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引き返すことは難しくない!?

iphone、ipadの解約をしてきた。共に使用期間1年なので、1年分のハード購入費用の残債がある。そこに新しい携帯の月割り購入費用が発生するので、計算すると、10か月後までは経費軽減にはならないが、それ以降は月々3~4千円は軽減できるはずだ(パケット定額も止め、逓増方にした)。驚くことに携帯の店内在庫がゼロだったので、近くの系列店から運んでもらった。あったのが、Aquos携帯のみだったので、Aquosユーザーとなった。

かねてより頭の中にあって離れることのない“ある企画”の実現性をテストするためだったとはいえ、もはやモバイル人間ではなくなった僕にとっては贅沢だったツールと別れ、どこかすっきりとした気分だ。

一方で家と事務所のネット環境をuqwimaxで統一したので、手元に残ったiphoneとipadは、wimax専用のツールとなった。もちろん、ipodとしても機能することになるが……。予めインストールしておいたLineがどの程度使えるのかも試してみよう。その他のアプリで使えそうだと思って残しておいたものは、使えている。

改めて携帯を触り始めて、少し戸惑った。が、徐々にかつての使い方を思い出してみると、さすがに進化を遂げている。スマホのいいとこどりもしている。二日目になるともう、手にもなじんできた。

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一度乗り方を覚えた自転車のように、時を経ても容易に後戻りして使いこなせるものだと思った。後戻りを躊躇させるのは、きっと“後退している感”という心理的な負い目だけだろう。自分に合ったものを選ぶことに勇気が必要な時代になっているのかもしれない。

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島忠にも行った。ホームセンターはやっぱり楽しいな、と思った。

満腹寿司でランチもして帰った。さすがに足がへなへなで、帰りは障碍者手帳を活用してタクシーにした。800円だった。

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4時間の留守番だった佐助のうれしそうな出迎えを受けたが、直後には「ご褒美は?」とおねだりされた。……ま、まさか、待ってたのは、それ??!!

“Its So Easy” by Linda Ronstadt

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昭和少年漂流記 (第三章“石ころと流れ星”短期集中再掲載!次回更新準備中!)

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明日、スマホとお別れだ~~!

スマホは都市生活者の“徒然の慰め”ツールだと、僕は思う。通勤・通学の移動という、毎日同じ景色を眺めながらの往復一日合計約1時間~2時間半と、待ち合わせ等で使う一日合計約1時間を足すと、一日の10%~20%の時間となる。この時間を退屈せずに過ごすために、都市生活者は様々な消費をしてきた。スポーツ紙、夕刊紙、週刊誌、文庫本、移動学習等々だ。朝スポーツ紙を買い、帰りに夕刊紙を、時には週刊誌も購入ということになると、月間3~5000円を使うことになる。プラス携帯電話、デジカメも、となれば、スマホの費用と匹敵する。場合によってはスマホの方がお得なくらいだ。

しかし、移動中の利用を排除して考えると、至って使い道に乏しい。費用対効果が俄然悪くなるのだ。というわけで、僕はiphoneを手放すことにした。以前も書いた(ドアオープナーの項だった?)が、パソコン同様、Appleは必ずやWindowsに追い抜かれてしまうことだろう。ハードの魅力は市場を開くことはできるが、継続する販売力はソフトがもたらすものだからだ。

ここは一番、iphone離れをしておいて、スマホのハードとソフト(タブレット端末も含めて)の動向を見ながら、また機を見てトライアルユースから始めた方が無駄もなく楽しいのではないだろうか。というわけで、明日、解約&フィーチャーフォンの契約に行ってきま~~す。番号ポータビリティで他社へ、というのも考えたが、これも時期を見て再検討しようと決めた。なので、softbankで継続…気に入ってはいないが…

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いい変化を予感させてくれた月曜の朝の雪。

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ベランダの雪は朝日に輝いていた。

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近所の可愛いポストだって……

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まあ、佐助は相変わらず、草に首を伸ばし、

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「帰りたくないよ~~。おやつくれる人見かけたもん」とストライキをしたり、変わらない日常を満喫しておりますが…。

今日、NTTの代理店の人が来て、光ファイバーの解除を行ってくれた。今のところ、wimaxで問題なく快適にやっている。

しかし、時間かかった~~~。“The Longest Time”by Billy Joel

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“できるかもしれない”との決別!?

