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甘え日和だ~~

いきなり訪れた秋を思わせる日々。雨模様も重なって、声が出にくくなるとか麻痺痛がひどくなるといったマイナスもあるが、それを補って余りあるメリットもある。何しろエアコンなしで過ごせる。寝苦しくない。食事が進む。そして、ビールがおいしい(クソ暑い時よりもおいしい!)。

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そんな日々は、佐助にとっては“甘え日和”らしく、Kapparの昼寝にくっついて寝てみたり、から始まり、

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今朝は、静かに階段を下りてきたかと思うと、いきなり耳をぺったりと畳んで甘えの体勢になるなど、甘え全開だ。体を密着させても暑くならないのがいいのだろうが、暑気が戻ってくる明後日あたりからはどうするのだろう‥‥。

*“昭和少年漂流記”に関して

*第二章~第五章は、引き続き加筆修正作業を進行中。第一章は既に加筆修正を終了し、出版されています。

新しい連載も開始するつもりです。今しばらく、お待ちください。

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西やんとの最後の仕事(実現しなかったが‥‥)

数ヶ月に一度やってきて飲む。僕の事務所で開く年4度の大宴会には必ずやってくる。そして、飲む。飲むたびに必ず、「こいつ、ほんとに馬鹿なんだよな~~」と叫んで僕の頭を小突く。‥‥といった付き合いが続いていた西やんから「久しぶりに、仕事しない?」と電話があったのは、13(?)年前のこと。上海市資料館の5階を日本食レストランにしたい、という話だった。僕はかつて華僑との付き合いで痛い思いをした経験があるので、当初は逡巡したが、西やんが言うならと引き受けた。

一緒に上海に行き、依頼者である人民解放軍幹部の娘だという女性やそのスタッフと打ち合わせをした。現地もじっくりと見た。100坪近くあっただろうか、大きな本棚一つのだだっ広い空間だった。ほぼ新築で景観も良く、眺望も売りにできそうな所だった。採寸しながら(図面がないというので‥)、「そぞろ歩きができる小路を作りたい。窓に向かってバーカウンターが欲しい。茶室を一つ作りたい」などと、ぱらぱらとアイデアを出した。

「プランは急いで出してくれ」と言うので、帰ってきてすぐ、図面作りに入ることになった。内装イメージを固めるために、様々な写真集を買った。Kapparに依頼し、四季の主なメニューを作ってもらった。全スタッフ構成と日本人スタッフの必要人数、厨房に必要な機能や食器類も検討した。

そして、第一弾の図面と資料が完成。上海に送った。それから約一ヶ月。「ペンディングということにしてください」と連絡があった。理由ははっきりしなかった。そして、そのままになってしまった。

西やんは図面や資料の重要な部分をDVDに収めて渡してくれた。「いい店になりそうなのになあ」と悔しがっていた。一緒に朝まで飲んだ。次に連絡があったのは、咽頭ガンになったという知らせだった。そして、克服して発声練習をしている、と現れた。僕が脳出血を発症した後のことだった。今の家を買うかどうか検討している時、構造や内装等のチェックに来てくれた。それが、西やんと会った最後だった。

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事務所での最後の飲み会。声が出ない西やん、ちょっと寂しそう‥‥。

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昨日は、夕方の散歩がお預けだった佐助

“すわ一大事!”の事件。日曜日、“完全休日じゃ~~”とご機嫌だったKapparの「うえ!」という声が、お昼過ぎに二階から聞こえてきた。粗忽な一面を持つKapparのこと、どこかにどこかをぶつけたのだろう、と思っていたら、「指、折ったかも~~」と照れ笑いをしながら降りてきた。

しばらくすると、足の指の一部が青くなり、どす黒く変色していった。自分でボール紙と包帯で固定して少し良くなったようだったが、歩くのは覚束ない。「大腸憩室炎が良くなってきたら骨折かい!祟られてる?それとも、呪われてる?」と首を捻る有様だった

