« 昭和の家族と進学 | トップページ | 家族>個人の、昭和の家族 »

昭和の家族と進学-②

「学費なんか、自分で稼げばいい!」。そう言い切ってみたものの、田舎の町に高校生がバイトをする場所など皆無だ。バス会社の奨学生制度を利用し、登下校の際、車掌として働くなどというのはあるが、喫茶店も数件しかなく、外食店も数えるほど。おまけに、バイトどころか喫茶店に行くこと自体、60年代の田舎の高校の校則では禁止。坊主頭をなんとか隠し、店内の片隅で慣れない珈琲の苦味を大人の味とばかりに噛み締めているところを見つかり、停学一週間の処分を受けた同級生がいるくらいだ。

「家庭教師やればいいんじゃない?!」。何も思いつかず、僕は苦し紛れにそう言った。Y君、意外だったらしく「え?誰の?どこで?」と、反応。しかし、その言葉のために、思いつきは現実味を帯びてしまった。「見つかったら停学じゃのお」と、Y君腕を組む。それ以前に、家庭教師の口があるのか、僕は妙に自分の吐いた言葉に責任を感じ始めていた。そして遂には“えいや!”の気分。「俺が、見つけてやるよ。停学が怖いんなら、俺も家庭教師やるから。二人ならええか?」。宣言してしまった。

それからどうしたのか、家庭教師の口をどうして見つけたのか、夢中だったのだろう、覚えていない。ただ、いつの間にか中学生の家庭教師にY君は収まっていた。学費の捻出程度はできたようだった。

30代中盤、バブル直前、突然同級生から電話があった。僕は、マーケティング&広告制作の会社“オフィス・フライデイ”(毎日が金曜日の気分で過ごしたい、という意味)を始めて数年になっていた。「Y君が東京に来てるから、今夜飲もうぜ」というお誘い。もちろん、OKだ。

池袋のサントリー・パブで会った。Y君は、めでたく広島大学に合格した後、卒業して都市銀行に就職。その時は、中部地方のとある都市の支店長になったばかりだった。思い出話に花が咲いた。「進学諦めなくて、よかったよ」と感謝された。しかし、一点、気に入らないことがあるようだった。ずっと言いたかったことのようだった。「何だよ~~」。お酒と感謝の言葉に少々酔っていた僕は、Y君の肩を叩いた。

「お前結局、一緒にやると言いながら、家庭教師やらなかったよな」。含み笑いのY君は、一緒に飲んでいた同級生たちにもわかるようにゆっくり言い、僕の肩を叩いた。「あっ!」と小さく叫びそうだった。すっかり忘れていた。「お前に譲ったんじゃなかった?」と咄嗟の嘘で切り抜けようとしたら思い出した。

僕の親父は、他の高校の教師をしていて、しかも補導係。家庭教師をしようとしているのに気付かれ、こう言って脅され、止めさせられたのだった。「校則違反をしてお前が停学になったら、俺は退職する!」。

そのことは言えなかった。「停学になったらやばいしな」とは言った。Y君は「そうか、そうか。俺だけが危険な思いをしていたんだ」と笑った。

大切なことが記憶から欠落することもあるもんだなあ、と実感した夜だった。

60sFACTORYプロデューサーKAKKY(柿本)

60sFACTORY活動日記は、こちら。

|

« 昭和の家族と進学 | トップページ | 家族>個人の、昭和の家族 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/207308/10176720

この記事へのトラックバック一覧です: 昭和の家族と進学-②:

« 昭和の家族と進学 | トップページ | 家族>個人の、昭和の家族 »