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Kakkyの昭和おもしろ事件簿

僕(Kakky)は、田舎者である。島根県という、日本で一番場所がわかりにくい県(ハナワ、がばいばあちゃん以前は、佐賀県の後塵を拝していたのに‥‥)で生まれ育ち、京都、東京と上ってきた、お上りさんである。だから、「初めて」をたくさん経験してきた。

昭和が注目されているのは、昭和という田舎(時空を越えた、それぞれの心の故郷)への郷愁であろう。具体的に場所として田舎を持っている田舎者にとっては、昭和は郷愁だけでは語れない、ちょっと痛い思い出もある時代。ただ、さすがに時間が経つと、痛みは薄れ、妙に笑いだけが残る。

そんな僕(Kakky)の「昭和おもしろ事件簿」を、しばし綴ってみよう。

●遠足“バナナ”事件

昭和33年、小学校3年生の春のことである。島根県邑智郡沢谷の沢谷小学校という、中国山地の奥深い山間の小学校に、僕はいた。団塊世代だというのに、クラスは一つ。中学校は、分校だった。その春、遠足を前にして、ガリ版紙が配布された。PTAと協議した結果の通達だった。遠足に持参してはいけない物リストだった。貧しいのが普通の村だったが、ごくわずかの裕福な家庭の存在を気にしてのことだった。“平等”が金科玉条のように叫ばれた時代。平等は、頭を出す存在を抑えることでもたらされる、という安易な考えが、そこにはあった。

禁止になった物で、みんなが「そんな物持ってくる奴、おるんか~?」と話題にしたのが、チョコレートとバナナ。いずれも、口にした経験を思い出話で語る権利があればいい方だ、という代物。生活保護を受けながらパチンコ屋に入り浸り教え子の店員にこっそり玉を出してもらっていた親父の横で、背伸びして玉を弾き、出るとウィスキーボンボンを食べるのを楽しみにしていたことなど、とても友達に話すことはできなかった。明治の板チョコは、いつも垂涎の的。駄菓子屋の棚、子どもたちの手の届かないところで宝物のように輝いて見えた。

遠足の当日、入梅前の好天。時折、牛が草を食んでいるのを見かける小高い丘まで、にぎやかに歩いていった。「牛のうんこに気をつけて!」と注意しながら、早速お弁当。三人で車座になり、おにぎり、いなり寿司、玉子焼き、ソーセージがきれいに並んでいる弁当箱を開けた。みんな似たような内容の弁当だった。澄んだ空気。穏やかな日差し‥‥。おにぎりを一段とおいしく感じた。満足そうな顔が並んでいた。平等に、平和だった。

ところが、突然一人のおにぎりを口に運ぶ手が止まった。「誰か、ほら、向こうで、バナナ食べてる!」。上ずった声だった。車座になった三人は、一斉に一人が指差さした方向を見た。谷へと急傾斜で下っていく際の辺りに、一人佇んでいるのが見えた。少し距離がある。目を凝らすと、確かにその手にはバナナが握られている。やがて、それが口に運ばれていく。「禁止なのに!」。一人が呻く。と、三人は一斉に立ち上がっていた。奴を懲らしめよう、という連帯感が生まれていた。走り始めた。僕は、殴りかかってやろうと、こぶしを握り締めた。

全速力だった。彼がずんずん近くなった。と、ある距離で、三人の足は急激に止まった。ほとんど同時に気付いたからだった。彼が握っていたのは、沢庵だったのだ。三人とも無言で、静かに自分の弁当に戻った。やけに照れくさかった。

それから後のことは、まったく記憶にない。

60sFACTORYプロデューサーKAKKY(柿本)

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