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去る者は日々に疎し……だから!

忘却は、心の安全装置。失う痛みから自分を守るように、脳はできている。どんなに大切な人でも、会わなくなれば日々忘れてゆき、記憶の一切れになっていく。どれほど大切だったかは、記憶の切れ端の多さや大きさでしかわからない。そしてやがて、その切れ端も朽ちていく。だから!忘れ去られた人は、新しい人生をやり直すことができる。……と、考えればいいのかもしれない。去る者は日々に疎し……英語では、Out of sight, Out of mind と言う。なんだか、味気ない。

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が、最近穏やかな関係になりつつあるこの2匹。In sight, In mind とでも言うべきか。見慣れることは親しくなること。なのだろう。まだ、あばたもえくぼ、にまではなっていないようだが……。

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第三章、連載中!“昭和少年漂流記”

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因果応報

脳出血発症から丸5年。発症後に集中して起きざるを得なかった様々な出来事に、時には打ちひしがれ、時には戸惑い、怒り、嘆いていた時間も、今や妙に切なく懐かしい。そして、病中・病後にできた負債もKapparのおかげで解消されていき、心の負担も軽減されてくると、週に何度か親父とお袋を思い出すようになった。悔恨ばかりである。それも僕がしたことではなく、いかに何もしてあげなかったか、ということばかりだ。

特にお袋に対して“してあげなかった”ことへの悔恨の情は深く重い。もっと笑顔にさせてあげたかった。言い古された言葉だが、まさに“親孝行したい時に、親はなし!”だ。おいしいものを食べた時、楽しい時間を過ごした時、心に沁みる時間を過ごした時……、“お袋が生きていたらなあ”と思う。後妻としてやってきて、お袋なりに可愛がってくれていたことを、小さな思い出から気付かされる。いちいち、悔やまれる。お袋も親父いなくなり、病気になってから、あるいは病気になったからこそ、こんな想いに駆られるとは……。後悔先に立たず、と言うより、因果応報と呼ぶべきか……。

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佐助とチビが屈託ないのは、おそらく“負の記憶”がないからかもしれない。ひょっとすると、あっさり克服したのかな?それとも、今を生きているから、関係ないのかな?因果や恩讐なんて……。う、う、う、うらやましい~~~~~~~!

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iphone歴20ヶ月(使ってみてわかる可能性) ②

脳卒中後、片麻痺の続く左手が使えなくて困ったことの一つに、携帯メールの打ち込みがあった。何にでも使わざるをえなくなった右手で、それまで殆どすることもなかった打ち込みをするのはまどろっこしく、かなり疲れる作業だった。それでも、僕のように利き手が使える者はまだ幸いだと思っていた。最初にiphoneに替えてよかったと思ったのは、タッチ&ドラッグという文字の入力方式の使いやすさだった。これは利き手でなくても従来の入力方式より楽なのではないか、と思った。

それから、ipadの音楽約3000曲をiphoneに移行。写真250枚も移した(スキャナーが大活躍した)。次いで、iphone先輩のe-poohから勧められたアプリをダウンロード。無料アプリで使えそうなものをどんどん追加していった。そして、2か月もすると、すっかり一人前のiphoneユーザー(?!)になっていた。その頃、ふと思った。「ハイエンドなシステムやデバイスは、ローエンドな人間にとってこそ有用性があるのではないか?障害者や介護家族にとって、iphoneはひょっとするとハイタッチなデバイスになるかもしれない」と。しかし、まだぼんやりと思っているだけだった。ところがさらに色々と使ってみている間に、それは確信になっていった。

“これはハンディPCだ!”と思い始めることによって、様々な可能性が見えてきたのだった。無線LANの普及とそれに伴うクラウド・コンピューティング・サービスの普及開始も後押しになるような気がした。TV放送のデジタル化が無線インターネット時代の本格的な幕開けには欠かせなかったのだろうなあ、と思った。これは、様々な可能性が開けてくるぞ、とうれしくなった。 ……つづく

遠くへ行く時(滅多にないが…)のiphone関連の必需品。防水スピーカー(音楽用)と充電パック。最も不満が集中しているのは、やはり電池!

