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島根県益田市、故郷はどこへ?!‥③

益田から鎌手までは、山陰本線で二駅。その二駅の距離が、少年時代の僕には特別な意味を持っていた。同じ益田市であるにもかかわらず益田駅は遠く、“益田に行く”とは言わず“益田に出る”と言っていたように思う。まさに益田は“ハレの場所”。服装にも気を使って行くべき所だった。二駅の距離は、“ケからハレ”すなわち“日常から非日常”への空間移動の距離だったのだ。

だから、今回の帰省の数日前、「バスに乗る時間が決まったら、電話してね」と従姉妹に言われた時は戸惑った。鉄道が持っていた意味や意義が消え失せているのだと思った。鉄道輸送を見直すべきでは?と常々思っている僕にとっては、残念なことだった。

しかしとにもかくにも、11時15分、最早名ばかりになった益田“駅前”を出発した。目的地の鎌手駅前までおよそ40分。やがて見えてくるであろう日本海が楽しみだった。ちょっとしたバス旅行の気分だ。しかし、お気楽なバスの雰囲気は、やがて一変した。

出発して間もなく、日赤病院前に着くと、バス停には長蛇の列。お互いに言葉を交わしながら次々と乗り込んでくるそのすべてが、高齢者。午前中に診察を終えた人たちの帰る時間に遭遇したらしい。初秋の行楽バスからデイケアセンターの送迎バスに乗り換えたかのごときだった。

バスの中の平均年齢は、おそらく70歳程度。Kapparが抜きん出て最年少という状況だ。足元の覚束ない人も数名。降りるために前に行くのも降りるのも大変そうだが、一様にどこか明るい。何ヶ所かの病院、市役所、買い物等々、バスでの移動の大変さを想う僕は、“おせっかいな旅行者”に過ぎないのだろう。田舎の老人たちは、しなやかに、おおらかに現実を受け止め、そこに楽しみさえ見出しているかのように見えた。

変わりゆく景色の中、益田のお年寄りたちは、昔のままの心根をどこかに持ち続けているのかもしれない。そこにまで、荒廃が忍び込んでいかないことを願うばかりだ。

従姉妹、ご主人、叔母は、今や遅しと待ち構えてくれていた。

懐かしい顔だった。いい笑顔だった。年上の従姉妹と90歳の叔母の笑顔は、時の隔たりを感じさせなかった。叔母の笑顔などは、しばらく眺めていたいほどだった。

従姉妹の話っぷりも、相変わらず楽しかった。よく耳を傾けていた昔を思い出した。

しかし、その話の内容には、益田市の抱える問題が凝縮されていた。 ‥‥つづく

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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島根県益田市、故郷はどこへ?!‥②

都市型のホテルは、都市からやってくる観光客に評判がいいのは当然である。田舎を味わってもらおう、と不便まで強要されるのを多くの観光客は好まない。沖縄沿岸部でのリゾート開発の企画会議の時、海岸の景観を壊さないために、古民家の内部を近代的に改装することを提案したが、トイレをウォシュレットにすること、高速インターネットを使用可能にすること、洗面所を使いやすくすることを最低条件にしたことがあるくらいだ。

益田駅前のグリーンホテルモーリスは、明確なコンセプトをディテールまで具現化すべくきちんとプロデュースされて出来上がっていったものに違いない。意地悪な目線で細々と備品までチェックしてみたが、ほとんどが及第点以上と見た。なかなかのプロが携わった仕事だとお見受けした。

しかしホテルをから一歩外へ出ると、グランドデザインもなく使用価値への洞察もない、箱型開発発想に行き当たる。

民力、消費動向、競合環境、ライフスタイル動向、車と人の動線等を把握しつつ、テナントリーシング・プラのン立案と並行して、レイアウトや設備を考えた結果が、そこにあるとはとても思えなかった。それはまるで、これまでの公共事業投資の典型のようだった。

きれいな道路と郊外型路面店をつなぐ、“大きな点と線”を張り巡らす開発思想には、未来はない。明らかに予見できる高齢化社会に対応できるはずもない。

定額で乗り降り自由のノンステップ・ミニバスを縦横に走らせ、行政機関や病院を集積し、その周辺に憩いのある商店街が“横丁”単位で配されている。といった街創り発想を持って、1つずつ積み重ねていけば、こんなこともなかっただろうなあ、と改めて僕は、歯軋りした。

休耕田でもう一度稲作を開始するのが大変なように、消失した商店街と人が行き交う賑わいを取り戻すのは、至難の業だ。取り払うのはたやすいが、中身まで充実したものを作り上げるのは容易なことではない。必要なのは、ユニバーサリズム発想なのだ。