土曜日、かつての仕事仲間の来訪を受けた。午後3時、ビールで乾杯。お互いの近況を語り合った。佐助の散歩から帰ってきたKapparも加わり、ビールから焼酎へ。

あれよあれよと時間は過ぎていき、翌日朝から仕事のある彼は9時半過ぎに帰路につき、同じく翌日実家でのパントリーの片づけと実家近くでのミニ同窓会のあるKapparともう1杯ずつ飲んだ。

彼の仕事は、お昼は独居老人宅への弁当の配達、夜はレンタカー会社での回送サービス。ともにお客さんと直接接する仕事だ。特に弁当の配達は、必要なものを必要な人に必要とされる時に届けるという、まさに必要とされる仕事だ。「毎日待ってくれているし、感謝もされるので、楽しい」と彼は顔を輝かせていた。

「日々楽しく、それで収入にもなる。収入は多くはないが、時間効率を考えると不満はない」というかれの言葉に嘘はない。「よかったねえ」と繰り返し言いながら、「ここまで付き合いのあった忘れられない何人かの人たちのお蔭だ」と言う彼が、羨ましいとさえ思えてきたのだった。

“やってみたい“という恐れ知らずで、時には身の程知らずな願望に振り回されがちな若い頃を経て、人の振りを見て“できるかもしれない”と真似たり教わってみた青年期も越え、人に喜ばれることに直接かかわることが一番楽しいことなんだと体得した彼。奥方の支えや支援もあったとはいえ、今こそ充実の時を迎えているんだと思った。50代半ば過ぎ、これから10~20年の時を思えば、本当にいい時にいい心境に至ったものだ。本人の心地いい状況は、幸せな空気となって僕たちの家に残って漂い続けたのだった。

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そして、日曜。“できるかもしれない”にまだ囚われている僕は、“やれるとこまでやってみる”ために、コタツの上をセッティング(お弁当箱の中には、たべっこ動物が…)。

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「ちょうだいよ、そのいい匂いのもの」とお座りする佐助を無視してパソコンに向かってみたが、スランプ(?)は続いていた。

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1時間後、寝ていた佐助。

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2時間後、場所を変えて寝ていた佐助。

といった感じで、“できるかもしれない”をまだ抱え続けているのだった。

“Keep On Trying” by POCO

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悪いことばかりじゃない!!

今日はリハビリの日。朝9時9分のバスで出発!…のはずが、バスが来たのは9時30分。交通混雑のせいだが、待っている間に僕のお腹の中も大混雑。緊急事態近し、という状態になっていた。今日はツキがないと思ったが、バスを待ちきれなかった人が多かったのか、乗客はわずか2名。しかも、出発後はすいすいと進んでいく。お蔭で、成城コルティで無事お腹の混雑を解消し、診察には間に合わず後回しになったが、リハビリには間に合った。

リハビリルームには、Gさんがソファに座っている。前回お会いした時よりも小ざっぱりとしていた。きっと奥さんの術後経過もいいのだろうと思ったので、隣に座りすぐに訊いた。「奥さん、いかがですか?その後」。くるりと身体をこちらに向けたGさん、顔がさっと明るくなった。「それが、いいんですよ~~。検査の結果もよくてねえ」「再発の心配もなさそうですか?」「スキルス性だから心配したんですが、30か所くらい検査して、リンパも調べて、大丈夫ということだったんで、本当によかったです」ということだった。

僕も思わず声が弾み、すぐに始まったリハビリの時も、最初の1~2分は冗談を交わすほどだった。肩の力が抜けた気分だったが、ここのところの寒さのせいで、「随分固くなってますねえ」とのことで、主にほぐすことに時間を費やしていただくことになった。

会計待ちの間は“足こぎ車椅子”の話を伺い、薬局でも一緒になったので挨拶を交わして買い物に向かった。気持ちは晴れ晴れとしていた。

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自宅近くまで着いて空を見上げると、空も晴れ晴れとしていた。

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足元に目を転じると、雪が残り危険な状態。この差が、現実というものなんだなあ、と思いつつルートを変えた。どちらを見つめているか、で心は変わるんだろうなあ……。

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帰って来ると早速、「帰宅の挨拶代わりに何かくれるんでしょ」という、佐助の“お座りおねだり”攻撃を受けた。

“All Right Now”by FREE

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過去にとらわれない、と言っても…

死んだ子の年を数えるように…、という喩え方があるが、とかく過去を悔い、過去を偲び、今を憂えて暮らしがちなのは、人間だけのようだ。考えても詮方なく、思ったところで行き着く場所さえない過去は、思い出話に花を咲かせるためのものにしておいた方がいいというものだ。取り返しようもないものを強く思い続けていると、暗黒のエネルギーに支配され、たとえようもなく暗い海の中を漂うことになってしまうからだ。

