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“楽あれば苦あり”って、宴の後?でも、“野分のまたの日”ってのもあるし……。

たった一日ですっかり侵入してきた裏庭の雑草の蔓に自然の猛威を感じて始まった先週。

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火曜日には、「顔が見たいから行っていいかなあ?」という突然の電話。「いいよ~~」と即答したら、IVYおじさん謙坊と麻生さんがやってきた。おじさん3人で3時間の楽しい時間を過ごして、「また来るね~~。スシローに行った帰りにでも~~」と帰っていくのを見送り、小一時間も経ったら、次々と3人の女性が現れた。一人の女性の訪問の約束をいい機会に、他の二人に“おいで~~”と声を掛けた次第。そして夜は、あれやこれやの盛り上がり。フランスに約1年間エステの勉強に行って、見事資格を取得して帰ってきたPTの療法士Mさん、管理栄養士の資格を持ち、食関連を中心に様々な企画を行っているTさん、明るく手際よくクライアントの要望に応える代理店の営業職Oさん、そしてKappar。みんななかなか男前で、それでいて細やかな気遣いを忘れない、懐の深い女性たちだ。一味違うガールズ・トークに、また一人男が加わって、楽しく過ごした。…みなさんもそうだった!…はず…。

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そして、深夜まで遊んだ佐助共々、ややお疲れの水曜日。リハビリと買い物と銀行回りの木曜日……。楽しいことがあると、“ずっと続くもんじゃないよ”と苦(痛)をイメージしなきゃいけないんだろうが、すごく楽しいと普通でいることさえつまらなく感じてしまうもの。だからなんだろうなあ、麻痺痛は。それをもたらす戻り梅雨は。きっと、戒めなんだろうな。……と思いつつ、また“誰か遊びに来ないかなあ”と、懲りることのない土曜日。ビールを持って公園に行こうかなあ……。

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仙川は、平日でもたくさんの人。人の息遣いを感じるいい街……。

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

第三章、連載中!“昭和少年漂流記”

(以降、月曜日&金曜日に更新予定)

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麻痺痛に奪われる意欲?!

29歳、無一文で、カメラマンと渋谷のヴィラ・モデルナのワンルームに事務所を開いた。電話とステレオだけの事務所だった。床に座ったり寝転んで、打ち合わせをしていた。1ヶ月くらいすると、遊びに来る人が増えていた。

その中の一人、ひげ面の年下の男が、ある日「これから毎日来ていいですか?」と言った。「え?!それって、雇ってくれってこと?」と訊くと、「よくわかりましたねえ」と、彼はにやりとした。しょうがないから、そういうことにした。まだ、会社を興す前だった。

「コピーライターになりたいんです」と言う彼に、仕事を頼んでみた。明らかに、読んだ本や資料の寄せ集めの文章だった。そこで、2つのことを守るように言った。自分への戒めでもあった。

1.粘ること…白い原稿用紙を前にして、急いで文字で埋めようとせず、呻吟すること。

2.諦めること…出来がよくないなあ、と思ったら、書き終わる直前でも捨て去る。使った時間や努力ごと諦めること。という2つだった。2年後、彼はコピーライターになること自体を諦めて、新妻と渡米していった。

ここ数日、どうも粘れない。“戻り梅雨”のせいか、麻痺痛が酷くなっている。肘、腕、肩が固まり、ざわざわとした鈍痛が続いている。この痛みや不快感を除去する方法はないものか……。“昭和少年漂流記”を更新しなかった言い訳?

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暑い、蒸し暑い、歩くの嫌だ、という佐助のストライキ。僕も、やりたい!ストライキ!

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水戸黄門、終了!

老舗と言えば、忘れてはいけないのが、大阪の“金剛組”。世界最古の会社として認められているこの“宮大工”の会社が経営の危機に陥った時は、心配したものだ。営々と受け継がれていく技術があるからこそ老舗として存続し続けられる、という会社の、あるいは日本の鑑のような会社だからだ。

伝統や知名度に依存しているに過ぎないような老舗は、やがて“マンネリ”と揶揄され、消えていく宿命を持っている。

TV番組“水戸黄門”の終了は、そんな宿命を持つサービス、業態や企業のこれからを象徴しているような気がする。しかし、「水戸黄門、大好きなんです~~」と言っていた若い女性の療法士はがっかりするだろうなあ。

僕は、昨年つけっぱなしだったテレビから流れてきた、水戸黄門の番宣の台詞が忘れられない。「今度のコウモンは、見応えがあります」という言葉に、思わず二度見したら、里見幸太郎の笑顔があった。その後も「本格的なコウモン」とか「今まで以上におもしろいコウモン」とか、次々と放たれる“放送禁止用語”(?)に「ミニお笑い番組か!」と突っ込んだ記憶がある。ミトを付けましょうよ、コウモンには!