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疾走する佐助やサラダバーに夢中の佐助の頭に超小型カメラを付けて、iphoneに送信できるようになるといいなあ……。

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禍福の狭間に、こんな時間がありました。

9月2度目の3連休。Kapparは1.5日の休みを確保。ところが、丸一日休みの予定の今朝、Kapparのお父さん入院との報あり。詳細を聞いてみると、手の震えがひどいので大事を取って病院に行ったら、「検査入院してください」と言われたとのこと。心配が消えることはないが、少し胸を撫で下ろした。軽い脳梗塞を3回経験したお父さんと軽い脳出血を1度経験しているお母さんの、2世帯住宅での二人暮らし。弟家族が上に住んでいるとはいえ、お母さんはどこか娘が頼り。「時間作って行くからね。しっかり食べるんだよ」と告げて、ひとまず安心し

てもらえたようだった。

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朝の2度寝から始まったKapparの3連休。

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中日の夜は、新兵器を使った“たこ焼きディナー”で、「私って、大阪生まれ?」と自画自賛の腕を発揮して、

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3日目は心地よさそうなお昼寝の後。散歩へ。

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帰りの甲州街道は、お出かけ帰りのクルマでぎっしりだった。

“禍福はあざなえる縄の如し”と言うけれど、一筋の福があれば、それはしっかり堪能しなくちゃ、ね。

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大きく変わる?ライフスタイル

食事と睡眠が暮らしの基本だとすれば、その二つが三連休に大きく変わることになった。まさに、ライフスタイルの根底を揺るがす出来事だ!!

1.遂に佐助が、これまで“禁断の場所”だった二階への出入りを許されることになった。“先住猫”チビが気にしなくなったからである。その結果、今朝のベッドはこのような状態。

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……ちなみに、僕の背中にはチビがぴったり寄り添っている。夜中の身動きは……。

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佐助も寝不足だったのか、朝食の後は、大好きなソファで熟睡……。
2.集めていたアマゾンのポイントに1500円プラスして、長い間狙っていた“タイガー、ホットプレート「これ一台」3枚プレート”を手に入れた。これでいよいよ、たこ焼きが食べ放題だ~~!……写真は明日

食事と睡眠の次は、さていよいよ…………。

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iphone歴20ヶ月 ①

2010年1月。思い切ってiphoneに替えた。PHSの“前園モデル”からスタートした僕のモバイルライフは、待ちに待っていた“MNP(番号ポータビリティ)”がスタートして以来、ドコモ~au~ソフトバンクとキャリアを乗り換え、キャンペーンの期限切れ直前にiphone利用者になった。auでもiphone5発売か?!という噂があるが、僕はキャリアはどこでもいいと思っている。wifi利用のみの契約の方が安いことは知っていたが、20か月前には不安で、3G回線利用で契約した。しかし、20か月の間にwifiスポットが増え、ソフトバンクからはwifiルーターがプレゼントされ(スマートホン利用者の急激な増加に、3G回線がつながらなくなることが増えたことと、他社に比べつながりにくいという悪評に対する対策だと思われる。ある日、突然送られてきた!)、状況は変わりつつある。僕の使い方では3G回線を利用しなくてもまるでOK!移動中の利用が多い人でもポケットwifiを持っていれば、まず問題ないと言える状況になってきている。歓迎すべき環境変化だ。俄然、“介護家族のためにスマートホンとタブレットPCを!”の、実現の可能性が高まってきた気がする。ちょっとわくわく、だ。……つづく

台風一過のリハビリ

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この際植木の手入れだ~~、のマンション前を通り、午前10時成城リハビリテーションクリニックに。

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理学療法は、既に4人の人が頑張っていた。

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今日の銀行での用事は久我山に変更。道路がきれいになっていることを除けば、典型的な“私鉄沿線”。割と好きな風情だ。

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午後2時帰ってくると、佐助が“遠くを見るような目”でお出迎えしてくれた。ともかく、暑かった~~~!秋の風、どこだ~~~。

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三者三様、病院へ……の一日

「明日は忙しいぞ~~」と昨日から言っていたKappar。それもそのはず、佐助は“お預かり付シャンプー”でサガワ動物病院へ(シャンプー料金でお預かりもしてもらえる!)。チビは肉球に食い込んだ爪の治療痕の確認に“ひばり動物病院”へ。そして僕は、ライブに行って救急車で運ばれた大森の牧田総合病院(動物病院ではない!念のため…)に、診察代の支払いに。そのいずれにも、付き添うはKappar一人!これは忙しい!

