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地方発ビジネスの成功例②‥‥“ゆうき丸”

青山通りの紀伊国屋跡地に新しい商業ビル“AO”(アオ)がオープンした。オーバーストア状態が続く都内に、またよくも‥‥。と思ったのは、僕だけではないだろう。

価格がまだ高い時期に取得した土地、動き始めた建設計画‥‥。著名ブランドの売り上げ低迷でテナント構成の変更を繰り返しつつ、それでもオープンしないと不動産投資の資金が焦げ付く危険性がある‥‥。苦しい台所事情を抱えたオープンは、お台場の開発あたりから始まっているように思われる。

まるで、55年体制。決めたとおりに進めていくしかない、といったところなのであろう。高層廃墟が増えなければいいが‥‥。大切にすべきは、縦への開発より横への開発。ビルより路地だと、僕は思うのだが‥‥。

AOの向かい、骨董通りの一本横に、AOと対照的とも言える路地がある。かつては、“グルメ・ストリート”と呼ばれていたことがあった。

僕がVANに入社した1975年、“だるま屋”というラーメン屋がオープンし、人気を集めたのがきっかけだったと思う。小さなビルが密集する路地に、次々とこじんまりとした特徴ある店がオープンしていった。

待ち合わせる、食べる、飲む‥‥が、路地の中で完結することができる上に、時々発見もあるので、よく通った。

“ゆうき丸”を見つけたのは、80年代後半のことだった。お気に入りのバーの隣、二階に付いた新しい看板の“八丈島”という文字が気になった。お店に入ると、魚が大皿の上に並べてあった。聞くと「うちの船“ゆうき丸”で獲れた魚を送ってもらってるもんで、魚種は限られるんですけどね」とのこと。それはまた実に旬な感じでいいじゃないか、と思った。

明日葉の天麩羅、刺身、地酒をいただき、ちょっと新鮮な気分で仕事に戻った。そして、ゆるやかな常連になった。親しい人を連れて行った。誰もがにこやかになり、気に入ってくれた。

やがて、事務所を青山から赤坂に移したのを機に足が遠のいてしまったが、青山一丁目にもう一店舗出店したとの便りが届き、行ってみた。多店舗化するのでは、と心配になったからでもあった。見違えるような大きな店だった。ちょっと心配になると同時に、落ち着かなかった。

それから、約20年。店舗の場所は西新宿と銀座に変わったが、“ゆうき丸”は相変わらず2店舗。盛業中だ。うれしい限りである。

“鮎正”と同じである。地元の生産者と直結。ノウハウも地元から導入。運営も地元出身者が自ら行う。そして、規模の拡大を急がない。余分なことを行わない。主たるビジネスに関連すること、地元の生産者と連携できることから、少しずつ導入していく。

地方発のビジネスを成功に導くコツが、そこにはある。

素材を供給するだけ、から脱却し、加工ノウハウ、販売ノウハウまでを自ら所有する。そのためのステップをじっくりと踏んでいく。出来上がったものの市場性も自ら確認する。

ネットスーパー人気により、ローコストでテスト・マーケティングが実施可能になってきているだけに、地方からの発信に適した環境ができつつある。

都心に採算性を度外視したモデルショップをオープンするなどという無駄な費用と労力などを、具体的な行動へと振り向けるべき好機だと、僕は思うのだが‥‥。

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

60sFACTORY活動日記は、こちら。

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