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退院後2年4ヶ月。ゆっくり始動!‥脳出血~リハビリ~そして

石油の値上げの影響でANAの“超割”がなくなっていた(復活したが‥)ので、やむをえず“旅割”利用で帰省してきた。

萩・石見空港行きは、一日一便。しかも、朝7時20分発。新宿発のリムジンに6時に乗らなくてはならない。赤字路線だからやむをえないとはいえ、なかなか厄介だ。

所要時間約一時間半。島根県益田市の朝は、冷たい風が吹いていた。

目的は、親父の墓参り。亡くなって丸7年。退院直後も欠かさず続けている。

お墓があるのは、医光寺。雪舟庭園のある由緒正しいお寺だ。因縁も深い。

親父が一家離散後預けられたお寺と同じ曹洞宗東福寺派。僕が小学校2年生の時、親父が再婚の結婚式を挙げたお寺でもある。今の住職は親父の英語の教え子で、我が家は檀家。それも、中学卒業と同時に母親が購入を決めた中古物件が、医光寺のお膝元だったから。という何とも深い因縁。

親父とお袋、それに親父がお袋亡き後60代半ばで巡りあった最愛の女性。三人が眠るにふさわしいお寺である。そして、実家も他人の手に渡った今、僕の唯一の“帰るべき場所”である。

風もなく穏やかに暖かい日差しの中、一年ぶりにお墓に手を合わせた。麻痺で握ってしまう左手は、親父の前だからか、気候のお陰か、なんとか真っ直ぐ伸びてくれた。

帰省の前日は、星加ルミ子さんとお会いした。9ヶ月ぶりだった。

一昨年、難病を患い、大手術と長期入院をされた星加さんに、病気、リハビリ、介護の日常を過ごしている人たちによる、病気、リハビリ、介護の日常を過ごしている人たちのための“ある企画”のお話をして、ご協力をお願いした。

話が盛り上がり、気付くと4時間が経過していた。“ある企画”を話したのは、ラジオ局の友人に次いで二人目。これから、徐々にいろいろな人に話しつつ、企画書をまとめようと改めて思った。

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風の音と鳥のさえずりしか聞こえない、陽だまりのような親父の墓前。

ほんのりと暖かな一歩を踏み出した心地よさを感じつつ、歩みを止めないことだぞ、と自分に言い聞かせた。ほんの少し、身震いした。

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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胸が痛む、「安い!」「安い!」の連呼!‥①.ファッションの場合

“フェアトレード”という言葉や概念は、どこへ行ってしまったのだろうか?「安い!」「安い!」の連呼を耳にし目にすると、生産者の苦労を思い胸が痛む。

GMS(大型スーパーチェーン)の衣料品の値下げを、声高に「すご~い!お得~!」とコメントしている姿をテレビ画面で見かけると、チャンネルを変えてしまうほど苦々しい。

知られていないことではあるが、GMSのファッションの掛け率(仕入れ率)は、40%程度。60%程度が粗利益率となっているのが通常。価格の半分以上がお店の利益という、ちょっと信じ難い価格構造になっている。メーカーは、価格の40%の中から利益を確保することになる。概ね店頭価格の15~20%でメーカーは仕入れているという計算が成立する。どこか不自然だと思うのは、僕だけではないだろう。

素材(原反/織物)は、高度にマニュファクチャライズされているものは、量がまとまればかなり安い。手漉きの和紙とロールで生産されるトイレットペーパーくらいの差がある。

モノ作りのコストで最もウェイトの高いのは、つまりは人件費。安価にモノ作りをしようとすれば、人件費の安い場所で生産せざるをえなくなる。

中国からベトナム、タイへ。そして、バングラデシュへ。消費国家(先進国)のブランドは、より安価な生産基地を求めて移動し続けている。そして多くの場合、安価に生産できるメリットは、メーカーと流通が享受しているに過ぎない。

ブランドの包装紙にくるまれた、発展途上国の一日1,000円にも満たない労働力に依存してできあがった商品を、我々は有難がっているのかもしれないのである。とても、フェアと言える状況ではない。

そして、さらに悲しいのは国内の優れた技術や熟練の技が、コスト高という理由で使われなくなっていくことである。産業の空洞化は今に始まったことではないが、優れた技術が使われずに錆付いていくのは、いかにも悔しい。まるで、休耕田を見る思いだ。

センスがよく、高品質で、安全で、安価な物‥‥。そんなものは、存在するはずもないのだ。応分な負担を覚悟した消費者こそ、賢い消費者であり、そんな消費者が増えなければ、フェアトレードは絵に描いた餅のまま。情報を積極的に開示することが、生産者の常識として定着することないだろう。

尽きることのないメーカーの不正は、フェア精神のない消費者が生んでいる要素もあるのだと、僕は思うのだが‥‥。

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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春爛漫、終わりが近付くリハビリと日常‥‥②

中学生の時、「“今”って何?」と質問したのを思い出す。親父はしばらく言葉を探す顔になり、真顔で「過去と未来の間、かなあ」と言った。

「時間なんて人が決めただけでしょ」。正月に、昨日と今日が殊更に違うって変な感じ、いつも昨日から今日になっているのに、と不機嫌になった時には、「決め事がないと、人は何もしないからなあ」と呟いた。

日めくりカレンダーが、僕の頭には浮かんだ。めくって破り捨てる。その瞬間が、昨日と今日をつなぐ“今”のような気がした。

父親の病死、一家離散、見習い僧、学徒出陣、肺結核、離婚、再婚、死別、再々婚、死別肝臓癌‥。今日から明日へと続くものと思ってめくると、劇的に変わってしまっている“今”と直面する。親父は、そんな“今”の連続を生きて、死んだ。

