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初台リハビリテーション病院の思い出

山登りは、下り。海外旅行は、慣れた頃。仕事は、覚え始め。‥事故や失敗の起きやすいタイミングである。

ここ二週間で三回の尻餅。いずれも、立ち上がり一歩踏み出した時だった。安定しない左膝。時には痛みもあるため、注意深く体重を乗せた瞬間に、へなりと力が抜けた。

何も置いてない場所に、尻は着地。苦笑で済む程度のことだったが、なんとも不思議な感覚だった。安全な場所だからこそ、力が抜けたんだと思った。‥そういうことにした。

よくなっている時にこそ、事故は起きやすいものだから‥。と、思うことにした。

でも、少し気になる。初台リハビリテーション病院に入院して以降一ヶ月の目覚しい進歩を今も望むことは無理、とはわかっていても、まったく変化なしとは思いたくない。

パソコンに取り込んである写真をごそごそと開いてみた。

懐かしく、“初台の日々”が蘇ってきた。

リハビリ漬けの日々。スポーツ選手の合宿中のような日々に、苦しさや辛さのイメージはない。日々、前に進んでいると、多少のことは苦にもならない。

車椅子への移動も覚束ない状態で入院。二週間に57歳の誕生日を迎えた。

初台リハビリテーション病院の食事は、なかなか気が利いている。一週間分のメニューが予め病室に届けられ、朝・昼・夕と、和・洋2種類のメニューから選び予約することができる。予約しておけば、見舞い客も有料で一緒に食事することができる。

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Kapparチワワンe-poohKenちゃん夫妻の四人は、僕と同じメニューを予約して、病院内で誕生日会をしてくれた。

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ケーキには、“新生カッキー、おめでとう”との書かれていた。一緒の食事を、みんなで大いに楽しんだ。

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それから約一週間。わずかの距離が歩けるようになった。ふらふらとしているが、シャッターのタイミングによっては、しっかりとした歩様に見えなくもない。左手が“演歌歌手”になっているが、それは今も変わらない。

大きな進歩はなくなって久しい。左手は今でもほとんど使えない。しかし、そんな身体と気持ちの折り合いは、入院中についた。親しい人たちのお陰である。

“何かしてあげたい”という気持ちは、貴重なもの。それが阻害され消えていくのは、とても悲しいことだ。

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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英会話のコツと介護・支援の現場‥‥つづきのつづき

転校後、すっかり馴染んだ頃に気になり始めたのが教師の言葉だった。

30代前半(くらいだった?)の彼は、ことあるごとに「本当に心で思ってないことを口に出すのは、どうかな?いいことかな?」と言っていた。

“それはそうだ!”と思うのだが、「“おはよう!”と言う時、“ありがとう!”と言う時、自分が本当にそう思っているのか考えた方がいいぞ」などと聞くと、ふと悩んでしまう。

後妻の責任感もあって、きちんとした子供に育てようと、母親は礼儀・作法に厳しかったが、教えられる “形”と“心”が必ずしも一致していないことも気になり始めた。

やがて、他愛もない言葉を発する時でさえ、時折「本当に、そう思っている?」と自問する癖が身に付いてしまった。友達同士で「本当に思ってる?」と投げかけあうようにもなった。そう言われると、誰もがたじろぎ、むきになり、強弁した。「本当だって!!」。

交差する欲望や価値観が軋み合わないように使われる“礼儀としての言葉”を失うと、ギシギシとぶつかることが多くなった。しかし、疑問を感じつつも、僕の中に「本当は、どう思ってる?」という言葉と、“正直であることが一番”という概念は、強く埋め込まれていった。

こうして、「急ごしらえの民主教育」に団塊世代の多くは、 “アンビバレンツな価値観”を植え付けられていった。

他人と折り合いをつけていく巧みさを備えつつ、本当の自分に辿り着けないもどかしさも内包している団塊世代。未だ行方の定まらない面倒な世代である(僕もそうだが‥‥)。

しかし、VAN倒産の前後、そのドタバタの中で、僕は“形”の大切さを痛感した。心などというものは不定形で移ろいやすく、確かな形の中にはたやすく納まるものだと思った。まるで、ヤドカリのようなものだとも思った。やや失望した。