昨夕、Kapparが打ち合わせで留守をしている間、地下室に降りて行ったままなかなか上がってこなかった佐助。Kapparの椅子の下で寂しそうに蹲っているのかな、などと思い、放っておいたが、やがて上がってきた様子がおかしい。

急いで降りてみると、階段下にたんまり吐いている。キッチンペーパーと重層液のスプレーを取りに上がり、急いで降りるとついてくる。殊勝に俯いているな、と見ていると、また二度吐いた。その朝も吐いたので調子が悪いのだろうが、動物君たちはなべて、吐き終わるとすっきり元に戻るのが常なので、掃除に専念した。

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しかし、その1時間後。晩御飯を食べない!身体の構成要素の7割が食欲の佐助。食べないなんて姿、見たことがない。あれこれと手を変え品を変えやってみたが、ついには裏のベランダに出て風に吹かれて悲しげな風情を見せる。

ただただ見守ること30分。やっと、ゆっくりと晩御飯を食べてくれた。「吐いたんだもんねえ」と、追加でご飯をプラス。「お腹の調子良くしないとねえ」と、特別にヨーグルトも少し……。

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そして、Kapparも帰ってきて我々の晩御飯も終わった9時過ぎ。コタツ布団で丸くなる佐助。こちらが思うだけだろうが、いつもより元気がないような気がした。

そして、今朝。まるで昨夕のことなど何もなかったように佐助の一日は、始まった。意識せざる見事な切り替え。切り替わっていなかったのは、「何かたくさん、いろいろなものがもらえるかも…」という気分だけだった。げにおそるべし、佐助の食い意地……。

でも、食べてもいい!変わらないのが一番!“Constantly”by Cliff Richard

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昭和少年漂流記 (第三章“石ころと流れ星”短期集中再掲載!本日、午後8時更新)

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毎日が発見

という雑誌の創刊に関わったことがある。なんとまあ、あざといタイトルだなあ、と思った。毎日感動を発見しなくては、と思い続けるのもなかなかプレッシャーだなあ、と思ったりもした。それはしかし、発見することへの過度な期待だとやがてわかってきた。

どんな状況にあろうとも、人は何かを発見し、そこに楽しみや喜びを見出す力を持っているものなんだ、と思うようになった。

大島渚監督が亡くなったと知り、そんなことを思い出した。小山明子夫人が苦労の末に辿り着いた明るさと、それに寝たきりの大島渚監督が表情だけで見せるユーモアの映像を見た時の喜びは忘れられない。

夫人が「さあ、手のリハビリ頑張りましょうね」と言って、固まってしまう危険性のある麻痺側の手を取り、「頑張ったら、キスしてあげるからね」と言うと、監督は表情を歪めて顔を少し横によけてみせる。それを見逃さなかった夫人が、「あら!私のキスは嫌なの」と笑いながら言うと、監督も微笑む……というような場面だったと記憶している。なんとも微笑ましく、睦まじい場面だった。とても深いコミュニケーションだと思った。

それに比べれば多くの言葉を弄している僕のコミュニケーションは、一体どれほど深いものたりえているのだろうか、と思ったものだった。支え続ける夫人の経済的、精神的、肉体的負担には想像を超えるものがあったことだろうが、大島渚監督は、幸せだったに違いない。そんな姿はきっと夫人に伝わり、夫人にも幸せを与えていたことだろう。一方通行では、決してなかったのだ。

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雪の後の晴れ渡った空。心地いい。

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地上にはまだ雪の残っている場所があった。…昨日の朝までは。

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今朝、雪はほとんど消えて、登校する子供たちの歓声も聞こえなくなった。さあ、今夜の雪はどうなんだろう……。

“No Matter What”by Badfinger

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一人暮らしを想像した一日。

今日、Kapparは高校時代の剣道部仲間との同窓会。横浜のインターコンチネンタルホテルでブッフェランチをした後、中華街で飲もうぜ、という計画に、初めて剣道部の同期11人全員が終結するということだ。

それぞれがそれぞれの人生を歩み、それぞれがそれぞれの問題や苦難を乗り越えつつ、年に1回の近況報告を重ねてきた仲間たち。11のライフストーリーの節目節目をKapparから、いつも興味深く聞いているが、必ず思うのは、女性たちのしなやかさと女性同士の距離感覚の素晴らしさだ。女性の体育会系の仲間は、男の体育会系の仲間とは一味違うようだ。さらりとしていてコクのある料理のような感じがしなくもない。

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午前中の様子に、「なんだ、なんだ?」とやや不安げな状態だった佐助は、一日預かりへ。

