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止められまへんな~~~!お酒は!

昨日は、Kapparの仕事仲間の女性がいらっしゃる予定だったので、彼女のご要望もあり、e-pooh&Kenzo夫婦もお招きしていた。ところが!肝心のお方に不幸があり、お見えにならないことになった。しかし、乗りかかった宴会を止めるわけになどいかず、結局4人で食って飲んで、飲んで、飲んで、お喋りした。Kapparの料理の数々の写真を撮ることも忘れて……。11時前に二人がお帰りになった後も、勢いがついたまま二人で小一時間飲んだ。久しぶりだった。

2年前の誕生日、還暦を迎えたのが事務所だったことを、今日思い出した。まだまだ心の一部はざわついていたのに、楽しく過ごさせてもらった。お酒のお蔭である。……と、友人たちと!(もちろん!)

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これだから、お酒は止められまへんなあ!……もちろん!友達付き合いも……。ん?そうだ!明日も女性二人が訪ねてきてくれるぞ!ということは……。

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第三章、連載中!新ブログ“昭和少年漂流記 

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薫風って?!おい!

突然の強い風だった。雨だってやってきた。“薫風”のイメージにはちと遠い、春の嵐の風情。……だったかと思いきや、燦然たる初夏の陽射し。どないなっとんね~~ん!と言いたくもなるが、暖かさが安定してくれるのは、大歓迎だ。

という今日のリハビリ。久しぶりに「テスト」だった。手の動き、指の動きをあれこれテスト。結果は、半年前と変わらなかった。「よかった、よかった」で終わりかけたので、また変わりそうな保険制度の話をした。

僕がリハビリを始めて約5年。いろいろな制度改革が試行された。現場は混乱・困惑し続け、僕たち患者は保険適用除外になるのではないかと不安だった。現在は落ち着き気味だが、どうもまた一荒れしそうだ。保険制度の根幹が揺れているとはいえ、リハビリ病院を増やし、セラピストを大量に養成した挙句、患者数を絞ろうというのでは、ビジョンはしっかりしていたのか、と疑いたくもなる。そんな例、他にも知ってるしねえ。能吏に未来予測はできない!というのが、僕の持論だけど……。春の嵐よりも“薫風”が望ましいんだけど……。

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そんなこんなの行き帰り。目にしたのはこの時季にはいつも満開の八重桜と路傍を染めた染井吉野の花びら。道には、名も知らない草が桜のような花を……。

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きっと佐助は、こんな感じでのんびりしてたんだろうなあ。

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鶏口となるも牛後となるなかれ!

親父に殴られたことは、数えるほどしかい。小さい頃からいつも、「同じことを三回言わせると、次は言っても無駄だと判断するぞ!」と言われていたので、何かをしでかしたり、何かをしなくて怒られると、必ず心の中で数えていた。「一回目~~」「二回目~~」という風に。「三回目~~」となってから、親父が憶えているかどうか試してみたくて、四回目をやってみたことがあったが、「まだわからんか~~!」と見事に覚えていて、殴られた。それ以来、四回目には徹底的に注意した。

しかし、最後に殴られた中学3年生の秋は、一回目のできごとだった。「高校には行かない!」と言い張った時だった。「高校には行け!」と言う親父に、「微分とか積分とか訳のわからないことなんか習いたくない。親父、社会に出て使ったことないでしょ?」と理屈を並べ上げ、抵抗した。「家を建てたり、生活の中で使うものを作りたい。使いもしない知識を身に付けて偉そうにしたくない!」と睨んだら、いきなり拳骨で殴られた。「知識じゃない!今のお前の頭の使い方じゃあ、どこでも使い物になんかなるもんか!頭の鍛錬に行け!」と怒鳴られた。それから一時間、じっくり話し合った。

その時、印象に残った言葉が“鶏口となるも牛後となるなかれ”だった。そのための知恵を身に付けるように言われた。僕は“牛後はハエがたくさん飛んでいて確かに嫌だが、鶏口も尖がっていて痛そうで嫌だなあ”と思いながら、聞いていた。

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もう何度「ダウン!」(手を下ろしなさい!というコマンド)と言ったことだろう。でも、体罰はしません!嫌な記憶しか残らないもんね。よかったね、佐助~~。

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脳卒中(脳出血)になってよかった(?)と思う、たった一つの大切な事。

“もう4年半を過ぎたんだなあ~”と、しみじみ思う。57歳になるひと月前、脳出血を発症した日も、いい天気だった。事務所でお客さんと朝まで飲んで、仮眠をとって、パソコンに向かった直後だった。頭の上半分がふわりと浮き上がるような妙な感覚に、また横になった。“酔いがぶり返したんだ~~”と思っていた。脳出血だった。

暮らしが、劇的に変わっていった。やむをえないことばかりだった。ひどく落ち込んだことはなかったが、日々もがいてはいた。時々、心が行き詰まりそうになることもあった。声を出して、泣いた。過去への悔いや恨みはなかったが、未来を描くことはできなかった。

2年を過ぎる頃から、ふと思うようになった。“よかったのかも~~”と。 “何でもやろう、何とかなると抱え込み、僕は一体どうなっていくつもりだったんだろう?”と。“無理することを生きがいと思っていなかったか?”と。そう!“限界を明確に意識せざるを得ないことは、悪いこととは限らない”んだ。

「できることよりも、したいことを。できるペースで。結果を思い描き過ぎずに」。

そう思えるようになったことだけで、僕の暮らしは変わった。…と、思う。

それが、失った機能と昨日を引き換えに得た、たった一つだけど、大切な事。でも、こんなに大切なことだから、きっと未来を描く柔軟な力になることだろう、と思っている。

“今”を生きる佐助。日が射していると、ベランダの簀子の上。

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今朝は、Kapparも顔を出してくれたので、ついでに甘えることもできたのだった~~。

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石津謙介さんにご馳走になった話 ③ 日本一おいしい中トロ?!おこげ?!