というようなことがあって、今日久我山病院へ。結果は、打ち身。今は佐助と散歩に行っている。よかった、よかった。

*“昭和少年漂流記”に関して

*第二章~第五章は、引き続き加筆修正作業を進行中。第一章は既に加筆修正を終了し、出版されています。

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西やんとイタリアンジェラートと‥‥

西やん(西嶋君)は、菓子店の設計に関しては認められた存在だった。菓子店の専門誌にはコーナーを持ち、店舗の設計・レイアウトに関するアドバイスをほとんど無料で行っていた。

その関係だったと思うが、イタリアのカルピージャーニー(?)というイタリアンジェラートの製造機械メーカーと懇意になり、イタリアンジェラートの店を設計することになった。

場所は浅草寺の前。日本の伝統的な場所に、イタリア伝統のアイスクリームの店はお似合いだろう、という考えだった。すぐ後ろに雷門を従えた、ちっぽけだが、味のある店ができた。1980年代の終盤の頃だったと思う。東横線学芸大学前のピザ・レストランと共に、西やん設計の店の中でも上位に入る店だと、僕は思っていた。

自分の得手不得手を心得ている男で、いい仕事をするためには、その仕事に適した設計士がいいのではないかと、他の設計士を紹介してくれたこともあった。そのおかげでビル設計や住宅設計にいい感性を持つ安達ちゃんと知り合うことができ、いくつかの仕事を成し遂げることができた。

残念なことに、安達ちゃんも今はない。西やんと安達ちゃん。いい奴らだった。なかなかできない種類の友達だった。

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2008年梅雨、その1年半後には退去することになるKapparの事務所(僕も居候していた)を西やんが訪れた時の記念撮影。咽頭ガンを克服し発声練習に励んでいた西やん、Kappar、脳出血後のリハビリ入院から復帰して半年の僕、新たな事業に取り組み始めていたSさん(長~い長~い友人)の4人で、「頑張ろうね!」と手を重ねた。そして、飲んだ。その後、それぞれがそれぞれなりに頑張っていたのだが‥‥。

*“昭和少年漂流記”に関して

*第二章~第五章は、引き続き加筆修正作業を進行中。第一章は既に加筆修正を終了し、出版されています。

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西やんとの仕事

知り合った翌年、西やん(西嶋君)と仕事をするチャンスが訪れた。その仕事がやってきた経緯はよく覚えていないが、大阪のアングルという下着メーカーが本社ビルを新築するに伴い、ファッション・ブランドを立ち上げ、同時に新社屋1階を飲食店にしたい、という話だった。

ブランド立ち上げと飲食店の企画を僕が担当し、飲食店の設計と施工管理を西やんが担当することになった。新社屋は御堂筋沿いでスペースも広かったので、喫茶&レストランを企画。明るく広い喫茶&軽食スペースの奥にヨットのキャビンを埋め込み、そこをレストラン・スペースにする、という企画に西やんは設計を通じて対応してくれた。

工事が始まると、新大阪近く(江坂?)のビジネスホテルに西やんは常駐。日々竹中工務店が担当する現場に通うことになった。

ほとんど毎日「寂しいよ~~。一緒に飲もうよ~~。来てくれよ~~」と電話が来た。可哀想だからほぼ毎週、定宿のホテルに通った。もちろん、僕の仕事もあったのだが‥‥。

1ヶ月もすると、待ち合わせ場所が変わり、「例の店で待ってるから」と西やんがすっかり常連になっていたスナックに木曜か金曜の夜に訪ねるというパターンになった。店のドアを開けると、カウンターの中から「いらっしゃいませ~~」と西やんの声。見ると、果物の皮を剥きながらニコニコしている西やんがいる、ということが多かった。

一方、喫茶&レストランの経営の要となるのは、コックとフロア長。しかもその二人は息が合っていなくてはならない。少し苦労したが、なんとか見つけて口説き、メニューを一緒に考え試作と関係者の試食も済ませ、フロアのサービス導線の設定やシミュレーションも終え、売上計画や経費計画や人員計画も立てた。そうして、バリ島から仕入れた小物の販売コーナーと新ブランドの展示・販売コーナーを併設した喫茶&レストランは、めでたくオープン。それから少なくとも2年間は黒字だった。

