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注目!モスバーガーの中・高年の起用!

意外とお金を使わない(当たり前なのだが‥‥)団塊世代に、団塊マーケティングの勢いも萎みつつある昨今だが、労働力として着目する企業が出現しないことに疑問を感じていたところ、そんな企業が現れた!意外と言えば意外だが、モスバーガーだ。ニュースとして目にしたのは、五反田東口店。販売スタッフのパートに中・高年を積極的に採用し、効果を上げているという。Kapparがネットで資料探しをしていて見つけ教えてくれた時、僕は思わず、「わ!久しぶりのいいニュースだねえ!早く気付けばよかったのにね。サービスの質向上の近道だよね!」と、少しだけ興奮してしまった。

ファミレスやファーストフードの業績が悪く、いつものように価格競争やメニュー開発競争が繰り広げられている中、時々利用しては、若いスタッフの接客の質の悪さに“もともとメニューに多大な期待をしていないんだから、せめて気持ちよく過ごさせて欲しいよねえ。ファミリーで来るお客さんたちへの対応、うまくできてるのかなあ”などと、不満や疑問を洩らしていた僕は、アメリカのドラマや映画のシーンに登場するダイナーのように、しっかりと経験を積んだ中・高年がサーブする店があっていいはずなのになあ、と以前から思っていたのだ。

安い商品こそ丁寧に陳列。差別性のない食品ほど心地よく提供。というのが、物販業やサービス業の心得の本筋だ。マニュアライズされた台詞を、お客さんが聞き取れないほどのスピードで、独り言のようにまくしたてる若い店員の多さに、辟易としている人は多いのではないだろうか。

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Kapparが、お父さんのために週2~3回通っていた東海大学病院のある伊勢原、駅の近くのモスバーガーに空腹を満たそうと跳びこんだら、この店のスタッフも50代以上だったとのこと。「ほっとするし、なかなか気が利いてたよ」ということだ。若い労働力を活かす道は他にもあるはず。大人にも子供にも目が行き届く大人によるサービス‥‥。もっと増えてくれれば、大人のマーケットももう少しは活性化するのになあ、と思うのだが‥。

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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脳の責務、肉体の役割。苦手と得意‥‥。

VANに入社する直前のある朝、不真面目な学生だった僕は、重大なことに気付いた。“春休みも夏休みもなくなるんだ~~!”ということだった。“大変だ~~!”と思った。何か固く心に決めて入社しないと、瞬く間に逃げ出したくなる予感がした。僕は、「こんなことしようと思ってるんだ」と友人たちに宣言することが多かったが、それも容易に挫けてしまいがちな自分を律するため。神棚を作り、そこに自分の宣言を祭り上げ、日々「やります!やります!」と拝むようにしてやっと少しだけ努力を継続できる、そんな意志の弱い男であることを、僕自身自覚していたからだった。

どうせならキリのいい数字でと、「新入社員の五箇条のご誓文」と名付け、五つのことを決めた。

1.何でもやってみる。どんなことでも、最初は誰でも新人だったのだ。

2.失敗を恐れない。恥じない。責任は、上司に取ってもらう。上司の多い給料は、そのリスクを負っているからだ。

3.コミュニケーションを大切にする。情報、ノウハウのすべては、人にあるもの。手に職のない僕の財産は、コミュニケーションによって築く他ない。

4.得たものは積極的に与える。相手を選ばない。与えるものがなければ、得る資格はない。

5.疑問は、粘り強く抱え続ける。簡単に答を求めない。貰った答えは、自分のものではない。

という五箇条である。一年間、何度か頭の中で反復し続けた。何度か忘れてしまい、微妙に言葉は変化したが、反復したお陰で、今でも趣旨は変わらず憶えている。上司のことは、「子供が親を選べないように、新入社員に上司を選ぶことはできない」という事実に怯え、殊更に一つ項目として上げたような気がする。

後年、会社を作る時は、そこに、「会社は個人の金儲けの装置であってはならない」、という一項目が加わり、広告業界の仕事をするようになると、「真っ当な経済活動の“あぶく銭”を使わせてもらっている仕事に過ぎないことを忘れてはならない」という項目が加わった。

