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着た。来た。キタ~~~!

土曜日午後、向こう三軒両隣にやってくる宅急便は漏れなくお知らせしてくれる佐助の声に玄関に出てみると、我が家宛の荷物。「大きい荷物ですよ~~」とのこと。ドアを大きく開いて「なんだろう?」と言うと、「自転車です」との答え。ついに着たのだ、三輪自転車が。翌日曜日、お泊り同窓会から帰ってきたKapparに知らせて、午後になって組み立て。ほとんど手間もかからず完成したので、早速試運転。

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「大丈夫そうだねえ」とゴミを片付けていると、白いクルマが止まった。「あ~~!」「こんちは~~!」のやり取りに振り向くと、健坊夫婦。久しぶりだ。「帰り道にちょっと顔を見ようと思ってさ」と来たらしい。

「まあまあちょっと上がってよ」と、奥さんにビールを勧め、僕もご相伴にありついた。

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そして、二人が帰ると、今度は佐助が何やらTV台の脇を掘っている。オヤツが奥の方に転がり込んでいるらしい。「ちょっと待ってなさい」と押しのけ手探りすると、誇りまみれのちっちゃな一粒。「これか?」と言う間もなく、「キタ~~~!」とばかりに埃ごと食いついた。

なんだか穏やかで楽しい午後だった。

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”終了)

*“昭和少年漂流記”に関して

*第二章~第五章は、引き続き加筆修正作業を進行中。第一章は既に加筆修正を終了し、出版されています。

新しい連載も開始するつもりです。今しばらく、お待ちください。

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お留守番一晩、佐助番

毎年この時期開催の“剣道部の同窓会”にKapparはお出かけ。「どうも二人きりのようだな」と思ったらしい佐助は、しきりに甘えてきたかと思うと、ソファ上のクッションを自分好みに仕立て上げて眠ってしまった。

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夕方、ワン友Yさんが訪れ、「ちょっとだけ散歩に行こうか」と連れ出してくれたが、それも終わると、玄関の方を10分ばかり眺めていた。

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僕は誰とでも二人きりになるのがちょっと苦手だが、ビールでも飲んでお気楽モードになれば大丈夫。さて、もう飲み始めちゃおうかな~~~~。

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”終了)

*“昭和少年漂流記”に関して

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探す!

気になってならなかった。初めて目にしたのは、60歳の時、還暦を機に初めて開催された高校の同窓会だった。把握できている同級生の住所録。その個々人の住所が書かれた欄にポツリポツリとあった“死亡”の2文字。多くの存命中の同級生のリストの中にあって、たった2文字“死亡”とだけ書かれた欄は淋しく、切なかった。名前にもう一度目をやり、せめて彼または彼女のことを思い出そうとした。若くして病に倒れてしまった同級生数名は、その訃報を耳にした時のことまで思い出した。しかし、どうしても思い出せない人もあった。申し訳ない気分だった。意外な名前にも出くわした。「あいつが?まさか?!」と、周囲にいる者に聞いてみたが、確たる返事は返ってこなかった。不確かな“死亡”者が、以来、頭の片隅に引っ掛かったままになった。

それにしても、“死亡”とは冷たい、とも思った。ましてや多くの元気に暮らしている者の中にポツンと混ぜ込むとは‥‥。物故者リストとして別途作るべきではないか、とも思った。そうすれば、僕のように真偽を確かめたくなる人が現れる率も高くなるはずだ。

この秋東京で開く同窓会の案内状の発送を手伝ってくれた6人の同級生にも、気になっていた“死亡”とされていた同級生のことを訊いてみた。2~3人は、亡くなった時のことまでわかった。1人だけは、不確かなままだった。

しかし、1人の同級生が気にしてくれていた結果、2週間後、事実が判明した。彼は、生きていたのだ!よかった!機会があれば、一瞬でもいいから顔を見に行こうと思った。

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しばらく前から、ワン友たちの間で話題になっていた迷子犬。虐待を受けていた環境から救い出された保護犬で、ボランティアさんの手から里親の手へと命をつながれていった“まるちゃん”。リハビリテーション帰りの電柱にポスターを発見した。捜索範囲が広がっている。一つの命を大切にする気持ちと、一生懸命さが伝わってきた。見つかるといいなあ。“まるちゃん”何処にいるんだろう。

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帰ってくると、迎えてくれた佐助が階段を駆け下りた。なにか探す風だが、“まるちゃん”は、そんなところに隠れるほど小さくはないよ。散歩の時、頑張れ~~~!