入社2年目、転属になり、VAN99ホールあるビルに移った。VANは急坂を転げ落ちるように、倒産に向かっていた。しかし、誰もがその事実から目を背け、希望のある翌年のことを語っていた。そうしなければならない空気が支配していた。

そして、事態に深刻さが増していた晩秋のある夕方、石津さんに社内で出くわした。久しぶりだった。少し元気がないなあ、と思った。でも、笑顔と言葉は変わらなかった。「どうだ?飯でも食べに行くか?」。もちろん、即答だった。「いいですねえ。お願いします」。

「ようし!じゃあ、日本一おいしい中トロ食べに行くか!」と、今度はタクシーに乗せられた。向かったのは、四谷だった。カウンターの真ん中に陣取り、「中トロね」と石津さんが注文すると、大将はにこにこしながら「へい!」と、大きく頷いた。当然、他のネタは禁止!中トロだけを5~6貫食べ、“おいしいけどなあ、量的には……”と思いつつお話を聞いた。会社の話やファッションの話は一切なし!むしろ、いっぱい質問された。話し上手な人は聞き上手なんだなあ、と実感した。

「よし!じゃあ、今度は日本一おいしいおこげを食べに行こう!」と、突然石津さんは腰を上げた。大将の笑顔が、“いつものパターンですね”と言っているように見えた。

おこげの店までは、歩いて行った。お寿司もおこげも、石津さんの自宅に近い常連の店だと知ったのは、それから約5年後のことだった。

家族は“なっていく”ものなのね~~。佐助~~!

銀行回りと買い物に出かけた午前10時半。出かけるまでは、伏せて様子見。

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出かける時は、玄関まで追っかけ。Kapparに注意され、お座り。

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可愛いじゃないか~~~!え~~!佐助よ~~~~~~~。

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石津謙介さんにご馳走になった話 ② 日本一おいしい焼き鳥?!

“日本一おいしいアナゴ”をご馳走になって数か月後、夕方に社長室に呼ばれSCENEについて説明をした(なんと!石津さんはSCENEをブランドではなくキャンペーンだと思っていた…驚いた)。ひと通りご説明をし終わると、「君、焼き鳥は好きか?」と訊かれた。心の中で“来た!また、ご馳走になれるぞ!”と僕は叫んだ。「はい!大好きです!」と即答した。「よし!じゃ、日本一おいしい焼き鳥食いに行くか?」と言われた。5時前だったと思うが、すぐ行くことになった。

前回の経験から、遠くではないだろうと思っていたが、そんな予測も裏切られた。なんとVAN本社の真下、同じビルのB1の店だった。それでも、表参道の屋台と渋谷のんべえ横丁が専門だった僕は、うれしかった。期待した。

席に着くなり“焼き鳥にビールがないなんて!”と、「あの~~~」と言い出しかけると、「ビール飲むか?!」と訊かれた。「はい!」と、また即答した。砂肝を勧められたような気がするが、よく覚えていない。ビールはかなり飲ませてもらった。楽しかった。

佐助、階段をすべて克服!

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地下の仕事場への行き来、庭への行きの“階段”というハードルを克服。佐助は、チビばあさんの支配地である二階以外は、出入り自由となった。夏のライフスタイルの下準備(?)完了!ってところかな?!

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石津謙介さんにご馳走になった話 ① 日本一おいしいアナゴ?!

VANにいた3年間で3度、石津さんにご馳走になった。3度とも退社時間直後、廊下で出くわした時に、「おう!飯でも食いに行かないか?」と声を掛けられ、そのまま連れて行ってもらった。最初は、寿司屋だった。「日本一おいしいアナゴを食べさせてやろう」と言われ、タ遠くにでも行くのかと思い、道行くタクシーを見ていると、「こっち!こっち!」と手招きされた。すたすた早足の石津さんを追っていくと、VAN本社からわずか数100mの寿司屋の引き戸を開けて入って行く。奇妙に思いつつも、後をついて行った。

席に着くなり、やってきた大将に「アナゴね」と注文し、前の僕に「うまいぞ~~。ここのアナゴは」と嬉しそうに笑顔を向けてきた。

確かにおいしかった。しかし、山陰生まれで、学生時代を京都で過ごした僕は、アナゴには馴染みがない。日本一と言われても~、と思い、この際だから、新入社員には手が届きにくいネタを注文しようと、「すいませ~~ん。アワビとウニくださ~~い」と大将の背中に言った。すると石津さんに、「ダメダメ!ここはアナゴを食べる店だぞ」とたしなめられた。大将は、笑っていた。……アナゴだけ3人前食べて、移動した。残念ながら、その時のアワビとウニを食べ損ねた口惜しさで、どこに移動したかは覚えていない。……それが、1回目だった。入社した年の夏だった。…と思う。

番犬として、イケル?佐助~~~。

食べて、遊んで、ソファに上がっても、食卓が気になる佐助。

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見張ってなくちゃ!の意気込みはいいのだが、

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どうも眠気に弱いらしく、

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ついには寝てしまうのだった。その間2分!番犬、できるかなあ?