そして、多くの人と袖擦り合ううちに、人はいろいろな概念で語ることができるが、常にタイプとして二つに大別できる、と思うようになった。

人を使う人と、使われる人。“してもらいたい”人と、“してあげたい”人。といった風にである。どちらが上位でも下位でもない。タイプが異なるだけ。そしてそれは、得手・不得手と連動することが多い。優れた人は、己のタイプを自覚している人。二つのタイプのどちらというわけでもない。まず、不得手なことをしっかりと自覚することで、必要・不必要を明確に認識できている人は、他人への敬意を持てる優れた人だと思う。

‥‥。‥‥。そんな、責務と役割をお互いにバランスよく持ち合っている関係‥‥。それが、脳と肉体なんだなあ‥‥。

まさにインナー・スペース。内なる小宇宙。‥‥。理想の社会、組織が、そこに、自分の中にあることに、脳出血を発症して実感させられた。

肉体は、愚直で健気。脳は、傲慢にして繊細。それぞれが持ち味を出し合い欠けてるものを補い合って、一個の存在を有機的かつ合理的に存在せしめている。わずか直径4センチの出血痕がもたらした甚大な被害に、愚直な肉体は成す術をもたないが、健気な対応は見せてくれる。統制が取れていないのが玉に瑕だが、時折起きる痙攣などは、そう解釈してあげたい。「動けるよ~~!」という覚束ない叫びかもしれないのだ。退院後、ぶら下がったままの左肘ににょきにょきと生え育っていった4本の毛。どこまでも育つ勢いだったその「守り毛」(僕は、そう名付けた)が、風にそよぐのを感じた時、「僕の身体って、健気でいとおしい奴だなあ」と思った。‥‥。

梅雨寒で体調が冴えないので、またこんなことを考えたのでした‥‥。早く来い!からっと天気!

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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高級ブランド値下げ!始まるか?!百貨店ビジネスの崩壊。

初台リハビリテーション病院入院中に迎えた57歳の誕生日。プレゼントでもらったipodnanoには、お気に入りの曲が100曲ばかり入れてあった。Marc Anthonyの「You Sang To Me」は、何度も枕を濡らしてくれたものだった。

それから、1年半。yuo-tubeでふと行き着いたStyxの「Babe」を耳にして、音楽心に火が点いた僕は、iTunesにお気に入りの音楽を集積することに決めた。

ところが、音楽に関して相当な雑食のため、いきなりちょっと気が遠くなった。時代もジャンルもあまり関係なく、アーチスト名や曲名が頭に次々と浮かんでくるのだ。すべて揃えるのはきっと大変だからと、プライオリティを付けようとするのだが、優劣を付け難い。とりあえず、初めて「つたや」の会員になってレンタルからスタートすることにした。

そんなこんなで、iTunesへの集積、1500曲突破。Nanoでは厳しくなってきたので、コツコツと貯めていた「へそくり」の放出を決意!ipodClassic80Gの新古品をネットで見つけ、Kapparに決意の程をそっと伝えた。すると、「他に何もお金使わないんだから、いいよ。出してあげる」と、優しい言葉。しかし、リハビリの費用をお忘れか~、と思い、半分出してもらうことで決着。今は、パソコン用のスピーカー・システムから、日夜音楽を流し続けてくれている。

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「大切なipodの入れ物。あげようか」と、Kapparが出してきたのが、この小物入れ。エルメスだそうだ。「○○さんから貰った、私の唯一のブランド品だ~~」ということだが、○○さんのことだ、正規の価格でご購入のような気がする。いくらだったのだろう。

