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失うことの悦びを経て。-2009年

2009年、新春に寄せて。

脳出血を発症して。2年4ヶ月。初台リハビリテーション病院を退院して、3度目の正月を迎えた。八面六臂、獅子奮迅の働きも明るく続けてくれているKapparに守られ、大切な友人たちに支えられ、障害者基礎年金など年金や手当ての保護も得て、のどかな正月を迎えることができた。

退院後の正月は、心穏やかではなかった。昨年の正月は、Kapparが働きづくめ。自分ができること、してあげられることを、痛む左肩、左腕を右手で揉みほぐしながら、茫然と探していた。

そして、さらに1年。2008年は、澱んでいた意識や想いを、軽くすることができた年だった。

思えば、社会人になってからというもの、抱え続けてきた30年強だった。抱え込む力こそ男の力と子供っぽく思い込み、抱え込んだストレスがエネルギーに昇華されていくのだと力んでいた。

しかし、そうして得てきたものの多くは、得た気がしていただけに過ぎないことを思い知らされた。微笑みと耳心地のいい言葉で近づいてきた人たちの多くは、僕の力みが功を奏している状況に擦り寄ってきただけに過ぎず、僕に近づいてきたわけではない、ということにも気付かされた。

悲しくはなかった。喪失感もなかった。一枚一枚、重ね着をしていた必要もない洋服を脱ぎ捨てていく爽快感があった。

失うことは、怖くない。必要のないものは、きれいさっぱり失った方がいい。

喪失感なんて、重ね着をしていた余分な洋服を脱ぎ捨てた時の、一瞬のうら寒さに過ぎない。脱ぎ去ったものの塊を目にすると、無駄なものに費消されたエネルギーに愕然とするほどだ。

本当に大切なものは、ごくわずかだ。お互いの間に真の交感が存在するヒトやモノの数は知れている。抱え込み、抱えたものに束縛され、いつの間にか見失った自分を取り戻す‥‥。

失うことの悦びの彼岸には、ささやかに充たされる日々があると思う。

Kapparや友人たちに何がお返しできるか、少しは悦びをもたらしてあげられるか、自分の手元、足元をしっかりと見つめて‥‥‥‥。

さあて、ちょっぴり自由に始めてみようかな。

60sFACTORYプロデューサー(Kakky)

60sFACTORY活動日記は、こちら。

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