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”終了)

*“昭和少年漂流記”に関して

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MVNOに変えた副産物

昨年11月、格安スマホに変えた。月々の携帯料金を相当削減できた。もちろん、使用になんら問題はない。で、手元に残った一昔前のiphone(4s)とガラケーをヤフー・オークションに出した。合わせて約15,000で落札された。

そこで我が家で浮上したのが、三輪自転車の購入プラン。後ろに佐助を乗せてちょっと遠い場所に行こう、という計画だ。自転車担当は、Kappar。僕は公共交通利用で、現地で待ち合わせしようという考え。

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ワン友夫婦にクルマで連れて行ってもらった世田谷美術館が、まず浮かんだ。散歩がてら行くには遠すぎるが、自転車に佐助を乗せて行くには持って来いの距離。美術館地下のオープンカフェでビールでも飲んで帰ってこようという魂胆だ。

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動物病院に行く時も、こんな姿で自転車後部のカゴに乗ることになるだろう。今月末の到着予定。まずは近所で試運転。楽しみだ。

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”終了)

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食は喜び!

脳出血発症後、麻痺生活の要領も覚えてきた。麻痺痛にも慣れてきた。できないことや痛みに慣れてくると、したいことが浮かんできた。めでたし、めでたし、である。

しかし、今でも時々「できればいいのになあ~~」と思うことが二つある。一つは、歌うこと。なにしろ声が出にくい。歌詞の呂律があやしくなる。ちょっとした高音部がかすれる‥‥。カラオケが遠い存在になってしまった。

そしてもう一つは、料理。なんとかできなくはないが、手際とスピードが期待できないので、メニューが限られる。フライパンが握れないのも致命的だ‥‥。食べるだけの人になってしまった。

食は喜びだ。季節、科学、健康、味覚、視覚、嗅覚、思い出‥‥。食を巡る話題は尽きず、会話も弾む。作る人でもあり続けることによって日々の食にもっと参加できれば、食の楽しみも喜びも増すのに、と思う。

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近所のワン友の高齢のご夫婦。奥さんが入院されて2ヶ月くらいになる。一人暮らしになり、病院へ通う毎日のご主人。食事はどうされているのか‥‥と、気になっていた。一月ほど前、Kapparと「お裾分けしてあげようか」と話し合った。食べるだけの人になってしまった僕は、手伝うことも“任せてくれ!”とも言いにくい。足手まといになるのが落ちだ。

などと思っていたら、Kapparが「お互いの負担にならない程度で、お弁当作ってあげようかな」と言い出し、週2回、曜日もはっきり決めず、晩ご飯弁当を届けることになった。

早めに自分たちの晩ご飯を多めに作り、そのお裾分けをする、というパターン。栄養のバランスを考え、飽きない工夫をする、というお弁当作りの基本を忘れず、買い物をする時、お弁当のメニューや食材を頭の片隅に入れておくことを、二人とも実践している。毎日のことではないので、お陰さまでそこそこ楽しんでいる。我々も飽きたりしんどくなったりしないようにしないとね。

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お弁当が出来上がる匂いに、様子見をする佐助。君にもお裾分けのメリットは随分出てきているんだよ~~~。

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”終了)

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ドッペルゲンガー

中学の頃、毎週本屋さんから週刊文春と週刊新潮が配達されてきていた。きっと読むことは許されない種類の本だと思っていた。しかし稀に、親父が捨てた古い号の束を見つけると、中から1~2冊を抜き取り、両親が留守の隙を縫って読ことができた。ほとんどが作り話だと思った。「そんなことあるわけない!」「そんな人いるわけない!」と思った。が、それが確信ではないこともぼんやりと自覚していた。大きくなること、社会に出ることは、“存在するわけない”と思っていた人や物事にどんどん出くわすことなんだろうなあ、とも漠然と思った。嫌だなあ、と思った。

