校1年生の時の担任だった。数学教師だった。遅刻の多い僕と、教室を目指して競走したことのある先生だった。中間か期末の試験が終わった時、「遊びに来い」と言われてお宅を訪ね、お酒をごちそうしていただいた先生だった。卒業後一度訪ねたきり、ご無沙汰をしていた先生だった。

先日の同窓会の時、「あいつ、どうしてる?」とおっしゃっていたと聞いた。現在は、松江にご夫婦でお住まいだとも聞いた。病に伏せていらっしゃるということだった。

同窓会が終わってしばらく経って、松江から参加していたEさんに電話をした。「費用は後日お渡しするので、アマゾンで僕の本を購入して届けてもらえないだろうか」とお願いした。僕の今をお知らせしたいと思ったからだった。

それから数週間。今朝、同じく松江在住のS君から電話が入った。訃報だった。「昨日、岡野先生が亡くなった」ということだった。Eさんが僕の本を持って訪ねようと電話したところ、「かなり弱っているので、お会いするのは無理だと…」と奥さんから言われていたらしい、ともわかった。

とことん不義理をしてしまった。好きな先生だった。また一人、思い出の人が亡くなってしまった……

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このホームから京都に旅立って48年。思い出は一つひとつ、過去の霞に消えていく。が、だからこそ、残っているものを大切にしなくちゃ!と思った朝だった。

*“昭和少年漂流記”に関して

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森林の宗教の国……

「冬が来たぞ~~」。今朝、散歩から帰って来た時のKapparの第一声だった。4時過ぎに目が覚めてしまい、コタツに潜り込んでいた僕は、切っていたエアコンのスイッチをすぐ入れた。シャッターを上げると、空気がキリリとして見える。日差しは明るく、目に痛いほどだ。「冬だねえ」と、なぜかうれしい。

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午前11時50分。予定通り経堂にある同級生の“療術院”へと出発。まず、バスで高井戸へ。井の頭線高井戸駅のホームに上がると、目の前に東京の冬景色があった。

この景色が12月中旬のものだと思うと、やや違和感はある。しかし、こうしてきちんと冬がやってきてくれるというのは有り難いことだとも思う。

――海外に行った帰り、機上から日本が見えてくると、いつも小さな感動を覚える。「“森と水の国”だなあ。きれいだなあ」と決まって思う。水がある、森がある、様々な生物がいる、その一つひとつと共に生きる。……縄文から営々と続く日本の暮らしの芯にあるものを、感じざるを得ない。アニミズムは古代のものではない、今は現代だから捨て去るべき古臭いものなどと考えるべきものでもない。仏教だってそこから生まれた“森林の宗教”じゃないか。多くの命に囲まれているからこそ、その中での自らの存在の意味と役割を考え抜くという姿勢が生まれたんじゃないか。――

たまたまホームで隣にいた外人さんを横目にしながら、“砂漠の宗教”と“森林の宗教”の違いなどを考えたのだった。それにしても、四季があるって本当にいいもんです。

*“昭和少年漂流記”に関して

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テンションとストレス

“テンションが上がる”という言葉を耳にすると、いつも不思議な気持ちになる。「テンションて、緊張という意味じゃなかったの?」と思うのだ。“ハイ・テンション”と言うと、ゴムに例えれば“ほとんど伸び切った状態”。余力はあまりない。気分が高揚している状態を言うのであれば、エキサイティングくらいでいいんじゃないか、と思うが、日本語的に使用するのには適していないようにも思う。しかし、ストレスという意味に近いテンションという言葉を精神状態にとってプラスのように使うことには、抵抗がある。……のだが、極力使わないようしつつも、時折使っている。こういう妥協はいいんじゃないか、と思いながら。だって、一人で反旗を翻すと、それこそテンション(=ストレス)が高まってしまうから。

昔、Livefordというブランドを立ち上げる仕事をした時のこと。展示発表会に知り合いのメンズショップ10数店舗のオーナーを招待した。その中の一人のベテラン・オーナーと、こんな会話をした。