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まず、3日間毎日2度、病院でもらったインジェクションを使って化膿止めの薬を飲ませていたチビを、午前9時リュック詰め。

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「うにゃにゃ~~」「わんわん」と大騒ぎの中に、佐助のリードを片手に、チビを背中に出かけて行った。一つ空いた手には、傘を持って……。本人には失礼だが、ちと怪しいおばさんの姿に見えなくもない(で、写真撮らず…)。

午前10時半。チビをリュックに詰め込んで帰ってきたかと思うと、「さ!次は大森だ~~」。なんやかやで大森着、12時15分。「腹減った~~!」(Kapparのお言葉)で、あれこれ検討した挙句、蕎麦屋へ。食べ終わって、やっと病院でお支払い。牧田病院には、なんと“脳卒中科”なるものあり!大森近辺の人、心強いかも……。

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で、品川で山手線逆向きに乗る、という失態も乗り越えて、帰ってきたら午後3時半だった。仕事詰まってきてるのに、お疲れさんでした。それにしても、大森の“天せいろ”と“海苔蕎麦”、大盛りだった~~~!!!

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脳出血6年目のリハビリ ②

4年半のリハビリ通院で新たに獲得した身体機能は、ない。良化したと言えることも、ほとんどない。一つだけ変化があったすれば、それはリハビリに対する意識だろう。

曲がりなりにも歩くことができ、使える手から持たせれば、麻痺側の手で軽いものなら掌に載せて掴むこともできる、という状況だからこそ変えることができた意識ではあるが、「安全に」「できる範囲内で」「自分のことは可能な限り自分で」「リハビリだけを意識することなく」「日常を楽しむ」ようにすることと、そんな日常から発想した「“今”の自分にできる」「新たなことへのチャレンジ」も忘れないようにするという風に変わっていったのだった。リハビリを特別なものと考えず、“日常の行動の中のリハビリ”を意識していればいい、と思ってもいた。

しかし、シャンプーをすると自然に頭に向かって上がろうとしていた左手は、その行為を忘れ去り、お椀を持とうとピクリとしていた動きもなくなっていった。リハビリの一環と、壁のスイッチを無理やり左手で入れていたが、その努力もしなくなった。パソコンのシフトボタンを左手で押すのも面倒くさくて止めてしまった。“日常の行動の中のリハビリ”は、容易いものではなかったのだ。

そこで、また新たに“日常行動の中におけるリハビリ指針”を決めなくては、と思っている。そしてそれが、脳出血10周年までの僕のリハビリになっていけばいい。そのために、少しリハビリ通院可能な病院の見学に行ったり、療法士さんとの相性確認をしてみたりしようかな、と思っているところだ。

佐助とチビ、15センチの距離で何も起きず!1年前佐助が来て以来、お互い警戒心満タンだった彼らも、次のステージへと上がっていきそうだ。いい距離感が生まれてきている。後は“食いしん坊”佐助が、チビのご飯を奪ってしまわない仕掛け作りだけだぞ~~。

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こんなチビの横で、

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こんな佐助が見られる日も近い!?!?

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脳出血6年目のリハビリ ①

回復期のリハビリが終わると、基本的にはリハビリ効果はないに等しくなる。NHKで紹介された鹿児島大学霧島リハビリテーションセンターの川平教授(NHKではカワヒラと発音していたが、カビラと読むのが正解では……)の“川平法”と言われているリハビリ法も、過分な期待を寄せるべきものではない、と僕は思っている。もちろん、目覚ましい成果を生むケースもあるだろう。しかし、万能ではない。海外でも、様々な方法論が模索され、テストされ続けているが、まだまだ“決定的”な方法論は見つかってはいないのが実情だ。ただ、リハビリにも相性があるような気はする。諦めずに、いろいろな方法にチャレンジしてみるのは、いいことだと思う。

