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スーパー、東西の戦い

ダイエーは、大阪~京都間、京阪電鉄千林駅商店街で生まれた(…はず)。“主婦の店ダイエー”という薬局が、その起源(…のはず)。時あたかも高度成長期。銀行も成長が見込めそうな企業には惜しみなく融資をしていた時代。商品も“あればいい”時代から、比較購買され始めた時代。ダイエーは安売りで人気を集め、急激に業績を伸ばしていった。

ただ、昭和48年に制定された大規模小売店舗法(通称:大店法)の規制を受けたため、当初は商店街との共生を考慮した出店が多かった。駅前から商店街を抜けていくとダイエーがあるといった立地が多かったのは、そんな理由からだったと記憶している。小規模の商店は、法律によって守られていたのである。そのことが、後々商店街の衰退を早め決定付ける要因ともなるのだが……。

それでも、現在では中途半端と言える売り場面積の店を標準店舗として、ダイエーの出店攻勢は続き、あれよあれよという間に巨大チェーンへと成長していった。そこに対抗勢力として出てきたのが、イトーヨーカドーである。

イトーヨーカドーは、ある意味では極めて日本的な成長過程と体質を持ったダイエーに対して、アメリカの大型スーパーの展開ノウハウを日本に移植するという方法論で対抗。ダイエーが関西を基盤に、西日本で圧倒的な勢力を持っているのに対し、東日本で一気に勢力を伸ばしていった。

その戦略とは、郊外の幹線道路沿いに広大な土地を取得、広い駐車場に隣接した低層階の大型店を開発し、規制を受けず、既存の商店街とも無縁に、独自の独立した商圏を形成しようというもの。ニューファミリー層の急増とモータリゼーションの進行、それに伴うライフスタイルの変化、特に購買行動の変化を郊外型大型店舗で受け止めようという魂胆。まさに、“クルマ利用の週末大量買い込み”というアメリカンライフスタイルを提案するものだった。この戦略は、まんまと消費者ニーズと合致した。しかも、幹線道路沿いとはいえ商店街に近接したエリアよりも地価も安く、土地取得も容易だったので、瞬く間に勢力を伸ばしていった。

まるで、豊臣対徳川。スーパーの勢力地図は、ダイエーとイトーヨーカドーによって東西に二分されていったのだった。

                              -つづく-

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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コメント

天下分け目のスーパー合戦話、面白いです。続きを早く聞きたい。
ジャスコは?すみません、聞き流して続きをお願いします。

投稿: KEN | 2008年9月19日 (金) 22時21分

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