「柿本さん、時代は変わってきてると思うよ。もう、店先に有名ブラインドを並べればいいって時代じゃないね」

「そうですよね。ブラインドを並べたら、店内見えないですもんねえ」

「そうだよ。お客さん本位でいかないとね。僕なんか20年もやってるから、お客さんが入ってきた時に、わかるからねえ」

「何がですか?」

「この人は買う気だな、とか、この人買う気はないな、とかね。ピ~ンとくるんだよねえ。なんて言うか、プライバシーってやつだねえ」

「そこまでわかっちゃいますか~~」

なんとも危うい会話だが、なんとか自分の口からブラインドやプライバシーという言葉を吐くことなくやり過ごせたのだった。

そうはいかなかったこともあるが、それはまたの機会に……

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Kapparが小田原のお父さんの元へ朝早く出かけた今日。いつものように午後2時頃までは二階のベッドか寝室で一人のどかに過ごすことにしたらしい佐助。降りてくる気配がないので覗きに上がってみると、大あくびで迎えられた。まったく!ノー・テンション、ストレス・フリーの奴だ。いいこっちゃ。

*“昭和少年漂流記”に関して

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読者モデルを“読モ”って?!?!

随分昔、VANが倒産して2年後くらいだったか、繊維系の業界紙の記者だった人から電話が着た。「今、Hot Dog Pressで仕事をしているんだけど、手伝ってもらえないか」ということだった。Popeyeの“VANは学校だった”(?)という特集の評判のよさに、二匹目の泥鰌を狙いたくなったようだった。親しくしていた人だったので、引き受けた。VAN倒産後、その時点で、VAN出身者が起業した会社を100社くらいは知っていたので、その特集化を提案した。いくつかの会社の紹介もした。まあまあの出来上がりだった。

そして、いつの間にやら“プレッピー・ファッション”を提案するページを何号かにわたって編集する仕事を引き受けることになった。制作費が限られていたので、モデルは大学生のバイト。洋服や小物は、あちこちメーカーやショップに連絡をして、僕が借りてきた。カメラマンは、友人の“寺さん”。撮影するコーディネーションにお似合いの場所を想定し、一応ロケハンをしてスケジュールを組み、1日に3~5か所で撮影をした。バイトの大学生モデルは現地待ち合わせという乱暴な段取りだったが、困ったことはほとんどなかった。そして、作り上げた“○○○プレッピー”(例:ジーニング・プレッピー、フォーマル・プレッピーとか……)がある程度の数に達すると、ネタ切れを起こして止めた。雑誌の編集はそんな程度のものなのだ。止めた後に、何人かのバイト大学生から「またモデルの仕事ないですか?」と連絡があった。当然、「あるわけないから、まともなバイトを探しなさい」と答えた。

安上がりな誌面作りに利用するだけの存在を“読モ”などと特別な者らしく呼び、すっかり威光のなくなった“カリスマ”という冠をつける。……企画や編集に割く時間とエネルギーを、そんなことで代替などできるものではない。……雑誌がダメになっていくわけだ……

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道なき道を嗅ぎ分け探し、サクサクと進んでいく嗅覚と度胸がなくてはねえ、佐助。

*“昭和少年漂流記”に関して

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“趣縁”の夜のまたの日?!

“人の縁”の代表的なものとして、地縁・血縁があるが、夢や仕事を求めて田舎を離れた者にとって、地縁・血縁はいきなり希薄なものとなる。家族・親族と土地に縛られていると思いがちだった“人の縁”も、それがなくなってみると、思いの外、心もとなく寂しい。しかし、新たな“人の縁”を築くことはたやすいことではない。そして性急に“人の縁”を築こうとして、怪しい人間関係に取り込まれたりすることも少なくはない。

そこで大事にされがちなのが“社縁”(会社の仲間)だが、正規雇用ではない人や学生にとっては、それも希薄だ。むしろ、音楽、スポーツ、ゲーム、アニメ等々の“ファン同士”でつながる方が、安心・安全で、“人の縁”を築きやすいということになる。随分以前から、僕はそれを、“趣縁”と呼んでいる。三大“人の縁”とは、地縁、血縁、趣縁なのだ。

