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親子三代、因縁の京都?!

僕は、島根県浜田市で生まれた。昭和24年。まだ戦後が色濃く残っていた。生家は、歓楽街(数年前訪ねてみたが、路地裏の風情を漂わせる一角だった)にあった。当時では珍しい鉄筋コンクリートの2階建て。1階はカフェ(僕が生まれるころには、人の手に渡っていたらしいが……)になっていて、その脇を往来からトンネル状の通路を抜けていくと右手に上がりかまちがあり、そこから二階の住居に上がれるようになっていた。通路の行き当たりは土間と台所。裏に抜けると井戸があり、小さな中庭から相撲くらいはできる裏庭へと続いていた。裏庭の奥には小さな平屋が建っており、朝鮮人親子が住んでいた。貸している、とのことだった。2階の4部屋の一つにも、母子家庭が下宿をしていた。山下君という4~5歳年上の男の子がいた。

僕は、生まれてから小学校に入学するまで、そこに暮らしていた。様々なことを経験した。断片的にたくさんの記憶が残っている。楽しく切ない思い出が詰まった場所だ。

その家の不思議な構造は、長く僕の疑問だった。1階がカフェ。戦前に無声映画の弁士からカフェの店主に転身した祖父が決めたというその構造には、何らかの理由があるのではないか。そう思っていた。そして、その疑問さえも忘れていた昨日。CATVで久しぶりに「東京裁判」を観ていたところ、ふと啓示のように答が降りてきた。

京都の町屋の構造なのだ!そう思った。すると、いくつかの因縁が絡み合っていたのは京都だったのだ、ということも発見した。

親父の叔父にあたる祖父は、映画の脚本家の卵だったが大成せず、夢破れて「活動の弁士」になった男。親父は父親が若くして脳卒中で亡くなったため一家離散し、預けられて育ったお寺の期待を背負って坊主になるために大学に進学した男。いずれも、青春の多感な時期を京都で過ごしている。そして、僕も、なのだ。

初めて京都の下鴨の下宿を訪れた時、玄関から奥へと続く通路の、その薄暗さになぜか懐かしさと安堵感を覚えたのも、ゆかりの場所が持つ癒しの力だったのかもしれない。

前世や魂を信じたことのない身ではあるが、古都に潜む多く魂の歴史に、思いを馳せてしまった深夜だった。

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

60sFACTORY活動日記は、こちら。

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