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組織を平面で考える!?

起業する男たちを随分と見た。多くの男たちが、会社組織をどう作っていくかを嬉々として語っていた。男は組織作りが好きなんだなあ、と思った。上だ、下だ、や先輩・後輩を云々するのも好きな動物らしい。穏やかな紳士然とした男の内奥に巣食っている“女性蔑視”を嫌になるほど感じたこともある。つくづくダメな動物だと思った。

縦形ではなく、同心円が広がっていくような組織作りはできないものか、といつも思っていた。自分でのトライには失敗した。でもまだ、上下のない組織論を捨ててはいない。…男には無理なのかなあ……。

ドッグランで多くの犬たちが争うこともなく戯れあっているのを見ていると、あれ?人間の方がダメじゃん?!などと、思ったりもする。

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浩然の気と平坦の気

まあ大袈裟な!と言われても仕方のない言葉を、何故か噛み締めている今日この頃だ。身の丈を考えつつ、高きを目指す……なんてことも考える。挑戦と無謀の狭間を埋めなくては、良き協力者を失うことになる……などとも思う。

自分でできることの領域が狭くなった、と徒に委縮しているつもりはない。しかし、挑戦と無謀の狭間を埋める力は、さすがになくなってきている。「責任は、俺が取る!お金が足りなくなったら、俺がなんとかする!」などという“男らしい”台詞は、恥ずかしくて吐いたことはないが、自分がやりたいと思ったことには、そんな決意が必要だ。ましてや、一人でやるわけではないことには……。自信がない部分は、条件整備をちゃんとしなくちゃ……。さりげなく、自分の力で全てができるに越したことはないんだけど……。

自分の力で生きていく希望を奪われていた佐助。やってきた頃、新しい環境の中で見せたいくつかの行動は、今にして思うと、“生きていくことは自分の責任だ!”という意志の表れだったように思う…。

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保護された直後の佐助。

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小梅保育園に引き取られ、同じ運命の保護猫に寄り添って寝ている佐助。久しぶりのぬくもりだったんだろうなあ……・

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名は体を表す!を考え過ぎか……久しぶりのネーミングに四苦八苦中~~!

仕事の一つが、コピーライティングだった。いくつか、新商品や新番組のネーミングもした。おもしろかったなあ、という思い出ばかりで、あまり苦労した記憶はないが、そのネーミング作業に、ただ今四苦八苦中なのだ。

秋にはなんとか立ち上げたいと思い、準備を始めたNPO法人。構想と活動のディテールは固まって来ているのに、肝心なネーミングに引っかかってしまい、歩みが止まった状態だ。こういう時は、忘れたふりをして頭の中に留めておき、勝手に発酵するのを待つ、というのが常套手段なのだが、相変わらずグツグツと煮込んでしまっている。

明日は天気がよさそうなのでドッグランにでも行って、佐助の走る姿を遠くから眩しく眺め、頭の中に空白地帯を作ってみようかな~~。ぽっかり抜け落ちないようにしながら……。

ご飯だ~~!で、頭が一瞬にして一杯になる佐助。いつも今を生きている証だ。でも、“待て!”の時間は伸びてきているので~~す。こんな風にね~~。

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ん?ひょっとして……。

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ご飯じゃ、あ~りませんか~?

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や、やっぱり~~~~~~~~~~!

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ご飯だ~~~~~~~~~~!

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早くしようよ!ね!早く!

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でも、待ちますよ~~!ちょっとなら~~~。

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千里の道も一歩から

石橋を叩いて叩いて叩き壊し、やっぱり渡らなくてよかった~~、と言う人もいる。ポンと飛び出し、しばらく走ってから、地図を持っていなかったことを思い出す人もいる。きれいな道を明るい時にしか歩めない人もいれば、道なき道に分け入って行くのが好きな人もいる。目的地が同じでも、ルートの選び方や進み方が異なることも多い。ただ、どんな場合でも、一歩から始まることだけは変わらない。……そんなことを考えた午後だった。

長い友人の山本氏現る!数えてみると、8年ぶりだった。技術者だった彼が、JAVAとJINIの先端技術を持つ仲間と起業して11年。最初の頃、いろいろとお手伝いしたが、あまりお役には立てなかった…ように思う。それからメンバーも入れ替わり、事業スタンスも変え、様々な苦労を経て苦節11年!事業に光明が見えてきた、というお話だった。

彼のイメージの中で、その道程は何里くらい残っているのかな?…でも、一息ついてまた次の道程を気持ち新たに一歩から始めてもらいたいなあ。頑張ってね~~。

佐助も、魔の階段、克服したもんね~~~。

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これが、魔の階段!