僕は、療法士との相性も大きな要素だと思っている。リハビリに向かっていく姿勢や目線を共有できる療法士の指導を受けたい。リハビリについていつも考えることや努力を忘れず、患者の体だけではなく、思いや希望にも踏み込み、理解することができる療法士と、じっくりお付き合いしたい。それが、時として奇跡に近い結果を生むのではないか、と思う。川平教授には、その姿勢とマインドがあるからこそ、同じ姿勢と思いを持つ患者と遭遇した時に、素晴らしい結果を生むのだと思う。リハビリは、機械的に動かすノウハウではなく、人が人に、人の手を通じて伝えていく、ヒューマンパワーなのではないか。そんな気がしてならない。“匠の技”は“匠の心”なくして生まれない。リハビリも同じもののような気がする。………つづく

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心は伝わるもの、ということを、改めて実感させてくれた保護犬・佐助。伝わってしまえば、お互い多少のことは気にならなくなるし、克服もできるのだ~~。

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今日はこれくらいに……。

午前6時、Kappar散歩出発。7時過ぎ、汗まみれで帰宅。僕はその間に、クイックルワイパー、カーペットころころ、食洗機の片付け、珈琲を淹れて……と、ここまでは、いつもの朝。今朝はそこに朝8時から、佐助の“訪問トレーニング”が加わった。1年前からお世話になっているDog Indexのミキさんと近所の駐車場で待ち合わせ。僕は、30分後くらいに久しぶりに見学に……と、思っていた。

ところが、8時12分。携帯が鳴る。「暑いから、すぐ近くの公園に移動したよ。で、お願い。蚊取り線香持ってきて~~~」。すわ、一大事!と、虫よけスプレーと蚊取り線香をバッグに入れて急行した。3分後、到着すると、佐助、スラロームの練習中。

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並べられたコーンの間をするり、するり。蚊取り線香&虫よけスプレー休憩の後は、ジャンプのコマンド練習。「さ!……ジャンプ!……佐助!……ジャ~~ンプ!」と意気込むKapparと「これ、邪魔ですが……」とバーを見つめる佐助。

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3秒後、佐助がひょいと跨いで、せ、せ、せ、成功~~~!

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てな感じで小一時間。ミキさんが「いやあ~~、1年前は大変でしたね~~。すっかりいい子になって~~」。「外面(そとづら)いいですからねえ、佐助は」とか「あの頃はどうなることかと……」とか「だんだん優しいところがでてきて……」とか、我々。

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ミキさん、しゃがんで佐助の顔をくしゃくしゃ。ほっぺの皮を引っ張り「ほら、どうよ~~?変な顔だよ~~。佐助~~」。……ほ、ほ、褒めてもらって……。

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穏やかで楽しく、ちょっと痒い小1時間が終了すると、佐助は「今日はこのくらいにしといたるわ!」と座っていた。

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もちろん、帰ってきたらすぐに、爆睡突入!お疲れ様~~~。Kapparは、今夜は新宿で“マダムの夕食会”。北京ダックをたんまり食って来るんだそうだぞ~~~~!!

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老いて、さらに目覚ましい回復力!

朝10時半。2階から“ニャ~~!”の声。「嫌~~!やめて~~!」と訴えているようなチビ婆の叫びに、佐助も興奮してウロウロ。1~2分で降りてきたのは、リュックに背負われたチビ婆。

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悲鳴に近い鳴き声を上げてチビ婆の周りを回る佐助を押しとどめ、Kapparがチャリで病院へ。

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残された佐助は、最初は玄関先で。

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やがて、玄関のドア脇で“帰りを待つのだ~~”体勢。目が少し恨みがましい(気のせい?)。

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1時間半後に帰ってきたチビは、一声鳴いて2階へ。追いかけて上がってみると、少しすっきりした表情。

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そりゃそうだ!片手の包帯が取れている。近づくと、ほっとした感じで甘えてきた。今日の血液検査でも、すこぶる健康!体重も増減なし。15歳を過ぎ16歳が近付いているらしいチビの健やかさがうれしい。爪が肉球よりも奥深くに入ってしまった右手の包帯が取れるのも早いことだろう。……あやかりたいものだ……。

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“白い手”の連鎖?!