そして、だからこそ、形の大切さを痛感したのだった。

感謝の言葉、思いやりの言葉‥‥。言葉が使えない時は、感謝のサイン、思いやりのサイン‥‥。そして、できることならば、楽しみを共有するための言葉やサイン‥‥。

民族が混ざり合う欧米の会話にある“形式”は、“口に出さなくてもわかること”をよしとする僕たちにも必要なこと。“わかってくれない!”と苛立つ前に、上手に言葉にすることを学ぶべきだろう。

習うより慣れろ!なのだ。

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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脳卒中発症者には過酷な、気圧、気温の変化!‥‥でも‥‥産直が‥‥。

からりと晴れた夏日の日曜夜。「明日は、8度くらい気温が下がる予定‥‥。雨も‥‥」との天気予報に、思わず「え~~~~っ!」と声を上げてしまった。

とは言っても、出てきた声は麻痺の影響でかすれているので、どこか深刻さに欠ける。ちょっと、悔しい。

一日で起きる気候の大きな変化は、脳出血後2年半経った身体にも確実に影響を与える。じくじくと続く肩や腕の痛みは不快さを増し、どうしても握りこんでしまう掌には痺れが訪れる。尻餅にも注意を払わなくてはならない。

最も不快なのは、頬から顎にかけての痺れが増すことである。なにしろ、重要な楽しみ“おいしい食べ物をおいしく食べる”ことを阻害しかねない。

生産者の支援にもなるからと、ネットでみっちり調べ毎週末に到着するように注文している生鮮品(海産物主体)が楽しめないとなると、大打撃だ!

一週間仕事漬けのKapparのストレス解消も、海産物を前にして、ん~~~、どうおいしく食べるか~~、と腕を撫すことから始まり、おいしくいただくことで終わる、大切な週末の小さな宴。季候のせいで味を殺がれるのは困ったものだ。

ましてや、Kapparは、日曜日もパソコンと格闘!となると、その傍らで、味醂干しは~~?飛び魚のアラを乾燥させてダシにする作業は~~?などと気を揉んでいると、お前は食うことだけかい!!と顰蹙を買いそうなので、窓外をうらめしく眺めつつ、じくじくと心まで痛ませているしかない。

自然の一部になったんだと思うことにしよう!と思っている、気候の変化が与える身体への影響も、受け入れられない日曜日である。

ま、暢気な話ではあるが‥‥。

*ちなみに、生鮮の産直は、「お得でおいいしい!」。失敗を恐れずにチャレンジする価値はある。Kapparのブログに、料理の詳細が掲載される‥‥はず‥‥。

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英会話のコツと介護・支援の現場‥‥つづき

僕は小学生時代、島根県石見地方を中心に五つの学校を転々とした。

小学校5年生の一年間を過ごしたのが、島根県益田市立鎌手小学校。国道9号線沿いと日本海海岸沿いに集落が点在する、典型的な田舎町の小学校だった。お袋の実家の“離れ”に親子三人で居を構え、学校へは徒歩で通っていた。

クラスは二つ。多くの農家の子供たち、一部の漁家、商家、公務員の子供たちと、僕は机を並べることになった。

初日の放課後には、先輩の洗礼を受けた。裏山に呼び出されて1~2発殴られ、生意気だ!と言われた。意味がわからずきょとんとしていると、気に入った!仲間にしてやる!と開放された。

下校時には、同級生の男子数名にがっちり囲まれながら帰路に着いた。家が一番近いことに胸を撫で下ろしながら全員を家に招き、それまでの漫画とメンコ(“パッチ”と呼んでいた)のコレクションを開放した。惜しいとは思わなかった。