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今日午後、山本氏到着の30分前、意を決した顔をして、駆け上がってきた。褒めまくり~~、だった。佐助は疲れたのか、すぐソファへ。……いい午後でした~~。

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脳卒中の再発パターン???

僕の経験と知る限りでは、脳卒中再発のパターンで多いのは、「すっかり元の生活に戻る」というもの。何しろ、生活習慣病という名前が示す通り、悪しき生活習慣が引き金になっていることが多いのが、脳卒中。元に戻るということは、元の生活習慣に戻ることを意味し、それは脳卒中の原因をまた身体の中に蓄積していくことでもあるからだ……。

しかし、そんな生活習慣。押し付けられて身に付いたものではない。好きでやってきてしまったことだ。だから、戻りやすい……。困ったものだ。

折角一段一段上がるように続けてきたリハビリが、一気に元の木阿弥にならないようにしなくては……。などと思いながらも、また、楽しいお酒を、たっぷり飲みたい、と思う今日この頃なのであります。……。

佐助は、魔の階段をビスケットにつられて一段ずつ克服中!

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ビスケット作戦スタート!

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あ!一段上がれたじゃない!じゃ、次ね!

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もうちょいだ~~。……で、結局上がれました。上がって来て、大興奮で走り回っておりました。

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春の海の思い出…その2

小学校5年生の春、島根県益田市の鎌手小学校に3度目の転校をした。山陰本線の線路脇の家だった。5月になる頃には、なんとか地元の友達の仲間に入り、海に遊びに行くようになった。小さな漁港と海水浴場が一緒にある大浜から、5月の日曜日、伝馬船で海に出た。“春の海 ひねもすのたりのたりかな”という蕪村の句を見聞きすると、その時の光景を思い出す。

お昼頃には少し沖合にまで出て、友達が櫓を漕ぐ手を止め、3人で船底に横になった。日差しが眩しかった。居眠りしそうになっている時、「わ!大変じゃ~~!」という声で飛び起きた。櫓を船に止める部品が流れていた。船の中に置いてある櫂を使い、あるいは両手を舳先に出して、3人で懸命に舟を漕いだ。波間に漂う木製の小さな部品にやっと辿り着いた。「白波が立ってきてる~~。危なかったね~~」と、櫓漕ぎの巧みな友達が櫓をセットしながら、切らせた息の間から言った。……彼が指差す方向を見ると、海の顔付が変わっていた。海が怖いものでもある、と知った瞬間だった。

佐助のおもちゃ棚。

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やってきて半年、ちょこちょこと買い物している間に溜まった佐助のおもちゃたち。窓辺の棚に整列させている。食べ物とお酒以外ほとんど何も買わない我が家で“エンゲル係数”を凌ぐ勢いなのが、“佐助係数”。昨日も、狂犬病の予防接種、フィラリアの薬、お泊り費用等で約2万円!だった~~~。

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春の海の思い出…その1

小学校2年生の春、親父は再婚した。親父36歳。相手は2歳年上、お嬢様育ちだが先天性の疾患で子供の出来ない人だった。しっかり者だった。

祖父母の家に預けられていた僕の生活はすっかり変わった。毎週日曜の午前中、小さな借家をはたきと箒で隅々まできれいにすると、お袋は持参した琴を出してきた。演奏したのが、いつも“六段”と“春の海”だった。春の朝の陽ざしの中でまどろみながら耳にする琴の音が、僕は好きだった。

そんな朝を思い出すような好天の中。11時半に、佐助をお迎えに行った。昨晩、知り合いのお宅でご馳走になった東北の日本酒が、まだ少し身体に残っていた。久しぶりの気だるさだった。

佐助は、奥の方からぴょんと出てきた。

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色とりどりの花の咲く、不思議な一本の木を、帰り道で見つけた。

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門扉が開くのを目にすると、佐助は勢いよく入っていった。

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往復約40分。僕は汗だくだった。

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楽しみは、いつでも……。

どんな時でも、どんな処でも、楽しみを見つけたくなる。そんな気持ちは、自粛できない。何もなさそうでも、とにかく掘ってみる佐助。

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リハビリ通院の際、おいしいパン屋さんを見つけた僕。

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似たのかな?元々、同類なのかな?今夜は、知り合いのお宅に伺うので(久しぶりの人も来るようだし……)、一晩預かっていただく佐助。Kapparは、後ろ髪引かれる想いで預けてきたようだ。今夜は、こんな顔を思い出したりするのかなあ……。

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世田谷早春賦

土地土地によってお似合いの春の歌がある。ど田舎にいた小学校低学年の頃は、“春の小川”がぴったりの景色だと思っていた。江の川の上流で、さらさら、というほど穏やかな流れではなかったが……。富ヶ谷に事務所を持って初めて、近くにある遊歩道の下を流れている(はず…)川が“春の小川”に歌われた川だと知った。いにしえの美しい景色も、暗渠に閉じ込められてしまったんだなあ、と感慨深かった。

初めて東京に高校の同級生をたちを訪ねて来た時、世田谷は畑の中に民家とアパートと点在する所だった。四季折々の作物を育んでいた豊かな土は、やがてアスファルトと住宅に抑え付けられていった。……と思っていたら、どっこいまだまだ、世田谷の農地は息づいていた。自宅から数分の場所に、見つけた光景。

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世田谷に早春賦があるとしたら、こんな光景から生まれるべきなんだろうなあ……。

菜の花だ~~、と思ったら、キャベツの花だったり……

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坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い?羹(あつもの)に懲りて、膾(なます)を吹く?