ところが、少年科学誌で、“世界には自分とそっくりな人間が3人いる”という記事を読んだ時は、あっさりと信じた。出会えるといいなあと思った。“見ると死ぬ”ともあったが、構わないとさえ思った。

ドッペルゲンガーという言葉を知ったのは高校を出てからだったが、その頃には、“蜃気楼の一種じゃない?”とか“濃い霧や靄が鏡の役割を果たして、そこに映った自分自身の姿を見ただけじゃない?”などと言える小賢しさを持っていた。中学生の僕が読んだ週刊誌の大人の1人に僕自身がなっているのかもしれない、と思った。

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佐助とサスケのツー・ショット。サスケは柴犬。佐助は雑種(洋犬の血も入っている感じ)。だから、名前は逆の方が実体と合っているのだが、見かけは名前の文字面どおりの感じもなくはない。ドッペルゲンガーでは、ない!

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”終了)

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穴場ホテル“島根イン”での同窓会、準備OK!!

高校の同窓会の企画は、ほとんど一瞬にできあがった。二つの条件が合ったお陰だが、一つ目は、高校時代の修学旅行がなかったこと。そしてもう一つが、青山にある“島根イン”の存在。この二つを結び付けて、“半世紀ぶりの修学旅行”という企画になったのだった。修学旅行といえば、みんなで宿泊、みんなで観光、みんなで記念撮影。そして、おしゃべりと食事。そのどれか一つでも思い出に残るものになれば、楽しい記憶として留めることができる。だから、その一つひとつに手を抜かずに向き合う。贅沢でなくてもいい、100%でなくてもいい。一つひとつに手を抜かず、楽しんでもらえるように準備できれば、同窓会としては概ね成功と言えるだろう‥‥という考えで準備してきた。

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今日は、ほとんど大詰めと言ってもいい打ち合わせ。心配だった同窓会の食事に関して、島根インのレストランで話し合ってきた。結果は上々。心配はなくなった。

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ついついビールで乾杯!

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クローク前のDAIGO(お祖父ちゃんが島根県出身)と記念撮影。

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5時過ぎに帰ってくると、佐助は、“保護者”として同行してくれていたKapparに、“お疲れ様~~”と飛びつき、

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僕にはちょっとよそよそしかった(?)。ま、いいか。

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”終了)

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来る人、来ない人、来られない人

三々五々届いていた同窓会の返信葉書も、やっと一週間前の夕方の一通で終わったようだ。230通送って、宛先間違いで返ってきたのが16通。返信をお願いしてあったこともあり、届いた214人のほとんどから葉書が返ってきた。出席者65名。想定していた60名を5名超えた。葉書に用意しておいた“一言メッセージ”欄に近況が垣間見える人もあり、同窓会当日が楽しみだ。

が、来る人、理由があって来ない人はまだしも、来られない人のことを思うと、切なくもなる。同級生との短い半世紀振りの時間が小さな灯りやささやかなエネルギーになるといいな、と思いつつ考え準備してきた同窓会に、もし参加したいと思いながらも事情が許さず参加できない人がいるのであれば、こちらから訪ねて行ってあげたいくらいだ。懐かしい瞬間は、それからの暮らしの色合いを変えてくれるものかもしれないからだ。

でも、まあ、人の事情の実体はなかなか見えにくく、理解も心遣いも行き届かないもの。次の機会を用意すること、同窓会に来た人たちの協力を得て、なんらかの楽しい返信をしてあげること、などを考えていこう。

明日は、会場であり、遠来の出席者の宿泊先でもある“島根イン”との4回目の打ち合わせ。これですべてが決まることだろう。後は、小さな工夫を積み重ねるだけだ。

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「いらっしゃいませ~~~」の手もみをしているかのような佐助。待っているのは、晩ご飯かな~~~

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過去への遡上‥‥三江線の旅⑤

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この鉄橋をどちらから渡るか。それによって江の川の見え方や川岸の風景も大きく異なっていたことを、僕はまざまざと思い出した。親父と暮らすことになる沢谷に向かう時は川岸の景色はほとんど目に入らず、ただただ暗く深い川面しか、僕は見ていなかった。きっとそれは、僕の心の深奥が映し出されたものでもあったのだろう。親父が傍にいるというのに、である。60年という時を隔ててさえ、その時の光景と想いが蘇ってくるほど大きな不安が何によってもたらされたものなのかは、しかし、判然とはしなかった。