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家の中だといいけど、砂利の上でもお座りをする佐助のコウモンもちょっと心配。野生は、そんなことへっちゃら、とは思うけどさあ……。

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食べること、という原点

中国山地の奥深くに住んでいたころ、僕の通っていた沢谷小学校には、“農繁期休校”というものがあった。ほとんどが農家の子供だったため、貴重な労働力である子供たちを農作業に専念させるための休校だった。2~3年生を過ごした2年間、“農繁期休校”の時は必ず、同級生の家に遊びに行っては、農作業を手伝っていた。田植え、草取り、稲刈り、稲こぎ、脱穀……、そんな作業の一つひとつに手慣れている同級生たち。見たこともない道具の数々。そして、大勢で食べるおにぎりやふかし芋。貴重な思い出だが、一方で“労働は、食べることのために行われるもの”であり“共同作業ができない者は食べる資格もない”ということを学んだような気がする。豊かさとは、自分の食べるものを他人の労働に委ねらることなんだ、という風に思うようになった原点でもあるような気がする。奴隷がいるから、哲学なんかできたんだもんねえ、ギリシャの哲人たちだって……。

食べることに真っ直ぐな佐助に、哲学なんかあるものか。そうそう、こだわりだってないもんね。ミミズのカラカラ死骸なんか、大好物なんだもんね~~。

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“介護とリハビリのネットコミュニティ”ついて……⑦

行動へ?! ①

 

自らの経験と、経験を通じて得たいくつかの“気付き”、さらにはネットで調べたこと、等々をブログに書きながら、ラジオ番組やWebサービスや出版の可能性を模索していたつもりでしたが、あちこちに手紙を出したり、電話をしたり、会話をしたり、だけの連続。“弱者のため”という“善きこと”も、そこにビジネスとしての骨格がなければ、実現性には乏しく、実現したとしても継続は覚束ないもの、と思いつつ繰り返す正攻法は、虚空にシュプレヒコールを唱えているようなものだと、つくづく身に沁みてきていました。

そんな2009年の晩秋、高校時代の同級生が脳卒中で亡くなりました。“俺たちの仲間も、こうしてこれから一人ずつ消えていくんだ”と実感した一人が“還暦同窓会”を企画。高校卒業以来42年ぶりに集うことになりました。僕も、空路駆けつけました。そして、この同窓会が、僕に次の歩みへと踏み出すきっかけとなったのでした。

“生きるとは呼吸することではない。行動することだ”という言葉や“動機だけが、行為の真価を決定する”といった言葉を思い出して帰ってきたのでした。

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梅雨の時も、台風の時も、虹は出る!!……都会では見えにくいんだなあ……

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“恨み”と“悔い”の違い

“恨み”は“してもらえなかった”ことに対して抱く感情、“悔い”は“してあげられなかった”ことに対して抱く感情だ、と僕は思う。“してあげられなかった”対象として、自分自身が入ってくることもある。あの時の自分に、自分がもっと何かしてあげられなかっただろうか、という自己愛の“悔い”は、話を聞くのさえ、ちょっと面倒だ。

そんなことを改めて考えるきっかけは、佐助だった。“恨み”も“悔い”もない暮らしを見ていると、ついつい「余分な欲望があるのは、どうも人間だけのようだねえ」などと呟いてしまう。そしてどういう訳か、親父やお袋に“してあげられなかった”ことの数々を思い出す。その意味では、最近毎日、親不孝を“悔い”ている。年かなあ……。

なでしこジャパンの影響か?!

「どした?大丈夫か?」とKapparが訝るほど、涙、涙、涙だった“なでしこジャパン”の優勝。佐助が突然、ボール遊びに夢中になり始めたのも、まさか影響を受けてのこと??……んなわけ!!…中にジャコが入っているからでした!

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“介護とリハビリのネットコミュニティ”ついて……⑥

正攻法?! ②

 

ラジオ番組実現への道の遠さを実感しつつ、でもなんとかならないだろうか、と考えていた時、“こちらの方が可能性があるかも……”と思ったのが、出版企画でした。これもまた実体験の中から生まれた企画でした。名付けて「病気になった時の家庭経済学」。経験者から資料提供を受け、発病からの治療に要する費用や病気に起因する家庭の経済事情の変化を疾病別に時系列でまとめたらどうか、というものです。どのタイミングでどんな治療にどれだけの費用が必要となるか。それを知っているか否か、によって治療や生活に大きな差が出ることが、僕自身よくわかりました。いつか役に立つことがあるのではないかと、僕自身のケースは、領収書をきちんと保存してあり、当面どの程度の蓄えがあれば、脳卒中の治療に対応できるのか、ある程度わかるようになっています。

発症の危険性や不安を抱えている人にとっても貴重な資料になるはず、と、これもまた正攻法に打って出ました。出版社の編集委員にお手紙&企画書を送付したのです。当然のことでしょうが、またも失敗。丁寧なお手紙をいただき、「医療関係or健康関係の出版社にお話しされてはいかがでしょうか」とアドバイス(?)までしていただきました。

