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昭和の家族ー大雪事件

今日(1月23日)、東京に雪が降った。大都会に降る雪は、都市的なものをすべて自然の色に染めてくれる。白く染まったビル群を目にするのは悪くない。昨日、リハビリの指導を受けながら、セラピストの方と「ふがいない天気だったねえ、日曜は。久しぶりに真っ白な景色を見ることができるはずだったのにねえ」などと、いさぎよくない天気にいちゃもんをつけまくったばかりだっただけに、ちょっとばかり気分が浮き立った。お気に入りの借景を眺めに、階段をうんしょと上がり、二階のベランダへ出た。寒さに身をすくめながら、ポケットに入れて運んだデジカメのシャッターを押した。

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はす向かいの「小唄のお師匠」さんのお宅の裏庭。平屋、長い濡れ縁、雨戸、庭には梅の木‥‥。懐かしく、心の和む典型的な「日本の家」である。お師匠さん、お元気なのだろうか、残念ながら、小唄を耳にすることはない。‥‥。

記録的な豪雪が日本を襲ったのは、昭和38年だった。

中学1年生の僕は、大雪になるという予報にわくわくしながら、はらはらと降り始めた雪を掌で受け止め瞬く間に溶けていくのを確認してから、床に就いた。朝早くだった。親父の慌てる声で飛び起き、窓外の深い雪景色に驚いた。ちょっぴりにんまりとしながら玄関に向かうと、入り口の引き戸と悪戦苦闘している親父がいた。一晩で降った雪の重みで戸が開かないと言う。ガラス越しに見えるのは、雪一色。道路も見えない。道路が白い壁となって軒先近くにまで達している状況。見たこともない事態に、しばし茫然とした。

「洋一!手伝え!」。額に汗が滲んでいる親父に、なじるように言われ、急いでセーターを被り、たたきに飛び降りて手を貸したが、ぴくりとも動いてくれない。心なしか、玄関の引き戸はたわんでいる。電話がないから、助けも呼べない。閉じ込められるのかなあ。食料は大丈夫かなあ。学校は‥‥。と、馬鹿なことばかり思い浮かべながら、お袋が運んでくるお湯を桟にかけては、親父と戸を引き続けること数十分(‥に思えた‥)。ずずずっと隙間ができた。親父は、小さなショベルを持ってすり抜け、まず路上に上がるための刻みを階段状に作り、「屋根の雪、降ろさんとのお」と屋根に上がっていった。上がっていった方法は覚えていないが、しばらくすると、家のすべての窓や戸が、なんとか開くようになった。

学校は、お休み。まだそれぞれ家のことで忙しく、遊びに出てくるものもいない静かな通りに、米屋のてっちゃんの叫び声が響き渡ったのは、お昼前のことだった。

僕はその頃、小学校2年生の時にやってきたお袋と、まだどこか折り合いがつけきれずにいた。そんな僕にとって、他人の家庭は、たまに垣間見るだけのもので、強く印象に残るものではなかったが、てっちゃんの家は違った。“昭和のガキ大将”てっちゃんは、気楽に友達を家族の輪の中に入れてくれたからだ。普通の家族のやり取りを、同じ空気を吸いながら、僕は体感できた。

二つの価値観がぶつかり合い、絡み合いながら家族というものを織り成していた「昭和の家族」。‥‥僕とっての最初の典型は、てっちゃんの家族だった。

大雪の日の事件は、そんなてっちゃんの家族らしい事件だった。(本ブログで、以前にも書いたが、また触れてみたい‥‥雪の東京にちなんで‥‥)

                 -続くー

60sFACTORYプロデューサーKAKKY(柿本)

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