ところが、それに気をよくしたオーナー企業が突然「社員にやらせたい。コックとフロア長には辞めてもらう」と言い出した。僕も西やんも猛反対したが覆せず、妥協案としてコックとフロア長を社員にするということで落ち着いた。が、その後二人の給料は大幅にダウン(当初はヘッドハンティングにふさわしい給料だったが‥‥)。結局辞めざるをえなくなった。彼らの新しい職場探しに奔走した後、経営が悪化したと相談があったが拒否。

「オープンから2年はうまくいったので成功だ~~」と、西やんと僕は大いに飲んだ。忙しく楽しい3年間だった。

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「嫌な思いをしても楽しく終わればいいんだよね~~」の佐助。土曜日に犬のためのデンティストに連れて行かれ、奥歯をガシガシ磨かれた後の記念撮影。優しいお姉さんたちのおかげで、滞りなく終わったのだった。

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26年前の夏だった

西やん(西嶋広司‥‥広の字は本当は糸偏)と知り合ったのは、26年前の夏だった。今となっては誰から依頼のあった仕事か定かではないが、新宿の三平食堂(かつての有名食堂)のオーナーが発注者だったと思う。

山水館(当時、小田原に残っていた山県有朋の妾宅で、文化遺産と言うべき建物と聞かされた)を手に入れているのだが、宝の持ち腐れになっている。本業の食堂もかつてほどの賑わいではない。なんとか山水館をビジネス利用できないか‥‥。といった主旨の依頼だったように思う。

“割烹旅館じゃないだろうか”とごく普通に直感。どんな顧客をどんな料理やサービスで迎える割烹旅館にすべきか、手を加えられるのか、加えるべきなのか、宿泊できるようにすべきか否か、送迎はどうするか、道路は?駐車場用のスペースは?キッチンは?必要な従業員数は?‥‥といった多くの課題の検討のために、まずはじっくり見させてもらおうということになった。ついては、建築士にチームに加わってもらう必要があるだろうと、友人から紹介を受けたのが、西やんだった。

小田原駅新幹線口で午前10時頃待ち合わせ、山水館へ。管理人の人にじっくりと案内してもらいながら、割烹旅館にできるかどうかチェックをしては話し合った。

小田原駅に戻ってきたのは午後12時半。「蕎麦でも食べようか」と駅前のビル2階の蕎麦屋に入った。「ビールどう?」と西やんに聞くと、「いいね~~」と、とてもいい笑顔が返ってきた。

そして僕の仲間と西やんのアシスタントと4人で、ビールから日本酒へと飲み続け、すっかり意気投合。東海道線にコップ酒を持って乗ると、午後7時半を回っていた。

「まだ早いよね。どこか行こうよ」と話がまとまり、西やんと二人、品川駅からタクシーで西麻布へ。“桃源郷”という行きつけのスナックで、明るくなるまでただただ楽しく飲んだ。

それが西嶋広司との初対面だった。いきなり、何でも言い合える仲になった一日だった。仕事が後日“転売する方向で考える”という理由でキャンセルになったことなど、まったく気にならなかった。

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禍福は‥‥

禍福は糾える縄の如し、と言うが、まさにそのまんまの日々。

益田の同窓生O君から夜釣りで釣ったという烏賊が届き、早速舌鼓を打った翌日、予期せぬKapparの病気。幸いにして軽く、多少食べられるようになり、ほっと一息ついた昨日の夕方、メールで訃報が。

西嶋広司68歳。一級建築士。大の仲良しだった。楽しいことしかなかった思い出を巡り、しんみりとした翌日。今日、リハビリ通院を月一度にすると決め、医者の了解を得て帰ってきた夕方、同級生Oさんからメールが入った。大好きな高津川の鮎が、もうすぐ届くとのこと。一方では、O君からの烏賊の一部がKapparの手で一夜干しに‥‥。

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佐助も注目していた。

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まるで、苦手なジェットコースターの一週間だが、最後は幸せな気分になれそうだ。西嶋君が見守ってくれているのかなあ‥‥。彼のことは、明日以降書き留めておこう。

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な、な、なんだ?!