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裏の公園に子供たちの嬌声が戻ったお昼過ぎ、僕は掃除を始めた。一度、尻餅をついた。痛くはなかったが、ひやりとした。脳出血発症後、一人暮らしをするしかない、と考えていたことを思い出した。そうしていたら、どうなっていたんだろう、と思った。そして、病や後遺症を抱えつつ、やむなく一人暮らしをしている多くの人たちのことを想った。介護される側の視点、などと過去に書いたが、そんなことを考えられるだけ恵まれているんだなあ、と思った。……リハビリ仲間のGさん、奥さんの術後の経過はどうなんだろう……なんとなく浮かんだ曲“Unchained Melody”by The Rightrous Brothers

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「リハビリと介護NET」のブログがスタート。現在は、「Kapparの“ゆる・はや・ごはん”」「脳卒中とコミュニケーション」「保護犬佐助、セラピードッグへの道」の不定期連載中です。

ご質問、ご要望等がありましたら、是非お寄せください。真摯に対応させていただきます。http://ashita-harerukana.cocolog-nifty.com/blog/

昭和少年漂流記、連載中!(18日、久しぶりに更新。これで勢いづくか……)

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信頼の重み!?

信頼を得るということは覚悟の必要なことだ。信頼すると甘えるということには大きな差はなく、依存する、つまり寄りかかるということとも似ている。重くなったら「甘え過ぎなんだよ」と怒って身を逸らし、全く甘えてこないと「もっと信頼してくれてもいいのに
 
~」と不服を言う、というような自分勝手は許されない。重さに耐え、限界まで我慢し、そこに喜びを見出せるようでなくてはならない。

と、自分に言い聞かせつつ頑張っている僕の、夏。

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そして僕の、冬。

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相手はたかがペット、と侮るなかれ。ここに至るまでの道のりは、決して平たんではなかったのだ。

“Long And Winding Road” by The Beatles

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“○○感”ビジネス

雪が溶け始めている。気温が上がらないので、道路がじゅくじゅくになったり、屋根から落ちてくる雪にひやっとさせられることもない(…らしい)。積雪地帯育ちの人はおわかりだと思うが、積雪地域に住んでいた頃は、雪で白くなった景色を見て「純真だった頃を思い出すねえ」とか「汚いものがすべて覆い隠されたようで心が洗われるようだわあ」などと感慨に浸る時間は短かった。すぐに浮かんでくるのは、後片付けの大変さとそこかしこが泥だらけになる不快さだった。

美しいとか心地よいというのはうたかたのものではないか、と子供の頃から疑うようになったのは、僕の場合、白い雪景色とその後の汚れた景色の差が強烈だったからかもしれない。

しかし、世の中、雪で一瞬覆い隠し、「ほら、見違えるようでしょ!」と言うような、ひと時の“○○感”を提供するビジネスは数多い。“○○感”の満足度を高くすると、リピーターの獲得につながる。所詮ひと時だから、リピートの頻度も高い。ひと時の繰り返しは、“進歩している”とか“よくなっている”という錯覚にもつながる。そして、いいビジネスになっていく、というわけだ。

エステ業界の裏を覗くと必ず耳にするのが、「とにかく、気持よく帰ってもらえばいいんだ」という言葉。すぐに仕事を辞退したくなる言葉だ。カビ取り剤の決め手が漂白効果だというのを知った時は、“カビ取れた感”を買っているだけじゃないか、と思ったし、入浴剤の新商品開発の仕事をした時は、成分はほとんど一緒(炭酸ガスの入浴効果が共通点)で香料と顔料の違いだけに等しいと分かってがっかりしたし、基礎化粧品や石けんも“すべすべ感”の優劣と安全性と香りだとわかったし……。

本物、って本当に見極めが難しいものです。ひょっとしたら、あまり本気では求められていないのかも……。

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わざわざ雪かき用スコップをネットで購入。「わが雄姿を見よ!」と雪かきを始めたKappar。お昼前にはまだ固くて手こずっていたが、午後にはかなりはかどったようだった。

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一方、ダイニングに差し込んできた日差しを楽しもうとしていたのは、佐助。二階の方がいいと思うのだが……。

真実って、意外と実体のないものだし……“True”by Spandau Ballet

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麻痺痛という厄介な代物…大雪の後

過去何度か書いたが、脳卒中後の麻痺には、麻痺という言葉から連想する“痺れて感覚がない”という状態ではない人もいる。僕もその一人だが、リハビリ入院中から“肩手症候群”となり、麻痺側の肩・腕・手がずっと痛み、手は徐々にむくんでいった。「グローブになっちゃうよ~~」などと言っていたが、痛いのは肩や腕だけではなく、折角のリハビリ入院中にリハビリ(OT)がストップしてしまったことだった。マッサージや痛み止めの使用もしてはいけないということだったので、ただただむくんでいく手を眺め、痛みを我慢し続ける日々だった。会話はできるだけ楽しく、と心がけていたが、時々顔が曇るらしく、リハビリ仲間に余分な心配をかけてしまうことがあった。申し訳なかった。

