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お別れ晩餐……

8年前の12月、初台リハビリテーション病院を退院。Kapparが用意してくれていた、食べ切れないほどの好物を前に涙がこぼれてしまってから一週間後、友人たちが退院祝いをしてくれた。場所は、渋谷の“ラ・ゴローザ”。人目につきにくい場所にある、落ち着いたイタリアン・レストランだった。用意されていたのは、“シェフのお任せコース”。旬の素材を使った気取らないおいしさと温かいおもてなしが印象的だった。もちろん、久しぶりのワインも堪能した。

以来、年に1度、師走のディナー(Kapparのバースデイかイブ)を楽しんできた。誰かにご馳走する時にも利用させてもらった。

その“ラ・ゴローザ”が今月末に閉店予定、とのメールが2ヶ月前に届いた。シェフのご主人とフロアの奥さんの絶妙な二人三脚で成り立っていたお店だ。きっと、お疲れになったのだろう。が、このままお辞めになるのはもったいない。楽しみが減るのも困る。是非、今後のご予定を確かめに行かなくてはならない。

というわけで、今夜は久しぶりの“シェフのお任せコース”。楽しみだ。そして、残念だ。だが、きっと、次の計画への期待は持ち帰れるものと思っている。

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朝とお昼の食事は少なめにした。心の中ではもう、おいしさへの期待が高まりつつある。今夜のメニューはすべて写真に収めて来ようと思っている。お留守番の佐助に見せてやるか………。

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”:(やっと進行中!近日更新)

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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石州半紙の思い出

小学校4年生の1年間、島根県邑智郡川本町という町で過ごした。中国地方一番の川、江の川が上流域から中流域に変わったと思わせる辺りで、周囲は中国山地の山々に囲まれているが、2~3年生の2年間を上流域の沢谷という所で過ごした僕には、村から町に下りてきたように思えた。学校も大きく、校門前には本屋があり、川本駅まで続く道には商店も散在。アイスクリームを売っている店まであった。

教員用の住宅は平屋の小さな庭付き。今で言う2DKが広く感じられた。4年生になったら買ってあげると約束されていた大きな机も、引越しと同時に到着。すべてが伸び伸びと広がっていく感覚がうれしかった。

夏には川遊び。友達に深みに放り込まれたのをきっかけに、泳ぎも覚えた。行動半径が次第に広がっていった秋には、和紙作りの材料である楮(こうぞ)と三椏(みつまた)の加工場を覗くようになり、おじさん、おばさん、お手伝いの少年たちとも会話をするようになった。

楮と三椏を蒸し、皮を剥ぐ。剥いだ皮を束ね、近くを流れる江の川の小さな支流で洗い、水に晒す。そんな一連の作業を質問しながら毎日眺めていた。秋が中盤から終わりに掛かる頃だったと思う。

ある日、「手伝ってみるかい?働いた分、小遣いを上げるよ」とおじさんに誘われた。飛び上がるほどうれしかった。バドミントンセットが買える、と思った。「やらせてください」と返事。すぐに軍手を手渡され、皮を剥く作業を始めた。懸命にやったので、すぐに能率が良くなり、褒めてもらえた。暗くなるまで働いた。30円もらった。皮を剥かれ白い肌を晒している楮は、「持って帰っていいよ。風呂を焚く時使うと、火の点きがいいぞ」と言われたので、束にしてもらった。

暗くなった道を、皮のない楮の束を引きずりながら帰った。裏から回り、風呂の焚口の近くに束を置き、誇らしげに家に入った。掌の30円を見せながら、事の次第を話した。お袋にこっぴどく怒られた。楮の束を指差して、「見て。あれ、お土産だよ」と言うと、もう一度怒られた。でも、心の中では、“明日からも続けよう。暗くなる前に帰ってくればいいんだ”と決めていた。それほどバトミントンセットが欲しかったのだ。

僕が剥いた楮、三椏の皮が石州半紙の一部になっていくと知ったのは、随分後のことだった。

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佐助の“退屈の証”、通称“ヒラメ座り”。おやつあげるから、何かお手伝いしてくれないものかなあ……。

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師も走る季節。リハビリ病院もクリスマス・モードだぞ~~~。

