« 2014年4月 | トップページ | 2014年6月 »

いつもお世話になってるあの人に……。

僕は、かなり不義理な人間の部類に属する。“恩”や“感謝”や“義理”が重たくて忘れてしまうタイプかもしれない。忘れようとしているつもりはないんだけどな……。

重く感じることもなく、忘れることもなくなる方法は、ただ一つ。お返しをきちんとして、自分の心に決着をつけることだ。情けは人の為ならず、なのだ。

というわけで、自分たちの楽しみでもあったワン友夫婦のお誕生日会をやっと開催することができた。

Photo

今回は、メニューも用意。野菜のジュレから始まり、なんやかやで、最後はやっぱりケーキ。

Photo_2

しかし、いつものことだが、お二人がお帰りになった後、「何か忘れてるよね~~~」ということに。しばらくして、「デザートだ~~!」と気付いたが、時既に遅し。こんな時の常套句「ま、いいか~~」で締めくくることになった土曜の夜だった。

Photo_3

佐助の目は終始、テーブルの上に釘付けだった。

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”:次回未定)

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

カンボジアの青年ソッカ―の話 part2

そして、Kapparがソッカ―のバイクの後ろに乗って、クメール・ルージュの遺跡(彼らの陣地跡は、既に遺跡として扱われていた……)見学に行った時のこと。遺跡の入り口には小屋があり、管理人らしき人がいた。ソッカ―はKapparと立ち止まり、こんな話をした。

「彼は、元クメール・ルージュの兵隊だった。クメール・ルージュがなくなった後、兵隊だった人たちはこうして働いている。しかし、みんな低収入で働かざるを得ない立場にある。だから、少しでいいからチップを上げてくれないか?」

Kapparは驚き、感動した。ソッカ―の父親はソッカ―が2歳の時、連行されたまま帰ってこなかった。ソッカ―は地方の農村に連れて行かれた。お兄さんの行方も知れなかった。そのすべてが、クメール・ルージュの仕業なのだ。それなのにソッカ―は、自らもチップを渡している。元クメール・ルージュの兵隊に、である。

ソッカ―の魂に宿っている仏教の教えだろうか、東南アジアの人たちに共通する穏やかな懐の深さだろうか……。

僕は、Kapparからこの話を聞いて、罪を憎んで人を憎まず、を力むことなく実践できるカンボジアの人たちが、近代化の垢に汚れてしまわないことを願う気持ちでいっぱいになった。

Photo

「何かくれる?」と見つめる目も、欲でいっぱいになると血走ってくるんだぞ、佐助。気を付けようね。

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”:次回未定)

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

カンボジアの青年ソッカ―の話

アジアン・マダムKapparが、カンボジア旅行をした時のことである。

2001年。クメール・ルージュが解党して2年、首都プノンペンに続き、観光地アンコールワットももはや安全と言われ始めた頃のこと。Kapparは、仕事のスケジュールを調整して、10日間の一人旅へと向かった。

目的地はアンコールワット。悲惨な内戦と大虐殺が収束してまだわずか、インフラはまるで整っていない。そこで、Kapparは空港でたまたま利用したバイク・タクシーと一週間の専属契約交渉をした。一日10米ドルで契約成立。そのバイク・タクシーの主が、当時26歳のカンボジア青年ソッカ―だった。

それから一週間、専属運転手兼通訳兼ガイドとして、アンコールワットのみならず、クメール・ルージュの陣地跡等を訪ねて回る間、Kapparとソッカ―はたどたどしい英語で多くを語り合った。

僕は、帰国後聞かされたその時の話が忘れられない。

ソッカ―の父親は、ソッカ―が2歳の時クメール・ルージュに連れて行かれ、そのまま帰って来ることはなかった。教師だった。一回り上の兄と彼は別々に農村に下放され、ソッカ―は牛の世話が仕事としてあてがわれた。なんとか生きながらえ、教育を受けた兄はその後医者に。教育を受ける機会のなかったソッカ―は、政府軍の通信兵として働いた後、中古バイクを手に入れ、バイク・タクシー稼業に就いたのだった。

そんなソッカ―が、ある時Kapparに言ったという。

「国連軍がやってきて、31か国もの人たちのおかげで、ポル・ポトを追い出すことができた。が、それが僕はとても悔しい。自分たちの国の問題は自分たちで解決すべきだ。他国の人の手を借りなくてはならなかったことが、悔しくてたまらない」

アメリカ、中国、ソ連、ベトナムに翻弄され、食料輸出国から食料輸入国になってしまうところまで国土が荒らされていた国、カンボジアだが、ソッカ―の誇りと自立する精神までは荒らすことはできなかった……つづく

Photo

そんなソッカ―のことを考えている横で、佐助君、「お腹撫でてみない?」とは!?日本は、平和です。

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”:次回未定)

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ダウンシフト

“お金は塩水のようなもの”。飲めば飲むほど、喉に渇きを覚えるらしい。

が、何でも過度に摂取したくなる人にとってはそうかもしれないが、がぶ飲みを望まない人にとっては、当てはまらない。飲み過ぎるといいことなんてないぞ!と気付いた人にも当てはまらない。

自分にとっての適量を知り、適量だけを摂取することを選ぶと、いつもいつも襲われていた喉の渇きはなくなる。お金の呪縛からの解放である。

そんな風に暮らしを変えていくことを、ダウンシフトと言う。それは、勝ち組・負け組という概念からの解放でもあり、自らの内にある制御し難い欲望からの解放でもある。

ダウンシフトを果たした、ダウンシフターと言われる人たちは、安らかな幸せを選んだ人たちだ。モノよりもココロを選び、ココロを味わうことを知っている人たちだとも言える。

あれ?!それって、すごく日本文化的なことじゃない?!

Photo

休業状態だった我が家の“南仏テラス”が、季候に恵まれ復活。“暑くならないうちに”“雨続きになる前に”と、ほぼ毎朝、利用されている。

Photo_2

佐助も移動。テーブル下からおこぼれにありついている。

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”次回は、1週間程度、延期させていただきます)

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

平常営業だ~~~~

何か特別なことがあったわけではない。身体に変調をきたしたわけでもない。しかし、墓参帰省から帰京後、胸の中がしっくりとしない日が続いている。

原因を探ろうと、心のサルベージをしてみたが、漂っているものは見当たらない。もし何かあるとすれば、中学、高校の同級生合計7~8人と個別に話をする時間があり、彼らの今と過去をじっくりと耳にすることができたくらいのことだ。ただ、その内容がほとんど感心するばかりのものだったことは、影響しているかもしれない。比較の中に人生などありはしないのだが、遠くへ、遠くから、と移動しているうちに、彼我を見比べている自分がいるのかもしれない。

ただただ楽しくはあったが、何をしてきたというのだろう、僕は……。な~~んて気持にでもなったのかな?

約2週間。だらりと過ごしてみて、一つだけわかったのは、今も、きっとこれから先も、大差ない暮らしが続くであろうこと。かつてそうだったように……。それでいいじゃないか!と平常営業に戻ることにした。見習うべきは、佐助だ!……きっと!

Photo

朝の散歩のお迎えに裏の公園まで行くと、まっしぐらに走ってきた。

Photo_2

その後は、ひと遊びすると、もうつまらなさそうだった。昨日も明日も関係ないんだもんね~。

昭和少年漂流記 第五章“パワーストーン”次回は5月15日)

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2014年4月 | トップページ | 2014年6月 »