退院して次々と友人たちと会っても、壁にもたれると肩が冷えて痛みが激しくなるので、身体を壁から離していなくてはならず、長時間となると辛かった。ちょっとつまらなかった。

しかし、リハビリ通院をするようになってすぐ、「痛いのは辛いでしょう。鎮痛薬を処方しましょうか?」と言われ、「いいんですか?だったら、是非お願いします」とロキソニンを飲むようになって痛みは軽くなり、何よりも心が楽になった。リハビリも再開できたので、手のむくみも次第に収まっていった。「な~~んだ。鎮痛剤を飲めばよかったんだ~~」と思った。

 

東京の大雪(予報ほどではなかったが…)の前日は、湿度と気温の影響で頬が痺れ、呂律も怪しくなり、肩や腕が痛くなってきたので、「大雪、きっと来るよ~~」と自信たっぷりに言っていた。当日は雪を眺めて楽しんだ。が、翌日から今朝までは、麻痺痛に襲われた。雪の降る日はそんなに寒くなく、降っている間は湿度も意外と上がらないので、麻痺痛持ちには好日だったが、その後の寒気と湿気はやはり難敵だった。

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いつも道路脇を探索する佐助も、昨日は目線が上に。「鳩がいる~~~」

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でも、もう大丈夫。午後の日差しが暖かく周りに降り注いでいる。散歩に欲求不満気味だった佐助も、今はきっと楽しんでいることだろう。

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帰ってきた。少しの探索と少しの雪遊びができたようだ。

雪は世界を変えてしまう、ということで……。“Change The World”by Eric Clapton

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雪の思い出

予報通りの朝からの雨の中、佐助との短い散歩から帰ってきたKappar。今日は、丸一日お休みとあって、朝食後はくつろぎの体勢に入っていった。

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午前10時頃、雨音が止んだので窓を開けてみると、なんと初雪だ。

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午前11時頃には、もう積もっている。ちょっとうれしくなり、再三窓を開けては眺めた。そして、やがて浮かんできた雪の思い出に浸った。小学校2~3年生を過ごした中国山地奥深い沢谷村のこと。同級生だった沢君とその弟のこと。

http://60skakky.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/index.html(以前、本ブログで書いた)

昭和38年の豪雪のこと、脳卒中リハビリ仲間のこと……。

http://60skakky.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/index.html(大雪事件として書いた)

http://60skakky.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/index.html(一部の人たち……)

寒くなって我に返り、窓を閉めると、のどかで暖かい休日の光景があった。幸せだなあと思った。と同時に、思い出した人たちの“今”も想ったのだった。

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午後4時。外はすっかり雪国の景色だった。

クリスマスソングだが…“Let It Snow” by Dean Martin

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いよいよ固定費合理化、実現へ。

VAN倒産の半年前、ある部長が経費の無駄を省こうと、おもしろい行動を始めた。朝は、校門の前に立って遅刻者を見張る体育教師のように、本社正面入り口に仁王立ち。出社時間を厳しくチェックし始めた。「遅く来て残業する奴は許せん」ということだった。昼間は、社内をつぶさに見て回り、引出しの中をチェック。まだ使えるボールペンがあるのに新品も入っていると、取り上げたりしていた。それは、強い愛社精神と無邪気な行動力の成せることであったのだが、「あいつが辞めた方が節減になるよなあ」という蔭口の対象になっていた。が、僕はこの部長の行動は、事なかれを決め込んでいる部長や、相も変わらず私利私欲に走り続けている取締役とその一派よりも、断然歓迎されるべきものだと思っていた。事実、経費に対する問題意識を醸成するのには大いに役立っているようにも思えた。

丸紅からやってきた社長に、経費に関するレポートを出したのは、その頃だった。総経費に占める物流費の割合が13%を超えていて驚いたものだった。それは、いかに無駄なモノ作りが行われ、納品と返品を繰り返しているか、倉庫に滞留しているか、を如実に物語っていた。最早、物流費は流動費ではなく、相当部分が固定費化していると思った。レポートを作って提言すると、「じゃあ、倉庫代を値切ってこい」と命令された。社歴2年半の者には荷が重いと思ったが、引き受けた。頑張ったが、大きな成果は上げられなかった。

そんなことを思い出すのが、我が家における通信費の負担だった。目の前で財布から消えていくわけではない通信費は、通信キャリア(とは言っても、今やスマホの物販とそのローン金利で稼いでいる部分が多いようにも見えるが……)の戦略に嵌っているような無駄な部分が多く、腹立たしいとさえ思った。

