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東京オリンピック、田舎を走る!ー②

東京オリンピックの聖火リレーは、4つのルートに分けて行われた。日本を挙げての大イベントであること、日本国民一人一人のためのイベントであることを聖火リレーを通じて意識してもらおう、という目的だったのだろう、全都道府県を通過するようきめ細かく設計されていた。リレー参加者の総数は、なんと約10万人。聖火リレーそれ自体が、大イベントだった。聖火リレーが終われば、オリンピックはすべてテレビの中の出来事になっていったが、それが現実味を帯びて見える一つの大きな要因は、聖火リレー体験に違いなかった。

山陰を通るルートは、国道9号線をひた走る、僕の田舎を突き抜けるものだった。大人たちは、つつがなく聖火を通過させるべく、それぞれの立場で働いた。織物を編みこむように見事に連係し機能が重なり、一本の太くて安全な綱を作り上げていくようだった。その一端には、子どもたちも織り込まれ、役割がきちんと担わされた。島根県益田市立横田中学校でも、全校集会での説明や、担任からの注意事項伝達などが丁寧に行われた。

伴走者の一人に選ばれていた僕は、「たかが火なのに、大げさだなあ」と思っていた。近所の人や同級生が沿道にずらりと並んでいる中を走る恥ずかしさと、ただぞろぞろと付いて走る無意味さに、途中で聖火が消えてしまい計画が変更になることを密かに願ったりしていた。

しかし、その日はきちんとやってきた。僕は、大した距離でもない(正確な距離は残念ながら覚えていない)のに準備運動をさせられながら随分と待ち、ちょっとだけの本番を終えた。どうせなら、全校生徒で走ればいいのに、と走りながら思った。東京に無事につないでいくために、町中ほとんど総出でやっていることに奥深いエネルギーと生真面目さを感じつつも、それが自分たちに残すものが何もないような気がして虚しかった。走り終わると、急激にばかばかしさが足元から全身を浸していくようだった。

「ちゃんと勉強すれば、どんなこともできるようになるし、どんな人間にもなれるんだよ」といった類の親の台詞に噛み付くようになったのは、その頃からのような気がする。「東京には行きたくない」と言い始めたのは、間違いなく聖火リレーの後からだった。

60sFACTORYプロデューサーKAKKY(柿本)

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