まず僕が、プチ家出の報いで左手指骨にヒビが入って、白いギプスと包帯で巻かれることになった。

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それが1ヶ月で取れて2週間。今度は、老描チビばあさんの両前足が、白い包帯でぐるぐる巻きになった。

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なんと、自分の爪が伸びて曲がって、肉球に食い込んだのだ。年老いた猫によく見られることらしいが、最強の武器が自らを傷つけるとは……。14歳を超えても健康優良婆なので油断した!

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サミットからの配送が届き、小さく開いたドアから「なんだ!なんだ!誰か来てまっせ~~!」と吠えた佐助の声に、チビがコトコト前足を滑らせながら階段を下りてきた。チビにご飯をあげて部屋に入ると、

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「おいら、生まれた時から前足白いもんねえ~~!」と言わんばかりに見せつけて、佐助は昼寝に戻っていった。……次の事故がありませんように~~!

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日本製のタブレット端末(PC)は?

世界9か国で19件の訴訟を争っているアップルとサムスン。ドイツでのタブレット端末に関する特許侵害訴訟では、先日アップルがサムスンに勝訴した。

タブレット端末(PC)が、介護家族や障害者にとってのネット・インフラのキーになる、と考え、その普及促進と、それをベースとした介護家族のネットコミュニティの形成を目標としたNPOの設立を考えている僕にとっては、ちょっと困った判決だ。アンドロイドOSの勢いも止まり、日本製のタブレット端末開発のスピードも鈍化するかもしれない。

背景に、グーグルがモトローラを傘下に入れることで本格化した、アップル対グーグルのOSを軸とした携帯市場(=スマートホン市場)の覇権争いがあるような気がしてならないが、ユーザーにとっては選択肢が狭まることは迷惑だ。あ~あ、困ったものだ。また、僕の動きが止まりそうだ。

ガラパゴス化などと言われることを恐れず、日本のメーカーに、独自のOS開発と使用価値の高いタブレット端末(PC)開発、頑張ってもらいたい~~~!じゃないと、困る~~~。

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遠くからただ見守り……

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待っていることしかできませんが……………。

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“揺り戻し”マーケット?

10年ほど前か、東京の原宿~表参道一帯に、美容室が約500軒あった(僕の記憶なので、多少の誤差は…)。カリスマ美容師の時代である。“カッティング・コンテスト” の深夜番組を東急エージェンシーが仕掛け、それなりに成功したりもしていた。それが今や激安のカットハウスに押されて、相当数が消え去った。当たり前だが、ブームは勢いよくやってきたものほど、早く去っていくものである。

ブームの後には、雨後の竹の子のように“揺り戻し”マーケット(勝手にそう呼んでいる)が芽を出し、急成長する。投資ブームの後には“節約ブーム”、節約に疲れると“プチ贅沢ブーム”、といった具合だ。大震災以降起きている外食の自粛ムードは、一時花形産業と目されていた外食産業を疲弊させている。仕入れノウハウやメニュー構成の工夫(大量仕入れした同じ素材を多種類のメニューにするなど…)によってワンコイン・メニューを売りにしてきた低価格の居酒屋チェーンでさえ、例外ではない。

しかし、またきっと消費者は外食に戻ってくる。その時はきっと、日常では味わえない“プチ・デリシャス”を求めてくるだろう。ママ友グループの“ランチ・ハンティング”も、また盛んになるはずだ。その時、“もっと安く”ばかりを考えていた人たちは、また意識改革を迫られることになるのだろう。

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芦花公園駅の踏切脇にできて、最近顧客になったカットハウスは、どんな風に変化していくのだろう。顧客を続けながら観察してみよう。

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ライフスタイルがしっかりしていれば、振り子の揺れになんか惑わされないんだよ~~。と佐助は言わんばかりだ。

