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昭和の少年たち…“中国山地の寒村、沢君兄弟”⑦

親父と僕、という不完全でちょっといびつな家庭に後から参加したお袋は、そこで何をなすべきか、いくつかの役割を想定していた。と、今になって思う。ただ、お袋には母親経験がなく、僕には母親体験がなかった。おまけに親父も母親体験が希薄とあって、お袋の母親としての役割は躾と教育を主眼に置いたものにシフトされていかざるをえなかった。要するに、どう接していいのか、お互いにずっと手探りだったのだ。僕に対するお袋の厳しさは、お婆さん子の甘さを払拭しなくては、という使命感と、小賢しいガキだった僕へのシンプルな苛立ちによるものだったのだが、僕はそれを、お袋の性格だと思っていた。お袋が抱えている強い役割意識になど思いが及ぶはずもなかった。しかし、小学校3年の夏。お袋の深いやさしさに僕は触れ、少しだけお袋に対して心が開かれていくのを感じた。照れと意地で容易には接し方を変えることは出来なかったが、「お母ちゃん」と呼ぶ声に無理や衒いが少なくなったのは、確かだった。

少ない収入、なかなかの借金、金のかかるガキ、と家庭経営を阻害する要素が重なっているにもかかわらず、お袋の経営者としての手腕はすばらしかった。まず給料日に貯金。残ったお金を費目別に分類し、月額予算を設定。不意の支出用の特別会計予算も、毎月月額で予算設定されていた。次いで、費目別月額予算を日別予算にブレークダウン。予算の範囲内で一日を暮らす。月末に残ったお金は、当然貯金。毎日、夕食後は使ったお金と残金の確認。1円でも合わないと「気持ち悪い」と、ぴったり合うまで小銭探しや使ったお金のチェックに付き合わされた。

しかし、そんな経営者のお陰で、親父と僕の暮らしには、少しずつ日が差し込んでくる感じだった。小さくゆとりがある時は、ささやかな贅沢もお袋は提供してくれた。お袋は倹約家ではあったが、吝嗇家ではなかった。そして、夕食に供されるささやかな贅沢が、この頃はカレーライス。カレーライスを作る匂いが鼻をかすめるだけでとわくわくし、帰心をそそられたものだった。

そんな夏の夕暮れだった。早くカレーライスにありつこうと、いつもより早く帰宅した僕にお袋がカレー鍋を掻き混ぜながら言った。「沢君、呼んであげれば?」僕は、一瞬驚いた。が、すぐにうれしくなった。沢君の厳しい家庭環境や沢君兄弟の健康状態の悪さを聞くともなしに聞きながら、お袋は気にしていてくれたんだと思った。僕は、早速沢君を呼びに行った。「晩御飯、食べに来ない?」とだけ言った。カレーライスのことには触れなかった。沢君は、「弟もいいかなあ?」と窺うように小声で言った。「いいよ!」と応え「早くね」と言い残し。僕はいいことができる興奮に小躍りしながら、帰っていった。数分後、沢君兄弟は静かに現れた。「こんばんは~」と言ったまま身じろぎ一つせず固まっている二人を卓袱台の前にいざない、三人でカレーライスを待った。すぐに、三枚のカレーライスのお皿はお盆に乗ってやってきた。一人ひとりに「はい」と言いながら、お袋がそれぞれの前にお皿を置く。真上の蛍光灯の光のせいか、カレーライスはやけに黄色く見えた。豚肉が所々に顔を覗かせていた。香り立つ湯気が、強烈に食欲を掻き立てた。「食べて、食べて!」。かしこまっている沢君兄弟に、スプーンをかざしながら僕は声を掛けた。その時だった。俯いたままだった沢君の弟が噛み殺していた嗚咽を大きく洩らした。僕は戸惑い、沢君の方に声を掛けた。「どうしたの?」。すると、弟が顔を上げて、震える声で叫ぶように言った。その目は、お兄さんを見上げていた。「お母ちゃんが死んでから初めてだねえ、カレーライス」。危うく落としそうになったスプーンを辛うじて持ち直しながら、僕はもらい泣きの涙を卓袱台に落とした。

10分後か20分後だっただろうか、「もう1杯いかが?」というお袋の申し出を、誘惑に負けそうな弟の膝を片手でそっと押さえつけながら固辞して、沢君は夕暮れの中を帰っていった。その後姿を外まで出て見送りながら、僕は何かしてあげたいと本気で思った。

お袋は、その後「沢君、呼んであげようか?」と頻繁に言う僕に、「いいわよ」と言うことは、ほとんどなかった。それがむしろ、沢君たちへの思いやりに拠るものだったことに気付くのに、僕はたくさんの時間を必要とした。お袋がそれから気にかけていたのは、僕の衣類を新品に交換するタイミングを早めることだった。完全に着られなくなる前に、沢君にあげるためだった。苦しい家計の中で出来る工夫の一つだった。

3年生の冬、僕のお下がりのランニングシャツを着て登校する沢君に一度だけ出くわした。僕は親父と一緒だった。親父は、また声を掛けた。「沢君、寒くないかい?」。寒いからこそ小走りだった沢君は、一瞬足を止めた。「大丈夫で~す」。明るく大きな声だった。

110615

弟がカレーライスの皿を両手に持って舐め始めると、兄貴の沢君は頬を染めて怒った。弟は、何もなかったかのように舐め続け、すっかりきれいになったお皿をテーブルに置き微笑んだ。かわいい笑顔だった。

 60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

第三章、連載中!“昭和少年漂流記”

60sFACTORY活動日記は、こちら。

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