やはり、どうしても広告代理店の仕掛けが必要なのだろうか、しかし商業的価値があるようにも思えない(本当は、市場性もあるのでしょうが…)、いささか“負”のイメージのある企画に広告代理店が動くのだろうか、ましてやスポンサー意向ありきでも予算ありきでもない話に……。と思いつつも、知り合いに当たってみました。しかし、これもまた「リーマンショック以降さらに苦しくなっている代理店が動ける話ではないと……」という返事。市井の病み上がりの男の妄想、で終わりそうな感触に、ちょっと弱気になってしまったのでした。   ……つづく

公園晩酌。Kapparは、日曜日の午後、久しぶりの休日に。佐助とお昼寝して、

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5時半ころ、散歩に。6時過ぎに近所の公園から電話が入り、「いい風吹いてるから、公園で一杯どうよ?」と言われ、ビールを持って馳せ参じた。

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確かにいい風!いい気分!やがて、犬友も数名現れ、僕は“公園デビュー”となったのだった。

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草食系?!肉食系?!…ロールキャベツ系!!?

金曜日は、かねてから予定していた食事会。最も要望の強かった代理店の女性営業の人が仕事の都合でだめになったが、デザイナーe-poohと僕のOT担当だったOちゃんの女性二人がやってきて、開催!話題はいつか、“婚活バー”の話から“草食系男子、肉食系男子” の話に……。すると、「草食系って、ラクしようとしているだけに見えるのよねえ」という意見や「実体としては、ロールキャベツじゃない?って話もあるよ~~」という話も出てきて、なかなか面白かった。……ガールズ・トークに男一人混ざるのは、決して嫌いじゃないし……。

ただその間、佐助はつまらなかったようだ。ん?それって、食い物の話?と目を向

けたようにも見えたが、

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な~~んだ!とがっかりしたようにも見えた。

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“介護とリハビリのネットコミュニティ”ついて……⑤

正攻法?! ①

 

ラジオ番組“明日、晴れるかな?”をなんとか実現できないか、と日々考えているうちに、ふと「いつもやってきた“正攻法”で、まず動いてみて、駄目だったら……きっと駄目だろうけど……駄目だった要素を考慮に入れて、また次なる正攻法を採ればいいじゃないか」と思うようになりました。“考えてばかり”より“動いてみる”ことにしたのです。

まず、スポンサーを探すよりも日本財団(資金の出所が何処かは問わないことにして…)のような社会貢献そのものを目的としている公的機関にアプローチできないものだろうか、と考えました。そして、ラジオ番組の制作およびそれに並行して行う情報提供(番組のwebサイトの活用もできるので…)に関して厚労省あるいはその関連下部組織の協力が絶対必要条件になるだろう、ということもあって、なんと!いきなり厚労大臣の事務所にメールを出しました。ちょうど、政権交代があった直後、本当に“官より民”を志向していこうとしているのであれば、話くらいは聞いてもらえるかもしれない。と考えたのです。送ったのは、企画趣旨とそれを考えるに至った理由、そして“お願い”でした。“お願い”とは、日本財団あるいはそれに類した機関へのプレゼンの機会を作っていただけないか、あるいは、せめて、担当の方をご紹介いただけないだろうか、ということでした。

結果は、当然のことながら、失敗。女性秘書と思しき方からの「多数のご要望が届いてきているので、ご期待に応えることはできそうにもありません」というメールが、一か月後くらいに届いただけでした。「そりゃ、そうだわなあ。正攻法にも程があるってもんだわなあ」と、がっかりもしませんでした。そして、次のことを考え、やってみることにしました。懲りずにやっていけば、その過程で企画も具現化のための仮説もブラッシュアップされていくだろう、と思っていました。  ……つづく

仙川いいとこ。一度はおいで……かつて本ブログで書いたが、仙川(京王線)は実にいい街だ。様々な要因が巧みにいい方向に混ざり合っていった結果だと思われるが、街づくりの“こうならいいのに”が、かなり揃っている珍しい街だ。

昨日は、仕事漬け(…しかも古漬けレベル)のKapparと通院リハビリの帰りに待ち合わせた。“仙川でランチ&昼カラ”という計画(大げさ?)。予め決めておいたインド・レストラン“サティ”で腹ごしらえ。

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カラオケ“コート・ダジュール”で、4年半ぶりにマイクを握った。僕は声が出にくく歌にならないので、熱唱するKapparの撮影係。Kappar110714

……のはずだったが、ここでも感情失禁!歌が妙に響いてきて、2回も涙にくれたのだった。……情けなや~~!……ちなみに、Kappar熱唱中は“翼の折れたエンジェル”。

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特許取得よりも、社会貢献!!

