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初めて新幹線に乗った日

僕が初めて新幹線に乗ったのは、1970年、二十歳の夏のことだった。学生運動に対抗するため、大学がロックアウト。全学休講となったため、これはいいやとばかりに、東京にいる高校の同級生たちを訪ねることにした。どうも小田急線という私鉄の沿線に数名が住んでいるらしいという情報を入手していた僕は、順に泊まり歩けば、一ヶ月近くは滞在できると踏んでいた。

大学入学前から始めていた中華料理店の住み込みを円満に辞め、部屋を引き払い、6畳7000円という学生アパートに転居した直後、残っていた大金3万円を握り締めて、京都駅に向かった。当時流行っていた、折り畳みビニールバッグ一つ、中には、下着1枚、本1冊だけだった。半袖のサマーニットを素肌に、ジーンズ、バックベルトのサンダルといういでたちだったと思う。お金の節約のために、京都駅までは徒歩。暑さを避け、深夜にタバコ片手に歩いた。駅の構内でゆっくり寝よう、という計画。というより、とにかく行けばなんとかなるという考え。そんな脳天気ぶりが風情に見えたのか、職質を2回も受け、何もない!と言っているのに、ビニールバッグを2度とも開けられ、丁寧に下着も広げられた。

京都は小さな街。僕の部屋の近く、北の端の大通り北山通りから京都駅まで、4km程度か。しかし、障害物は数多い。その一つ、三条大橋の下に犬と住んでいる知り合いに立ち寄り、ついつい飲んでしまい、京都駅に着いた頃には、すっかり明るくなっていた。しばらくベンチで仮眠を取りお昼には出発しようと思ったが、適度な空調が心地よかったのか、目覚めるともう午後3時を回っていた。

急ぐ旅でもなく、初めての新幹線ということもあって、各駅停車のこだまを選んだ。富士山は暗くて見えないだろうと、自由席の海側の窓辺の席に座った。新幹線は、外観も車内も僕の頭にあるイメージよりくすんでいた。驚きも感慨もなかった。興味はむしろ乗客の方に向かった。しかし、それもすぐにくすんだ。当たり前だが、普通の人たちばかりだった。特別な乗り物とのイメージが残存している僕自身に、改めて田舎を感じただけだった。

夜7時過ぎ、新横浜を通過。港が見えるだろう、と背伸びをしてみた。山あいの殺風景な駅にがっかりした。周囲に対する羞恥心に背伸びを延長し、網棚に上げておいた小さなビニールバッグを下ろした。下車の準備である。地図では、横浜と東京は隣接している。乗客も減ったとはいえ、まだ相当数いる。出口は混雑するに違いない。

と、隣席の女性が声を掛けてきた。「東京は、まだまだですよ」。「え?そ、そうですか」。赤面していくのがわかった。僕は、乙女のようにバッグを胸に、もう一度腰を下ろした。そのご親切な40代と思しき女性の声が車内に響き渡ったような気がした。そして、じっと窓外の一点を見つめながら、東京に着くのを待った。確かに、想像したよりも横浜東京間は、時間がかかった。

ついに、東京が見えてきた。‥‥と、思った。腰を上げた。しかし、まだだった。また腰を下ろした。情けなくなってきていた。アナウンスまで待ち、列車が止まってから立ち上がることにした。最初からそうすればよかった、と思った。

そして、やっと降りることになった。僕は、今度は焦ってはならじと、隣の女性が席を立つのを待った。ゆっくりとご親切な女性は立ち上がった。くるりと振り向いた。またもご親切な一言をかけながら。「もっと向こうまで、東京ですからね」。

大東京の入り口に着いた僕の足は、ホームでよろめいた。

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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