ユーロの変動と連動していた価格設定を連動させないことにしたので、10%近く下がるはず。との、ヨーロッパ高級ブランドの百貨店店頭価格に関する報道を目にしたのは、エルメスの小物入れがipod専用になって一週間後、昨日のことだった。苦しい説明だと思った。かつて、ピエール・カルダンが、日本人のことを「ミスター・マネー」と嘲笑していたのを思い出した。中国の成金富裕層が、日本の百貨店で買い漁る映像も思い出した。アウトレットで、販売員が「百貨店で○○万円で売っていたものですよ」と、かつて、ジュエリーの販売店のチェーンが二重価格で問題を起こした時のようなセールストークを展開していたことさえ、蘇ってきた。アウトレットの価格が本来の正常な価格なのかも‥‥、と気付き始めた消費者は数多いことだろう。

何か、音を立てて崩れつつあるぞ、という気がする‥‥。次回も、このことに触れてみたい。

しかし、Beatlesも歌っている「Baby,It’s You」。Smithのものが最高だと思うのだが、どうすれば手に入るのだろう。Champagneの「How About Us」も見当たらない。ぼんやり歌詞が浮かんでいた「It’s Too Late To Turn Back Now」は、入手できた。頑張るぞ~~~!!

*ところで、Kapparは、3時間の仮眠の後むくっと起き上がり、パソコンに向かって約6時間、黙々と仕事をしたと思うと、また入院中の父親の元へ。ブログ更新への道程は、まだ遠い‥‥。

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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すべての介護は、“心の介護”に通ず!?

5月末、20年来の友人の建築士と、僕の事務所で飲む機会を得た。3年半ぶりだった。

彼、西やんは、飲食店の設計で20代から身を立て、一時は随分と羽振りのいい時期もあったようだが、生来のお人よし、会社経営には不向きなようで、自分の会社は二度倒産。そのたびに、腕一本で再起し、仕事を続けていた。知り合ったのは、二度目の倒産から立ち上がった直後くらいだったと思う。人の紹介を受け、いきなり現地調査に同行してもらい、そのまま午後2時頃から深夜まで痛飲した。お互いの甘さがお互いに気に入ったのであろう、一気に仲良くなり、年に数回だが、会うと実に楽しく、ほっとさせられる関係が続いてきた。仕事も何度か一緒にやった。それもまた、楽しかった。

そんな彼から、下咽喉癌になったとの連絡があったのは、僕が初台リハビリテーション病院を退院して約1ヵ月後のことだった。多少大変なことくらいで暗い顔するのは止めような、と言い合っていた彼、「命には別状ないみたいだし、切り取っちゃえば大丈夫みたいだから‥‥」と声は明るかった。そして、手術。無事、成功した。

だが、それから半年、なんとか声を失わないようにと続けていた放射線治療の甲斐なく二度目の手術。声帯を切除することになってしまった。ポツンポツンとメールでやってくる近況報告に時には心配が募ったが、西やんの置かれている状況が見えないため、こちらからメールや電話をするのもためらわれ、共通の友人に情報収集を依頼していた。そしてさらに半年が過ぎ去った頃、「もう、メールはどんどんしてくれていいよ」というメールが入った。それからは、以前のような冗談のやり取りを、もどかしくメールでしていた。最後は、「飲もうぜ」「俺は、飲んでるもんね~~」「朝まで飲んだじょ~~」と締めくくっているうちに、早く一緒に飲もうよ、ということになったのだった。

彼は、元気に現れた。彼のリクエスト“すき焼き”も勢いよく平らげた。嚥下しにくいので、以前よりもうんと噛むようになっていたことが、むしろ健康を得たかのような印象を与えるほどだった。飲むほどに、筆談も饒舌になっていった。機械で話す訓練の説明を受けたが、微かに声も聞き取れるし、平仮名を多用する筆談も慣れてくるとスムーズなので、思わず「今のままでもいいよ」と言ったほどだった。ただ、「喋れないから、今のうちだ~~」と、あれこれからかうと「ば、馬鹿!」と、いつものように言いたくてもどかしげだった。しかし、その顔は楽しそうだった。

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Kapparを間に挟んで、記念写真を、ということになったら、昨秋18年ぶりに再会した美恵子はんが「私も!」と手を重ねてきた。結果として、僕は女傑二人に挟まれることになった。

再会を期して深夜12時頃に帰って行った西やんを送った後、僕の心は、しこたま飲んだ焼酎のせいではなく、温かくなっていた。子供たちも一人立ちし、働きながら温かい介護を続けている奥さんのお陰もあって、こんなにストレスのない西やんの顔を見るのは、久しぶりだったからだ。

身体は痩せても、心がやせ細ってなければ、大丈夫!声を失っても、友人を失う訳ではないから、大丈夫!