勝ち組・負け組と言われるようになったのは、いつ頃からだろう。稼いだ人(個人収入の多い人)が勝ち組だなんて、変だぞ!?と、思っている耳目には、温まる弁当を開発した神戸の会社の“特許よりも、みなさんに使ってもらうこと”という話は、久しぶりに爽やかに飛び込んできた。ほとんど観ることもなくなった地上波TVから届いたいい話に、感情失禁の涙腺は緩みっぱなしだった。

思い起こせば、パチンコ、8トラのカラオケも、特許は取得されていないはずだ。回転寿司の回るテーブルも、特許は取得していない、と聞いた。最初に回転寿司を始めたのは、元禄寿司だったと思うが、「設備を買ってもらえばいいことだから、特許を取る気はない」と社長が仰るのを聞いて、「取っておくべきではないでしょうか?」と言ったら、「そんなケチくさいことはしたくない!」と笑いながら仰ったので、撤回したことがある。やがて、力を付けたライセンシーが独自に仕入れからチェーン展開まで行うようになり、本部は弱体化。経営も怪しくなっていったが、それでも社長は、「また、新しいことを考えようと思っているんだ」と、過去を悔やむことはなかった。……彼は、負け組?…いいえ!と言いたい。…その後、どうなさったのだろう……

麻痺痛の不思議…麻痺しているのに痛い。寒さで固まるわけでもないのに、痛い。「左肩から左腕、あげるよ!」とKapparに言うと、「邪魔だから、結構」と断られた。サラダバー(Kapparは、佐助が草を齧るとそう呼ぶ)を楽しみ、

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ストライキをして帰ってきた佐助が、

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麻痺側の手をそっと舐めてくれたので、「愛い奴よのお」と言いつつ立ち上がったら、さっさと席を取られた。

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当然、佐助のおやつは中止!ビールをあおったぜ!

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“介護とリハビリのネットコミュニティ”ついて……④

ささやかな、ささやかな活動開始

2007年春、できることから始めようと、ささやかに活動(?)を開始しました。まずは現状把握から、と調べてみました。実に多くの脳卒中患者が存在し、寝たきりの人の数も思っていたよりも多いのに驚きました。

1.脳卒中患者数は、発症者数約30万人/年。総患者数は、2020年にピークを迎え、推計で290万人弱にまでなると言われている。

2.寝たきりの人の数は、推計で230万人(2025年時点で)。また、寝たきりの原因の30%弱が脳卒中によるものとされている。

介護に何らかの形で携わっている家族の存在も計算に入れると、2025年には、約500万人の人が広い意味での“介護家族”(介護する人&される人)であり、その30%、つまり約150万人が脳卒中が原因で“介護家族”になった人たちということになります。

介護家族だけが住む都市ができたとすると、その人口はなんと大阪市の約2倍。脳卒中起因の“介護家族”だけでも、広島市の人口を凌駕することになります。まさに、驚くべき現実です。

しかし、全国津々浦々に点在し、社会との接点も少なくなっているが故に、“介護家族”の現実はあまり知られることはありません。そして、“介護家族”は、その現実の中にいるのです。この点在している“介護家族”同士が、せめて気持ちだけでも寄り添わせることができるならば、大いなる助けになるのではないか。それぞれの日常にある不満、疑問、愚痴、喜び、発見……を、交換・共有するだけでも、今日の慰めや明日の活力になるのではないか。……そう、考えました。そして、まず目を付けたのが“ラジオ”でした。早速、ラジオ局の友人に声を掛けてみました。

「“明日、晴れるかな?”っていうラジオ番組、作れないかなあ。投稿、取材を中心に、音楽や紀行なども織り交ぜた番組……」

わざわざ来てくれた友人は、「それは作れるよ、すぐにでも。でも、ご存じのとおり、スポンサーが決まらないと、何も始まらないからねえ、ラジオ局は。番組制作費は安くしてあげられるんだけどねえ」と言い、「スポンサー、想定してるんでしょ?」と、いきなり踏み込んできました。

「一応、頭の中にはあるんだけど……。スポンサーの意向に左右されてはいけない種類の番組だからさあ…」と、僕は答えました。ただ、いずれにしろ、スポンサー・ルートを持っているわけでもないので、“絵に描いた餅”状態。「お互いに、ルート開発ができるかどうか、意識してみようか。ね!」ということになりました。

ラジオ局に勤めて30年以上になる友人は、「ラジオに過剰な期待はしないでね」と言い残して帰っていきました。  ……つづく

散歩の途中に、ストライキをする佐助。110630

“介護とリハビリのネットコミュニティ”は、僕の中では歩み続けているのだが………。

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終え方の難しさ

たった一度だけ、掴み合いの喧嘩をしたことがある。小学校4年生の時だ。原因と始まりはうろ覚えだ。女の子のことでしつこくからかわれ、僕が殴りかかったような気がする。しかし、馬乗りにまではなったものの、もう止めたいと思い始めていた。下から殴られないよう両手を押さえつけて大声を出している時、担任の女の先生が駆けつけてきた。