7~8年前、販売の効率化と売り上げ向上の相談を受け、仕事としてではなく見学旅行の気分で知多半島の薔薇農園に行った。色々なことを学んだ。温室一棟の建設費が5000万円。2棟を親子2代のローンで建てたこと。水の浄化装置を動かし続けていること。等々。美しい薔薇を生産し続けることに必要な隠れたエネルギーの量に驚かされた。

“intel入ってる”というコピーを目や耳にするたびに、電子部品を作っているアルプス電気の工場を思い出す。いわき市にあった主力工場、今どうなっているのだろう。

HP制作のために、えびせんとシリアルの生産工場を見せてもらった時は、日本の優秀なFA技術の一端に触れ、感嘆詞を漏らした。

たまたま、初台リハビリテーション病院の同室に入ってきた大学の後輩は、FAのエンジニアで、広い工場内を移動するためにはもっとしっかりリハビリをしなくては、と頑張っていた。

5年前、石油の元売り会社の経営陣に「石油はもはや燃料ではなく、化学製品の原材料と考えるべきだと思います」と聞かされた時は、大きな転換期にきているんだなあ、と思った。

便利なもの、おいしいもの、きれいなもの、楽しいもの……。それらはすべて、“エネルギー入ってる”ものばかりだ。そして、それをコントロールする人の知恵と技と労力も……。

ともすると忘れがちな、普通に生きていることを支えてくれているものたちや人たちの存在……。改めてきちんと意識しなくては、と思う今日この頃だ。

そんな折、福島ナンバーの車を蹴る輩、福島県から来た人を拒否する宿泊施設……。等のニュースは、たまらなく不愉快だ。

ど田舎に住んでいた小学生の頃、夏休みに町から来た少年が、草刈りを手伝い田圃から出てきた同じ年頃の少年から遠ざかりながら「汚い!」と言った時の、震えるような怒りを思い出す。言われた少年は、慌てて田圃脇を流れる山水で手足を洗っていた。二人の表情を見比べて、また湧き上がった怒りをどうしていいかわからず、僕は手足を洗うのを手伝った。肩を抱いたような気もする。そんなことしかできなかったんだなあ……。

佐助、今日も“階段上がり”チャレンジするか?!

昨日、一段一段お菓子を置いてもらい、つられて上がった“魔の階段”。今日のテンションでは、無理かな?

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二人と一匹の花見。佐助の怒涛の一日。……続き

「なに?!いきなりガウってか?!」

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「お~~とっと!危ないじゃないか~~い?!」

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「こいつヤバそう。逃~~げよ」

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「ん?どこ行った?」

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あれ?こいつのママ“咬んじゃだめよ~~”って言ってない?」「こいつの顔、怖いし~~」

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「しつこいし~~!」

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「ふう、ヤバイ奴だったぜ~~~っと!」

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「て言うか、姉さん、まだ電話してるし……」

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とまあ、そんなこんなで帰宅したのが午後4時。突然の、激しい雨。それはよかったのだが、佐助はぐったりしておりました。

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今日になっても、テンション上がらず!フレンチブル・ショックは続いているようで……。

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二人と一匹の花見……。佐助の怒涛の一日。

「今日しかないかも…」と、芦花公園に花見に行くことを決定。仕事で睡眠3時間のKapparの「気分転換した~~~~い!」も兼ねて出発した。

午後12時30分、出発。それは、佐助の怒涛の一日の始まりでもあった。

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Kakkyお気に入りの道は、桜満開!

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踏切を渡って、サミットの前を通り過ぎ……。

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う○こ、一発して……。

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着きました、芦花公園!

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人もまばらで、のどか~~。

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どこまでも行けそう~~。

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なのに、Kakkyは休憩。「サミットで買った稲荷寿司&卵焼き~~」だと。

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その間、Kapparと佐助は、ボランティアによって運営されている“ドッグラン”に登録に~~。で、ついにドッグラン・デビュー!なのに、Kapparには、お仕事の電話が~~。

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(これからは、佐助目線で……)。お!登録する時に会ったフレンチブル君じゃ、あ~~りませんか!」

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続きは、明日~~~!

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A型が多い日本だから?