懐かしい人に会う喜びが、会った途端、その変わりように悲しみに変わっていくような、そんな気分を抱えて、僕は鎌手へと向かった。 ‥‥つづく

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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島根県益田市、故郷はどこへ?!‥①

毎年4月、親父の命日には欠かさずお墓参りに帰省している。脳出血発症がちょうど3年前の秋で、初台リハビリテーション病院退院がその年の暮れだったお陰で、翌年春の命日も、なんとか欠かさずお墓参りをすることができた。益田市医光寺の墓所に上っていく急坂も、冷や汗ものではあるが、克服した。

そんな努力への小さなご褒美が、いつの間にか貯まっていたANAのマイレージだった。1万マイルで一人が無料、同行者三人までが片道1万円、という“一緒にマイル割”が使えるとあって、秋の気配が漂い始めた9月初旬、イレギュラー帰省をしてきた。

春の墓参帰省の時、従兄弟夫婦と再会の約束をしていたので、“一緒にマイル割”のメリットを活用すべく、今回は初めてKapparが同行した。僕がかなり酒を飲むだろうとの心配もあってのKapparの同行だった。

今回の目的は、従兄弟夫婦との会食と、90歳にして健在と聞いた叔母に会うこと。言わば、マイレージを利用した“不義理お詫びツァー”。少し照れくさく、でも楽しみにしていた小旅行だ。

しかし、空港から駅前までのバス車内。東南アジアの地方空港の風情と似ている空港周辺の景色や行き交う車のほとんどない道路を窓外に眺めながら、僕はやや憂鬱な気分になっていた。本ブログで以前書いた“島根県益田市の憂鬱”の気分である。

やがて、益田駅前に着いた。“なぜ、こんな無謀な駅前再開発をするのだろう”と、年に一度の帰省の度に目を逸らしていた駅前である。しかし、今回の宿は“じゃらん”で予約した“グリーンホテルモーリス”。やむをえない。

ホテルは、なかなかの出来栄え。盛況である。閑散とした駅前と駅ビルとは、明らかに趣を異にしている。そしてこのことが、再開発のプラン自体の欠陥を示していた。

バスターミナルの整備。そこに出現したサービス、施設共に近代的なホテル。それは、益田という街を、飛行機利用の“萩・津和野観光”の人達の“空港へのアクセスのいい宿泊地”にしてしまっているのだ。泊まるだけで行き過ぎていく観光客は、益田にお金を落とすこともないだろう。

商店街もなく“横丁”もない街に、朝早いたった一便の飛行機に乗るために宿泊する人たちが魅力を感じるはずもないのだ。

“公共事業”というカンフル剤を打ち続けてきた街は、長期展望もマーケティング発想もないまま、地元を中央資本の大型商業施設の“市場”にしただけのようだ。

随分以前から益田市を覆っているように感じる“静かな諦念”は、新たな希望のエネルギーに転換することがあるのだろうか。 ‥‥つづく

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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セブンイレブン、本部対ライセンシー(加盟店)の戦い、第2ステージへ。

ほとんど報道されないが、排除命令が出たことを受け弁当の値引き販売に踏み切ったセブンイレブン加盟店が、本部から契約解除を通告された。本部サイドは、「弁当の値引き販売とは関係ない。重大な違反があったからだ。」とコメントしているようだが、関係ないわけがない。

しかも、その加盟店(八王子南口店?)の店主は、加盟店が結成したユニオン(本部と対等の関係を築くための組合)の副委員長を務めている。ユニオンの組織切り崩しも視野に入れた“見せしめ”あるいは“恫喝”に他ならない。

当然、法廷に持ち込まれることとなったが、加盟店の方々には頑張っていただきたいものである。

それにしても、巨大スポンサーの不祥事や問題は、あまり報道されない。

イトーヨーカドーが、某広告代理店に数十億円を不正にプールさせていた事件も、新聞1紙がすっぱ抜くまでは、記事になることはなかった。その代理店は、書かれるのを止められなかったために、取引を全面的に切られ、記事をストップする力を持っている最大手の代理店に数百億円の売り上げを持っていかれてしまったらしい。

トヨタの前社長の強気の経営判断に警鐘を鳴らそうとした記者の原稿は、「広告出稿を考える」との代理店担当からの“さりげない言葉”にボツになったとも聞く。

ダイハツが生産計画の見直しと在庫調整で金融危機を乗り切ったことを考え合わせれば、巨大赤字、派遣切り、下請けの大減産等が、経営判断のミスに起因するものであることは、疑うべくもない。

広告収入との関連で、書くこと書かないこと、語ること語らないことが決まっていくとしたら、問題だ。ずっと言われてきていることではあるが、正義と公平の報道には、大いなる勇気が必要になっているのだろうか。

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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脳卒中(脳出血、脳梗塞)患者は、いかにしてリハビリテーション病院を選ぶか?!‥‥厳しい選択‥③