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ところが、粕淵駅に着き、無人の駅に降り立ち、すっかり変わった駅前に足を踏み出すと、少し当時の心に戻ることができた。おそらく僕は、親父との生活よりも祖父母との生活を強く望んでいたのに違いない。親だから、とか、本来あるべき暮らしの姿だから、といったことなど、僕にはおよそ関係のないことだったのだ。

浜田駅で、迎えに来てくれた親父を見た瞬間の身体の奥から湧き上がってくるような喜びとそれを押し返しすような戸惑いは、“今”と“これから”がせめぎあったものだったのだろう。長い初めての汽車の旅は、ゆっくりと僕の心も“これから”へと運んでいき、それに伴って戸惑いが心を満たしていったのに違いない。

しかし、汽車の旅が終わり、終点の浜田駅(粕淵は終点の一つ手前‥‥2年後に転校して行った町)に降り立つと、もはや“これから”が“今”になったのだ、と僕は漠然と覚悟を決めたのだろう。駅舎を潜り抜け、沢谷に向かうバスへと乗り込む時の、妙に晴れ晴れとした気分を、僕は粕淵駅前のベンチで思い出していた。

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我が家にやってきた時、佐助もボランティアさんの手元を離れ、さっさとソファに飛び乗った。緊張した顔付きは、“今”と“これから”の境目を飛び越えたことを表しているのかもしれない。

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やってきて10日目。初めて目にするものばかりで、好奇心と怯えに腰が曲がりがちだった。痩せていた。

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眼光紙背

とかく人は、物事を見たいようにしか見ていないものだ。だから、眼光紙背に徹することは難しい。無邪気でありながら、しかし、鋭く裏まで見抜く力を持っている人を眼力のある人と言うのだろうが、経験や知識が邪魔をしてしまうことが多く、無邪気な目を保つこと自体がなかなかできることではない。

経験や知識を濾過し、あるいは蒸留して、そのエキスを身に付けるに至った人が改めて行き着いた無邪気だけが、眼光紙背を可能にするのかもしれない。それは、名人や達人の領域なのだろうが、プロというものも、その名に値する人は多かれ少なかれそんな要素を持っているものだと思う。‥‥という観点から見ると、肩書きあれどもプロにあらず、という人が増えているような気がしてならない。‥‥のは、僕だけだろうか‥‥。

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佐助の無邪気な目だって、しっかりと見抜く力を持っている。‥‥ジャンルは限られるが‥‥優しそうな人、気の合いそうな仲間、危険な匂いを持っている人や仲間、そして何より、オヤツをもらえる可能性の高い人に関しては、確率100%に近い。それ以外のことにはほとんど興味がないから、経験値も上がらず、眼力も身に付かない。興味がないことは仕方ないけど‥‥。

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“旬”の力

“旬”が届いた!毎年恒例の、友人EBUちゃんからの贈り物、佐藤錦だ!

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なんて美しいんだろう!なんて美味しそうなんだろう!そして、なんて“旬”なんだろう!

サクランボには、良質な睡眠を助ける成分が含まれている、という研究結果が出たらしい。健康情報の分野においても“旬”なサクランボ。EBUちゃん、ありがとう!!!

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サクランボのお裾分けをすると、佐助の睡眠の質も上がるのだろうか‥‥。必要????

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友達って、いいね!