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好きこそものの上手なれ

人と一緒にいるのが好きだ。一緒に話し、食べ、飲み、笑って過ごすのが好きだ。時には静かに、一緒に物思いに耽るのもいい。ただ人が行き交う人を眺め、風や光を感じているのも好きだ。愚痴をただ聞いているのも嫌いではない。愚痴をただ聞いてもらうのも、もちろん嫌いじゃない。そして、一緒にいる人の“楽しかった~”“よかった~”という言葉を聞くと、心が弾む。

介護家族にもそんな瞬間がありますように、と考えてきたことを具現化するために活動したい、とずっと思ってきた。それも、6年目に入る。でも、どこかもやもやとして、セルフ・モティベーションできなかった。しかし、ふと2週間前に気付いた。好きなことをやろうとしているのに、その方法論が好きなものではなかった。多くの介護家族のため、という言わば概念を相手にしていたからだ。具体的にある家族をイメージしてみたり、介護生活をブログにしている人の暮らしを、その文面から想像したりしてみて、改めて僕がすべきことや僕にできそうなことに思いが至った。いささか、すっきりした。

使命感や義務感に肩をいからせると、“らしさ”を見失う。“気にせず、リラックスして…”ということにさえ頑張っていたのかもしれない。“好きこそものの上手なれ”でいこう!

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ケフィア・ヨーグルトを作る容器にしがみつき顔を突っ込む佐助。ヨーグルトが好きなだけだもんなあ……。 

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コースを変えて、また新たに…。

とは言っても大袈裟なことではなく、日常のあれこれを、ちょいと別ルートにしてみることで、また新しい何かを見つけることができるかもしれない…くらいのことで。通い慣れた道、手慣れたやり方を、ちょっと変えてみようかな、と。

月2回の銀行回りも、今日は別の支店へ。当然、ルートが違う。ちょっと楽しみ……と、用意をしていたら、様子が違うぞ!という佐助の目に出くわした。

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玄関でも、少しうろんな目で見送られた。

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バスの乗って、高井戸駅からスタート。

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帰ってきたら、なあんだ!とばかりに、軽くお迎えされた。

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NPOのこと、リハビリのこと、などなども……。こんな感じでいこうかな?………。

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そして、6年目が始まった!

いろいろなことをやり過ごし、乗り越え、我慢し、そして楽しみながら過ごしてきた5年は、月並みな言い方だが、長いようで短かった。ちょっとだけ、この5年間で忘れてしまっていたこと、忘れてはいけなかったことを点検し、6年目が始まった。

久しぶりのリハビリへ。

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佐助とKapparに見送られ、

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芦花公園商店街のバス停から、いつものバスで、

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成城大学の学生の通学路から、

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小田急線脇の道を下って、

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成城リハビリテーションクリニックへ。

暑かった。膝が痛んだ。しかし、歩きは快調だった。帰りのバスの中で、いくつかのことを改めて決めた。リハビリも、真剣に転院を検討してみようと思った。さあ、6年目からの5年は、踏み出す5年だぞ~~~~!

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脳出血5周年に寄せて…発症直後のこと

ただ酔っぱらってるだけだと思って横になっている僕を、市場調査から帰ってきたKapparが見て「救急車呼ぶから、嫌がらずに乗ってね」と言った。「大袈裟だよ~~。横になってれば治るから~~」と答えたが、「目の焦点が合ってないから!絶対乗らなきゃだめ!言うこと聞いて!」という真剣な目に、やがて到着した救急車から降りてきた2名の救急隊員の担架におとなしく乗った。一人の隊員が顔を覗き込み、「梗塞ですか?出血ですか?」と訊いてきたのが少しおかしく、「そうなんですか?僕にはどちらかわかりませんが」と答えて笑ったが、直後に“へ~~、そうなんだ~~”と思った。

それから、東邦大学大橋病院へ。4人がかりでストレッチャーへ。ガラゴロとMRIへ。合間に質問や体の機能検査を受け…と、ずっと意識はあった。すべてが初めての経験なので、きょろきょろと観察小僧になっていた。重大なことだという意識はなかった。やがて病室が決まり「今は4人部屋しか空いてないので、そちらにとりあえず入っていただきますね。後で移ることできますからね」と運ばれていった。Kapparがてきぱきと動き、手配している気配をいつも感じていた。