ライフスタイルが豊かになるにつれ、“趣縁”は多様化してきている。そして、新たな“趣縁”作りのビジネス化や“趣縁”仲間をターゲットとしたビジネスが数多く生まれている。“人が集まる”あるいは“人を集める”キーワードとして、これからも “趣縁”は注目される続けることだろう。

と、ちょっと大げさに振りかぶってみたのも、昨晩はKapparの“ワン友女子会”の夜だったから。犬がつないでくれて広がっていった近隣の女性たちは、言ってみれば“趣縁+地縁”の仲間。しかも真ん中にいるのは可愛い生き物だから、お互いが過剰に踏み込むこともなく、犬をめぐる相談や情報交換がしやすい。コミュニケーションが円滑で心地よいのだ。

誰が幹事というわけでもなく、散歩で出会った時の口伝えで、集まったワン友12名。約3時間半、とても楽しく過ごせたようだ。僕は一人飲みで、寝てしまっていたが……。

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そして今日は、丸一日“コタツの縁”。楽しさも大きいと疲れを残すからねえ。

*“昭和少年漂流記”に関して

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得した気分

とことん苦手なことが三つある。一つ目が、道。近所の仲良しワン友のお宅に届け物を持っていこうとして着かない。いつもとは違う道で帰ってみよう、などと無謀なことを試み、10分の道を30分以上かかった。といったことは、数限りなくある。

二つ目が、人名。クライアントの部課長の名前がどうしても覚えられず、違う名前で呼んでしまったことが何度かある。

そして、三つめは、日付。西暦と和暦が合致しないばかりか、あれはいつ頃だった?という質問に、的確に年月日を答えることができない。手帳を持ち歩く習慣もないので、年末になってほぼ真っ白な手帳を開き、今年は平成何年?と聞き、もう終わりますが……と失笑されたこともよくある。

その苦手な日付に、最近、曜日が加わりつつある。そして、そのお陰で得した気分になることが多い。夕方、土曜日だと思っていた今日が金曜日だとわかると、「やったー!一日得したぞ~~」などと思うのだ。9月中に書き上げたいと思っていた「昭和少年漂流記第二章“とっちゃんの宵山”」の改訂稿が、遅れてしまっている今日この頃だが、曜日間違いと天候異変が心を安らかにしてくれた。

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午後4時の窓からのこの光景に、気温20度。「な~~んだ~~。まだ9月じゃん」と思った時の安らかさ。天は我に味方せり!!の今日だった。原稿も進んだ。後、50枚分くらいかな?k今日もビールがおいしそう~~~。

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「それって、○○の始まり?」と誰かに言われそうだが、いいんだもん、得したんだから。

*“昭和少年漂流記”に関して

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「しっかりしろ!」…ある時、野坂昭如が口にした言葉

僕が脳出血を発症したのは、9年と少し前。約1か月後、初台リハビリテーション病院に入院し、リハビリの日々を過ごした。費用が高いと思われがちだが、4人部屋の一般病室はそうでもない。入院費、食事代、診察費、リハビリ費等々すべて含めて、月額40万円弱(2006年当時)だった。リハビリと診察に通う一人暮らしの男、と考えれば、納得の料金だと思う。高額なのは、個室。お金のある人からはたくさんいただき、一般の人にはリーズナブルに。というメリハリの効いた料金体系だった。

僕は不運にも同室の人に恵まれず、毎夜深夜に悪夢を見て大騒ぎをする人がいたので、夜は2~3時間しか眠れなかったが、それ以外は快適に明るく、リハビリ漬けの生活をすることができた。毎日、冗談を言っては笑っていた。

有名人にもたくさん出くわした。ファンを自認している人に会うと、ちょっと複雑な気分ではあったが、うれしくもあった。そんな一人が野坂昭如だった。ほぼ同時期に退院したので、その後の去就が気になっていたところ、婦人公論に野坂夫人が一文を寄せていると知ったので、買って読んだ。

いい話だった。“いつも飲んだくれている姿しか見たことがないので、今が一番かわいい。歌が好きなのに歌えないことを悔しがっているので、ボイストレーニングをしている(夫人はシャンソン歌手)………”といった仲睦まじく平和な“脳梗塞後の暮らし”が綴られていた。そして、看病と気苦労がたたったのだろうか、夫人は体調を壊し短期入院。そこに見舞いにやってきた野坂昭如。病室のドアを開けるなり、こう言ったそうだ。