お互いがお互いを受け入れ、長所も欠点も理解し合って飲み込み、どんなことでも口に出し合ってきた友達は、本当にいいものだ。時間や距離がどんなに隔たっていても、会った瞬間に時間は元に戻り、距離は縮まってしまう。そして、かつてのそれぞれとの適度な心地よい関係の中に身を置くことになる。それぞれがそれぞれの時間を過ごしてきた、その量と環境によって、それぞれに変化があるのは止むを得ないとして‥‥。

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サテンドールで古い友人の歌声に聞き入り、河岸を変えて近況と心境をしゃべくり倒してきたKapparと二人の友人。12時過ぎのご帰還後も、Kapparのテンションはなかなか下がることはなく、友人たちの話を聞きながらビールを飲んだ。それぞれ、おもしろいなあと思った。夫婦観、家族観、仕事観もそれぞれの個性のままだなあ、と思った。そして、これからどう生きるか、という未来観(まだ設計にまでは至っていないが、それでも構わない‥)もそれぞれだなあ、と思った。願望、不満、諦念、意欲、不安‥‥などを綯い交ぜのまま、何の衒いもなく吐き出し合える場や相手は、そうあるものではない。きっと、みんな満足だったに違いない。

本当に、友達って、いいもんだ!

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ずっといい友達のままの瑠奈ちゃんと佐助。そこはかとなくお互いの存在を意識できる絶妙な距離で、でも同じ方向を見つめている。

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サテンドールに行くんだって!!

両親のことや仕事に忙殺され、なかなか会うことができなかった学生時代の友人二人と久しぶりに会うらしい。場所は六本木アマンド。昔の面影はなくなっているらしいが、六本木交差点のアマンドは、まだまだ待ち合わせのスポットなのだろうか。午後6時待ち合わせで、その後は友人が出演するジャズ・ライブを聴きに行くんだとか。もちろん、Kapparのお話。今日になってわかったジャズ・ライブの場所は、サテンドール!

わわ!懐かしいではないか!いいではないか!しっかり、久しぶりの女子会を楽しんできてもらおうではないか!

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留守番の予感にふて寝気味だった佐助も、僕が出かけないのがわかると穏やかな表情になった。喉元にはお友達から届いたお守りがキラリ。今夜は、オヤツでも一緒に食べようね。内緒だよ‥‥。

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過去への遡上‥‥三江線の旅④

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江の川は中流域に差し掛かっているが、川幅はまだかなり広い。左岸をひたすら遡ってきた三江線は、ここで初めて左に向きを変え鉄橋を渡る。単調だった汽車の走行音が川面に反響し大きくなる。僕はその音の変化に窓から顔を出し、はるか下に見える江の川の川面を目にする。

流れはここで岸辺の岩にぶつかり、右へと向きを変える。岩に激突した勢いで、水流は渦巻き、そこだけ川底を深く抉っているように見える。深く水底に潜った流れの一部が大量の湧き水のように浮き上がっている。少し膨らんでいるようにも見えるその箇所の水面はつややかに見え、その深い色が川底までの果てしないばかりの深さを感じさせる‥‥。

小学1年生の時、このような印象だったことを思い出す。その時の天候、時間は確かではないが、お昼過ぎの曇り空の下で見た光景だったと推察される。

海辺の港町浜田で生まれ育った僕にとって、初めて目にした大河を初体験の鉄橋で渡ることは、此岸から彼岸への旅に思えたのだろう。帰ることのない、厳しい暮らしへの旅‥‥。暗い淵へと降りて行く途中の踊り場。それが僕にとっての石見川本だった。僕が目にした、曇った空を映す江の川の川面は、そんな僕の気持ちを表していたのかもしれない。

半世紀以上の後、新造された鉄橋から見る川面におどろおどろしさはなく、静かに穏やかに漂うばかりだった。

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そして、さらに数駅。最初の目的地、粕淵駅に到着した。

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保護犬から“うちの子”になって間もなく、散歩の途中で見かけた“水流”に「なんだ?こいつ!」と警戒のポーズをとる佐助。吠えてみせることもなく、いつでも退却できる体勢だった。初めて見るものは、佐助にとってもおどろおどろしいものなのだろう‥‥。

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“いつも”が一番!

