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自縄自縛

「お前の夢はなんだ?」。中学生の時、教師に訊かれた時、僕は「なんでしょうねえ」と訊き返し、呆れられた。事実、夢などなかった。だからというわけではないが、クラーク博士の“少年よ、大志を抱け”という言葉にもさして感動もせず、むしろ疑念さえ抱いていた。夢を実現するための手順や、大志が大志であるがためにいつも感じることになるであろう挫折感への対処の仕方を教えず、「夢を持て!」「大志を抱け!」と言うのは無責任というものだと思っていた。夢や大志を抱き、それを拠り所とすることは、一種の現実逃避だとも思っていた。身勝手に決めたことに自縄自縛になるのは嫌だ、と思った。そして、「してみたいこと」や「するのが好きなこと」や「できるとうれしいこと」に目を向け、そのような言い方を“夢”を問われた時の答にするようになった。すると、二つの言い方が返ってくることが多くなった。一つは「それを夢というんだよ」であり、もう一つは「そんなことを夢だと思っているのか」だった。

“夢”という言葉は、安易に使われ過ぎている。「必ず叶うもの」などと言ってはならない。

“夢”という言葉には、それを口にする人を自縄自縛する言霊が宿っているのだから……。

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散歩の途中、小さな公園で、久しぶりに遊具に乗った。乗ることができてうれしかった。佐助に見つめられた。

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”:次回更新8月中旬予定)

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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北枕と頭寒足熱と……

眠くなってくると、子供に限らず大人でも、手足が温かくなってくる。これはきっと、起きている時は大量の血液が循環してその活動を支えている脳が、「俺、休憩するから、血液は他の所に回していいよ」と休憩に入り、そのおかげで循環してきた血液で末端部分の体温が上がることになるからだと思う。高性能なコンピューターや精密機械が高品質で安定した電力を大量に必要とするように、脳もまた大量のエネルギーを必要とするのだ。

この睡眠と手足の体温の関係を逆転させて安眠を獲得しようというのが、頭寒足熱だと僕は理解している。体の各部位の状況をいつも管理している脳が、「おや?手先、足先が温かくなってるぞ。ということは、俺、休憩するってことだ」と認識し、「じゃ、眠ってもいいんだ」と安心して眠りに入っていくからじゃないか。となると、縁起が悪いからと北枕を避けるより、“北は寒、南は熱”と捉え、北枕で寝た方が安眠にはいのかもしれない。涅槃が北方にあるとも限らないし……。

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今日の佐助の“安眠の一日”は、日曜の夜預けられたせい。体は疲れてはいないはずだが、頭が疲れたのだろう。

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僕たちの安眠のお手伝いは、ほとんどビールだが、今夜からそのヘルパーぶりが強力になってくるはずだ。2ヶ月間“ザ・プレミアムモルツ”を飲み続け獲得したビールサーバーが今日届いたからだ。ビールは“一番絞り”に替わるが、お昼に試飲したところ、「クリーミーな泡ですこと!」という状況を実現してくれた。う~~~~~!こりゃ、眠れそうだわい!

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”:次回更新8月中旬予定)

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三皮も剥けた夏休み

小学5年生の1年間を、島根県益田市鎌手という所で過ごした。国道9号線沿いに民家が点在する、町とも言えない町だった。家屋が密集しているのは、大浜という小さな漁港に下りていく斜面のみ。それもせいぜい数十戸といったところだったと思われる。

転校生が受けるいくつかの洗礼を乗り越え、“坊ちゃん刈り”だった頭も坊主にし、夏休みを迎える頃には、数人の遊び仲間を形成するに至っていた僕は、防波堤に守られた大浜漁港に隣接する、広い砂浜と遠浅の海に恵まれた大浜海水浴場に行くのを楽しみに待つことができるようになっていた。

ところが、夏休みに入り、遊び仲間が「洋ちゃ~~ん、海行こう」と誘いに来てくれた、その行き先は大浜ではなかった。海沿いの小高い所を走る山陰本線の線路上を歩くこと数百メートル。笹や潅木の生い茂る獣道のような坂をくねくねと下りると突然眼前に開ける小さな入り江、通称“芋が浦”(記憶が怪しい……)だった。左右の岩場が自然の防波堤となった小さな岩浜“芋が浦”に、それから僕は毎日通うことになった。