一ヵ月半後、僕は方言の違いにも慣れ、口にすることもできるようになっていた。奇異の目に晒されていた“坊ちゃん刈り”を刈った。バリカンの痛みに不覚にも涙が出たが、余分なものを脱ぎ捨てた爽快感があった。

そして、忘れられない夏休みがやってきた。すっかり仲良くなった数人の仲間と、小さな入り江に毎日通った夏休みだ。

小高いところを走る山陰本線の線路上を数百メートル歩き、小道をずんずんと降りる。やがて大きさを増す波音の方へと藪を抜ける。と、岩浜が開ける。塩の香りに吸い寄せられるように、仲間は海へと小走りになる。後を追う僕は足の裏がやわでゴム草履を脱ぎ捨てられず、小石に足をとられ遅れをとってしまう。膝の深さに到達し、身体を浸す。水着だけで日の光を浴び続けていた身体に、冷たくピリリと海水がしみわたる。

ひとかきして顔を上げると、浮き沈みしながら沖合いへと向かう仲間の背中が波間に見える。そこは、子供たちのプライベートビーチ。ルールを守れば、夕ご飯のおかず程度は獲ることのできる漁場でもあった。

丸刈りにしてよかった、と思った。方言を口にする勇気を持ってよかった、と思った。漫画やメンコをあげてよかった、としみじみ思った。

それまで身に付けていたものを脱ぎ捨て、今の居場所に身を委ねる‥‥。そうして、僕はひと夏で多くのことを学んだ。

初めて太陽の下に晒された僕の頭皮は、その夏、二回も剥けた。

二学期。僕はすっかり“鎌手の子”になっていた。

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英会話のコツと介護・支援の現場‥①

初台リハビリテーション病院を退院した後、Kapparが調べてくれた成城リハビリテーションクリニックに通院を始めて2年4ヶ月が経った。

こじんまりとしているだけに、セラピスト同士あるいはセラピストとドクターのコミュニケーションがよくとれている、なかなかいい病院だ。

僕のPT(理学療法)担当だったMさんとは、セラピーを受けてながら冗談を言っているうちに仲良くなり、今では親戚のようなお付き合いをしている。

いい職人を目指している真面目で優秀なセラピスト、Mさんの趣味は、お金を貯めてパリに遊びに行くこと。今春も、お気に入りのパティシエ(ピエール・エルメだったか?)が開く、ボランティア・コンセプトの“マカロン祭り”に、「趣旨に賛同したから、行ってきま~す」と出かけていった。

そんな彼女がかつてパリで目撃した本当の話。

日本からやってきた“関西のおばちゃん”集団が、こんな会話を交わしていたという。

「タクシー乗った時も、カフェで何か注文した時も、最後に“しもぶくれ!”言うたらええらしいわ」「わかった。“しもぶくれ!”やね」。

「お前は、ブツモンか!」と言われるほどダメな仏文の学生だった僕でも、それが「S'il vous plait(シルブプレ)」を意味することはわかった。「通用するよ。教えた人、偉いかも」と言いながら、スティーブンというオーストラリアのロケーション・サービスの大男が力説していた“英会話のコツ”を思い出していた。

1.単語(モノ、ヒト、コト、場所、副詞等)+Please ‥人に何かお願いする時は、これ!

2.Thank you! ‥お願いを聞いてもらえたら、忘れずに!

日常会話は、これで充分。ネイティブの人でも、これができていない人がいるくらいだから、旅行者が励行すれば、紳士・淑女だと判断される。文法を知っていることよりも、礼儀を知っていることの方が大切。もちろん、笑顔も忘れないように。というのが、スティーブンの語った“英会話のコツ”だった。

「日本人はどう?それができてない人が多い?」と尋ねると、「それが不思議なんだよ。できてない人が多いね。英語をかなり知っているのにね」と答えて、スティーブンは皮肉な笑いを浮かべた。なんだか、納得のいく話だった。