ところで、お父さんに「いのちのスープ」を運んでいたKapparは、週1~2回、うつ気味と落ち込んでいるお母さんのために、小田原の実家通いも始めている。朝5時に起きて少し仕事をし、小田原に行ってから事務所に出て‥‥、といった過酷な日々だ。

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心の介護が必要なのは、今は彼女の方かも知れない。心がやせ細り、気持ちが折れてしまわないようにしてあげなければいけない。‥‥ということで、買い物と料理をちょっとだけだが、今までよりも頑張ることにしている。なかなか‥‥ではあるが。

*Kapparのブログでの、「いのちのスープ」のレシピ紹介は、そんな訳でまだできていま せん。6月末頃かな?

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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百貨店は、生き残れるか?!

「それでも、百貨店はずっと存在しているから、何か存在価値があるんじゃない?」。そう問いかけられたことが数回ある。

百貨店との取引条件(ファッションの場合)は、一部の力のあるメーカー、ブランドを除き、掛け率50%(販売価格の半額での納品)、消化仕入れ、店員の派遣、経費の分担、‥‥と、どんどん厳しいものになっている。どこで落ち着くのかさえまだわからないほどである。年々歳々落ちていく売り上げを取引条件でカバーしていこうとするこの姿勢は、メーカー、生産者を疲弊させるばかりか、顧客のメリットをも奪い続けてきている。‥‥それでも、百貨店は消えないではないか、という疑問である。

僕は、「立地だけじゃないかなあ」と答えている。百貨店は、残念ながら「駅から多少離れていてもわざわざ行く所」ではなくなっている。デパ地下も駅から地下道を通じて直接入店できるメリットに支えられているのであり、“百貨店の”食品売り場ということは、それほど大きな意味を持っているとは思えない。

今や、百貨店にわざわざ行く理由は、ほとんど見出せないと言っても過言ではないだろう。三越と提携、東急などに人材を送り込んでいる伊勢丹も、新宿という巨大ターミナルと地下道でつながっているからこそ、なんとか百貨店の面子を保てているに過ぎない、と僕は思う。新宿以外では、伊勢丹も百貨店という業態を成功させることができていないことが、その証拠である。伊勢丹がそれでも利益を生み出せている理由は、海外で定評はあるものの、日本ではまだ正式販売に至っていないブランドや商品をいち早く販売している、その情報力にある。パイオニア・メリットを享受しているのである。だから、パイオニア・メリットが希薄になると、また新しいブランド・商品を見つけていかなくてはならない。伊勢丹はMDにおいてフロントランナーでいつづけることによって、やっと伊勢丹でいられるのである。老舗であり、優良固定客の存在が多いことに胡坐を掻いている間に、すべてが古臭く、かつ固化してしまった三越が、その情報力を欲しがる気持ちはよくわかる。が、新宿でできたこと、あるいは新宿だからこそできたことが、他のエリアでもできるのだろうか。何しろ、百貨店の存在は、もはや立地に依存している状況だ。立地特性すなわち来街者特性、居住者特性、乗降客特性に適合するか否かは、別問題のように思えなくもない。

ただ、伊勢丹のノウハウが敷衍できるかどうかが、百貨店生き残りの大きなポイントの一つになることは、間違いないような気はする。2~3年、観察してみたい。

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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介護というコミュニケーション②

野坂昭如氏は、2003年、脳梗塞発症。一時昏睡状態に陥ったものの、幸いにして一命は取り留めたが、舌を巻き込んでしまうために、喋るどころか食事もままならないという後遺症に苦労されたようだ。“婦人公論”(本ではなく、雑誌になっていたことを初めて知った。ちょっとだけ驚いた。公論という概念さえ求められなくなっているのだろう‥)に掲載されている近況と思われる写真では、野坂氏、両手でダンベルを持ち上げてみせている。夫人の介護の成果が充分に窺える、穏やかな笑顔だ。