「しっかりしろ!」

これには笑った。Kapparと思わず声に出して突っ込んだ。「お前がな!」「お前のせいでこうなったんと違うんか~~い!」。

心の奥底に正義漢の火を燃やし続けていた人だった。可愛げのある人だった。亡くなって残念だが、好き放題をして病に倒れ、夫人と平和な10年を過ごし、85歳。いい人生だったのではなかろうか……。遺作を残して欲しかったとは思うが……。

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佐助も、ただ今リハビリ中。とはいっても、お腹がゆるいだけのこと。ただ、焼き鳥を1本盗み食いしても串をそのまま出してしまうほどの頑強な消化器の持ち主だけに、ちょっと気にかかり、食事を工夫したり、少し減らしてみたりしている。ひどく不満気だが……。

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行動変換スイッチ

“○○目線で”という言葉を目にしたり耳にしたりすると、ほとんどいつも「嘘くさいなあ」と思う。目は心の窓であり、知識や認識の大いなる入り口だ。目は口ほどにものを言い、目に余る行為や目を細めて見てしまう行為に、人の心と意識は大きく揺れ動く。

役割を変えてみよう、とか、攻守所を変えてみよう、などと言われても、両方ともしっかり経験したことがなければ、何処に目を合わせ、何を見逃さないようにして、どう判断していいものか、わかるわけもない。

病気経験もない、非の打ちどころのないほど健康な人間に、“仕事として”介護をしなさい

と言っても、被介護者の心や体を理解することは容易ではなく、それが様々な場面で不都合を生むことになる。少し体に不都合が起き始めている人間の方が、介護者としては、本来は適任だと思う。

仕事を辞めて老母や老父の介護にすべてを捧げ、やがて行き詰なってしまう話が後を絶たない。なかなか解決策の方向性さえ見当たらない。そこで、一つの考え方として、介護者である娘や息子がその施設で働くことを条件に、被介護者である老母や老父を施設に優先的に入れてあげるなどということはできないのだろうか。もちろん、施設の絶対数不足の問題や年齢制限を設ける必要があるといった問題はある。が、対症療法的にバタバタするよりも、一つの方策としてビジョンを立て、そこに向かって行くためのロードマップをきちんと策定すれば、実現不能とも言えない方法だと思うのだが……。介護する人のささやかな収入源にもできるし……。労働者から介護者への行動変換スイッチは、ONにしてしまうとなかなかOFFにできず、求められる意識の変換と起きてしまわざるを得ない環境の変換は、辛く苦しいことだらけのものだからなあ……。

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佐助の行動変換スイッチのON/OFFは、目でわかる。変換の方向が“いいことしかない(食う、遊ぶ)”から、輝いている。介護する人される人の目がこんなに輝くようになれればいいんだけどなあ……。

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“からたち日記”~“いつも二人は”

ある歌が毎日のように頭に浮かび、時には自然と口ずさんでいる。という状態になることが、時折ある。脳出血発症後一か月、初台リハビリテーション病院に入院した翌朝、朝の光に明るい窓を目にした時浮かんだのは、ルイ・アームストロングの“What A Wonderful World”だった。清々しく、心地よかった。

小学校低学年の頃、浮かんでくるメロディーと歌詞は三橋美智也のものが多かった。当時住んでいた山間の農村の風景とよく合っていたからかもしれない。

小学校5年生の時住んでいた鎌手というところは海が近く、楽しい夏休みを過ごした。同級生に駅長の娘がいて、よく一緒に遊んだ。そんな環境だったからだろうか、友達と遊んでいる時には小林旭の歌などを歌っているのだが、暮れなずむ頃に一人になると、ふっと浮かんでくる歌は違っていた。そのかわいらしい歌が、僕はとても好きだった。それが、島倉千代子の“からたち日記”だった。

1年後に5回目の転校。横田というところに移り、翌年中学生になった。その春、突然初恋に落ちた。一目惚れだった。そして、頭に浮かんでくる歌が変わった。それがまた島倉千代子。“二人はいつも”という曲だった。“送って行って、送られて、そのまた帰りを送って行って、たそがれた町”という最後のパートなどは、仲の良いカップルのほのぼのとした姿が浮かび、歌いながら微笑んだりする時もあった。