「止めなさい!」と強引に僕たちを引き剥がし、馬乗りになっていた僕の顔を正面から見つめ、一転やさしい声で「何があったの?言ってみなさい」と言った。途端、僕は泣いた。恥ずかしかった。すると、「大丈夫。もういいのよ」と言われた。僕は、号泣した。見ると、喧嘩相手も号泣していた。僕たちは、それから仲良くなった。

終え方は難しい。でも、上手に終わらせることはできる。

ウェスティンホテル東京のランチブッフェは、簡単に楽しい時間を終えたくない人にお奨め、かも……。4500円/人(税・サービス込)は、高く感じるかもしれないが、11時半~2時半の、たっぷり3時間をゆったり食べながら過ごせるとなれば、どうだろう。

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中は広く、庭も見える。ちょっとアジアンな感じ。

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料理は多種。フェアもやっている。

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こんな風に運んでくる(きてもらう?)。

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ビールで乾杯!…別料金だが…

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でも、豊富なスイーツは食べ放題!……だったが、一時間半で帰ってきた。小食は美徳だが、損だ!!!

 

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まだ“梅雨明け”?!!

既に日本列島は亜熱帯!と言われ始めて数年になる(!?)。地球全体は大きく分けると氷河期に分類される時期にあるらしい(?)のだが、確実にあったまってきているようだ。梅雨明けと聞いて、「え?!気分は既に8月中旬だったのに~~!」と思ったのは、きっと僕だけではないだろう。

我が家の毛にくるまれた存在は、もうかなりへたばっている。チビは二階への階段で、ぐだ~~。

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散歩帰りの佐助は、玄関へと上がる階段で、ぐで~~~。

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へたばる佐助を100メートルは抱えて帰ってくるのが日常化しているKapparは、「今だ!」と毛を梳いていた。

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僕は、夜中にベッド落ち!暑さに関係なくへたばっていたのだった!

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“介護とリハビリのネットコミュニティ”ついて……③

リハビリ病院退院後考えたこと

 

●退院後の暮らしに必要となる“情報とコミュニケーション”

①.介護する側と介護される側の心理の間に横たわるグレイ・ゾーン‥‥発症後3ヶ月。やっと退院して帰宅。足元は覚束なく、左腕はまったく動かせず、“肩手症候群”と診断された痛みのため左脇にぴたりとくっつけたままの状態。それでも、好物ばかりが並んだ食卓につくと、淡々と明るく過ごしていたはずのリハビリ入院生活にはない“親愛なる温かさ”に触れた実感に、思わず嗚咽が洩れてしまいました。しかし、包まれるように温かい介護(厳密に言うならば、僕の場合は介護と支援の中間?くらいでしたが…)を受ける暮らしに、僕はやがて苦しむことになっていきます。何よりも、“してもらうこと”ばかりで“してあげること”が皆無に等しいことが、大きな要因でした。自律のためには自立が前提であり、自立は自活なくしてはありえない。そう考え、学生のときから“明るく楽しい自活”を標榜し、なんとか実践し続けてきたつもりの僕としては、すべてをお世話になっている状況は、それが心地よいものであればあるほど、心苦しくもあるものだったのです。そんな頃、僕は二つのことを発見しました。

1.“介護される側の論理”はほとんど語られていないのではないか。

2.“介護する側”と“介護される側”は介護を通じて向き合ってしまいがちになるなのではないか。

そして、この二つのことが絡み合い、介護家族の悲しい事件にもつながっているのではないか。ということです。真面目に取り組めば取り組むほど向き合ってしまいがちになることが生み出す“孤独感”と“絶望感”。そこに行き着いてしまう過程が、ぼんやりと見えるような気がしました。と同時に、“Face To Face Communication”に陥りがちな介護者と被介護者に必要なのは、“Side By Side Commyunication”なのではないか、と思うようになりました。そこで、1.の問題に関しては、ブログの中で語ることにしました。2.に関しては、自分の問題として取り組んでみることにしました。

まず、できるだけ話し合いました。微妙な食い違いや誤解を恐れず、お互いに言葉を尽くしてみることにしたのです。やがて、些細なことも一緒に見つめるようにしよう、興味あること、気になったこと、怒りや喜び、そんなことすべてを語り合うようにしよう、ということになりました。掌を見つめて暮らしていてはいけない、目線を上げ、広がった視野に飛び込んできたものを一緒に楽しもう、ということになったのです。言わば、“Side By Side Commyunication”の実践です。介護に対する過剰な意識が二人の間に存在し、関係を微妙に歪めていたのでした。