そこは、子供たちのプライベートビーチ。遊び方は自由自在、多種多様だった。時には、空き缶、米、マッチを持参し、“ぼべい”という小さな貝を採り、“ぼべいご飯”をお昼ご飯代わりにして、一日中遊ぶことさえあった。

そんな毎日で、坊主になって初めて迎えた夏の日差しに、僕の頭皮は三回も剥けた。“一皮剥ける”という言葉を大人たちがいい意味として使っていたのを思い出すと、黒く丈夫になった頭を思わず摩りたくなった。しっかりと鎌手の子供になれたような気がして、少し誇らしかった。

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人間なら30代の佐助。未だに音には弱く、雷鳴轟くとKapparの膝に一目散。おかげで、キーボードが打てないからと休憩することになったのをいいことに、しがみついていた。

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ところが、そこに稲光、さらに近くなった雷鳴。もうパニックの佐助。……しかし、その顔はへらへらしているように見えてしまう。心ここにあらず、なのに笑われ、心臓バクバクなのに、写真を撮られ……。他人の不幸は蜜の味ってこういうことなのかもね~~~。

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”:次回更新は、8月初旬~中旬予定!)

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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三皮も剥けた夏休み

小学5年生の1年間を、島根県益田市鎌手という所で過ごした。国道9号線沿いに民家が点在する、町とも言えない町だった。家屋が密集しているのは、大浜という小さな漁港に下りていく斜面のみ。それもせいぜい数十戸といったところだったと思われる。

転校生が受けるいくつかの洗礼を乗り越え、“坊ちゃん刈り”だった頭も坊主にし、夏休みを迎える頃には、数人の遊び仲間を形成するに至っていた僕は、防波堤に守られた大浜漁港に隣接する、広い砂浜と遠浅の海に恵まれた大浜海水浴場に行くのを楽しみに待つことができるようになっていた。

ところが、夏休みに入り、遊び仲間が「洋ちゃ~~ん、海行こう」と誘いに来てくれた、その行き先は大浜ではなかった。海沿いの小高い所を走る山陰本線の線路上を歩くこと数百メートル。笹や潅木の生い茂る獣道のような坂をくねくねと下りると突然眼前に開ける小さな入り江、通称“芋が浦”(記憶が怪しい……)だった。左右の岩場が自然の防波堤となった小さな岩浜“芋が浦”に、それから僕は毎日通うことになった。

そこは、子供たちのプライベートビーチ。遊び方は自由自在、多種多様だった。時には、空き缶、米、マッチを持参し、“ぼべい”という小さな貝を採り、“ぼべいご飯”をお昼ご飯代わりにして、一日中遊ぶことさえあった。

そんな毎日で、坊主になって初めて迎えた夏の日差しに、僕の頭皮は三回も剥けた。“一皮剥ける”という言葉を大人たちがいい意味として使っていたのを思い出すと、黒く丈夫になった頭を思わず摩りたくなった。しっかりと鎌手の子供になれたような気がして、少し誇らしかった。

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人間なら30代の佐助。未だに音には弱く、雷鳴轟くとKapparの膝に一目散。おかげで、キーボードが打てないからと休憩することになったのをいいことに、しがみついていた。

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ところが、そこに稲光、さらに近くなった雷鳴。もうパニックの佐助。……しかし、その顔はへらへらしているように見えてしまう。心ここにあらず、なのに笑われ、心臓バクバクなのに、写真を撮られ……。他人の不幸は蜜の味ってこういうことなのかもね~~~。

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ロキソニン頼りの日々

7年前の暮れ、初台リハビリテーション病院を退院以降2~3年間は、麻痺した左肩、左腕の痛みに苦労した。健常な右手、右腕は、日常活動のために孤軍奮闘した上に、麻痺側を揉まねばならず(揉んだところでさして良くなるわけでもないのだが…)、時々「何でもかんでも俺かよ~~」とストライキすることがあった。キーボードに向かい少し書くと、「もう勘弁してください」と弱音を吐き、お箸を持つだけで「無理です」と休憩を望んだりもした。