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Kapparが最近頭に浮かんで困っているというのが、“いすゞのトラック”のCMソング。朝起きた瞬間に浮かんでくると、「なんで~~~」と思うらしい。何しろ“走れ、走れ!いすゞのトラック”だもの。

そして、一日中走っているせいか、夜になると、意外と早い時間に佐助と一緒に“充電切れ”状態になることもしばしばだ。睡眠でフル充電してきっかり1日(凡そ16時間)。実にわかりやすい。

*“昭和少年漂流記”に関して

*第二章~第五章に関して:第一章は既に加筆修正を終了し、出版されています(アマゾンや楽天ブックスで購入可能です)が、現在は第二章を大幅に修正中で、後6分の1かな?という状況です。かなりページ数も増え、テーマもはっきりしてきていると思います。

新しい連載も開始するつもりです。が、当分の間、お待ちください。

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それぞれの居場所

約40年前東京に住むようになって驚いたことの一つが、冬はほとんど晴れていて暖かいことだった。生まれ育った山陰の冬は、雲が重く垂れ込めている日がほとんど。学生時代の京都は比較的晴れている日が多いとはいえ、“比叡おろし”が冷たく、晴天の恵みを感じることは少なかった。そして、風邪やインフルエンザの大敵は、寒さよりも乾燥だということを知ったのも、東京に来てからだった。“加湿”という概念さえなかったような気がする。

今年の冬は、10月末から2週間風邪に苦しんだ上に、僕が回復した直後にKapparが風邪を引いたということもあり、加湿にきちんと気を使うことにした。

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主役は2年前に購入したこいつ。ただお湯を沸かし、湯気を放出するというシンプルなもの。加わったのは後ろにあるちっちゃな扇風機。結露を防ぎ、湯気を遠くまで運ぶためのもの。usb電源のものだから、夏にはパーソナル扇風機として働いてくれることだろう。……それまで壊れなければ、の話だが……

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で、こいつが、新参者のミニ加湿器。水を入れたペットボトルの蓋に装着するだけのものだが、意外と使えそうだ。Kapparのパソコン脇で、ただただKapparを潤すことになっている。そして、明日には小型の寝室用が到着予定だ。さあ、これで万全かな?いつでもかかってきなさ~~い!

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家の中の物それぞれが適切な居場所に収まると、暮らしは快適になるものだが、佐助はいつも収まりがよくないらしい。クッションにとび乗り、エイ、エイといい具合に整えようとするのだが、いつも“何か変わった?”と言いたくなるほど、大したこともなく、最後はエイヤと横になるだけ。形よりも気持ち、なんだろうね。

*“昭和少年漂流記”に関して

*第二章~第五章に関して:第一章は既に加筆修正を終了し、出版されています(アマゾンや楽天ブックスで購入可能です)が、現在は第二章を大幅に修正中で、後6分の1かな?という状況です。かなりページ数も増え、テーマもはっきりしてきていると思います。

新しい連載も開始するつもりです。が、当分の間、お待ちください。

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テレビ東京、フジテレビを抜く!

11月の最終週、ゴールデンタイム(!)の週間視聴率でテレビ東京がフジテレビを抜いたそうだ。当然だ。テレビ東京の番組の方がはるかにおもしろく、かつためになる。ここ数年、地上波を視聴する時は、見たいと思う番組を予約録画して見ている。予約する番組は、テレビ東京とNHKしかない。他のチャンネルを視聴する機会があるのは、食事中のクイズ番組程度。それも、キャスティングやMCへの依存が強くなってきているので、楽しさは減退してきている。

視聴率は、ずっとテレビ局のビジネスの根幹を成していた。CMがどれだけの人に届いているか、何度見てもらえているかを、それぞれ到達率、リピート率として計算する根拠にもなり、それがスポットや番組提供の料金の根拠とされてきているからだ。