ETCの普及に日本が手間取っている間に、さっさと普及させたのシンガポールだった。……と、思う。アジアで最も早く普及できた、そのコツは…“無料ですり抜ける車が多少あってもいいや。まずは実施だ~~!ズルするクルマの対策は、後から、後から!”という“アジアン・ポリシー”だった。……と、思う。

抜けがないように。不平等にならないように。後から問題を指摘されないように。と、グダグダ考えるのが、どうも日本スタイルのようだ。

義援金をさっさと配れないのも、そんなことなんだろうなあ。A型が多いからかなあ(僕も、そうですが……)。それとも、農業社会の産物かなあ。まず、当面必要なお金を全家庭に配布すればいいのになあ。「10万円ずつ、配らんかい!即座に!」と、Kappar様もおっしゃっております。

今日は、4時間近くにも及ぶ“花見散歩”でヘトヘト。佐助は、ドッグラン・デビューをしてヘトヘト。その理由は、明日。写真付きで……。

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1㎏のために、10㎏

牛肉1㎏を得るために、穀物10㎏が使われている。便利なもの、おいしいもの、きれいなもの、楽しいもの……。それらはすべて、“エネルギーが集約されて出来上がっている”もののようだ。効率がいいとは思えない。

そんな牛肉を「今度の試合に勝ったら、ステーキを好きなほど食わせてやる!」との上司の約束に、試合に勝った後、2kg食べたアメフットの選手が、VANにいた。穀物に換算すると、20㎏!それでいて、彼の体重が増えたわけではないのだから、これはいかがなものか?!!本人は、「アメリカ人は、みんなこれくらい食ってますよ~~。普通に~~」と平然としていたとか……。

毛の生えた棒のようになって、ご飯を待っている佐助。

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一度に食べる量は100g強。アメリカの犬は、もっと食ってるのかなあ…。知らない方がいいぞ~~~。

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脳出血で思い知った“非可逆性”!

「私は、反省しない女だも~~ん」というのは、Kapparの言葉。してしまったことには、それをしてしまったその時の理由があり、やり直すことなんてできないんだから。というのが理由だ。「失敗だと思ったら、その原因をはっきりさせて、もっといい方法でやり直せばいいんだもん」。とのこと。

時間が非可逆性のものであることは言わずもがなだが、時間と共に思考や力学も変化することを考え合わせれば、思考や力学もまた非可逆性のものである、と言えるかもしれない。……そんなことを、脳出血発症後、随分考えた。

1970年頃、「え~~~!世界の人口、40億になるの~~~?!」と驚いた記憶がある。「レミングみたいに、そのうち集団自殺することになるぞ~~~」などと言っていた。…レミングの集団自殺は誤解だとその後知ったけど…ごめんね、レミングさん…。

初めて新幹線に乗って東京に来た19歳の夏。新宿“マイアミ”の4Fから見た人の波に、気持ちが曇った。怒りのようなものが、胸の深奥に淀んでいくのさえ感じた。「こんな所、住めないや!」と思った。「人と人の距離が近すぎると、いいこと起きないよな~~」と思った。それから5年後、ふとした縁で東京にやって来て35年!もうどこにも戻ることなんてできない。“終の棲家”が、まさか東京になるなんて!……「僕は東京には行かない!」と宣言した中学生の時の気分と考えは、しっかりと覚えているのだが……。

毎日が平和な佐助。

朝の散歩で“トレジャー・ハンティング”とガウガウ仲間との“プロレス”~帰って来て、朝ご飯と“朝のコング”。~そして、休憩・お昼寝(まだ朝だけどね)。~そして、“お昼のコング”。~そしてまた、お昼寝Part2。~そして、夕方の散歩で“トレジャー・ハンティングPart2”とガウガウ仲間との“プロレスPart2”(仲間に出会えない時は、ストライキだってするのだ)。~それから、晩ご飯と“夜のコング”。~ついでに、食事の遅い二人と遊んであげて、スイッチオフ!~寝るのだ~~。

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寝ていて油断すると、耳をめくられる。

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熟睡してると、誰かが鼻をペタンコにして遊んでるらしい。………

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誰でもみんな、リハビリ中!?

初台リハビリテーション病院で、“杖を突いて病院内を自由に移動していいよ”と認めてもらった日。早速、1階の喫茶店まで行くことにした。僕がいたのは5階。受付の前を通ってエレベーターに。……そこで、いたずら心が生まれた。寛平ちゃんの芸をやってやろう、と思った。杖をついては、グラグラと揺らしてみた。1~2度、軽く壁も叩いた。

ウケルわけがなかった。二人の人が飛んできた。「大丈夫ですか~?!」と支えられ、慌てて真っ直ぐ立ち、背筋を伸ばした。「杖で遊んでみちゃいました~~。大丈夫で~~す」。恥ずかしかった。やっていいこと悪いこと、やっていい時悪い時が、あるんですね~、何事にも。…当たり前ですが…

さすがに、退院後、外出した時にそんなことをする余裕などはない。でも、いつもただ歩くのではなく、工夫をしている。“デューク更家だって、それをエクササイズにしたんだもんね~~”と思ったりしながら…。

健康や体力を維持するためにすることも、リハビリ。取り戻すことだけがリハビリでは、決してない。人は衰えていくものなんですから。20歳を過ぎると…………。

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成城リハビリテーション・クリニックの理学療法でいつも一緒になる人。普通にしてると普通に見える動きをしている人だが、いつも黙々とトレーニングを繰り返している。とっても、いい感じだ。そんな姿勢がリハビリには必要なんだよなあ、といつも思う。

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福島のキュウリ、2kg注文した~~!!