久我山の“ホタル祭り”に行ってきた。バス、電車利用で久我山駅に行き、久我山から富士見が丘まで一駅区間を、神田川沿いに歩いた。

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スタート時点で人ごみの予感。歩くというよりも、人波に押されるように前へ、前へ。それでも、ホタルが飛び交うはかなげな光は目にすることができた。そして、来年は“ホタル祭り”の翌日か翌々日に来ようね(だって、放たれたホタルたちは、祭りが終わった後も神田川にいるんだもん)、と決め、芦花公園駅近くまで戻り、焼き鳥屋でビールを飲んで帰ってきた。帰宅10時10分。佐助は、おとなしく待っていた。

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イベントなど要らない佐助にとっては、“いつも”が一番。朝の散歩、公園で会う仲間と、オヤツをくれるやさしいおじさんやおばさんと‥‥

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のんびりできる場所と時間さえあればいいんだもんね。

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過去への遡上‥‥三江線の旅③

思い出や記憶というものは怪しいもの。繰り返し詳細に聞かされた他人の経験が、あたかも自らの経験かのように刷り込まれることも珍しくはない。目にしてないものを見、鼻にしたことのないものを嗅ぎ、耳にしたことのないものを聞き、手にしたことのないものに触れたと記憶されたことは、多くの人の思い出の中にあるはず。そして、そんな思い出の積み重ねで、常識というものは作り上げられているものなのだろう。それが、常識が偏見の塊にしか過ぎないかもしれない理由の一つであり、常識は疑ってかかるべきものである所以でもある。

今の僕自身を形成してきた僕自身の過去に、僕の記憶とは異なる風景や匂いがあるのではないか。もしそうだとしたら、僕は僕自身を大いに疑い、もう一度見つめ直すべきなのかもしれない‥‥。

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そんなことを思っていた僕の目に、窓外に続く江の川の景色はただただ懐かしかった。そして、やがて僕は、親父と二人で江の川沿いを遡っていく晩夏の小学1年生の気持ちになっていた。鼻には蒸気機関車が吐き出す黒煙の匂いが蘇り、目には口数少ない親父の横顔が映っているような気さえした。親父は時々、僕に笑顔で話しかけてくれていたような気もするが、残っているのはその内容ではなく、親父が押し隠そうとしていた不安だけだ。

おそらく僕もまた、大いなる不安と、ぬくぬくとしたおばあちゃんやおばちゃんとの暮らしとどんどん離れていく寂寥感をひた隠し、明るい言葉を返していたのだろう。本当は浜田に帰りたくて仕方なく、帰ることはできないんだろうなと思う度に涙が出そうになっていたことを、僕はやがてはっきりと思い出した。

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それは、石見川本の辺りで鉄橋を渡った時だった。

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過去にどんな経験をしたかなど、全く意識していないかのように見える佐助でも、その内奥には保護犬に至るまでの体験が刻み込まれていることだろう。

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珍客の再訪なるか?

一昨日の午前7時頃のことだった。最近とみに増えてきたような気のする小鳥の声を心地よく耳にしながらパソコンを開くと、コンコンと小さく窓を叩く音がした。下宿生活をしていた40数年前なら、友人の誰かが道路から小石を投げているのだろうと、すぐに窓を開けるところだが、現在そんなことなどあろうはずもない。空耳かな?とパソコンに向き直り、スイッチを入れると、またもやコンコン、コンコン。一拍置いて、またコンコン。窓を見ると、小さな影が動いている。

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スズメだ!と思った。そっと立ち上がり、スマホ片手に近付き写真を撮った。網戸を突っつき、その勢い余って窓ガラスに嘴が当たっているのだと思った。網戸に引っ掛かった虫でも食べているのだろうか‥‥。

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2~3秒後、スズメは場所を変えた。網戸のない窓の上部にしがみついている。「いらっしゃい!いつでもどうぞ!怖がらなくていいからね」と念じつつ、また写真を撮った。スズメではなさそうだな、と思った。さらに2~3秒後、件の小鳥は飛び立って行った。ちょっぴり寂しかった。

そっと窓を開け、近くにいないことを確認して、米粒をテーブルの上に置いた。

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それから毎朝毎夕確認しているが、米粒はなくならない。もう来てくれないのだろうか‥‥。

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今朝、朝ごはんを終えた後、珍客の再来訪を期待しながら窓を見ていたら、舐め終わったヨーグルトの容器を大事に抱えている佐助と目が合った。

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過去への遡上‥‥三江線の旅②

鉄道の活用を再重視すべきではないか、とかねてから思っている僕にとって、益田駅の閑散とした光景はなんとも寂しい限りだったが、待合室で見かけた外国人の若い男性バックパッカー、三人連れの若い女性、一人旅を思わせるお婆さんなどは、まだまだ可能性はあると思わせてくれた。