近年、脳卒中から復帰、という著名人を散見するが、それが症状の重さによって可能であったり不可能であったりすることは、意外と語られていない。復帰を美談として扱おうとするあまり、復帰のための条件が「リハビリのみにあらず」という側面は、無視されているかのようだ。病気を体験すると、社会復帰がたやすいことではないことを実感させられる。もちろん、幸いにして症状が軽かった人、あるいは手当ての早かった人は、きちんと指導を受け、辛抱強く(特に、初期の段階が重要のようだ)リハビリに励めば、社会復帰は充分に可能だ。治療方法やリハビリのノウハウも日進月歩の状況なので、脳卒中=寝たきり、的イメージは払拭すべきであろう。ただ、多くの人が、約束されない希望に向かって、地道なリハビリに取り組みながら暮らしていることを忘れてはならない、と思う。社会から隔離され、忘れられたかのような存在となっていく人は、おそらく数多いと思われるからだ。

初台リハビリテーション病院は、「集団合同合宿所」だと、僕は思う。個別指導に進む一歩前、個別指導を受けるに足る基礎を、みんなで身に付ける、まさに合宿所。一緒に同じ階段を上っていく環境だからこそ、お互い語り合い、励ましあうこともできる。あっという間に駆け上がり、社会復帰していく人もいるが、大多数の人は、前進後退を繰り返しながら、なんとか基礎を身に付け、退院へと漕ぎ着ける。病院にも都合があり、ベッドが空くのを待っている人も数多いので、背中を押されている感があるのは否めないが、それでも基礎は身に付けさせてくれるのだから、「集団合宿所」としては、環境も含め、レベルが高いと思う。

問題はむしろ、退院後、なのである。

退院は、集団生活からの離脱を意味する。リハビリを仕事とだけにもしていられない。病院のシステムの中に組み込まれていた“暮らし”というものとも、向き合っていくことになる。便利で快適だったことの一つひとつに手間と時間がかかったり不可能であることに、否応なしに気付かされる。そして、その一つひとつが同居人の負担になっていくのである。それが、介護というものである。着替えを手伝う、移動時に支える、といった肉体的な介添えのみをイメージしがちだが、そうではない。暮らし全般にわたって一手間二手間増えていく負担、それが介護の実態である。それは、場合によっては収入減をカバーする活動にまで及ぶ。それもまた介護活動の一つなのだ。と、僕は思う。

そして何より、人と人として、改めてしっかりと向き合った暮らしになる。ならざるをえない。効率よく、負担少なく、かつ行き届いた介護。すなわち、要介護の人間と健常者の同居生活を生活らしくしていくためには、向き合いながら、心の襞まで理解しあっていかなくてはいけない。留められないカフスを留めて貰う指先の動き一つに表われる感情の変化に気付かなくてはならないし、ストレッチを手伝う時の眉間に表われる身体の状況変化がわからなくてはならない。しかし、それは緊張し神経を張り詰めていなくてはならない、ということではない。緊張は、必ず切れてしまうものである。

「必要とする存在」と相手を相互で認識し、「必要とされている」と自覚しあうこと。すなわち、コミュニケーションが重要なのだと思う。コミュニケーションとは、本来相互の存在認識・存在理解のために行われるもの。介護も、その一環だと言ってしまうと、お気楽すぎるだろうか。

野坂昭如氏夫婦の介護のお話には、さりげなくも深いコミュニケーションが感じられる。ほほえましい。同じ病気を患った者として、心強い。そして、どんな状況になろうとも、問われるのは自分自身の存在だと改めて思わされる。‥‥頑張ってるぞ~~!的介護の話よりも、身近で温かい。

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初台リハビリテーション病院1階の喫茶店。歯医者に行った帰りに、1年半ぶりに珈琲を飲んだ。ここで交わした様々な会話が、茫洋と頭を横切った。神妙な気持ちになった。

