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春爛漫、終わりが近付くリハビリと日常‥‥②

中学生の時、「“今”って何?」と質問したのを思い出す。親父はしばらく言葉を探す顔になり、真顔で「過去と未来の間、かなあ」と言った。

「時間なんて人が決めただけでしょ」。正月に、昨日と今日が殊更に違うって変な感じ、いつも昨日から今日になっているのに、と不機嫌になった時には、「決め事がないと、人は何もしないからなあ」と呟いた。

日めくりカレンダーが、僕の頭には浮かんだ。めくって破り捨てる。その瞬間が、昨日と今日をつなぐ“今”のような気がした。

父親の病死、一家離散、見習い僧、学徒出陣、肺結核、離婚、再婚、死別、再々婚、死別肝臓癌‥。今日から明日へと続くものと思ってめくると、劇的に変わってしまっている“今”と直面する。親父は、そんな“今”の連続を生きて、死んだ。

生きていくために受けた肺結核の手術。そのときの輸血でなっていたC型肝炎。それが元で発症した肝臓癌だった。手術をして再発後、癌と共生すると決めて一年。一人暮らしのお風呂で発見された。春を迎え、次の一年へと季節が巡った直後だった。

葬儀場の桜は花が舞い落ち、すっかり葉桜になっていた。

ストレッチャーの上で左半身の動きがピタリと止まった時、さしたる驚きもなかった。これからどうなっていくのだろう、と思った。そんなに深刻な色を帯びた想いでもなかった。

ぼんやりと、一人暮らしをすべきなんだろうなあ、と思い始めていた。

翌日へとカレンダーが替わった頃、5本のチューブに絡まるように起きて、カツンと“今”がやってきた。

その時からの様々なシーンが、退院、リハビリ入院、リハビリ通院と、パラパラ漫画のように浮かんでくる。感傷はない。

ベンチの上、右に目を落とすと、ラップにくるまれた小さなおにぎりと弁当箱。「食べる?」と、Kapparが覗き込む。

「食べようか。‥‥大丈夫だよ」。左手でおにぎりを支え、ラップをめくる。自転車で訪れた青年と会釈を交わす。

Photo

日めくりカレンダーを替えよう、と思う。

親父のカレンダーには、いつも“死”が影を落としていた。お見舞いに帰省を続けていた頃そのことを痛感した。書き留めておこうと思った。「親父への旅」としてまとめた。が、失くしていた。それが、金曜日にコピーで帰ってきた。ベッドでぼんやりと“死”というものを想っていたことを思い出した。

おにぎりを口に運ぶ。比較や評価への意識をそぎ落とせない自分自身を、噛み締める。

リハビリも終わりに近付いている。麻痺の残る左半身との付き合いも、淡々と日常化してきている。食べることを軸とした、ほのぼのとシンプルな暮らしも落ち着いてきた。暮らしを支える経済活動の強いプレッシャーも緩和された。

これからは、残存する過分な欲や意識との付き合い方こそ、課題になってくるだろう。内へと向かいがちなエネルギーを“よきこと”へと向ける。過分な無理はしない。それが、Kapparへのお返しにもつながるはず。

数多い病気やリハビリの後輩のために何かできないか、動き出そう。寄り添うように励ます。そんなサポートができないか‥‥。

いくつかある計画を口してみよう。紙にしてみよう。

ささやかな決意をしながら、目の前を通り過ぎる少女を見つめていた。「随分見つめていたねえ」。Kapparの言葉に、「彼女が大人になった時の顔を想像してた」と応えた。「どんな感じだった?」に、「ちょっと残念な感じかなあ、ちょっとだけどね」と言うと、Kapparは大きく声を上げて笑った。

いい花見だった。

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

60sFACTORY活動日記は、こちら。

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