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島根県益田市からの訃報‥①

日曜日、田舎で母親の面倒を見ながら暮らす従姉妹から、電話が入った。声を聞くのは、親父の葬式以来。約7年ぶりだ。懐かしい声からは、訃報が告げられた。

叔母がなくなった。島根県益田市で川瀬クリニックという病院を営んでいる従兄弟の母親。肝臓癌によるものだった。

奇しくも、親父と同じC型肝炎に起因する肝臓癌だったとのこと。僕の母方の叔母で、親父も僕も血のつながりはないというのに、不思議な因縁だ。

従兄弟に電話でお悔やみを言い、僕の病気のことを初めて告げる。医者らしい冷静な対応だった。4月末、親父の命日に帰省する旨を告げ、再開を約束した。7年前、深夜まで飲んで以来の再会となる。

電話を切って、時の流れを痛感した。届く知らせに訃報が多くなっている。それぞれの人との思い出を手繰っていると、やがては、己の生き様への自問に行き着く。

巧みに生きるのではなく、よく生きよう。楽しむのではなく、楽しませよう。欲望を満たすではなく、制御しよう。‥‥。などと思い続けていたはずだが、手繰り寄せた思い出は、恥ずかしさに赤く染まっていることが多い。

脳出血とその後遺症によって失ったものは多く、そのほとんどは、得てさえいなかったものだと気付いた今、もう一度“そぎ落とす努力”をしようと、改めて思う。

“晩年を生きる”ということは、 “自己と向き合う生き方”のようだ。年齢とは無縁かもしれない。

4月末、従兄弟(澄川学ちゃん)と酒を酌み交わす時、穏やかに叔母の死を語り合えるといいのだが‥。

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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地方発ビジネスの成功例②‥‥“ゆうき丸”

青山通りの紀伊国屋跡地に新しい商業ビル“AO”(アオ)がオープンした。オーバーストア状態が続く都内に、またよくも‥‥。と思ったのは、僕だけではないだろう。

価格がまだ高い時期に取得した土地、動き始めた建設計画‥‥。著名ブランドの売り上げ低迷でテナント構成の変更を繰り返しつつ、それでもオープンしないと不動産投資の資金が焦げ付く危険性がある‥‥。苦しい台所事情を抱えたオープンは、お台場の開発あたりから始まっているように思われる。

まるで、55年体制。決めたとおりに進めていくしかない、といったところなのであろう。高層廃墟が増えなければいいが‥‥。大切にすべきは、縦への開発より横への開発。ビルより路地だと、僕は思うのだが‥‥。

AOの向かい、骨董通りの一本横に、AOと対照的とも言える路地がある。かつては、“グルメ・ストリート”と呼ばれていたことがあった。

僕がVANに入社した1975年、“だるま屋”というラーメン屋がオープンし、人気を集めたのがきっかけだったと思う。小さなビルが密集する路地に、次々とこじんまりとした特徴ある店がオープンしていった。

待ち合わせる、食べる、飲む‥‥が、路地の中で完結することができる上に、時々発見もあるので、よく通った。

“ゆうき丸”を見つけたのは、80年代後半のことだった。お気に入りのバーの隣、二階に付いた新しい看板の“八丈島”という文字が気になった。お店に入ると、魚が大皿の上に並べてあった。聞くと「うちの船“ゆうき丸”で獲れた魚を送ってもらってるもんで、魚種は限られるんですけどね」とのこと。それはまた実に旬な感じでいいじゃないか、と思った。

明日葉の天麩羅、刺身、地酒をいただき、ちょっと新鮮な気分で仕事に戻った。そして、ゆるやかな常連になった。親しい人を連れて行った。誰もがにこやかになり、気に入ってくれた。

やがて、事務所を青山から赤坂に移したのを機に足が遠のいてしまったが、青山一丁目にもう一店舗出店したとの便りが届き、行ってみた。多店舗化するのでは、と心配になったからでもあった。見違えるような大きな店だった。ちょっと心配になると同時に、落ち着かなかった。

それから、約20年。店舗の場所は西新宿と銀座に変わったが、“ゆうき丸”は相変わらず2店舗。盛業中だ。うれしい限りである。

“鮎正”と同じである。地元の生産者と直結。ノウハウも地元から導入。運営も地元出身者が自ら行う。そして、規模の拡大を急がない。余分なことを行わない。主たるビジネスに関連すること、地元の生産者と連携できることから、少しずつ導入していく。

地方発のビジネスを成功に導くコツが、そこにはある。

素材を供給するだけ、から脱却し、加工ノウハウ、販売ノウハウまでを自ら所有する。そのためのステップをじっくりと踏んでいく。出来上がったものの市場性も自ら確認する。

ネットスーパー人気により、ローコストでテスト・マーケティングが実施可能になってきているだけに、地方からの発信に適した環境ができつつある。

都心に採算性を度外視したモデルショップをオープンするなどという無駄な費用と労力などを、具体的な行動へと振り向けるべき好機だと、僕は思うのだが‥‥。

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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障害者のための社会インフラ整備は‥‥

春!!やっと訪れてくれた、待ちに待った季節!!

