ただ酔っぱらってるだけだと思って横になっている僕を、市場調査から帰ってきたKapparが見て「救急車呼ぶから、嫌がらずに乗ってね」と言った。「大袈裟だよ~~。横になってれば治るから~~」と答えたが、「目の焦点が合ってないから!絶対乗らなきゃだめ!言うこと聞いて!」という真剣な目に、やがて到着した救急車から降りてきた2名の救急隊員の担架におとなしく乗った。一人の隊員が顔を覗き込み、「梗塞ですか?出血ですか?」と訊いてきたのが少しおかしく、「そうなんですか?僕にはどちらかわかりませんが」と答えて笑ったが、直後に“へ~~、そうなんだ~~”と思った。
それから、東邦大学大橋病院へ。4人がかりでストレッチャーへ。ガラゴロとMRIへ。合間に質問や体の機能検査を受け…と、ずっと意識はあった。すべてが初めての経験なので、きょろきょろと観察小僧になっていた。重大なことだという意識はなかった。やがて病室が決まり「今は4人部屋しか空いてないので、そちらにとりあえず入っていただきますね。後で移ることできますからね」と運ばれていった。Kapparがてきぱきと動き、手配している気配をいつも感じていた。
病室の前で「準備してますから、ちょっと待ってくださいね」と待っている時、医者がMRIの写真を携えて現れた。「脳出血ですね。ほら、ここ、黒くなってるところあるでしょ。直径4㎝はありますね。右の視床という箇所で、運動を司っているところですから、もうすぐ左半身が動かなくなりますからね。手術はできないんで薬で止血しますが、まだ出血してますから、とにかく安静にしていてください。まずは血を止めなくちゃいけませんからね」と写真を見ながら説明を受けた。僕は、「まだ動きますよ~~。ほら!」と左手、左足を上下させてみせたりしていたが、それが動かなくなるということに対する不安がさせていたことだとは、その時は気付かなかった。
病室に落ち着いた後、不安や恐怖はなく、ただただ天井を見つめていた。眠ることはできなかった。しきりに費用の計算をし始めていた。小耳にはさんだKapparと看護師さんの話をベースに、繰り返し暗算。なんとかなるな、と思っていた。……事故や災害に遭い、その渦中にある時は、不安や恐怖を感じることはあまりなく、むしろ冷静に事態の推移を見守り、何を成すべきかを考えているものだなあ、と改めて思った。人の内側、特に脳に組み込まれた“危機管理システム”が稼働しているのだと、僕は思う。
不安や恐怖は、むしろ事態が一段落した時に襲ってくる。そしてその後にやってくるのが、寂寥感だ。一番厄介なのは、実はこいつなのだ。

発症から1か月半。車椅子で迎えた57歳の誕生日。初台リハビリテーション病院でリハビリ真っ最中だった。
60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)
第三章、連載中!“昭和少年漂流記”
60sFACTORY活動日記は、こちら。
最近のコメント