しかし、ニールセンが行っている調査(テレビに取り付ける機械で自動認識する仕組みで、サンプル数は1000)のみに依拠した視聴率に、一体どれだけの価値があるというのだろうか。“ながら視聴”をしている人は、ザッピングもしている率が高いはず。それよりも数少なくても、真剣に見ている人が多い番組の方が優良で、広告出稿する価値があるのではないか。

フジテレビは負けて当然。テレビ東京の、低い視聴率に慣れているスタッフが、無駄なプレッシャーもなく、自由に考え、予算がないからこそ工夫を重ね、自分たちの手足を使って制作した番組に勝てるわけがない。数を求めず、質を大切にする……。成熟社会の鉄則だ。

かつて、番組企画の仕事を通じて接したテレビ局の中でも、テレビ東京が一番可能性を秘めていると感じた。そんな印象を持ったのは、きっと僕だけではないと思う。そういう人たちは今、みんな“よかったねえ、テレ東さん”と思っているに違いない。そして、“ずっと東京の地方局に徹し続けてね”と願っていることだろう。よかった、よかった。

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自分たちよりも随分下の方でぷらぷらしてる奴だなあ、などと思っていても、間には階段があるんだから、落ちる危険性もあるし、駆け上がってくるスピードも速いしねえ。

*“昭和少年漂流記”に関して

*第二章~第五章に関して:第一章は既に加筆修正を終了し、出版されています(アマゾンや楽天ブックスで購入可能です)が、現在は第二章を大幅に修正中で、後6分の1かな?という状況です。かなりページ数も増え、テーマもはっきりしてきていると思います。

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理解し合う難しさ

“常識とは、18歳までに植え付けられた偏見の塊である”と言ったのは誰だったか……。とかく「○○というものだ」とか「××に違いない」などと言ったり思ったりする時に自分の中で根拠にしているものは、自分なりの常識であり、危なっかしいことに多くは偏見なのだ。同性間であっても異性間であってもそんな塩梅だから、“異種間”であれば尚更だ。

佐助が我が家にやってきてから色々と大変だったが、その多くは、実は我々の中にあった“犬とはこういうもの”“犬は人に対してかくあるべき”という偏見極まりない常識との戦い。知識と理解の欠如によるものだった。

表層的な観察で得た認識は理解とは程遠く、そんなことに依拠した愛情は独りよがりのものに過ぎない。そして、それが受け入れられないからと、“裏切られた”とか“相性が悪い”などと思うのは、甚だ身勝手なことだと言わざるを得ない。

我々がなんとかその愚を犯さずにすんだのは、佐助がペットショップで“購入した小さな命”ではなく“保護され預かった命”だったからだ。誰にも返却できず、再びまた捨てることのできない大切な命だったからだ。

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だから、理解しようとして勉強した(特に、Kapparは熱心だった)。そして、どうしても理解できないことは受け入れることにした。1年以上が必要だった。しかし、おかげで穏やかで幸せな関係が構築できた(佐助だってきっと……)。

数日前から二日間、いつもになく静かだった佐助の静かだった理由が体調不良だとわかったのは、彼が吐いたからだったが、Kapparの手作りフードで持ち直した。すると、瞬く間にすっかり元通り。いつもの賑やかさも戻ってきた。

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人間で言うと、もはや40男の佐助。キャッキャラ、キャッキャラ遊んでいるのもなんだかなあ、とも思うが、バーナードショーが素晴らしい言葉を残している。

“年を取るから遊ばなくなるのではない。遊ばないから年を取るのだ。”

そうだぞ、佐助!遊んで遊んで、いつまでも若いままでいるのだぞ!

*“昭和少年漂流記”に関して

*第二章~第五章に関して:第一章は既に加筆修正を終了し、出版されています(アマゾンや楽天ブックスで購入可能です)が、現在は第二章を大幅に修正中で、後6分の1かな?という状況です。かなりページ数も増え、テーマもはっきりしてきていると思います。

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身の程を知り、身の丈に合った暮らしをする……。

中学生になった頃は、“岩戸景気”とか“所得倍増計画”といった言葉がいつも新聞紙面上に踊り、“増える”や“大きくなる”が未来に希望を持つキーワードになっていたような気がする。