S'il vous plait(シルブプレ)」は、フランス語圏では使い道が多い。「よろしく~」「すみませ~~ん」「あの~~」などの感覚でどんどん使えばいい言葉だ。フランス語っぽく発音しようとせず「しもぶくれ?」と微笑んだ方が通用するだろう。

コミュニケーションは、実は大切な単語が欠けていては成立しない。それを象徴しているような話である。

ではなぜ、“英会話のコツ”が介護・支援の現場と関係があるのか。そのことには、次回言及したいと思う。‥お気づきの方も多いとは思うが‥‥。

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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胸が痛む、「安い!」「安い!」の連呼!‥②.鮮魚の場合-2

‥つづき‥

安定供給できないことを前提として販売していく方法は、そう数多くはない。小売店は、販売の機会損失を恐れる(ちょっと行き過ぎの傾向はあるが‥)。料飲店も、しかりである。

しかし、消費者への直販にも問題点がある。包丁の世帯普及率が1本を割っている現在、魚のさばき方や魚種別の調理方法を知っている人は少ない。かといって、切り身や柵にしてパックするといった加工を加えるには一つの魚種あたりの量は少ない。加工すると、価格メリットもなくなる。で、観点を少し変えた。

かつてそうだったように、「旬の魚を楽しむ」。その楽しさ、楽しみ方を売ろう。と、考えた。

●漁師さんから直送される、新鮮で安価な旬の魚を、料飲店のメニューの目玉にできないか。季節によって瑞々しく変わるメニューがあることは、お客さんの楽しみにもならないだろうか。お店の人とお客さんの会話も弾むはず‥。

●小型スーパーの店頭でのイベントに適していないか。マグロの解体ショーといった、鮮度感のあるイベントは集客・誘客に力を発揮しているではないか。“漁師さんの料理”などとセットにすると、家庭のメニューにも変化が出るのではないか。お客さんの希望で、その場で魚をさばくサービスがあれば、もっといいはず‥。

●スーパーや百貨店店頭の「いつもほとんど変わらない品揃え」に、安心よりも不満を感じ始めている消費者に、ネット販売できないか。「今朝、こんなものが水揚げされました。いかがですか?」と、日々限定販売したらどうだろう‥。

どれも、たやすいことではない。しかし、捨てることを思えば、やってみる価値はある。なんと言っても、できれば楽しそうなことではないか。と、準備を始めた。

プライオリティを決めた。まず、小型スーパー店頭イベントから。1~2店舗とお付き合いをしながら、仕組みを充実。漁師さんや奥様方にも慣れていただく。その間に仲間を増やし、次は、料飲店にプレゼンテーション(営業活動)をして歩く。ネット利用は、その時点から始める。そして、うまくいけば、一般家庭への販売へと踏み出していくことを検討する。‥‥といった手順だ。

漁師さんと奥様たちに、店頭に来ていただくこと、店頭で“漁師さんの料理”を作りふるまうこと。大量旗を持ってきていただくこと。できれば、魚をさばくお手伝いもしていただきたい。などを、お願いして、僕はスーパーへのアプローチを始めた。百貨店にもお話した。

約半年粘ったが、だめだった。「面倒くさい」「経費がかかる」「売り上げの4割は、マグロ。少ししかない魚では売り上げ増は望めない」「水産会社とがっちり付き合っている。別ルートのお付き合いはできない」といったようなことだった。