②.無目的に陥らないための葛藤と手がかり‥‥

介護を廻るコミュニケーション齟齬がある程度解決された一方で、次第に深刻さを増していたのが、僕自身の仕事の減少でした。脳出血発症前に企画・プロデュースを担当していた仕事2つは、いつの間にか僕の手を離れていました。また、打ち合わせに出向いた先で、杖を突き覚束ない足取りの僕に、「あんな状態で来られてもなあ‥」と囁く声が耳に入ってきたこともありました。病床に訪れた人の「頭と口がしっかりしていてよかった~。またいろいろ相談しますよ」という言葉が、“お見舞いの言葉”に過ぎなかったことにも、やがて気付かされました。仕事に関しては、日々道が閉ざされていく、というのが実感でした。せめて身の回りのことくらいは、と思うもののそれも思うにまかせず、悶々と収入への手がかりをまさぐるような毎日でした。身体が充分に動かないことが焦りを募らせ、募る焦りに、手がかりをまさぐる手つきも乱暴になっていくのが、自分でもわかるほどでした。社会復帰を果たしたリハビリ仲間の苦労や苦悩を知り、慰め激励しつつも、自分自身が陥っていく閉塞状況はいかんともし難く、明るくあろうとする努力にも限界を感じ始めていた初夏。突然、一筋の光明が差し込んできました。それは、友人からの一本の電話でした

。内容は、「柿本さん、“障害者基礎年金”がもらえますよ。書類の用意をして送りますから、早く申請してみてください」というもの。保険のことはすべてお願いしている彼は「僕も知らなかったんですよ」と申し訳なさそうでしたが、僕の心からは一気に重石が取れたようでした。手がかりは、“情報”だったのです。初台リハビリテーション病院を退院して、1年半が経っていました。

*年金に関する問題が取り沙汰される時、現在のマスコミの論調は、「こんな額では、最低限の暮らしもできない!」というものです。しかし、実際に受給する立場になってみると、“充分とは言えず、医療費まではまかなえないものの、最低限の暮らしはできる金額”というのが実感です。そしてそれは、僕と同様な状況にある人数名に聞いた感想でもあります。

肥大化しがちな欲望、いつの間にか余分に膨らんでしまっている暮らし、都市生活者の生活費で大きなウェイトを占める住居費‥‥。ニュープアと呼ばれる“物質的には充足しているはずなのに心にはいつも不満を抱えている層”が増えてきていることや、それを煽ることでビジネス機会を作っている人たちの悪しき影響により、正しい判断がなされているとは言い難いのが年金制度であることを実感しました。

*区(僕は、世田谷区在住)の障害者手当ての存在も、区の福祉センターに障害者手帳を受け取りに行った時に、熱心な担当者が教えてくれました。

*“知ること”“自ら動くこと”によって様々な支援策に出会える、ということに気付いていない人はまだ多いのではないか、と思いました。

③.経験者が伝えていくべきこと‥‥

病気の症状、後遺症は人によって微妙に異なります。したがって、一人の経験が多くの人を導いていくことはできません。医学的な判断や処置は、当然医者に委ねるべきでしょう。しかし、僕たちがそうであったように、自分の問題として病気や後遺症に取り組み、自分たちでできることは何とか自分たちでやろう、という患者も数多く存在します。病院であるいはブログを通じて、そういう人たちにたくさん出会いました。そこにあったのは、少しでも自立していたいという“依存のみをよしとしない”健全で前向きなスピリットでした。

“完全なる保護”は“社会からの隔離”に似ています。それを潔しとしない人たちが必要としているのは、“自分たちで判断するための材料”すなわち“情報”です。必要としていない人にとっては、価値ある情報も響きません。また必要としていない時は、価値ある情報も看過しがちなものです。情報を必要とする人たちが情報を求めた時、価値ある情報(何らかの行動を起こすきっかけとなる情報)に出会えること。せめて、そんな環境だけでも提供できないだろうか、と考えました。

そして、どんな情報が有用性のある情報なのか、それを判断するにあたっては、先輩たちの経験談を大いに参考にすべきだと思いました。多くの先輩たちは、数多く生まれ続ける悲しい後輩たちの“役に立ちたい!”と願っているのですから‥。そして、ぼくもまたその先輩の一人になっているのです。

 

閑話休題:チビと佐助のコンタクト

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なんと、お互いの声を毎日耳にしていて多少慣れたのか、静かなもの。ただ、40㎝くらいが限界で、チビが「シャ~~~!」と一声出して、佐助がつられるように吠え、それに反応したチビの“猫パンチ”で終了!でも、近づいた~~~~!