検査をするたびに“悲しいくらい健康だぜ!!”が決め台詞だったKapparに異変が‥‥。

土曜日から始まっていた腹痛が日曜日にはかなりひどくなり、一つ仕事の締め切りを終えた昨日月曜日、開くのを待って近所の内科へ。整腸薬と抗生物質を処方されて帰ってきたが良くならず、今朝8時前、タクシーで久我山病院へ。

途中2度ばかり電話があったが、「○×○×‥‥」と病名がきちんと聞き取れない。そして、「点滴して帰るね~~」から3時間半、4時過ぎに、やっと「終わった~~~。長かった~~~」と電話が入り、間もなく帰ってきた。

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長き突然の不在に心許なさそうに側にいた佐助も、4時の電話には眉を動かすだけだったが、タクシーの止まる音には玄関に駆け出した。

病名は、医者が書いたメモに“大腸憩室炎”とあった。初めて目にする病名に、すぐネットであれこれ調べ、医者に言われたことと合わせ、“軽そうでよかったね”ということに落ち着いた。明日も朝から点滴。ゆっくりと落ち着いていってくれればいいのだが‥‥。

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枯れ尾花‥‥

人は情報の80%以上を目を通じて得ている、らしい。五感と言いながら、一感に多大なる依存をしていることになる。しかしそれは、量であって質ではない。しかも、えてして人は自分が見たいように物事を見ていることが多い。

子供の頃、遠くからやってくるバスやトラックを見て、「人間の顔みたいだ~~」と思ったが、どうもそれは、ヒトに元々刷り込まれている“ヒト認識優先”の機能のせいらしいとわかったのは、随分後になってからのことだった。

“化け物の正体見たり枯れ尾花”という句がある。“逢魔が刻”に「何か出てきそうだな~~」と怯えつつ薄野を歩いていると、枯れ尾花が幽霊に見えてしまうのも当然と言えば当然だが、それとて“見てみたいなあ”というそこはかとない想いがあるからとは言えないか。

外界のことでさえ、その人の内なるものと無縁ではない。実体や事実を正確に認識することは、意外と難しいものなのだ。

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佐助は犬だ。犬だから、ヒトほど視覚に依存していない。既視体験の積み重ねが認識にまで至る。「あっ!この中にはヨーグルト‥‥」と認識できるようになると、こんな顔に‥‥。

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一方、いつまでも実体認識ができない雷の音には、いつまで経ってもこんな顔に‥‥。クルマの止まる音は、ヤマト、佐川、タクシーを明確に認識分けできるようになったが‥‥。

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リゾートだと思えば‥‥

“帰りはきっとお酒を飲んでタクシーになるだろうなあ”と予測。コピー250枚、封筒70部等を入れた手提げ袋を杖と一緒に片手に持ち、“徒歩~電車~バスで行くぞ~~!”と午前10時50分、自宅を出た。‥‥昨日のことである。

照りつける日差しと手提げ袋の重さに、何度かくじけそうになった。が、往復タクシーではそれだけで7000円を超える。ここが踏んばり時だと、なんとか渋谷発の都営バスまで辿り着いた。と、救いの神!同窓生のKさんが乗ってきた。助かった。メガネを忘れてしまったことも吹き飛んだ。

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宿泊予約の確認、同窓会の料理と飲み物の確認と予約発注を終え、集まってくれた幹事役の同窓生に宛名書き、封入、切手貼り等をお願いした。12時からだったので、食事をしながらだったが、僕は早速、中ジョッキ(しかも2杯!)。作業も順調に終わって記念撮影した時にはちょっぴり赤ら顔になっていた。しかし‥‥

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有難い(?)ことに、渋谷で白木屋に立ち寄りことになり、そこで今度はモヒートを3本。予定通り(?)タクシーで帰ってきた。‥‥よかった、よかった‥‥。もちろん、同窓会の準備が順調だということが、だけど‥‥。

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”終了)

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