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昭和のガキ大将、テッチャンとの4年間ー①

テッチャンのこだわり

テッチャンの本名は、哲志である。なかなか趣のある名前だが、中学2年生くらいになると「名付け親は、お父さんじゃないな」と、僕は疑い始めていた。テッチャンの家は、米屋さん。専用の袋を持たされお米を買いにいくと、テッチャンのお父さんは、必ず店先にいて威勢良く迎えてくれた。お父さんは、店に入ってすぐ右手、精米されたお米が入れてある内側がトタン張りの大きなの箱の脇に立っているか、少し奥に設置された大きな精米機を操作していた。「米ください」と言うと、「ほい」とか「いつもくらいかな?」と言いながら、大きな箱の中にいつも刺すように置いてある一升枡に米を入れ始めた。枡の上にはみ出た米をスリコギのような棒でそぎ落としては、僕が広げている袋に注ぎ込んでくれる。重みの増す袋の口が狭まらないようにしながら交わす無駄話が、僕は好きだった。商売の知恵、苦労、楽しみを垣間見るような話ばかりだった。「米屋の儲けは少のうてねえ。ちょっとしたことが大切なんじゃが、ほれ、こういう風に枡に親指を入れてるじゃろう。この分や、ほら、こうやって米をそぎ落とす時に先っちょを少しだけ斜めにして多くそぎ落とす。これだけの分が積もり積もって儲けになるようなもんでのう」と、商売の奥義を教えてくれるのはいいのだが、そのまま袋に入れられる僕は複雑で、幾分損した気分で帰ったりするのだった。テッチャンは、お父さんによく怒鳴りつけられていたが、言い返す場面はほとんど見たことがなかった。「テエ坊!」。その時の呼び方は、他の友人たちと同じだった。ほとんどの子どもが、お互いに「○○坊」と呼び合っていた。「よ○○○」という名前だと「ヨン坊」となる。「ヤン坊マー坊」のヤン坊のようなものである。同級生で同じ遊び仲間に「ヨン坊」が二人いて、識別するために、本人を呼ぶ時以外は、「田中のヨン坊」「三浦のヨン坊」と苗字を付けていた。面倒なのになあ、と不思議だった。

テッチャンは、どうも「テエ坊」と呼ばれるのが好きではなかったようだ。最初は苗字で呼んでいた僕が、周りに合わせて「テエ坊」と呼んでみた時、テッチャンはすぐに僕のそばにやってきて耳打ちした。「テッチャンと呼んでくれる?」。「わかったよ」と答えて、僕はテッチャンと呼び続けたが、最後までそう呼んでいたのは僕だけだった。時々テッチャンのささやかなプロモーションが功を奏し、3~4人がテッチャンと呼んでいる時期もあったが、定着はしなかった。テッチャンのこだわりは、満たされることはなかったのである。

「哲学を志す」。テッチャンの本名をそう呼んでいた僕は、「確かに、テエ坊じゃなあ」と思い、「テエ坊!」と大声で呼んで憚らないお父さんは、テッチャンの名前の持つ意味や意義に愛着がないと考え始めた次第である。テッチャンがどう思っていたのか、それは定かではない。

60sFACTORYプロデューサーKAKKY(柿本)

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