生きていくために受けた肺結核の手術。そのときの輸血でなっていたC型肝炎。それが元で発症した肝臓癌だった。手術をして再発後、癌と共生すると決めて一年。一人暮らしのお風呂で発見された。春を迎え、次の一年へと季節が巡った直後だった。

葬儀場の桜は花が舞い落ち、すっかり葉桜になっていた。

ストレッチャーの上で左半身の動きがピタリと止まった時、さしたる驚きもなかった。これからどうなっていくのだろう、と思った。そんなに深刻な色を帯びた想いでもなかった。

ぼんやりと、一人暮らしをすべきなんだろうなあ、と思い始めていた。

翌日へとカレンダーが替わった頃、5本のチューブに絡まるように起きて、カツンと“今”がやってきた。

その時からの様々なシーンが、退院、リハビリ入院、リハビリ通院と、パラパラ漫画のように浮かんでくる。感傷はない。

ベンチの上、右に目を落とすと、ラップにくるまれた小さなおにぎりと弁当箱。「食べる?」と、Kapparが覗き込む。

「食べようか。‥‥大丈夫だよ」。左手でおにぎりを支え、ラップをめくる。自転車で訪れた青年と会釈を交わす。

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日めくりカレンダーを替えよう、と思う。

親父のカレンダーには、いつも“死”が影を落としていた。お見舞いに帰省を続けていた頃そのことを痛感した。書き留めておこうと思った。「親父への旅」としてまとめた。が、失くしていた。それが、金曜日にコピーで帰ってきた。ベッドでぼんやりと“死”というものを想っていたことを思い出した。

おにぎりを口に運ぶ。比較や評価への意識をそぎ落とせない自分自身を、噛み締める。

リハビリも終わりに近付いている。麻痺の残る左半身との付き合いも、淡々と日常化してきている。食べることを軸とした、ほのぼのとシンプルな暮らしも落ち着いてきた。暮らしを支える経済活動の強いプレッシャーも緩和された。

これからは、残存する過分な欲や意識との付き合い方こそ、課題になってくるだろう。内へと向かいがちなエネルギーを“よきこと”へと向ける。過分な無理はしない。それが、Kapparへのお返しにもつながるはず。

数多い病気やリハビリの後輩のために何かできないか、動き出そう。寄り添うように励ます。そんなサポートができないか‥‥。

いくつかある計画を口してみよう。紙にしてみよう。

ささやかな決意をしながら、目の前を通り過ぎる少女を見つめていた。「随分見つめていたねえ」。Kapparの言葉に、「彼女が大人になった時の顔を想像してた」と応えた。「どんな感じだった?」に、「ちょっと残念な感じかなあ、ちょっとだけどね」と言うと、Kapparは大きく声を上げて笑った。

いい花見だった。

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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春爛漫、終わりが近付くリハビリと日常‥‥①

相次ぐ来訪者とKapparお手製の「和風サムゲタン」に、ついついお酒もすすんだ金曜日の夜。事務所を後にしたのは、午前3時を回っていた。

寝つきはよかったが、久しぶりに胃が夜中に暴れた。ムカツいて眠れない。転々とした挙句ベッドを降りた。階下に下りて横になり、時計を見ると八時半。ええい、もういいや、と身を起こした。

Kapparが「おはよう!」と、いつもの元気な声で下りてきたのはお昼前。けだるいガーフィールドの目で目玉焼き、トースト、珈琲を用意してくれたあと、パソコンに向かう。仕事のスケジュールは、蛇腹のように詰まりつつある。

僕は不甲斐なくも、その横でコタツっ子。何か書こうと思うが、上瞼が落ちてくる。寝たり起きたりの後、晩ご飯をきっかけにやっと本格的に覚醒する。

と、さすがに表情に疲れが澱み始めたKapparがつつっと眠りに落ちてゆく。小さなコタツは、コタツっ子二人は収容しきれない。深夜直前「もうだめ!寝る!ん?寝てたよってか!」と一人突っ込みをしてKapparベッドへ。

コタツに残った僕は、またも胃の襲撃を受ける。医者が「この子は育たないかも」と言ったという胃腸は、軟弱で鬱陶しい。5時頃になってやっと眠った。9時半過ぎ、この日は疑いもなく元気一杯のKapparに起こされ、いつもの朝ごはんを食べる。しかし、またもうとうと。

不思議な夢を見る。金曜夜の会話の影響か、懐かしい店に懐かしいメンバー。いとおしさに胸が満ちていく時間と空間。ふと店の片隅を見遣ると、藤原紀香。ん?なんだ?そこに漂ってくる日常のイベントの香り。これはまがうことなき不滅の弁当メニュー玉子焼きの匂い。‥‥。夢か現か。藤原紀香と玉子焼き‥‥。

匂いは現実!と薄目を開けた時、「お花見に行くよ~」と起こされる。時計に目をやると午後二時。随分待ってくれていたようだ。

「お弁当持って行こうね」。見ると、テーブルの上に小さなお弁当と小さなポット。着替えも置いてある。

行き先は、500メートルほどのところにある實性寺。境内には枝ぶりに趣のある桜の古木が数本、緑の木々にゆかしくのどかに映えている。世田谷が田園地帯だった頃の風情の名残か、田舎で子供たちを足元に集め悠然と枝を広げていた大木を想う。その頃の目で見上げると、花曇の空が想いの外眩しい。

Photo_2 

写真を撮り、ベンチに腰掛ける。2年半の現実が、冷たく尻から突き上げてくる。スライドショーのように、半身不随から立ち上がるまでのシーンが、その時々の色を帯びて浮かんでくる‥‥。

              

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)              

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