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”:(やっと進行中!近日更新)

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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大山鳴動……

昨日の夕方、「これが最後の晩餐だ~~」と騒ぎながら夕食。「9時までよ~~」と言われつつ、タバコの“最後の1本”をいとおしむように吸い、夜中の喉の渇きにも耐え、初めて“バリウム”に挑み、「何も問題ありません」という結果を抱えて帰ってくる……はずだった今日のお昼。

残念ながら、胃の検診を受けることはできなかった。理由は、検査ベッドの上で寝返りを打つことができないから。胃壁にバリウムを満遍なく行き渡らせるために、身体を仰向けから1~2回転させなくてはならないことがわかり、取りやめることになったのだ。幸い、検査室に入る前、バリウムも飲んでいなかった。が、“膝かっくん”な感じ。冷たい雨の振る中を連れて行ってくれたKapparも“ありゃ~!?知らなかったもんねえ、そんなこと”という状態。

「この際、お茶して帰ろう」とエクセルシオールへ入り、Kapparが銀行での用事を済ませてくるのを待って帰ってきた。という次第。それでも、今夜のメニュー“よく頑張りました”鰻丼の予定は変わっていないのが幸いだ。

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一昨日、久しぶりの来訪だったS夫妻にも、「お前は猫か!?」と言われていた佐助。今日の気温と雨模様に、その“本当は猫?”の本領を発揮。午後2時以降、ずっと丸くなっていた。

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”:(やっと進行中!近日更新)

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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mineo(マイネオ)ユーザーになって1ヶ月

10年前、仕事で会った九州の大きな問屋さんが、こんなことを言っていた。

「楽天に出店している会社で、楽天店が黒字なのは3社。ウチも大赤字ですよ。儲かっているのは楽天だけ。ヴィッセル神戸が契約したイルハン(トルコの人気サッカー選手)の右足は、ウチのもんだって言ってるくらいですよ」

確かに、今でこそ出店料が安くなり、出店の負担は軽減されているが、その頃は楽天への支払いのために店を運用しているような状況だった。それでも、インターネット通販の“多くの人を相手に、少ない費用でビジネスができる”という幻想に振り回された企業や商店は多かった。一方、幻想への投資が毎月十億単位で入ってくる楽天は、着実に事業拡大をしていった。これぞ、“ビッグ・チャリンチャリン・ビジネス”だ。

そして、それに注ぐ“ビッグ・チャリンチャリン・ビジネス”が、携帯通信事業。事業者は、simの固定化と携帯電話機の改良を活用し、巧みな2年縛りで“負担感”を軽く装い、暴利に近い利益を貪ってきた。市場の創成期には事業者を育成するために必要なことではあるが、市場が育ってくると、今度は利用者メリットの方へと総務省も目を向ける。その結果が、simフリーとMVNOだ。これからは、利用者が自分で目的や予算によって、自分で選べるよう、選択肢を増やそう、というわけだ。いいことだ。

で、いくつかの候補から、僕はsoftbankからのMNPで、mineoにしてみた。ほぼ、1ヶ月が経った。今月は、ハード(京セラ)の割賦も含めて、3060円。おそらく来月からは、月額4000円(ウィルスバスターの費用含む)でいけるだろう。しかも2年後には、ハードの割賦(月2000円)が終わる。ハードに問題がなければ、月額2000円程度になる。少しなれる必要はあるが、使っていて不都合は何もない。望ましいではないか。

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新しいことや可能性に出会うと、こんな“キラ!顔”ができる状態で、ずっといたいなあ。優しい声で呼んだだけでもこうだからなあ、佐助は……。

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”:(本日更新済み。次回は、24日予定)

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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待てば海路の……

中学生の頃、耳から入った熟語や諺を頭の中で文字にしてみて、え?これ、どういうことだろう?と思っていたものがいくつかあった。

その代表格が“待てば海路の日和あり”。今は荒天であっても、待っていれば、航海に最適な好天もやがて訪れるよ、という意味で、悪い時には、“待つ”ことも一つの解決策じゃないの?ということだが、僕は“待てばカイロの日和あり”と文字化してしまい、なぜ、待つこととエジプトのカイロの好天が関係あるのだろう?と思っていた。

正しく文字化できたのは、1年後。時々疑問として思い出すことが嫌になり、辞書を引いてみたからだった。疑問はすぐに解決するべきだ、と思った。……が、なかなかその習慣は身に付かなかった。

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“飽食の11月”だ!!ポンパレを利用して(9月の予約購入)、先日は銀座でランチしたのに続き、今日は神田でディナー。置いてけぼりの予感に、佐助の耳がペッタンコ。でも、“待てば海路の……”だぞ。10日後には、また同じことが起きるけどね……。

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”:2日後の夜、更新予定)

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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“よかれ”というお節介?!