病室の前で「準備してますから、ちょっと待ってくださいね」と待っている時、医者がMRIの写真を携えて現れた。「脳出血ですね。ほら、ここ、黒くなってるところあるでしょ。直径4㎝はありますね。右の視床という箇所で、運動を司っているところですから、もうすぐ左半身が動かなくなりますからね。手術はできないんで薬で止血しますが、まだ出血してますから、とにかく安静にしていてください。まずは血を止めなくちゃいけませんからね」と写真を見ながら説明を受けた。僕は、「まだ動きますよ~~。ほら!」と左手、左足を上下させてみせたりしていたが、それが動かなくなるということに対する不安がさせていたことだとは、その時は気付かなかった。

病室に落ち着いた後、不安や恐怖はなく、ただただ天井を見つめていた。眠ることはできなかった。しきりに費用の計算をし始めていた。小耳にはさんだKapparと看護師さんの話をベースに、繰り返し暗算。なんとかなるな、と思っていた。……事故や災害に遭い、その渦中にある時は、不安や恐怖を感じることはあまりなく、むしろ冷静に事態の推移を見守り、何を成すべきかを考えているものだなあ、と改めて思った。人の内側、特に脳に組み込まれた“危機管理システム”が稼働しているのだと、僕は思う。

不安や恐怖は、むしろ事態が一段落した時に襲ってくる。そしてその後にやってくるのが、寂寥感だ。一番厄介なのは、実はこいつなのだ。

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発症から1か月半。車椅子で迎えた57歳の誕生日。初台リハビリテーション病院でリハビリ真っ最中だった。

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祝?!?脳出血5周年

2006年9月6日。脳出血を発症した。その日の午前5時頃まで、事務所でお客さんと飲みながら話し、少し眠って起きた時だった。脳出血だとは気付かなかった。パソコンに向かい始めた瞬間、両こめかみから上がふわっと浮く感じがした。それだけだった。お腹が空いていたので、インスタントラーメンを作って食べた。ひどくまずくて食べられなかった。「こりゃ、いかん。さすがに酔ってるわい」と、横になった。寝てればよくなると思っていた。……つづきは、明日

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せっかくの記念日だから、ミニ宴会のお土産でもらった赤ワインを開けた。”なんちゃってローストビーフ”も残っている。なんでも、記念日はいいもんだなあ……。と言いつつ、感慨深かった……。

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(原則、月曜日&金曜日に更新予定)

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楽しかった~~!5時間のミニ宴会。

救急車で搬送されて終わった“蒲田の夜”。お世話になってしまった人たちに“仕返し”(??)いや“お返し”をしなくては、と、ミニ宴会を用意した。もちろん、用意したのはKappar。仕事のスケジュール変更でぽっかり空いた土・日に、買い物と料理。買い物している頃からテンションが次第に上がり始め「なんか、ヤル気になってきたぞ~~」の勢いのまま、土曜日から料理開始。土曜日に出来上がったのが“セロリの冷製スープ”、“なんちゃってローストビーフ”、“戻り鰹の漬け(塩昆布のせ)”と“茄子とオクラの揚げ浸し”。日曜日には、“稲荷寿司2種”、“大根とみず菜のサラダ(揚げジャコのドレッシング)”、“夏野菜のグリル(葱味噌&バーニャカウダー・ソース添え)”が完成した。

午後4時過ぎに、ケン坊、ケン坊の奥様、カサイさんがやってきて、ミニ宴会スタート!1時間半遅れで、アソウさんが参加。残念ながら、ヒライさんは仕事で来れなかった。そして、あれやこれや、わいわい、ゲラゲラ、佐助のワン!ワン!も混ざった5時間が過ぎて行った。口々に「楽しかった~~」と言いつつ、記念撮影。

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「また、集まろうね~~」と60歳2名、61歳2名の男と?歳と?歳の女性の会が終わったのは、9時半だった。楽しいことは、またやんなくちゃ~~~!ね!!

