英会話のコツと介護・支援の現場‥‥つづきのつづき
転校後、すっかり馴染んだ頃に気になり始めたのが教師の言葉だった。
30代前半(くらいだった?)の彼は、ことあるごとに「本当に心で思ってないことを口に出すのは、どうかな?いいことかな?」と言っていた。
“それはそうだ!”と思うのだが、「“おはよう!”と言う時、“ありがとう!”と言う時、自分が本当にそう思っているのか考えた方がいいぞ」などと聞くと、ふと悩んでしまう。
後妻の責任感もあって、きちんとした子供に育てようと、母親は礼儀・作法に厳しかったが、教えられる “形”と“心”が必ずしも一致していないことも気になり始めた。
やがて、他愛もない言葉を発する時でさえ、時折「本当に、そう思っている?」と自問する癖が身に付いてしまった。友達同士で「本当に思ってる?」と投げかけあうようにもなった。そう言われると、誰もがたじろぎ、むきになり、強弁した。「本当だって!!」。
交差する欲望や価値観が軋み合わないように使われる“礼儀としての言葉”を失うと、ギシギシとぶつかることが多くなった。しかし、疑問を感じつつも、僕の中に「本当は、どう思ってる?」という言葉と、“正直であることが一番”という概念は、強く埋め込まれていった。
こうして、「急ごしらえの民主教育」に団塊世代の多くは、 “アンビバレンツな価値観”を植え付けられていった。
他人と折り合いをつけていく巧みさを備えつつ、本当の自分に辿り着けないもどかしさも内包している団塊世代。未だ行方の定まらない面倒な世代である(僕もそうだが‥‥)。
しかし、VAN倒産の前後、そのドタバタの中で、僕は“形”の大切さを痛感した。心などというものは不定形で移ろいやすく、確かな形の中にはたやすく納まるものだと思った。まるで、ヤドカリのようなものだとも思った。やや失望した。
そして、だからこそ、形の大切さを痛感したのだった。
感謝の言葉、思いやりの言葉‥‥。言葉が使えない時は、感謝のサイン、思いやりのサイン‥‥。そして、できることならば、楽しみを共有するための言葉やサイン‥‥。
民族が混ざり合う欧米の会話にある“形式”は、“口に出さなくてもわかること”をよしとする僕たちにも必要なこと。“わかってくれない!”と苛立つ前に、上手に言葉にすることを学ぶべきだろう。
習うより慣れろ!なのだ。
60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)
60sFACTORY活動日記は、こちら。
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