少し遠い話だが、VAN倒産の1年前のこと。秋冬物の季節に入って間もなく、“赤のブレザーを追加生産する”という噂を耳にした。“妙な話だなあ、それに、これから追加して間に合うのかなあ”と思い、社内でヒヤリングして歩いた。“お店から追加納品して欲しいという電話がバンバン入ってきている”からだ、ということだった。「何件くらいですか?」と尋ねたが、把握している人はいなかった。嫌な予感がした。実態は違うんじゃないか、追加生産する“赤の!”ブレザーはデッドストックになる危険性がある、キャンセルできないか、と仮説を立て、出張願いを出した。

専門店10軒程度を2日で回った。まず「今年ブレザーで目立つ商品は、何ですか?」と尋ねると、半分以上の店主が「赤がすごいね~~」と答えた。「売上データ、取ってらっしゃいますか?もしよかったら、販売実数を教えてください」とお願いしたら、2軒のお店で確認していただけた。二人の店主は同じことを言った。「あれ?!赤は、たったこれだけか~~?やっぱり、圧倒的にネイビーなんだ~~~」。

会社に帰ってレポートを書いた。上司に喫茶店に呼び出され、怒られた。「みんなが一生懸命やっている時に、足を引っ張るようなことをするな!!」。“馬鹿なこと言うな!一生懸命やって間違ったら、意味がないじゃないか~~!ミスリードだ~~!”と心の中で叫んだ。レポートを取締役に提出した。また、怒られた。結局、間に合わなかった。

3年後、倒産した翌年、とある会社の仕事でヨーロッパの展示会に行った。ずっと気になっていたことを確認したくなった。ジャケットのメーカーや生地屋さんの担当に聞いて歩いた。「目立って売れている色はありますか?」。すべて同じ答えだった。「Always Navy!」。

アメリカ、ソ連、フランスが原爆や水爆の実験をしていた頃の放射能汚染のことを、僕は忘れない。中国が新疆ウイグル自治区で行った原爆実験も忘れられない。その度に大気にふりまかれた放射能が、福島原発事故よりも少なかったはずがない。ちょっと調べてみたが、確かな数字はつかめなかった。誰か、教えてもらいたい。当時の東京の大気には、かなりの放射線が飛来していたような記憶があるのだが……。

Kapparと話し合って、福島の野菜食べようぜ~~と決めていたのに、買う手段がなかった。でも、見つけた。昨日、里山ガーデンファームというところを発見!キュウリを2kg注文した。他の野菜は売り切れていた。それを知って、少しうれしくなった。

自分の足元は見えにくいもの。

ベランダから、佐助とKapparの写真を撮って、後から見たら、僕の足元が写っていた。“ニマちゃん”と呼んでいる室内履き。ゲッ!お客さんが来るのに~~~!と、慌てて脱いだ。危なかったわい!

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アシタ・マニアーナ!

なんとなく好きな言葉だ。スペイン語で“また明日~~~”という意味だ。無茶苦茶に仕事していた頃、よく使っていたような気がするが、その頃は「明日、間に合~~な」と日本語とダブルミーニングで使っていた。「今日できることは、明日に回そうぜ~~」などと軽口をたたいて、酒を飲んだりもしていた頃だ。……締め切りに間に合わなかったことはほとんどありませんからね、念のため……“ほとんど”って?……

“アシタ・マニアーナ!”。平気で生きる、今を生きる、という感覚と相通じるものがある言葉のように思う。……正確には、Hasta Manana。アスタ・マニアーナと発音すべきなんだろうが、きっと誰かが僕と同じような気分で“アシタ・マニアーナ!”にしたんだろうと思う。

今日は午前中に来客2件。それから、お使いへ。お気に入りの道を通って行った。

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マンション裏の道だが、四季折々が心地よい。帰りに思い出したのが“アシタ・マニアーナ!”。明日も、お使いする気になっているのかなあ……。

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帰ってくると、今日の佐助は、魔の階段を下りることに成功したようだった。次は、上りだぜ~~~、佐助。アシタ・マニアーナ!

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急いては事を仕損じる。

長く企画、広告、マーケの仕事をしてきたせいで、身体に“先んずれば人を制す”が染みついていたらしい。走りながら考えるのも習慣になっていたようだ。しかも、“楽しくなければ仕事じゃな~~い”などとも思っていた。脳出血は、“これからは、ゆっくりじっくり、おやり~~~。楽しむこともね~~。”という神の啓示だったのかもしれない。

身体のスピードと心のスピードのアンバランスにやっと慣れてきた今。“急いては事を仕損じる”を身体に浸み込ませようという気持ちになってきた。“中途で止めるくらいなら始めるな!”と思う心も、“無理なら中途で止めたっていいじゃないか。何もしないより”と少し混ぜ合わせようかな、などとも思っている。

過去のアルバムをめくって暮らすのは苦手だし、コレクションの類も一切ない。次へ、次へ。焦らず。急がず。が、やっぱり楽しいのかな~~~。

もうちょっと待ってよ~~。

買い物に出かけ、一気に花開いた桜の木を見つけた。“今日はまだ火曜日。週末まで、もうちょっと待ってよ~~”と、心の中で叫んだ。

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帰って来て、佐助に裏庭探検をさせた。階段がダメ。Kapparの抱っこで降りた。しばらく放っておいたら、ワン!と一声。ベランダから覗くと人並みのう●こ!すっきりしたので、上がってきたくなったらしいが、階段下で“ちょっと待ってよ~~”の顔付。結局再びKapparに抱っこされてご帰還となった。恥ずかしかったのか、悔しかったのか、しばし興奮冷めやらぬ佐助だった。急ぎませんからね~~。大丈夫だよ~~~。

