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CI療法を受ける資格

リハビリというものは、本来自らが自らのために行うものである。わかってはいるつもりだが、人(特に、僕)の意志は、さほど強くはない。強制されたり、励まされたりしながらでないと、継続は覚束ないようだ。ましてや、脳卒中の場合は、脳からの指令が途絶えている場所を動かす必要が出てくる。「さ、ここでお尻の筋肉に力を入れて~~!」などと、セラピストに言われたりもする。「自分で動かせたら、こんなことしてるかよ~~!」と声を荒げたいこともある。膝のコントロールができずフラフラするのを「ここで、止められないかなあ」と、不満そうに言われた時は、「僕には、それができないんだなあ」と山下清の口調で洩らしたこともある。

しかし、長嶋茂雄さんの言葉のとおりである。「リハビリは、嘘をつかない」。やらなければ何も起きず、やれば何かが起きる。それがたとえほんのわずかなことであっても、起きることは疑うべくもない。それをつまむように大切にし、それができるようになった腕や足をいとおしんでいくことだと思う。‥‥。自分に言い聞かせているんですけどね。

最初は、だからこそ強制も必要になる。初台リハビリテーション病院は、リハビリを、日々強制してでもやらせようという病院だが、強制を忌み嫌うものではないものに思わせてくれる環境によって、“強制されている感”をとても軽くしてくれていることが、特筆すべき特長だと思う。それは費用を払うに値する価値あることだと思う。そして、ある種日本的だと思う。

一方、CI療法は、僕の少ない知識では言い過ぎになるかもしれないが、知った時、西洋的な療法に思えた。大きなストレスが生まれそうなことに敢えて立ち向かっていかなければ、大きな可能性はつかめない、といった考え方には、どうも僕は馴染めないとも思った。で、以前本ブログで書いたように、ゆるゆるのんびりの道を選んでいる自分を“一人CI療法”などと称して、是認することにした。ただ、少し後ろめたかった。

ところが、いい正当化できる理由(根拠)を見つけた。これで後ろめたさからは、開放されることだろう。それは、診察の折、お医者さんから聞いた“CI療法を受ける資格”の話である。

“CI療法を受ける資格”とは、マヒが残る側の腕を前にまっすぐ上げて水平にし、手首を90度上に曲げることができることらしい。正面から来る人に「ちょっと待って!」とか「ストップ!」と言う時のポーズとでも喩えればいいだろうか。そんなことができたら、僕はもっといろんなことができるだろう、とうれしくなってしまうほど難易度の高いポーズだ。

「なあんだ、参加できるのは、使える腕を緊縛されても大きなストレスを感じずに済むレベルの人たちなんだ」。そう思うと、後ろめたさも、西洋的だなあという誤解も消えた。

僕は、ゆるゆるのんびり、Kapparに見守られながら、やっていくのだ。‥‥あまり、胸を張って宣言することでもないですが‥‥。

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

60sFACTORY活動日記は、こちら。

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