企画の肝は、“よかれ”にある。……と信じている。自分のメリットが巧みに混ぜ込まれた“似非よかれ”は、あってはならないものだと思う。しかし、“よかれ”が伝わるとは限らない。意識されていないことや関心が希薄なことに関しては尚更である。そして、それを理解してもらい、共に“よかれ”に向かって動こうというモチベーションを提供する場。それがプレゼンテーションだ。

ただ、“よかれ”が生まれるのは、最初は企画者の頭の中。提案される側にとっては、お節介に過ぎないことも多い。言葉とタイミングを選ばなくては、怒りや失望を招くことにもなりかねない。

“おもてなし”の基本も“よかれ”にあるのかもしれない。“”いらぬお節介“と面倒がられるずに感謝されるためには、言葉とタイミングに繊細な気遣いがなくてはならないものだと思う。誰にでも簡単に実践できることではない。

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昨日、ポンパレで入手したチケットを利用して、銀座“やまぐち”で贅沢なランチをいただいてきた。次々とタイミングよく供される小鉢。その一つひとつがとても美味しかった。目の前のカウンターには栗などで季節感が演出され、赤べこが首を伸ばしていた。

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帰ってくると、熟睡でお迎えに出遅れた佐助が、ぼ~~っと顔を出してきた。

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”:(進んでいません!)

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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冬だ!!

3日前は典型的な小春日和。ちょっと出かけて汗をかいて帰ってきた。気持ちよかったが、“油断ならないぞ”と思った。これはきっと、本格的な寒さの前触れだ。その証拠に膝と肩が痛い。そして何より、佐助がソファから動かない。

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木々の葉や草の揺れで風を知るように、佐助の動きで本格的な冬の到来もわかるのだ。……しかし、動かず丸くなるのは猫じゃないの?と思い、「お前は猫か!?」と聞いてみた。大きな耳が立っただけだった……。

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昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”:(なかなか更新できず。次回未定)

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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一文字の大切さ

ある姉妹の話をした時、「お姉さんは綺麗よ~~~」と聞かされ、「え?!“は”??!“も”じゃなくて??」と言ったことがある。よくあるパターンだ。軽々と言葉を使うと、あらぬ誤解を生むことになる。一文字に価値観や本音が垣間見えることもある。

かつて、NTTにカードCというものがあった。そのカードを使って公衆電話を利用すると、料金は家の電話料金と一緒に請求される、という簡易クレジット型とでも言うべきカードだった。その普及を図るキャンペーンを任されたことがあった。

きれいな満月をぐるりとカードが回って現れ、“公衆電話が”という言葉が添えられた月払いというコピーがどんと重なるシンプルなCM。4台並んだ公衆電話から電話する4人の男女の一発写真に、公衆電話が、月払いというキャッチが割って入る、という新聞広告……といったキャンペーンになった。

実施に入る直前、実は“公衆電話が”の“が”が問題とされ、約1週間、あれやこれやNTT内部で検討され、そのたびに相談の電話があった。

「公衆電話が月払いしてくれるように読めませんか?」「そんな風に思う人、いますかねえ」「“公衆電話を月払い”の方がよくないですか?」「公衆電話を買えるみたいじゃないですか?」「“公衆電話は月払い”じゃだめですか?」「他のサービスは月払いじゃないみたいなニュアンスになりませんか?」………。途中からおもしろくなった。

そしてわかったこと。次第に衰退していく公衆電話事業担当者の過剰な関与と、彼らに対する過度な気遣いの成せる業だった。消費者はいなかった。一文字に、NTTの歪みが集約されたかのようだった。