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点在する、病気の被災者

いつもいつも気になっていたのが、病気の被災者だった。統計の取り方と、“寝たきり”に対する考え方と解釈の違いによって異なるが、寝たきり患者数は、一説によると2010年度で全国に170万人!もちろん、入院加療中の人も含めての数字だろうが、これから本格化する高齢社会で、その数字が減少するとは考え難い。

僕もそうであるように、生活習慣病に起因する障害や寝たきりは、ある意味自己責任ではある。しかし、きっとそれだけではないはずだ。しかも悲しいかな、自分で自分のことすべてをまかなえないまま生き残っている者が、障害者であり、寝たきりだ。その運命を受け容れるとしても、誰かの世話にはならざるをえない。内心“よかった~~”などとは決して思える状況ではない。そして、もっと過酷なのは、そんな人たちの介護にエネルギーのほとんどを費やさざるを得ない人たちだ………。しかも、その過酷さを目の当たりにしながらもお世話になり続けていかざるをえないのが病気の被災者だ……。

救えるものではないが、お互いの喜びや愚痴や苦しさや楽しさくらいは、同じ境遇の者同士で共有や共感できないものか…………。と、ずっと思い続けてきた。

さて、何から始めようか。どんな風に始められるか。今はそれを具体的に考えているので~~~~~す。

“初めて”には、佐助だって慎重でビビったりもするので~~す。

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ベランダから裏庭へ降りて小一時間遊んだはいいが、階段が怖くて帰って来れなくなった今日の昼下がりの佐助。

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もう一度出させてみたところ、階段上でピタっと止まり、降りて行かなかった。あっちの水は、甘いのかもしれないのに~~~~。

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確かに古いけどさ。ビビるか~~~?

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反対側には、何もないのにさ~~~~~~~。

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初ものがたり?の土曜日

昨日は、まるで“初ものがたり”(宮部みゆきの小説であったかな?それとは、もちろん異なりますが…)。

一つ目:2時間に及ぶ散歩。脳出血発症以前も、こんなに歩いたことあったかな?というくらい。発症後4年半。退院間もなくの頃は、せいぜい1kmを20分かけて歩くと、膝が痛くなっていた。爪先をよく道路にぶつけるので、杖に頼っての歩行だった。それが昨日は、「いつまでも歩けそうだ~~」と口走ったくらいの快調散歩だったのだ。

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二つ目:佐助のお友達2匹とそのママたちに会った。だから、歩けたのかもしれない。浴風園の中を散策した。初めてのお父さんにまで会った。桜が咲き始めていた。次の週末が楽しみになった。

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三つ目:大震災前に届いていたホーム・ベーカリーで、パンを焼いた(焼いてもらった)。晩ご飯が、晩ごパンになった。¥5,900にしては、なかなかちゃんと焼きあがったパンだった。

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介護家族とリハビリ家族のためのコミュニケーション・ネットワーク(双方向参加型)作りのスタートもうまく切れそうな気がしてきたのだった。ただ、夜になって足が攣り、今朝になって膝が痛みガクガクと不安定になった。“いきなり無理をしないように~~”というお告げだと思うことにした。

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“介護とリハビリのネットワーク”作り ③

一週間前スーパーに行き、一部空になった棚と、保存食品と粉もので山になったカートを押しながら、「欲しいもの買えた?」と言い合っている主婦二人組を見た。刺身とパンの入ったビニール袋をぶら下げ帰路に付くと、前方に、ちっちゃなおばあちゃんが、俯きながら歩いていく姿が見えた。少し足が悪そうだった。おばあちゃんは、ちっちゃなビニール袋を提げていたが、軽そうに見えた。「欲しいもの買えた?」という主婦の元気な声を思い出した。

後ろを追うように歩いていくと、おばあちゃんはセブン・イレブンに入っていった。歩みを緩め、様子を見ることにした。ほどなく出てきたおばあちゃんの手に、ビニール袋が一つ増えていた。外からはお弁当のように見えた。僕は胸を撫で下ろす気分だった。そしてその時、思った。介護家族やリハビリ家族は、日常的にバラバラに孤立して、避難生活をしているようなものなんだなあ。注目も援助も薄いまま……。

何かできること、そう考えてきたこと、少しは協力してくれる人が見えてきた活動を、僕は始めなくちゃいけない。と、思った。あれこれジミジミ動きながら、少しずつ見え始めていた展開の仕方や手順。それはきっと、一歩動くことでもっと見えてくるんだろうなあ。と、思った。

帰って来て、夜、仕事が終わったKapparに宣言した。「NPO設立の準備、始めたい」。

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友達に会って、あまり遊べなかった時。草むらをクンクンして何かありそうだと思ったのに、帰ることになった時。等々。佐助は“ストライキ”を敢行する。そんな時はしばらく待って「イチ、ニイ、サ~~~ン!」と掛け声をかけると動いたりする。タイミングと掛け声は、大事なんですよね~~~。

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