中1の夏、我が家にもカラーテレビがやってきた。小さな冷蔵庫も届いた。劇的に変わった夏休みの暮らしに、頬張った冷蔵庫の氷に豊かさを味わいつつ、しかし、僕はちょっと不安も感じていた。その根っこにあるのは素朴な疑問だった。 “どの会社も大きくなっていく?誰もが豊かになる?限界はないの?将棋だって囲碁だって、盤面は限られているのに”……。

そんな疑問と不安を持ち続けていたせいか、“大きいことはいいことだ~~”とか“隣のクルマ小さく見えま~~す”といったCMは全く心に響かず、VANに就職してからも“威勢よく語られる拡大主義”には不快感しか感じなかった。

ところが、どうもいい時代がやってきたような気がする。“大きくしようとするのは正しくない。もはや古い考えだ”という価値観が広がり、定着してきているような気がしてならないのだ。それだけ社会が成熟してきたということだろうが、歓迎すべきことだと思っている。本格的な“地方の時代”はもう始まり、個性ある中小企業の活躍の場は広がっているような気もする。“FanにFunを提供し、共に満足感を満喫する”という理念が先行するようなると、もっと素敵で大人な成熟社会になっていけるはずなのだ。

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windows10にアップグレードして以来、写真がうまくアップロードできない!誰か教えて~~~!

初めて日曜日に出かけた仙川で、ユニクロで暖パンを買い、ルピシアでちょっとお贅沢な紅茶を買って、カルディ・カフェでココアを飲んだお昼過ぎ、道行く人たちを眺めていて上記のようなことを思った。“失われた10年”の間に、生活者は知恵と賢さを得たのに違いない。

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体重を測るために佐助を抱きかかえるKappar。佐助の体重は、とてもいい感じで失われつつあるぞ!

*“昭和少年漂流記”に関して

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思い出の断捨離

高校の同窓会の日、66歳になった。楽しい誕生日となった。65~66歳の同窓生68人を前にして、“みんな年取ったなあ”などとは、全く思わなかった。むしろ、みんなそれぞれ個性豊かだなあ、と思った。おそらく、出席した多くの同級生が得た感慨も同様なものだったと考えられる。しかし、半世紀前は違っていたはずだ。

皆が同じ高校生という身分と制服にくるまれていたということもあるだろう。高校教育が受験を軸に回っていて、高校生だった僕たちも、いつのまにかその軸に沿った価値観でお互いを見ていたということもあるだろう。一人ひとりの個性を感じ取るだけの感性や眼力をまだ持ち合わせていなかったということもあるだろう。しかし、高校を出てからの多くの経験を経て、それぞれが様々な嫌な思いや悔しさや痛みを感じてきて、その分厚い断層から抜け出てみると、高校時代は“さして思い悩むこともない時代”だったことを知らしめられたからに違いない。“会ってみたい”“会いたい”と思わせられる同級生がいたことを改めて思い起こさせられたからに違いない。

同窓会が終わって1か月、今思うのは、これから先の人生(大げさだが……)にはできるだけ多くの楽しいことや満たされた気持ちを積み上げていきたい、ということ。そのためには、 “心の空きスペース”を確保しなければならない、ということ。そしてそのためには、まず“思い出の断捨離”をすべきなのかな?ということだ。それは、嫌なこと、辛いこと、悲しいことを呼び覚ます人は避け、これから先ずっと楽しく過ごせそうな人とだけ会うようにすることかもしれない。同級生は、その意味でも、きっといい存在なんだろうなあ……。

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佐助を三輪車に乗せて芦花公園に連れて行ったKappar。帰りにはさっさと自転車のそばまで行き、「乗せてね~~」と待っていた佐助がうれしかったらしい。こんな瞬間があるだけでも、暮らしの中に佐助がいる価値はあるというもの。

これからは、今さら抱えていてもしょうがない“人生の澱”を捨て去り、いい思い出だけで埋め尽くしたいものだ。

*“昭和少年漂流記”に関して

*第二章~第五章に関して:第一章は既に加筆修正を終了し、出版されています(アマゾンや楽天ブックスで購入可能です)が、現在は第二章を大幅に修正中で、後6分の1かな?という状況です。かなりページ数も増え、テーマもはっきりしてきていると思います。

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