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介護というコミュニケーション①

先週、5月最終週前半、「“婦人公論”の中吊りに、“夫野坂昭如は、今が一番ハンサムかも”という記事が出てたよ~」と、Kapparが帰ってくるなり、にこにこ。野坂昭如氏は、僕の好きな作家の一人である上に、初台リハビリテーション病院2階のリハビリテーション・ルームでよくお見かけしたので、勝手に親近感を抱いている方だ。ヘルパーと思しき若い女性に付き添われ、壁際で静かに佇んでおられたのを印象深く記憶している。野坂夫人による一稿は、そのタイトルからして、慈愛に満ちている。「その婦人公論、買ってきてもらえる?」と、早速お願いした。が、事務所への行き帰りにある本屋やコンビにでは、婦人公論は入手できない。次の一緒のお手掛けの際、大型書店に立ち寄ってみることにした。

その機会は、6月1日に訪れた。Kapparのお父さんのお見舞いに同行することにしたのだ。

長年の労働(八百屋さん)に酷使されたお父さんの膝の関節が悲鳴を上げるようになって10年以上。2~3年前から人工関節にとKapparが様々な手配をしてきた結果、小田急伊勢原の東海大学病院でやっと手術の運びとなり、全身麻酔の手術も無事終わって約一週間になる。

Kapparのご両親は、二人とも脳梗塞を経験。幸いにして、いずれも後遺症は軽いものだったが、ご高齢とあって、家事が思うに任せないことなどに時として鬱状態に陥ってしまうお母さんと、仕事を止めたことや満足に歩けないことなどから、意識が不確かな時がたまに見受けられるようになってきているお父さんを気遣い、Kapparは、2年前の1.5倍になった(にした)仕事の合間を縫うように、週に一度は、小田原の実家を訪れていた。そこに、術後のお父さんの全身麻酔から覚め切らない意識と食欲不振だ。Kapparは、週3回のお見舞いを決めていた。

僕は、少しでもKapparの負担を軽減しようと、退院直後に決めた毎朝のモーニング・珈琲に、時々だった掃除と台所の洗い物を、僕の日常の役割に加えた。大きな負担軽減にはならないものの、心理的支援程度にはなるだろう、との思いだ。一緒に伊勢原までお見舞いに行くというのも、心理的支援の一環のようなものだ。僕に何ができるわけでもない。

Kappar_2 

前日夜、「自分たちのためにあれこれ作っていると、何かしてあげなくちゃいけないという気がしてくるよね」と、Kapparは、食欲不振のお父さんにとスープを作り始めていた。持参したパジャマや下着を片付け、少し意識が戻りつつあるように見えるお父さんの口に、Kapparが優しく声を掛けながら、その冷製スープを運ぶ。素直にスプーン一杯を飲み干したお父さんの口が、次を求めてすぐに開く。次々と開く。「いのちのスープ」だ。やがてそれは、まるで親子の慈しみに満ちたコミュニケーションのように見えてきた。僕は、そっとベッドサイドを離れた。

*「いのちのスープ」‥‥料理家辰巳芳子さんが、食べ物が喉を通らなくなったお父さんのために「生きるための滋養をすべてスープで!」と様々に工夫を重ねたスープの数々。小児病棟で重病と闘う子供たちに飲ませてあげる、といったボランティア活動も、辰巳さんはされているようだ。鎌倉のご自宅で週に一度開かれる「スープの会」には、多くの人が集まる。

*Kapparの、その日の「いのちのスープ」‥‥じゃが芋、ブロッコリー、キャベツ、コンソメ、牛乳に塩、こしょう。その夜の献立の一つ「豚ばら肉と大根のスープ」も少々加えてある。冷蔵庫にあるもの、自分たちのための献立を活用し、次々と作っては、お父さんの口へ、身体へと運ぶつもりらしいので、Kapparのブログに、やがてシリーズで掲載される‥‥はず。

2時間後、買い物を終えて、三省堂でやっと「婦人公論」を入手。野坂昭如氏と夫人の、介護を通じたコミュニケーションに触れた。

                               ‥‥つづく

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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