で、今年1年間で10万円以上の節減をしようと決めた。そのお金の使い道も決めた。Kapparと話し合い、目的として共有した。

そしてやっと、年が明けて2歩前進した。一歩目が、uqwimaxの契約、2歩目はjcomフォンの工事。今日は、その2歩目の工事だった。何をするわけでもないのに、一仕事終えた気分だ。あ~~、疲れた~~~。気になっていたからかなあ。

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ベランダの改装・拡張の際取り付けてもらった、オーニング用のフック。この夏の楽しみの一つだ。

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工事の人たちの出入りに対する興奮が冷めると、つまらなさそうに欠伸をする佐助。散歩まで待つのだ~~!

“You Can Do Magic” by America

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リハビリ仲間Gさんの決意と選択……

12月20日に手術、12月30日に無事退院、その日から家事を始めたというリハビリ仲間Gさんの奥さん。退院までの速さに軽い病だったのかと誤解していたが、実はスキルス性の胃癌。18日の検査で判明し、2日後には手術ということになったのも、相手がスキルス性だからこそ。胃の4分の3を切り取り、年内の退院となったのだから、医術の進歩は素晴らしい。後は、転移などしていないことを願うのみだ。

そんなことを淡々と語ってくれた今日のGさん。心なしか白髪の量が増えたように見え、身体から発する生気も少し弱まっているように思えた。元気な声をかけてみるのだが、返ってくる声にいつもの明るさがない。僕より数分早く始まったリハビリをそれとなく観察していると、こんな話から始まった。

「動かない部分を動かそうとしないと動くようにはならないんですよねえ」「そう…ですね」「脚は動かそうとすれば、少しはなんとか動かせるんですが、手はねえ…。動かそうとしても動かないし、動かさなければ動くようになるわけないし…ってことでしょ?」「ええまあ、そうですね」「自分では動かせないんだから、自主トレでもできるようないい道具でもないもんですかねえ」「ん~~、これといってないですねえ。あると、ほんとに助かりますよね」…………

諦めるわけじゃないけど、動かないことを受け入れて、積極的に生きる楽しみと生きている喜びを味わった方がいい。という考え方で意気投合していた僕達だが、Gさんの中に変化の兆しを感じた。年2~3度は夫婦一緒のクルーズ旅行をしていたGさん、12月の最後のリハビリの時、「今、一人暮らししてるんで大変なんですよ。洗濯機使うのも久し振りで、高機能になった分複雑になっていて使えないし…」と不便を冗談交じりに語っていたGさん。奥さんのスキルス性の癌発症が、大きな影響を与えないわけがない。

リハビリが終わり、受付前のソファに座っていると、隣に腰掛けてきた。そして、「柿本さん、介護保険は入ってるんですか?」と言う。「入ってますが、……」と、介護保険を巡る過去のトラブルなどを話すと、「僕、実は“足こぎ車椅子”を介護保険を利用してレンタルすることにしたんですよ」と言う。両足を掛けて動く足でこぎ、ペダルが回るのに合わせて動かない方の足も動かせるからリハビリにもなるという“足こぎ車椅子”。月1200円でレンタルできるから、使ってみようということなのだが、「以前から興味を持ってらしたんですもんねえ。いいかもしれませんねえ」と応じながら、僕はGさんの心に再び生じた“自分でなんでもできるようになりたい!”という気持ちがわかるような気がした。奥さんをいたわる気持ちが、また一つGさんに新たな決意をさせ、それが“足こぎ車椅子”を使ってみるという選択をさせたのだと思った。

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帰り道、仙川を覗きこむと、鴨の小さな群れが水面を漂っていた。

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成城学園前駅前の花屋には、もう春が来たかのようだった。

Gさんの奥さんの快癒と、“足こぎ車椅子”がGさんの希望を満たしてくれることを望みつつ、携帯にメールで届いた“お買いものリスト”を見ながら小田急OXに入っていった。

Gさん夫婦に幸あらんことを……。

“What A Wonderful World” by Louis Armstrong

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最近、コタツに潜るようになった佐助。まさか、亡きチビの真似をしているのでは……

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この冬のネットでの買い物、Best3

1位……空気清浄器。プラズマイオン発生器なのだが、何しろサイズが手頃(高さ20㎝弱の卓上サイズ)。デザインもシンプルでOK(イデアとシャープの提携)。電気代も約1.5円/日と安い。価格は1万6000円弱と、「1万4800え~~~ん」のトーカ堂のものより少しだけ高いが、価格差を補って余りある。性能も申し分ない。

