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番外編:「脳出血、退院一周年!」

“昭和の家族”のお話は、しばらくの間お休み。

12月8日の個人的な一周年記念のお話を‥‥。

昨年9月6日、脳出血を発症。右脳の視床に直径4センチの出血痕があるのを、ストレッチャーの上で、MRIの写真で確認して間もなく、ピタリと左半身が動かなくなった。止血剤、降圧剤、水分、養分など五本の点滴に絡みながら寝たきりで一週間を過ごした。ベッド上にやっと起き上がった時には、まずKapparと大笑い。座ったつもりが、ゆっくりころりん、左に倒れたのだ。きょとんとした目をしたままだったらしく、あ~~~っと小さく叫ぶKapparの目が不思議な光景を面白がっているのがわかった。次に笑ったのは、両の鼻の穴をピクピクと動かせて見せた(つもりの)時だった。左側が麻痺で動いていないのを、知らせるべきかどうか迷っているKapparの表情が、僕からすると、たまらなくおかしかった。左半身の麻痺は、見事に左半身!鼻の頂上からきっちりと左半分に影響が出る。左の鼻の穴が動かせるようになるのに、約一ヶ月を要した。

実は、のどちんこまで左半分が麻痺しているのを知ったのは、初台リハビリテーション病院を退院し、後日通院を始めた成城リハビリテーションクリニックでのことだった。左曲がりになっているのどちんこ、こいつは貴重だぞと、大口を開けて写真を撮ってもらった。

リハビリテーション専門の病院としては先駆者の初台リハビリテーション病院に、運良く入院できたのが10月初旬。一日数時間、休みなし、のアスリート並みのメニューを楽しんでいる間に、何とか歩行できるようになった。もちろん、左足首、左膝、股関節などがコントロールできないため杖はまだ放せないが、今は大きな不安なくヒョコタン歩きができるようになっている。ぶらりと垂れ下がったままで“肩手症候群”という、症状に大雑把な名前をつけただけの、麻痺患者に時折見られるという原因不明の痛みに苦しんでいた左肩と左腕も、右手一本の作業に少しくらいはお付き合いできるようになった。一度死んだ脳細胞は再生することがない、というのが常識。どこまで能力が獲得できるかわからないが、麻痺や痛みの不快感がない時は、自分の身体との折り合いもつくようになった。周囲の友人たち(e-poohちわわんヒヨコなど)のお陰で、酒席、宴席も楽しんでいる。さあ、後は退院の際強く心に刻んだ“こうなったら、ささやかにでも何か人のお役に立ちたい”という思いを、何を通じて実践していくか、である。

60sFACTORYは、入院前に準備していて、入院中に活動が始まったブランド。くろすさんや穂積さんには、寝たきりの時から、呂律の回らない電話や乱文乱筆のお手紙でお世話になった。僕と同じ、ヒョコタン歩きのブランドだが、ウィンスロップさん、サントップさんなどにお付き合いいただける僥倖を生かしていかなくてはならない。

ちょっと感慨深い一周年だった。‥‥しかし、早いっす~~。

次回は、Kapparの怒涛の一年と、それに対する感謝を‥‥。(曲がったのどちんこの写真も探してみましょう)

60sFACTORYプロデューサーKAKKY(柿本)

60sFACTORY活動日記は、こちら。

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