一気に“回復期リハビリテーション”を充実しようという“上意下達”型の方針決定。それは、いかにも旧来型の「まずは、施設から充実」という考えで進められたように思える。専門病棟とベッド数の拡充には、まずは形の上でも受け入れ態勢を整えよう、という意図が垣間見える。新しいシステムや方針を短期間で浸透しようという時にはやむをえない方法論であるとはいえ、形ではなく内容が充実してこその医療であることからすると、いかにも問題ではある。医療の現場、患者の実態を常に観察し、未来予測の元に早目に手を打っておかなかったためであろう。

ただ、リハビリ医は、問題を孕みながらも増え続けており、 回復期リハビリテーション”は、内容の充実に向けて着実に動いているようには思える。

しかし、患者にとって最も大切なリハビリの現場はどうかとなると、まだまだこれから解決していかなくてはならないことが手つかずで残っているように思えてならない。

まず第一に、リハビリ・ノウハウの研究・開発と徹底である。現在、現場で働く療法士の多くは若い人である。そう恵まれているとは言えない労働条件下で、よく頑張っているなあ、と感心させられる人が多い。

ただ、彼らがどのような指導・教育を受けてきたのかは、とても気になる。なぜなら、日本はリハビリ後進国。ベテランの指導者が、数多く存在していたとは考えにくい。しかも、リハビリを必要とする患者は、あらゆる診療科からやってくる。異なる原因で起きた様々な身体の機能の不具合を一人の療法士が引き受けるのは、相当に難しいことであることは想像に難くない。

リハビリ医と同様、短期間に数多く養成された若い療法士がどのような指導を受けてきたのか、その実態を、門外漢の僕は知らない。しかし、患者としてリハビリの現場で経験してきたことから推し量ると、そのほとんどはスポーツ運動学的立場からのリハビリ・ノウハウを学んできた人達ではないかと思われる。骨折、捻挫等外的要因によって生じた機能障害のリハビリである。脳卒中や糖尿病等内的要因による機能障害のリハビリを教えられてきたとは考えにくい。

なぜなら、それはまだ研究過程にあり、“これだ!”という画期的な方法論は見つかっていない、と同時に、僕が経験したリハビリのほとんどは“筋トレ”型だったからである。まるで、スポーツのフォームの矯正をするかのように「ここの筋肉を使ってください」とか「お尻の筋肉に力を入れてください」とか「膝が伸び切らないように止められませんか?」といったことを言われ、筋肉の機能と身体の動きの関連性の説明を繰り返し受け、戸惑ったことのある方は多いと思う。

「それ、不随意筋じゃないんですか?」とか「そこを動かす指令を出すはずの脳細胞が死んじゃってるもんでねえ」とか、まるで言い訳のように言いながら、1単位20分を“意味あるのかなあ”と思いつつ過ごしたことが、僕は何度もある。「じゃあ、他に方法があるんですか?」と問い返され、「そうですね。頑張ります!」と、いつもより懸命になったこともある。

意識することが動くことにつながるとは、今でも思えない。意識し過ぎることはむしろよくないのでは、と思える。ほとんど無意識でできていたことを意識すると、失敗やつまずきが多くなるものだ。もちろん、かと言って、どうすればいいか、僕に判るわけもない。

ただ、できることならば、患者の選択の自由度がもっと高まってくれないか、と思う。

メイン・ストリームになっていると思われる“スポーツ運動学的立場からのリハビリ”以外に、様々に研究されているはずのリハビリも受けてみたい。鍼灸師や趣味の先生を選ぶように、療法士を選択する自由を得たい。

様々な原因に因るものだから平準化、均質化することが難しいのがリハビリである。だからこそ、選択の自由が患者にもたらされてもいいのではないか。そう思うのである。そしておそらく、そうなることが療法士の切磋琢磨を生み、労働環境をよくすることにもつながるのではないか、と思うのである。

自由度が低く、リハビリ・ノウハウも定まらず、リハビリ医さえ不足している今、僕たち患者には、病院を選択する自由だけが、ほんの少しだけ残されているに過ぎない。しかも、選択にあたっての手がかりはないに等しい。

それが実情であることを認識しつつ、リハビリは自助行為であることに立ち戻り、家族の協力の下、徹底的に自ら調べ、足を運び、目と肌で実感的に選択するしかない。

ポイントは、リハビリ・マインドの有無である。そしてそれは、患者ときちんと向き合い関わっていく意志と熱意の有無を意味するものである。

1~2時間、リハビリが行われている現場に身を置いてみること。それが、最も大切なことだと、僕は思う。どんなに解説されても、料理は食べてみないと、自分の舌に合うかどうかわからない。リハビリも同様である。

マーケティングは、いつでも必要なものなのである。

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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