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“介護とリハビリのネットコミュニティ”ついて……②

最初の頃、強く感じたこと

 

一言で表すならば、「情報とコミュニケーションの必要性」でした。

1.病気になった時点で必要な“情報とコミュニケーション”

①.必要となる治療と費用‥‥病気に関する知識はある程度あったつもりの僕でさえ応急処置が終わった後(幸いにして、意識はずっと鮮明でした)、これからどんな治療が施されるのか、それには当面どの程度の費用を準備しておかなくてはならないのか、全く予測できず、最初の最も不安なことでした。   *民間の保険会社が売っている“安心”は、極めて漠然としたものであること。病気になって2ヶ月程度の治療費や経費は蓄えておくべきものであること。おそらく、病気の種類によって、その金額の多寡に差があるであろうこと。などが、よくわかりました。

②.救急病院退院後の治療と暮らし‥‥入院した翌朝、病状が安定してくると、曲がりなりにも大黒柱だった男が倒木になってしまうことが引き起こす事態が、やっと気になり始めました。仕事は?収入は?暮らしの行方は?‥‥。宿題となっていた企画書などを頭の中で書いては消したりしつつ、失くしたもの、失くすはずであろうものの前に立ち竦んでいました。一方仕事仲間は、同病の人たちの治療と暮らしの成り行きを知ることができるのでは、と、ネットでの検索を繰り返していたようですが、当時(5年前)はまだブログ開設者も少なく、あまり成果はなかったようです。  *現在は、脳卒中経験者のブロガーも散見されるようになり、ある程度の“経験談”は入手できるようになっています。毎年約30万人も誕生(?)している後輩たち(?)のために、と始めた僕のブログには、少ない日で150、多い日で約500のアクセスがあり、その検索ワードの多くは脳卒中やそのリハビリに関連するものです。一々、胸の痛む話です。

 

2.リハビリ開始前~リハビリ中に必要な“情報とコミュニケーション”

①.リハビリ病院の所在と費用‥‥リハビリに関しては、僕はラッキーだったとしか言いようがありません。救急入院した東邦大学大橋病院の主治医が、初台リハビリテーション病院をリコメンドしてくれた上に、同病院に懇意にしている医者がいるとのことで、状況の確認からエントリーに至るまで手を尽くしてくれました。さらに、エントリー後わずか一週間で“左麻痺用のベッド”が空くという僥倖。大橋病院でゆるゆるとリハビリを始めていたものの、リハビリの困難さを痛感させられていた僕には、一筋の光明が見えたような気分でした。 *しかし、退院後に始めたブログでリハビリに関して書き始めると、リハビリ病院の所在と費用を調べている人がいかに多いかに気付かされました。主治医がきちんと情報を伝える人であるとは限らないようです。夫のために、あるいは妻のために、すがるような思いでネット検索をしている人のことを想うと、ラッキーだった僕は、いたたまれなくなることもしばしばでした。

②.リハビリに対する期待、疑問‥‥幸いにも、リハビリテーション専門の病院として日本のトップレベルにある初台リハビリテーション病院への転院を果たし、本格的にリハビリテーションに取り組み始めたのは、発症からちょうど一ヵ月後のことでした。右脳の視床部分、直径4センチの出血により損傷した脳細胞が再生することはなく、機能の完全回復はありえない、とは知りつつも、リハビリ開始当初の目覚しい機能回復に、思わず膨らんでしまう期待を抑制するのに苦労するほどでした。しかし、やがて回復曲線は緩やかになり、ストップしてしまったかと錯覚するほどになりました。……それでも失望することなくリハビリを続けられたのは、多くの真面目で明るく気遣いに溢れたリハビリ仲間の存在でした。リハビリに関する情報交換も積極的に行われていました。それは決して不満や不安の交換ではなく、リハビリに関して日本が後進国であり、いかにすべてが急ごしらえか、……といったことを患者の立場で実感した人が多かったことに起因するものでした。  *退院後、リハビリ学会の現状、寝たきり患者減少を目指した各種施策の現状と矛盾、医者による管理体制への疑問、人材の欠乏等々、様々なことがわかってきました。また、リハビリに取り組んでいる人の根深い疑問(特に筋トレに偏りがちなリハビリ手法に関して)やリハビリに関する多くの誤解の存在も知りました。 *経験者が経験を語ることは、大いに参考になるはずであり、ささやかな激励にもなるものと考え、ブログで積極的に書いていくことにしました。 *また、リハビリ入院中に、患者にとってラジオが重要な媒体であることに気付きました。通販の世界では、中・高年をターゲットとした“携帯可能な小型ラジカセ”が隠れたヒット商品であるのと同様、ラジオという“ながら聴取”が可能な媒体は、中・高年に親和性の高い媒体としてもっと注目されるべきだと思いました。  …つづく

閑話休題:佐助とチビの約半年ぶりの接近遭遇。

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ん?猫の声が近くね~~?と起き上った佐助。この後、廊下で接近遭遇するとは……。

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第三章、連載中!“昭和少年漂流記”

(以降、月曜日&金曜日に更新予定)

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“介護とリハビリのネットコミュニティ”ついて……①

 

はじめに

 

 

