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駄菓子屋のおばあちゃん

Kakkyの、昭和事件簿。

古本屋は、おじいちゃん。駄菓子屋は、おばあちゃん。田舎の町にも必ずあった、二つの子どもたちの行きつけの店は、店番の人が決まっていた。古本屋でおばあちゃんに会ったことはなく、駄菓子屋でおじいちゃんから買ったことも、僕はない。

●駄菓子屋のおばあちゃん(の指先)事件

小学校5年生。島根県益田市鎌手小学校に通っていた時代。お袋の実家は、広大な敷地に建つ、築100年以上にはなるというお屋敷。その横に貼りつくように建っていた離れで、僕たち家族三人は、鶏数羽と暮らしていた。山陰本線の線路まで続く家の脇の小道を逆に歩くと国道9号線。出た角に、駄菓子屋があった。冬は水仙、夏はさざえ、とちょっと小遣いを稼いだりしながら、ほぼ毎日僕は、その駄菓子屋に通っていた。

たまにトラックが通ると、舗装されていない国道からは土埃が立ち上り、駄菓子屋の中にも舞い込んだ。木枠に板ガラスを嵌め込んだケースとアルミの蓋付きのガラスのボックスが並んだ店内の奥に、平然とおばあちゃんはいた。

夏の日だった。バスの土埃が治まるのを待って、声を掛けた。「こんにちは~~~!」。「はぁ~い」。少しだけ腰の曲がったおばあちゃんが、上目遣いで微笑みかけてくる。「五厘玉くださ~い」。一個五円の大粒の飴玉のことを、なぜか僕たちは“五厘玉”と教えられていた。昔は、五厘で売られていたのだろうか。アルミの蓋付きのガラスボックスは、その大きな飴玉や煎餅のためのものだった。

「どれがいい?」。おばあちゃんがボックスを指差す。「え~と、その青いの~」と、僕。蓋を開けて一個つまむおばあちゃん。「あ!ごめん。赤いのにして!」と、変更。「こっちのかね」。と言いつつ、嫌な顔一つせずに青い飴玉を元に戻すおばあちゃん。

そして、‥‥。僕は目を疑った。‥‥。おばあちゃんは、赤い飴玉の入ったボックスの蓋を開けると、右手の親指と人差し指を交互に丁寧に舐めて、一個つまみ出したのだ。店内にぶら下げてある新聞紙の切れ端をひょいと破りとって、その上に赤い五厘玉を乗せて「はい」と差し出されても、すぐには受け取れなかった。心なしか、赤い五厘玉は、新聞紙に粘りついてるように見えた。僕は急いで持ち帰り、洗ってから口にした。

それから以降、僕が観察している限り、おばあちゃんはいつも指先を舐めてから飴を取り出し、新聞紙に置いた後もきれいに2本の指先を舐めていた。不思議なことに、僕はいつの間にか、洗わずに食べるようになっていた。

60sFACTORYプロデューサーKakky(柿本)

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