やがて、通院リハビリの甲斐あって、左腕を後ろに回しても激痛は走らず、左肩を多少動かすこともできるようになり、右腕、右手の負担は軽減された。

しかし、積年の恨みでもあるのだろうか、ここ2ヶ月、右肩、右肘、右腕の痛みが強い。左側の痛みが可愛く思えるほどだ。1日何度かは呻き声が漏れるほどの痛みさえ与えてくれる。腰痛まで誘い出してくる。

最も困っているのが睡眠。1~3時間で、ベッドにいたたまれなくなる。階下に下りて、体勢を変えて寝ようとしても、やはり1時間程度が限度。すべてを足して5時間確保できれば十分、と思いつつも、頭のどこかに睡魔が居座ったままの不快さは残る。

“酔っ払って寝ちゃえば?!”という悪魔の囁きに従った夜もあるが、一人で飲んでもお酒はつまらない。“だったら、僕を頼ってみれば?”というロキソニン君の声に、毎夜1錠飲んで寝ているが、どうも力不足だ。今夜はロキソニン君2人と寝てみるつもりだが、果たしてどうか……。何人まで道連れにしていいのかなあ……

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「上を向いて生きていこうね」と言っているかのように見える佐助だが、実は目が釘付けになっているのは鳩。やはり“柴犬”の血が入っているのだろうか?

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”:次回8月初旬~中旬予定!)

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お疲れ“調布往復”

一昨日は、「電車で調布まで!佐助を連れて!」が人身事故のせいで中断となったが、意気込みが残るうちにやりおおせようと、昨日のお昼に再出発した。

強い日差しの中、まずは各駅停車に無事乗車。前日の予行演習がよかったのか、佐助は静かにカートに収まっている。

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Kapparと外人さんと佐助(見えないが…)の写真をこっそり撮っているうちに、つつじヶ丘到着。急行に乗り換え、瞬く間に調布着。

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我慢しているのかな?と、調布駅地上階でカートを覗いてみると、「何かご用?」という顔付き。これ幸いと、駅から徒歩5分の目的地までカートに乗せたまま向かった。

預かり所のオーナー夫婦とお話し、27日の宿泊を予約。オーナーのご好意で帰路はクルマで送っていただいた。

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「なんだ~~?平気だったじゃん」と汗を拭い、喉の渇きを癒して振り向くと、佐助はぐた~~っと寝ていた。どうも平気だったわけではなさそうだ。あの顔付きは、強がり?まさか、気遣い?だったわけはないだろうが……。

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”:次回8月初~中旬予定!)

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リトライするか……

クルマを手放し、運転免許の更新もせず、移動手段は公共交通が基本で、やむをえない場合のみタクシー利用(障害者割引活用!)と決めて7年。5年間は不都合もなく、不便を感じることもなかったが、佐助と暮らすようになり、佐助目線で考えることが多くなって、クルマのない生活にささやかな不都合が生まれた。泊りがけの旅行に行くこと、長時間の外出をすることが難しくなったのだ。

僕が少し不自由で、片手に杖を、もう一方の手でリードを、というスタイルで散歩はこなせるが、排泄物の始末が覚束ない、とあって、Kapparが実家に行く時、長時間の外出をせざるを得ない時などは、預けることにしていた。二人一緒に行動する時は、その時間の長さによっては、佐助はお泊りということも、よくあった。

ただ、佐助はケージやクレートでは眠ることができず(保健所で死を待っていた頃のトラウマなのだろうか?)鳴き続けるので、通常のペットホテルは使えない。というわけで、しかるべきところをKapparが探し、見つけたのが、“おさんぽ先生”。送迎サービスもある、とても素晴らしい施設だったが、なんと小笠原に移住されてしまった。

困ったものだ、と次の候補を探していたところ、最近になって調布にいいところを発見。「一度、連れて来ていただきたい」ということだったので、Kapparの仕事の隙間をかいくぐり、今日出かけた。

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カートを出し、さあ出発!

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カートを杖代わりに芦花公園駅まで、僕が押しながら、

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信号はきちんと待って、

予定した時間通りに芦花公園駅到着。佐助をカートに乗せ、カバーをかけ、ホームまで行った。すると!人身事故で京王線ストップ!結局諦めて帰ってくる羽目に。やむをえない!今週中に、リトライだ~~~!

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”:次回更新未定!)