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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介護というコミュニケーション①

先週、5月最終週前半、「“婦人公論”の中吊りに、“夫野坂昭如は、今が一番ハンサムかも”という記事が出てたよ~」と、Kapparが帰ってくるなり、にこにこ。野坂昭如氏は、僕の好きな作家の一人である上に、初台リハビリテーション病院2階のリハビリテーション・ルームでよくお見かけしたので、勝手に親近感を抱いている方だ。ヘルパーと思しき若い女性に付き添われ、壁際で静かに佇んでおられたのを印象深く記憶している。野坂夫人による一稿は、そのタイトルからして、慈愛に満ちている。「その婦人公論、買ってきてもらえる?」と、早速お願いした。が、事務所への行き帰りにある本屋やコンビにでは、婦人公論は入手できない。次の一緒のお手掛けの際、大型書店に立ち寄ってみることにした。

その機会は、6月1日に訪れた。Kapparのお父さんのお見舞いに同行することにしたのだ。

長年の労働(八百屋さん)に酷使されたお父さんの膝の関節が悲鳴を上げるようになって10年以上。2~3年前から人工関節にとKapparが様々な手配をしてきた結果、小田急伊勢原の東海大学病院でやっと手術の運びとなり、全身麻酔の手術も無事終わって約一週間になる。

Kapparのご両親は、二人とも脳梗塞を経験。幸いにして、いずれも後遺症は軽いものだったが、ご高齢とあって、家事が思うに任せないことなどに時として鬱状態に陥ってしまうお母さんと、仕事を止めたことや満足に歩けないことなどから、意識が不確かな時がたまに見受けられるようになってきているお父さんを気遣い、Kapparは、2年前の1.5倍になった(にした)仕事の合間を縫うように、週に一度は、小田原の実家を訪れていた。そこに、術後のお父さんの全身麻酔から覚め切らない意識と食欲不振だ。Kapparは、週3回のお見舞いを決めていた。

僕は、少しでもKapparの負担を軽減しようと、退院直後に決めた毎朝のモーニング・珈琲に、時々だった掃除と台所の洗い物を、僕の日常の役割に加えた。大きな負担軽減にはならないものの、心理的支援程度にはなるだろう、との思いだ。一緒に伊勢原までお見舞いに行くというのも、心理的支援の一環のようなものだ。僕に何ができるわけでもない。

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前日夜、「自分たちのためにあれこれ作っていると、何かしてあげなくちゃいけないという気がしてくるよね」と、Kapparは、食欲不振のお父さんにとスープを作り始めていた。持参したパジャマや下着を片付け、少し意識が戻りつつあるように見えるお父さんの口に、Kapparが優しく声を掛けながら、その冷製スープを運ぶ。素直にスプーン一杯を飲み干したお父さんの口が、次を求めてすぐに開く。次々と開く。「いのちのスープ」だ。やがてそれは、まるで親子の慈しみに満ちたコミュニケーションのように見えてきた。僕は、そっとベッドサイドを離れた。

*「いのちのスープ」‥‥料理家辰巳芳子さんが、食べ物が喉を通らなくなったお父さんのために「生きるための滋養をすべてスープで!」と様々に工夫を重ねたスープの数々。小児病棟で重病と闘う子供たちに飲ませてあげる、といったボランティア活動も、辰巳さんはされているようだ。鎌倉のご自宅で週に一度開かれる「スープの会」には、多くの人が集まる。

*Kapparの、その日の「いのちのスープ」‥‥じゃが芋、ブロッコリー、キャベツ、コンソメ、牛乳に塩、こしょう。その夜の献立の一つ「豚ばら肉と大根のスープ」も少々加えてある。冷蔵庫にあるもの、自分たちのための献立を活用し、次々と作っては、お父さんの口へ、身体へと運ぶつもりらしいので、Kapparのブログに、やがてシリーズで掲載される‥‥はず。

2時間後、買い物を終えて、三省堂でやっと「婦人公論」を入手。野坂昭如氏と夫人の、介護を通じたコミュニケーションに触れた。

                               ‥‥つづく

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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