むしろ問題なのは、駅や駅員に意欲や活気やホスピタリティを感じなかったことなのかもしれない。合理化に合理化を重ね縮小均衡を目指してきた組織がなかなか前向きで積極的な戦略転換ができない好例となってしまっているようにさえ思えた。

しかし、益田から浜田までの無人駅から三々五々乗ってくる老若男女の姿には、まだ“暮らしの鉄道” としての価値が残っていることを感じる。何らかのアクションを、利用者と一緒に、利用者目線で起こしていけば‥‥、としばし考え込んだ。

と、小学校5年生の1年間を暮らした“離れ”の母屋と思しき屋根が窓外に見えた。

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すっかりきれいになっているが、間違いない。友達と線路を歩き、“芋が浦”という小さな岩浜を目指した日々が蘇る。頭のてっぺんに感じる強い日差し、レールからゆらゆらと立ち昇る熱気、鳴り止まない蝉の声などを鮮明に思い出すが、懐かしさにそこはかとなく悲しみが入り混じっている。年を取ったということか‥‥。

やがて、浜田到着。ホームの隣で待っている三江線に乗り入れる列車に乗り換える。ワンマン2両からワンマン1両への乗換えだが、1両の方が乗客も多く活気がある。山陰線よりも三江線の方が暮らしに密着しているからだろう。

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江津まで山陰線を行き、三江線に入る。河口付近の江の川はさすがに大きい。海で働く漁船が数多く停泊している場所もある。三江線は、この江の川左岸をひたすら中国山地へと向かって行き、やがては広島県三次市に到着する。戦前に計画され(‥たはず)、僕が幼い頃には全線の北半分だけが開通していたので、三江北線と呼ばれていた。当時の終点は浜原。江の川の上流域に入った辺りだった(…と思う)。

窓外の景色は日本海から江の川に変わり、ずっと続いていくことになる。

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あくびでもしたくなる単一にも見える景色だが、小学校1年の時に始点と終点を往復し、4年生の時も5年生の時も乗車した僕にとっては、所々に思い出の欠片が見える風景だった。

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過去への遡上‥‥三江線の旅①

20年以上前から実現したいと思っていた小さな旅だった。島根県西部を転々とした小学校時代、それぞれ1~2年を過ごした小学校5校を順に訪ねてみたいと思い始めたのは、お袋が子宮癌で逝ってしまい、親父が一人暮らしを始めた頃のこと。親父と近況を伝え合い、ふと気付くと思い出話に没頭している、その合間にやってくる沈黙の時間に湧き上がってきた想いがきっかけだった。

思い出の多くは自分の中に残る心象風景で、事実や実体とはほとんど異なるのではないか。目にした風景や出会った人たちの実在は、ひょっとすると僕の思い出には反映されていないのかもしれない。僕の過去は、そんな思い出が連なったものであり、その思い出を刻んだ頃の心根が色濃く投影されているものであり、実際には目にしてもいないことや、体験してさえいないことが練りこまれているのではないか。そんなことをずっと考えていた。

島根県浜田市で生まれ、原井小学校に入学。夏休みが終わる頃に、親父が復職して赴任した粕淵中学沢谷分校のある沢谷という村に呼ばれた。親父と二人きりの寒村暮らしの始まり。それが、転々とした小学校生活の第一歩だった。

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益田駅を出発したのは、4月18日、午前10時過ぎ。お茶とお菓子とカメラが一緒だった。

4月の墓参帰省、3泊4日の最後の1日を、念願だった小さな旅に充てた。名付けて“三江線の旅”。それは、中国地方最大の川“江の川”を中国山地へと遡って行く旅だった。と同時に、過去へと遡上する旅でもあった。

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佐助のように、聞くともなしにまったりとお耳を傾けるような類の話だが‥‥。

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”終了)

*“昭和少年漂流記”に関して

*第二章~第五章は、引き続き加筆修正作業を進行中。第一章は既に加筆修正を終了し、出版されています。

新しい連載も開始するつもりです。今しばらく、お待ちください。

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