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プチ贅沢ウィークエンド

貧乏性と合理性は似て非なるものだと思う。合理性はむしろ、“もったいない”スピリットに近いものだろう。身の丈を自覚し、背伸びすることなく、ウォンツとニーズのバランスに留意しつつ、決めたら潔く、しかし緩みなく、エネルギーを投入する……。“もったいない”スピリットの根幹はそんなところにあるのだと思う。

仲良しワン友夫婦の奥さんYさんは時々、「そろそろ“ニンジン”が必要なのよ~~。今度の週末、どこか行かない?」とおっしゃるが、そのタイミングが、Kapparが“ニンジン”を必要としているタイミングと一緒のことが多いため、「是非、是非~~!」ということになる。「今ね、“大きなニンジン”が必要なの~~」というハードな日々の時は、数ヶ月先の旅行の計画を一緒に立てる。そのための情報収集や情報交換に小さく使う時間、あるいは決定した旅行先の周辺情報を調べたり、宿泊施設の写真や料理を眺めたりする時間まで日々楽しみながら旅行の日を迎えよう、というのだから、なるほど“大きなニンジン”だ。

僕も時々、ほとんど休日なしのKapparに“ニンジン”を用意するが、今回用意していたのは、“中くらいのニンジン”。チケットサイト“ポンパレ”で2ヶ月以前に購入しておいた銀座の寿司割烹“植田”のディナー半額券だ。その利用予約をしていたのが、先週の金曜日。

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折悪しく雨の夕方、留守番の佐助を残して出発。7年ぶりの夕暮れの銀座に到着したのは午後6時半だった。

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予約した午後7時まで店は開かないということで、隣のバーをウェイティング・バー代わりにしてハートランドを1本ずつ。

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それはそれはおいしいお寿司をいただき、冷酒を飲み、案の定タクシーで帰宅することに。雨の夜の銀座を車窓から眺めつつ、プチ贅沢ウィークエンドの夜は、満腹と満足の終わりを迎えたのだった。

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おとなしく待っていた(寝ていた?)佐助も、ご褒美のおやつやヨーグルトで幸せだったようだし。3~4ヶ月に1回くらいは、あってもいいかな?こんなニンジン。

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”:本日更新完了!次は月曜??!)

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シミュレーションという“希望的観測”

成功するか否かは、直感でわかってしまうもの。その直感の優れた人が、いい創業者(ただし、きっとワンマンだが……)たりうる資格の保有者なのだと思う。何人か、そういう人に会ったことがあるが、彼らは全員マーケティングセンサーを持っていて、かつシミュレーションを必要としない人たちだった。結論ありき!なのだ。

シミュレーションが好きなのは、創業者タイプの周辺にいる人たち。結論ありきのトップに自論を理解し承認してもらいたい時に、成功が約束されているものであることを強調したいが故に利用する。

しかし、その多くは“成功が約束されているかのように”見えるだけの、巧みに練り上げられた“希望的観測”に過ぎず、マーケティングセンサーを持つ人には通用しない。「やってみなはれ」とはなかなか言ってもらえない。皮膚感覚に勝るデータやシミュレーションなどないのだから……。

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夕方、ちょっと強くなってきた風に、台風来襲に備えようとしていたら、佐助のへらへら顔に出くわした。“今”に“直感と少しの記憶”で向き合う暮らしの佐助。雷鳴でも耳に入ると、表情を一変させ、仕事中のKapparの足元or膝上にまっしぐら、に決まっているのだ。シミュレーションなんかしたことないし、ね。ワンパターンでいいんだもんね……。

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”:次回更新は未定)

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ユダヤ商法VS大阪商法、そして……。

学生の頃、京都の人たち数人に、同じ台詞を聞かされた。「天皇を東京に連れて行かれへんかったら、今でも京都が日本の首都なんやけどなあ」。京都人のアンチ東京の根深さを垣間見たような気がした。50年ばかり前のことだが、今はどうなのだろう。

しかし、もし京都人の望むとおりになっていたとしても、東京が政治の中心となっていたことに変わりはないだろう。違いがあるとすれば、大阪だ。江戸時代までの経済の中心としての機能を持ち続け、もっと巨大な経済都市になっていたかもしれない。大阪商人、近江商人、伊勢商人が三大商人と言われるが、すべて近畿圏だし……。