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翌朝の佐助は、”甘え吠え”で疲れたのか、つまらなくなったのか、やけに静かだった。

60sFA CTORYプロデューサーKakky(柿本)

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頑張れ!千歳烏山、SHIMIZUYA

“震災特需”で好調だった(?)スーパーや、中国人観光客次第になりつつある(?)百貨店は、購入場所の選択肢が増え、買いたい物や購買時間やタイミングによって購入場所やルートを自由に選択できるようになった生活者にとって、“そこで買うべき理由のない業態”になりつつあるような気がする。“そこで買うべき理由”がある時、すなわちイベント(物産展が典型)やセール、あるいは大改装(もはや、これもイベント?)の時だけ注目されるということ自体、レゾン・デートルを失くしているからに他ならないように思う。“今売れること”ばかり求めてきた結果かもしれない。

GMSの時代が終わり、リージョナル・ストアの時代になって久しいが、食品専門スーパー(妙な表現だが…)というカテゴリーに分類されるようになったリージョナル・ストアもまた、いくつかに分類されることになるだろう。取り扱う食品の商品カテゴリーの特徴(輸入食品が多いとか、地産商品が多いとか、生鮮三品に強いとか…)やプライス・ゾーンなど、分類しやすく、大手GMSチェーンとの違いがわかりやすい分類になるような気がする。そして、その分類されたカテゴリー毎に、効率の悪いGMSをスクラップしながら、大手チェーンストアが出店してくるんだろうなあ……。

明日のミニ宴会に備えて、久しぶりにKapparと買い物に行った千歳烏山のSHIMIZUYAは、僕の知る限り、独立系のスーパーで、千歳烏山の1店舗だけ(…なのかな?)。しかし、品揃えも顧客サービスもなかなかのものだ。セントラル・バイイングではない(日本のメーカーの加工品などは、高くならざるをえないが……)からこその、買い物の楽しさと満足感がある。お客さんも徒歩か自転車で来る固定客が多いように思える。近隣の大切なスーパーとして、しっかりと頑張り続けてもらいたいものだ。

Shimizuya

と思いつつ買い物した後は、遅めの“寄り道ランチ”。プルコギ・ランチと参鶏湯(サムゲタン)半人前(ハンゲタン、とメニューにはあった!)&グラス・ビール2杯。おいしかった~~~。またも、寄り道、大成功!!!

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満足して出てくると、道端に小さなサックスおじさん発見!

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人通りが少ない気がするなあ、と振り向くと、いつもは自転車と人で一杯の千歳烏山商店街が、ガラリンとしていた。いい時間に買い物したんだなあ。ん?みなさん、雨を怖れたのかな?

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

第三章、連載中!“昭和少年漂流記”

(原則、月曜日&金曜日に更新予定) 

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“介護とリハビリのネットコミュニティ”について……⑫

NPO活動をしている二人の女性にいろいろと訊いた結果、以下のことがわかりました。1.“始めたら簡単に止めてはいけない”とか“準備万端整えてから設立するべきだ”とか、予め過分に思わないこと。起業するのとは少し訳が違うので……。2.実務や運営に必要となる費用を背負おうとしないこと。無理は、早い息切れにつながるだけ……。3.必要とされる活動であれば、参加する企業や人が出てくるはず。参加する人たちで作り上げていくのがNPOなんだから……。といったことでした。

つまり、肩の力を抜いて、やるべきこと、やりたいことを、自分のできる範囲内で始めて、無理だと思ったら止めていいんですよ。ということだとわかりました。なんだか、さりげなく勇気づけられたような気分でした。「考え過ぎず、ともかく始めてみよう。その後に、道は少しずつ見えてくることだろう」と思うことができました。「秋には設立したい」と言い始めました。今年(2011年)、5月頃のことでした。

創立メンバー(10名が必要)の候補出しとNPOの活動企画に入っていきました。10月頃には設立したいと思っていました。

“進んでやりたいと思うこと”を仕事にしたい。ずっと、そう思ってやってきたはずなのに、嫌なこともせざるをえなかった。……ほとんどは、お金のためだった…。思い出すだに、悔しいなあ……。コング(中におやつを詰める)に一生懸命な佐助を見ていると、そう思うことが多い。取り戻せないのに……。

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60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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