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目線が向かう所が違うような………。ねえ。

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”:(更新できず。次回予定は、11月12日)

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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一歩ずつ一歩ずつ……

30年来の友人が訪ねてきた。「近いうちにおいで」と電話してはいたのだが……。

彼は2歳年上。生粋のCM業界育ちで、知り合った時はプロデューサーだった。以来、彼とは“ファイナルファンタジー”など4~5本のCMを作った。

そんな彼にちょっと手伝って欲しいことがあったから、「おいで」と言っておいたのだったが、その件は「楽しそうじゃないですか。是非、是非」と終わり、ホットワインを飲んでいるうちに、話は“現状”と“これから”へと移行していった。

勢い、話は“今でも夢があるか否か”“夢に向かって歩めているか”という話になっていく。要するに、“楽しく生きているか”“日々は充実しているか”といったことなのだが、彼はどうも“みんなでワイワイと、楽しく何かを作り上げていく”ということに携わり続けたいと願っているようだった。CMの仕事が好きなのだ。

僕は「ガッツ石松のように、世界チャンピオンだったことも捨て去り、グローブを串に持ち替え、きっぱりと団子屋になりもう一つの夢を紡ぎ直す、って手もあるよ」と言い、「上の方を漠然と見つめ、しかし、きちんと意識しながら、足元の一歩一歩をしっかりと踏みしめて行こうよ」と自分にも言い聞かせ、「仕事とも強く意識せずにできる、結果を喜び合えるようなことの小さな手がかりを大事にしようよ」と言ったのだった。そんな機会に、“ちょっと手伝って欲しいこと”がなることを願って……。夢のあるジジイになるために……。

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夢は、目を細めて見るべきものかもしれない……。

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”:(次回更新は、11月8日)

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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重石になる身、なられる身

フリーで仕事を始めて2社目の契約は、大型のメンズショップチェーンだった。僕とほぼ同年代、30歳を迎えたばかりの跡取り息子のサポートをして欲しい、ということだった。

海外提携ブランド商品の在庫処理から始め、様々なことを一緒にやり、たびたび飲みながらいろいろな話をした。しかし1年半後、あることがきっかけで彼が許せなくなり、辞めてしまった。

それは、彼が専務になった直後、長年番頭格だった営業担当常務を総務部長に降格させたことだった。「なぜ、花道を用意しないのか」「存在しているだけでも価値のある人だ」「どんな現場にも必ず足を運ぶ取締役は、彼しかいない」などと熱弁を振るったが、人事は覆らなかった。2~3日後、朝の総務・人事が入るビルの前をきれいに掃除している元常務を見た。素晴らしい人だと思った。やっぱり跡取りの“重石”にふさわしい人だと思った。でも、悲しかった。また怒りが沸々と湧き上がってきた。……そして、すぐ辞めたのだった。

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朝一番、二階から駆け下りるや、僕の“重石”になる佐助。「太陽と共に起き、寝るのだぞ。洋一!」とでも言いたいのだろうか……。

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”:(本日更新済み。次回は、11月8日)

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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とっても、とっても久しぶりの3連休!!

Kapparが3連休だった。ほとんど10年ぶりだ。

「さ、のんびりしようね」と始まった初日。「掃除だ~~、洋服の入れ替えだ~~、洗濯だ~~」と結局午後まで家事労働。でも、気分はすっきりしたようだ。その間にうれしい贈り物(僕宛だが……)も届いた。

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お腹を温めた方がいいと忠告を受けているようだから、とブログ友達のKさんから届いた“ホットワイン”(ホット専用ワイン)。先週買った携帯カイロが外から温め、お腹ポカポカの夜が、これで約束された!……飲み過ぎないようにしなくちゃ、ね。

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午後になると、ずっと静かに待っていた佐助がKapparの膝によじ登り、いつの間にか1人と1匹で昼寝。

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体勢が妙だなあ、と佐助の足元を見ると、立ったままだった。

そして、2日目。久しぶりに仙川の商店街へ。冬用の室内着を久しぶりのユニクロで補充。これまた久しぶりのサイゼリアで遅い昼食を取って帰ってきた。僕の膝は限界だったが、心はのどかだった。

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”:(次回は、11月5日)

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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