となれば、大阪商法が日本経済を代表して、世界の舞台でユダヤ商法と戦うことになっていたかもしれない。さらにそこに中国商法も加わり三つ巴になって……。ということになったら、どうも分が悪く思えてならない。“商いは飽きないこと”と精神論やスタンスを重んじる商法では、“女と口を狙うことだ”というターゲット論や“拝金主義”に太刀打ちできる気がしない。大阪商法、決してエゲツなくはないからだ。

商売には全く向かない男の妄想ではあるが……。

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佐助の事大主義。……雷鳴に怯えた時はKapparの元へまっしぐら!のくせに、僕から晩御飯をもらった後は、膝に擦り擦り。全く!……可愛い奴だ。

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タイミング≧コンテンツ

Hunger Is The Best Appetizer.という諺(かな?)がある。“空腹こそ、最良の前菜である”と僕は覚えているが、“空腹は、最良の調味料”という訳も見たことがある。

いずれにしろ、“腹が減ってる時は何でも旨いもんだねえ”ということだが、それは見方を変えれば、“タイミング≧コンテンツ”ということ。さらに見方を変えれば、“どんなにいいものも、タイミングが悪ければ評価はされにくい”ということになる。

しかし、モノの改善はできるが、タイミングの把握は難しい。遅くては意味を成さないコトやモノもあれば、早過ぎると見向きもされないコトやモノもある。時間マーケティングが重視されるべき理由だ。

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佐助のウォンツ把握は、むつかしい。だって、喋ってくれないし、喋ると“ワン”だけなんだもの。食う、出す、遊ぶ、の3種くらいだというのに。

しかし、食う、に関するタイミングは、ある意味わかりやすい。それは“いつも”だから。気をつけないと太りますけどね……。

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“もう大丈夫!”に潜む罠

登山は下山の時、木登りは下りる時、が要注意。上がったものは下がる。上ったら下りなくてはいけない。そして、下りる時の方が危険度が高いものだ。

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今年も友人EBUちゃんから届いた山形産さくらんぼ。半分を友人KENちゃんに届けようと、出かけた。水曜日のことである。「真夏だねえ」と、今年の夏色に決めたグレイッシュブルーのパンツと同色のシューズとキャップで、正午前に出発。2時前に汗だくで帰ってきた。真夏の到来と思うと、心も体も緩んでくる。

ところが、翌日からまた天気は梅雨らしさを取り戻してくれてしまった。沖縄梅雨明けの報に、“もう大丈夫”と早とちりしてしまっていたようだ。肩や肘がしくしくと湿度と気温に反応。腕が使いにくくて困る状態になっている。一度緩んだ心と体が戸惑っている感じだ。

隔週で通っている“いしはら療法研究所”(高校の同級生が運営)のおかげで、肩の痛みは軽減されたが、今はまだ使い過ぎ注意の状況だと思っている……なかなか不自由だ……

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「大変ですね~~~」と思ってくれているのかいないのか、佐助は“臍天”でちらりとこちらを見ていた。

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金の鳥篭でスズメを飼う……

学生の頃、ある同級生の部屋に連れて行かれて驚いた。なんと、そこはマンションの一室。兄弟で住んでいるとはいえ、マンションとは贅沢極まりない。おまけに、その部屋には威風堂々としたオーディオセットまであるではないか!その横の本棚には“スウィング・ジャーナル”のバックナンバーがきれいに揃ってさえいる!

さらに驚いたのが、そのジャズレコードコレクション。1枚しかなかったのだ。「道具から入るタイプなんだなあ」と思ったが、それにしても少な過ぎる。思い浮かんだ言葉が、“金の鳥篭でスズメを飼う”。入れ物より中身だろう、と思ったのだ。何も飼っていない、とさえ思った。ステレオのスイッチを入れた同級生も、“音”の話はするが“音楽”の話はしなかった。

昨今、インターフェースの高度化にコンテンツの質は追いつけるのか?と思うことが多いが、30数年前にだってあったことなんだなあ~~~。

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“どこでも居間”感覚の佐助君。華美な洋服、瀟洒な小屋など似合うわけもなく、欲しいわけもない。……助かります!

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