英会話のコツと介護・支援の現場‥‥つづき
僕は小学生時代、島根県石見地方を中心に五つの学校を転々とした。
小学校5年生の一年間を過ごしたのが、島根県益田市立鎌手小学校。国道9号線沿いと日本海海岸沿いに集落が点在する、典型的な田舎町の小学校だった。お袋の実家の“離れ”に親子三人で居を構え、学校へは徒歩で通っていた。
クラスは二つ。多くの農家の子供たち、一部の漁家、商家、公務員の子供たちと、僕は机を並べることになった。
初日の放課後には、先輩の洗礼を受けた。裏山に呼び出されて1~2発殴られ、生意気だ!と言われた。意味がわからずきょとんとしていると、気に入った!仲間にしてやる!と開放された。
下校時には、同級生の男子数名にがっちり囲まれながら帰路に着いた。家が一番近いことに胸を撫で下ろしながら全員を家に招き、それまでの漫画とメンコ(“パッチ”と呼んでいた)のコレクションを開放した。惜しいとは思わなかった。
一ヵ月半後、僕は方言の違いにも慣れ、口にすることもできるようになっていた。奇異の目に晒されていた“坊ちゃん刈り”を刈った。バリカンの痛みに不覚にも涙が出たが、余分なものを脱ぎ捨てた爽快感があった。
そして、忘れられない夏休みがやってきた。すっかり仲良くなった数人の仲間と、小さな入り江に毎日通った夏休みだ。
小高いところを走る山陰本線の線路上を数百メートル歩き、小道をずんずんと降りる。やがて大きさを増す波音の方へと藪を抜ける。と、岩浜が開ける。塩の香りに吸い寄せられるように、仲間は海へと小走りになる。後を追う僕は足の裏がやわでゴム草履を脱ぎ捨てられず、小石に足をとられ遅れをとってしまう。膝の深さに到達し、身体を浸す。水着だけで日の光を浴び続けていた身体に、冷たくピリリと海水がしみわたる。
ひとかきして顔を上げると、浮き沈みしながら沖合いへと向かう仲間の背中が波間に見える。そこは、子供たちのプライベートビーチ。ルールを守れば、夕ご飯のおかず程度は獲ることのできる漁場でもあった。
丸刈りにしてよかった、と思った。方言を口にする勇気を持ってよかった、と思った。漫画やメンコをあげてよかった、としみじみ思った。
それまで身に付けていたものを脱ぎ捨て、今の居場所に身を委ねる‥‥。そうして、僕はひと夏で多くのことを学んだ。
初めて太陽の下に晒された僕の頭皮は、その夏、二回も剥けた。
二学期。僕はすっかり“鎌手の子”になっていた。
60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)
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