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2位……マイクロファイバーの毛布(2枚合わせのもの)。何しろ暖かい。冬掛け用の布団の出番が未だにやってこないほどだ。おまけに洗濯機で洗えるので、2枚購入した。4000円弱/枚。ひざ掛け用もあるようだ。

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3位……加湿器。水蒸気が立ち昇るシンプル機能のものにした。風邪を引いたのがきっかけだった。高さ約25㎝、タンクは2リットル入りで、7時間くらいは大丈夫のようだ。おかげで、風邪を引いた頃は20~25%だった室内湿度も、今や35~45%に保たれている。4000円弱だったと思う。

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次は、お取り寄せした食品のBest3でもやってみようかな~~?

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佐助の鑑識活動が念入りになる落ち葉の季節。

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昨日は芦花公園まで足を延ばし、制服を脱ぎ捨てて頑張ったようだった。

“1-2-3” by Len Barry

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昭和少年漂流記 (第三章“石ころと流れ星”短期集中掲載!なんとか1月7日には…)

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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仕事始め~通常営業へ

元日の小田原への日帰り帰省以降、怒涛の日々の疲れを一気に回復しようとするかのような“怒涛の睡眠”の二日間だったKappar。いつも佐助の添い寝でコタツに丸くなっていたが、四日には朝から仕事を始めた。

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仕事始めの時にやろう、と決めていた“年始の小掃除”は、午後2時過ぎにスタート。天気にも恵まれたので、窓を開け放ち、居住空間だけはそこそこ念入りに行った。僕は、クイックルワイパー片手にフローリング部分を隈なくよたよたと。Kapparは、コタツやカーペットを取り除き、手早くさっさと。一応共同作業。1時間余りで終わった。

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添い寝相手を失いウロウロしていた佐助は、コタツの原状復帰と同時にソファに飛び乗り、脚や腰を舐めてから睡眠に。添い寝相手は地下の事務所へ。僕はテーブルへ……。いつもの日常に戻ったのだった。

そして昨日、日曜の午後も休むことができたKappar。昨晩は、「明日から、通常営業だ~~」と言ってベッドに向かった。やはり仕事始めには、気分が通常営業になってなかったようだ。そりゃそうだ。僕なんか。まだ正月気分だ。“やるぞ!”と決めていた3つのこと(目の前のことだが…)さえ、なかなか進まない。困ったものだ……。自分を努力の道へといざなういい方法はないものか……。

“Show Me The Way” by Peter Frampton

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脳卒中体験で得たことをつないでいくために……淡々と

脳卒中発症後の精神プロセスは、エリザベス・キューブラー・ロス博士が提唱した“死の受容のプロセス”に似ている。否認→怒り→取引→抑鬱→受容、というプロセスだ。発症後、他人事のようにきょとんと成り行きを見つめていたが、それは否認の僕らしい表われ方だったのかもしれない。

感情失禁という後遺症のせいもあり、世相、事件、自分の過去とそこにいた人などに、怒りが湧いてくることもあった。“こんなことやあんなことができなくなってしまうのはいいとして、せめてこんなことはできるようにならないだろうか”と思っていたこともあった。それはまるで、療法士や医者と取引をしているような会話や相談として表れていたと思う。

“な~~んもする気がしない”病も出てくるようになった。仕事のスランプとは少し趣が異なった。脱出への手掛かりを見出そうとすることさえ億劫だった。“鬱の底なし沼は、いつでも口を開けて待っているんだ”と気づき、背筋が寒くなった。そして、その気づきと、それを口にすることで鬱の淵に少し浸ってしまった足を抜き取ることができた。

“今の自分”を前提としてこれからを考える、ということができるようになったのは、いつ頃からのことなのか、今となっては覚えていないが脳卒中発症とその後遺症がもたらした自身の変化を受容したということだろう。そうすればいいののだ、そうしなければならない、と“考える”から“思っている”に変わっていた。

しかし、このプロセスはきちんと順を追って進んでいくものではない。混沌と行きつ戻りつしながら進んでいくもので、時にはすっかり後戻りしてしまったかのような気にさせられることもある。そう、それはまるでリハビリと一緒だ。きっと“脳卒中受容のプロセス”は“心のリハビリのプロセス”なのだろう。

そして、そのプロセスを踏んでいく過程で最も大切なものはコミュニケーションだと思った。たとえ言葉として発せられなくても、存在や空気を感じることができ、心の中で話しかけることができる存在だと実感した。そしてまた、“脳卒中受容のプロセス”つまり“心のリハビリのプロセス”は、患者本人のもならず、それを支える人も踏んでいくことになるものであり、そこでも最も大切なものはコミュニケーションだと思った。

