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家族>個人の、昭和の家族

進学に関して、同級生にこんなケースもあった。

農家の息子の場合、家庭にキャッシュフローが乏しいのが大きな問題になることが多い。農協がこと細かく面倒を見るようになるまでは、現金が必要となると、農家は大変だった。「一家に一人は欲しい、給料取り」というのが、合言葉のような時代。中学や高校を卒業した娘が給料をもらうようになることが、農家にとっていかに大きな意味を持ったか。当時の農家の暮らしを知る人も少なくなりつつある。

そんな普通の農家の息子にとって、受験・進学は、現金を必要とするということが大きな問題だった。生きていく、すなわち食べるということにおいてはいかに豊かであっても、貨幣なしにはなんとも不自由な時代に突入していることを、彼らは思い知らされるのだった。

ある同級生は、両親が農業の合間に作った時間で得た現金(祖父も、頑張った)が、進学を可能にしてくれた。彼は、そんな家族の姿を目の当たりにし、近代的な農業のあり方を探ろうと、農学部への進学を決めた。両親の強い反対を受けたが、彼の強い意志は変わらなかった。僕は、「えらい!頑張れ!いいことだ!」と、心から応援したのを覚えている。彼は、鳥取大学の農学部へと進学していった。きっと、すばらしい農業研究者になっていることだろう。

またある同級生は、悩んだ末に、両親の前で土下座した。「お願いします!田圃を、売ってください!」。そう懇願した。両親は、「わかった、わかった。大丈夫」。にこやかにそう言って、本当に田圃の一部を売ってくれた。彼は、そのお金で進学できた。

ある同級生の悩みは、むしろ弟妹のことだった。彼の進学は、弟妹の高校進学を不可能にする。むしろ、お金はもっと必要だったのだ。高校2年生の時からずっと悩みを抱えたまま、真面目に勉強に取り組む彼の姿に、どんな解決策があるのか、他人事とはいえ、気になって仕方なかった。3年生の春、突然ぽっこりと抜けたような笑顔の彼が僕の前に現れた。「防衛大学に行くよ」。そう言って、晴れ晴れと微笑んだ。なんだかもったいないような気がした。すると、その気持を察したのか「大学生でも給料が出るんだって、防衛大学は。仕送りできるんじゃけえ、僕にぴったりじゃあ」と、誇らしげに説明してくれた。知らなかった。彼は、大阪大学も受け、両方合格して見せ、防衛大学へと進学した。

40代、実にきちんとした立派な防衛官(幹部)になって、彼は僕の事務所にやってきた。奥さんは保険の仕事をバリバリこなす明るい人だった。少年時代、彼の心の隅にわだかまり続けていたことを解決できるエネルギーを持った人だった。

高度経済成長が、田舎の暮らしの根本さえ変えていく直前、昭和40年代前半のことである。

60sFACTORYプロデューサーKAKKY(柿本)

60sFACTORY活動日記は、こちら。

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