「春なんだよね。もうきっと、春なんだよね。そう思っていいんだよね」。暖かくなると、“油断するなよ、まだ春じゃないんだぞ~~”と言われているような戻り冬がやってくる、を繰り返していた日々に、朝からの陽射しにも疑いの目を向けてしまう‥‥。

3月17日。快晴。国立西洋美術館に出かけよう、と決めていた。「ルーブル展」が開催中なのだ。

新年会以降500メートルが限界になっている膝の痛みも、少しは良化しているような気がする。痛いのはむしろ、観覧料大人1人1500円。‥‥と思っていたら、ネットで確認して見ると、心身障害者と付き添い者1名は無料と判明。これは行かずばなるまい、と気合が入った。

連日“仕事漬け”だったKapparも、エアポケットの一日。付き添えるということになったので、二人合わせて3000円のお得!目の保養に懐の保養まで加わって、心に春が届いた気分。バス・電車を乗り継ぐ上野までの1時間半の行程も、のんびりのどかに楽しんだ。

上野到着が、お昼。平日とあって中・高年が目立ったが、杖を片手の障害者も散見される。中には、車椅子の人も‥。春、ルーブル&無料の三点セットにモチベーションされた人が多いのだろう。どうしても澱みがちになりやすい障害者の暮らしには、うれしい三点セットに違いない。

観覧を始めると、展示がB1~B3の三層に分類されていることがわかった。「大丈夫?車椅子借りようか?貸し出しサービスがあるみたいだよ」と言うKapparに「大丈夫だよ」と微笑んでみせたものの、ユニバーサル・デザイン化が著しく遅れているJRの構内で、階段の上り下りに繰り返し利用した膝は、レッドゾーン手前。階段はちょっとなあ、という状態だった。

車椅子でも階段は無理だから、と膝に言い聞かせ観覧をスタート。と、係員がつつっと近付いてくる。丁寧にエレベーターに誘導される。健常者(この言葉、以前から好きではないが‥)は利用不可にしてあるようだ。

降りるとまた誘導を受ける。そしてまた‥‥。ショートカットさせてくれた場所さえあった。

助かった。帰りの上野駅で危うく転ぶところだったが、それ以外は快適に過ごし楽しむことができた。

帰りの電車の中で僕は思った。社会の設備や配慮の充実は、顕在化していることに向けられるものなんだなあ、と。

JRの遅れは、障害者が大量の乗降客に紛れて見えないからに違いない。声の大きなクレーマーは、その声によって顕在化してみせるが、障害者は、全般的に静かだ。何もできない人間は強い自己主張をすべきではない、という思いがあるからだ。

“陰徳”という言葉が死後同然になってしまった現在、silentではあるがmajorityでもあるんだ、という形で存在を顕在化させていくべきなのだろう。

暖かくなってきた。杖を突き、車椅子を操縦し、楽しむために街に出る。

それが、障害者のためのインフラ整備を前進させる近道だ。‥‥そう、思いながら痛む膝をひきずりながら、コタツっ子に戻ったのだった。

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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働き者Kapparと“一期一会カレーうどん”

Kapparは働き者だ。怒涛の日々の連続にも、どこかゆとりを感じるほどだ。

そんなKapparの三日間と、土曜日の夕方に誕生した偶然レシピ“一期一会カレーうどん”をご紹介しよう。

木曜日、自宅作業を抱えて6時半、随分早めの帰宅をしたKappar、一服して夕ご飯の準備にとりかかった。その日のメニューの一つは、“風呂吹き大根”。

僕も作ることのできるメニューだが、さすがKappar!ひと味違う。その作り方は、こうだ。

分厚い半月切りにした大根を米の研ぎ汁で下茹でしておく。その一方で昆布と鰹の出汁を作る。取り出した昆布はとっておく。出汁に、塩、醤油、日本酒を少々加え、とっておいた昆布を再投入。その上に大根を乗せ、弱火でコトコト煮込む。その間に他のメニューに取り掛かる。一時間弱、すべてのメニューが完成する頃には、大根はほっくりといい感じになっている。柚子味噌を練り、しっかりと出汁が沁み込んだ大根に乗せて食する。‥‥のが通常だが、この日は「今夜は手抜きだ~」と、冷蔵庫にあった市販の胡麻ダレにスリ胡麻、味噌、たっぷりの柚子を加えてさっさと作った簡単柚子味噌の登場となった。