そう思うと、経験者として、何らかのコミュニケーsジョンを取っていくべきではないか、コミュニケーション支援も模索していくべきではないか、と考えるようになった。何しろ、毎年約30万人の悲しき後輩が誕生してくるのだから……。

ただ、当初は力み過ぎ、2~3年は急ぎ過ぎていた。患者や家族の意識には差異があり、求められることも均質ではないことにも戸惑っていた。しかし、5年を過ぎた頃から、考え方やアプローチの仕方が少し見えてきた。そして、改めて諦めることなく続けていこうと思った。淡々と……。

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昨日午後、近くの烏山神社に初詣をしてきた。3ヶ日に初詣するのは久しぶりだった。そこそこ人がいて驚いた。

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今年初のヨーグルトを焦って舐めた佐助。鼻先に飛沫が二つ、シンメトリーで。

Kapparの多大な努力と勉強もあって、佐助といい関係が構築できたのだから、やりたいと願っていることも、きっと穏やかに進めていくことができるだろう……あ!多大な努力と勉強は苦手だった~~~~!!

“Constantly” by Cliff Richard

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年が変わって変わったこと!*年末・年始ドキュメント

1.Kapparが元気になった!

12年暮れからウィルス性胃炎に苦しめられていたKappar。30日の“EBUちゃん焼肉パーチー”の夜も、準備はすれども食べられず。大晦日のカニしゃぶも少し食べただけ。と、作るだけの人になっていた。

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仕事納め以降、ほとんど寝て過ごしているKapparに、近くで寝たり、添い寝をしたり、の佐助。

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ところが、漠然と観てしまった紅白歌合戦の頃から完全回復の様子。元日の朝には、元気な顔を見ることができた。

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ご馳走も出てきた。

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佐助は、ベランダチェックをした後、預かりさんに迎えられて半日預かりへ。

2.Kapparの両親にしてあげたいことが、見えてきた。

元日のお昼前、Kapparの実家へと出発。股関節と膝が不安定で、歩くのに苦労したが、無事到着。楽しみにしてくれていたらしい義母の笑顔に迎えられた。様子を確認してから挨拶した義父も、にこりと挨拶を返してくれた。

しかし、家の中には腐敗臭が漂っていて、何かを用意しようとした痕跡も見えない。Kapparはすぐに、「お母さん、何もしなくていいから、うろうろしないで座ってて」と、片付けと食事の準備を始めた。僕は近くのコンビニにキッチンペーパーなどを買い物に。行き帰り、「ううむ、まずいぞ。脳卒中経験者の二人の認知症症状。お義母さんの方の進行が速いぞ」などと考えていた。

お義父さんと酒を酌み交わし話しをすると、冗談には笑みもこぼれる。お義父さんの症状は踏みとどまっているようだ。お義母さんにも話しかけるが、意識が持続しない。断片的な仕草や言葉が、気にかかる。

それから、約2時間。汚れたままのフライパンや冷蔵庫の中の不要品を整理するKapparと、うろうろと動き回るお義母さんを観察。20分ばかり、二人っきりで話す時間も持てた。

そして、考えた。家事の達人だったお義母さん。どうも本来“人に何かしてあげることが大好き”で、ちょっと人見知りで、お人好しのお義母さん。そのお義母さんが脳卒中以降どんどんできなくなっていくことが増えていく胸の中を。

「家事サービスを使って楽しませんか?」「いや、そんなこと他人にしてもらっちゃ悪いですよ」「お金払うんですから大丈夫ですよ」「こんなことにお金を使うなんてもったいないでしょう」「いやいや、そういう仕事をしている人たちを助けることになるんですから。お金に困っていない人はどんどんお願いしてあげた方がいいですよ。役に立つお金の使い方しましょうよ」と話した時の、最後に見せた微かな笑顔の意味を。

衰えていく部分の心配のみを意識するのではなく、その人の“せめて、かくありたい”という意識と元々持ち合わせていた能力や性格を加味した対処法を考えていただろうか、と。

そして、帰りのロマンスカーの中と帰ってからの食事の後、思ったこと考えたことを、Kapparに話した。僕たちの意識も少し変わり、してあげなくちゃいけないこととしてあげたいこと、そのプライオリティと手順も決まっていった。気付くと、2時だった。

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ほぼ居眠りしつつ、佐助も付き合ってくれていた。

3.初台リハビリテーション病院退院以来6年間以上、考え続け、時には動き、時とし諦めかけていたことへの再々々チャレンジ……このことに関しては、また明日。

“Happy Together” by The Turtles

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