自分の仕事をしながらだったことにも限界を感じつつ、諦めた。残念だった。漁師さんたちに、事情を説明して謝罪した。

ガソリン代が値上がりした時、漁師さんたちの笑顔を思い出し、胸が痛んだ。悔いの残る話である。

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脳出血、半身不随、リハビリ‥。訪れた人たちの第一声。

「運がある人だから、死ぬことはないと思ったよ。絶対歩けるようになるって信じてるし‥‥」

「まあ、赤ちゃんみたいになったのね。“はいはい”から、やり直しだねえ」

「すごいスピードで突っ走ってた人だからなあ。スピードダウンして、ゆっくりやっていけばいいんじゃないですか」

「ぼ、僕は、何をすればいいんですか?」

「パソコン、左手もフルに使ってた?使ってなかったでしょ。じゃ、大丈夫じゃん。問題ないわよ」

「生き残っちゃったんだねえ。お金、どうしてるの?僕なんか、生き残ったら大変だと思うよ」

「相談に行って、朝まで飲みながら付き合ってもらって、その翌日だから、私のせいみたいで‥‥」

「何だ、頭は大丈夫なんじゃないですか。そりゃあ、よかった。宿題でも出しておこうかなあ」

「どんな感じだったの?予兆はあったの?僕も血圧高いんだよねえ」

「煙草、ここに置いておいてあげましょうか?」

「よっちゃんいか、持ってきたわよ。早く食べられるようになってね」

年半前。脳出血で入院。リハビリのために、初台リハビリテーション病院に転院。合計三ヶ月ちょっとの入院生活の間に訪れてくれた人たちの、記憶に残っている第一声である。

それぞれの人の個性が、よく表れている。すべて、思いやりのある言葉だと僕は思った。かなり笑わせてももらった。

恥ずかしい姿だとか、惨めな姿だと思わせるような言葉は、一つとしてなかった。それは、彼らにそんな目線がなかったからだろう。

障害を持った人や認知症(嫌いな表現だが‥)の人が姿を晒した時、それを恥ずかしいことだとする人は、その人の心根にそう見てしまう一種の差別意識があるからだと、僕は思う。

幸い、僕の周りにはそんな人はいない。人としての価値を見かけの変化や衰えで計る人と付き合いのないことは、幸せである。

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胸が痛む、「安い!」「安い!」の連呼!‥②.鮮魚の場合-1

日本の総漁獲量の約半分が廃棄されている、という説がある。廃棄とまではいかないまでも、市場に出回っている量が半分程度であることは間違いないだろう。由々しきことである。

6~7年前、ふとしたきっかけで、千葉県富津の漁師さんたちとお付き合いを始めた。事務所恒例の宴会に共通の知り合いに連れて来られたのが、最初だった。

「お土産です!」という威勢のいい声の右手には、立派な鱸が一本ぶら下げられていた。その後には、発泡スチロールの箱を持ったお仲間が二人。中には、あさりがどっさり入っていて、開けると元気に潮を吹いた。

話が弾んだ。漁師さんたちの労働の実態をつぶさに耳にするのは初めてだった。興味深かった。が、疑問と歯がゆさも残った。

きちんと休漁日が定まっており、天候不順の日も休漁にならざるをえないため、年間で平均すると週に3~4日しか漁ができないこと。季節によって“魚種”を決め、それを狙って漁に出ていること。狙った魚種の漁獲量がまとまらないと、仲買が買い取ってくれないこと。狙った魚種以外の“獲れてしまった魚”は、量がまとまらないので売れないこと。それらの魚は、食べるか捨てるしかないこと‥‥。

「え~~!もったいな~~い!」と叫びつつ、何かおかしいぞ、と思った。収入が安定せず、年々減りつつあることに不安を感じている、と言う漁師さんたちに何かしてあげられないものか、と思った。

おじいさんやおばあさんが丹精込めて作った野菜が自家需要分以外は腐っていく、僕の田舎の光景を思い出した。

おいしいものが無駄にされていること、生産者の努力が流通の壁に打ち砕かれていること、僕たちの“生”を支えてくれている人たちが豊かになれないことに、無性に憤りを覚えた。

「それ、何とか売りましょうよ!」と宣言し、思いついたアイデアをお話した。

インターネットでの販売と、流通(スーパーor百貨店)店頭でのイベント販売の可能性について語った。仕組み作りと流通への提案はやりましょう!と宣言した。

仕事の合間を見つけて、準備を始めた。富津漁港も行ってみた。奥さんたちにもお会いして、簡単な企画書をお見せしながら説明をし、協力をお願いした。

それは、こんな仕掛けだった。‥‥つづく

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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