これがなかなかうまい。2~3切れ温かくいただき、器の出汁はスープとして飲み干した。鍋に残った数切れは、翌日回し。楽しみは続く。

食後、Kapparは仕事に突入。月例の「主婦のライフスタイル・トレンド予測」に明け方5時まで取り組んだ。

そして、金曜日。11時前に出かけ、またも仕事を抱えて帰宅したのが、8時半。

特売で入手しておいたステーキ1枚(常温に戻しておいたもの)を焼き、サラダ、味噌汁、作り置きのひじきと“風呂吹き大根”がテーブルに並んだのは、午後9時半。“風呂吹き大根”も二日目となると、味わいを増し、ほくほくと一際おいしい。10時半過ぎに食事が終わり、きれいに片付けも終わる頃、「この出汁、捨てるのもったいない!何かに使おう!」という声。振り向くと、“風呂吹き大根”の鍋に出汁が1/3程度残っている。確かに、もったいない。「使わないともったいないね」ということになった。

そしてまた、Kapparは、仕事に突入。「ここまでにしておいてやるか!」とパソコンの前を離れたのは、4時半だった。

土曜日は、久しぶりの晴れ。遅い朝食と洗濯を済ませ、Kapparは、11時頃からまたもパソコンの前へ。「腹減った~~!」と、台所に向かったのが、午後3時。

30分ほどで遅い昼食が完成した。「何だと思う~?」と問われて丼を覗くと、カレーうどん。「わかった!残り物の足し算だ!」。ほんの少し残っていたカレーと“風呂吹き大根”の出汁が、カレーうどんに変身したに違いない、と思ったのだ。

「当たり~~!名付けて“一期一会カレーうどん”!おいしいかどうか、わからないよ~」。

というわけだったのだが、これがイケル。やはり出汁は、きちんと作るべきだと、つくづく思った。

ただ、残念なのは、同じものを食べることができないこと。一期一会だものなあ。

ところで、Kapparが怒涛の時間を過ごしている間、Kakkyお前は何をしているのだ?と聞かれると、困る。夜、寝るのはずっと下手(血圧の高い人には、これが大敵らしい)。でも、そんなに睡眠不足ではない。といったことから、推察いただくしかない‥‥。

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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地方発ビジネスの成功例①‥‥“鮎正”

僕は、島根県益田市の出身である。益田市は、清流高津川が日本海に注ぐ河口付近に位置する。沖合いに今は無人島なってしまった高島を望み、後には高津川流域に広がる田園と豊かな山林資源を有する中国山地が控える、自然と産物に恵まれた山陰の小都市である。

山陰とはいえ、雪は多くない。暮らしやすい町である。

約20年前、スクウェアが勝負をかけたゲームソフト「ファイナルファンタジー」の仕事に関わり、一息ついた夏のことだった。「おいしい鮎食べに行きましょう」と誘われた。

中学生の頃、高津川の天然鮎を獲ったり食べたりしていた僕は、鮎にはうるさい。1万円のコースだと聞いて逡巡した。すると、「益田の人がやっている店らしいですよ」という。しかも、ご馳走してもらえるとのこと。「予約が必要なんですよ」と聞いて、瞬く間に表情まで変わった。「是非!早く行きましょう」。

というわけで足を運んだのが、新橋駅から徒歩5分の“鮎正”である。

僕は、 “鮎の塩焼き” が大好物。メニューに見つけるとついつい頼んでしまう。天然の鮎を食べるために、秋川渓谷の“黒茶屋”という店まで、ミニ社員旅行を決行したことさえある。

それでもなかなか味わえなかった“本物の鮎の塩焼き”に、僕は久しぶりに遭遇した。田舎を出て以来、絶えて口にすることのなかった鮎料理の数々にも再会した。

お店のことが知りたくなった。スタッフの説明を聞いて納得した。

「店長のお父さんが田舎で割烹旅館をやってらして、息子さんのために、毎日獲れたての鮎を送ってこられるんで。だから、新鮮でおいしいんですよ」とのこと。お父さんが経営されている割烹旅館は?と聞くと、日原という所にあるらしい。

そうか!と思った。おいしいはずだ!と納得した。ビジネスとして、うまくいくはずだ!と理解できた。

熱意がある。知識がある。歴史がある。そして、それを伝承する人がいる。客におもねる必要のない背景があるのだ。

地方で長く愛されているものは、受け入れられる素質を持っている。多くの人に受容されるように手を加える必要などない。それは、魅力を薄めるだけだ。

同行した人たちに料理のつたない説明をしながら、僕はちょっぴり誇らしい気分だった。不安は、ただ一点。チェーン展開に踏み出さないか、ということだった。

素材もノウハウも拡大すればするほど、希少性や独自性を失っていく。東京は大都市だが、一店舗でいいのだ。日本全体でも、せいぜい数店舗。人も素材も本物であり続けようとすれば、それが限度というものだろう。

そして今、僕が当時抱いた不安は杞憂に終わっているようだ。“鮎正”は、今でもOne&Only。新橋で盛業中だ。夏には予約もままならないらしい。

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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