脳出血を発症して以降、初台リハビリテーション病院入院、退院、リハビリ通院と、約5年が経過しました。その間、同じ病の人、その予備軍、あるいは介護する人・される人のために何かできることはないか、と考えてきました。友人・知己に相談もしてきました。

 

そして、一昨年、一つの結論に到達しました。それが、“介護とリハビリのネットコミュニティ”を形成できないだろうか、ということでした。

 

コミュニケーションによって互いに心を寄り添わせていく……。情報交換によって不安や不満を少しでも軽くし合っていく……。そんなことがネットを通じてできないものだろうか……。肉体的行動が制限されている者の身近で有用なツールとして、ネットはもっと活用できるはず……。

 

そんな考えに辿り着いたのです。そして、その具現化に踏み出そうと、1年半余り前から“まずは、NPO法人の設立だ!”と考えるようになりました。しかし、NPO法人設立の書類を書き始めて、また考え込む日々が続き、今に至っています。

 

これから何度かにわたり、上記のようなことを考えてきた経緯とNPO法人“介護とリハビリのネットコミュニティ”(仮称)の活動趣旨について書きたいと思います。ご意見・ご質問やアドバイス等があれば、お寄せください。

 

次回から、おそらく10回以上の連載になると思います。長旅ですが、お付き合い下さい。

 

新パソコン、かなり手中に入ってきたぞ!古いパソコンが悲鳴を上げ、新しいパソコンがスピーディにその代りを担ってくれようとしているのも、“そろそろちゃんと始めなさい!”という天の啓示(?)かもしれない。

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こいつが、3年半。そして今、

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なんて、コンパクト!しかも、色白で~~~~。

     60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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心に棲む白蟻

かつて実家で大補修をした時のこと。見た目には立派な一本の柱に指が軽く刺さり、中がぼろぼろになっていて驚いたことがある。白蟻の仕業だった。幸い大きな被害ではなかったが、親父は決意して一軒の小さな家が建つくらいの費用を投じ、万全の補修をした。それから以降は、定期的に白蟻の駆除を行い、床下の強制換気も日常的に行っていた。

昨日の夜、ふとそのことを思い出した。どうも、僕の心の中も白蟻に蝕まれているようだ。普通に見える心の佇まいも、小さな一撃でいつでも崩れ落ちるほど、中はボロボロなのかもしれない。しっかりと立て直そうとしても、どうも手がかりがない。人に感謝されたり、小さな感嘆詞を与えたりすることによって、心の中の白蟻を駆除しながらずっと暮らしてきたんだなあ、とつくづく思わされた。補修工事と定期的な強制換気は、きっと心にも必要なんだろうなあ……。

毎日、毎日、少しずつ……。チビが毎日二階から降りてくるようになった。二階の和室の扇風機の前だけでは、さすがに心が和まないのか、鳴いて合図をして降りてくる。佐助も次第に慣れてきているようだ。“夢の本格的同居”に、近づきつつあるような……。

新しいパソコンにやっと少し慣れてきた。でもまだ写真の圧縮ができない。で、しばらく写真は載せられません……。頑張る~~~。

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畳と女房とパソコンは……

“畳と女房は新しいほうがいい”……なんて、昔の男どもは大胆な(or無謀なor恐れを知らないor身の程知らずな)ことを言ったものだが、初めて新品のパソコンを使ってみて(仕事でも、ずっと中古を使っていた……約25年間も…)新しいものの良さを、驚きをもって実感してみると、恐る恐る言ってみたくなった。「畳と○○とパソコンは新しいに限る」…………。

エコポイントを使い、ほんの少し型落ちのもの(いかも、ワードとエクセルがサービスでインストールされていた!)を選んで、実質負担約2万円。生産性のあることにあまり使用していないので、心理上の予算的にはギリギリのところ…。何しろマニュアルを読まない男なので、まだ使い方が覚束ないが、便利に使えそうな予感がする。スペースにもゆとりができそうだし……。よかった、よかった。道具より、道具で何をするかだ、なんだけど、それはおいおいと……。

一方、古株チビ(人間の年齢に換算すると約70歳)若手佐助(人間換算約20歳)の久々のコンタクトは、古株の圧勝!おばあちゃんの一喝に意気盛んな若者がしゅんとしてしまった、の図。で、写真のはずが、写真がパソコンに取り込めな~~~い!……女は強し!いくつになっても!の図だったのに~~~。

0sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

 

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パソコンお引越し中!

8000円で購入。3年間頑張ってくれたパソコンが悲鳴を上げ始めたので、お引越ししています。たいしたことしてないのに、あれこれ面倒なり!幸い今日は気温が高くないと思っていたら、さにあらず。汗だくになるかも……。

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便利に使っていた1980円の掃除機も1台が壊れたので、2台購入(送料がねえ…)。壊れる時は、次々ですねえ。

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チビの見えない眼に涙……。壊れないでね……。

                        Kakky(柿本)

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