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’59年、60年代の怒涛のアメリカ文化流入の予感

59年頃、山陰の片隅に生息する小学5年生に、アメリカに対する興味などありようもなかった。お袋の鼻歌には「日本の乃木さんが‥‥」といった、日露戦争勝利の際に創られたと思しき“わらべ歌”が混ざり、ラジオでよく聴く番組は古典落語、チューニングをすることもほとんどないので、FENに出くわすこともなかった。しかし、なぜか身辺にざわざわと押し寄せてくるものがある予感はしていた。少年の、成長過程にありがちな理由なき高揚感だったのかもしれないが、親にとっても“初めて”が身の周りに多く出現していたことが、大きな要因だったことは間違いない。象徴的な笑い話があった。

ある春の夕暮れ、だったと思う、庭の大きな柿の木のたもと辺りで、できたばかりの友達と遊んでいた時のことだ。お袋が、玄関から走り出てきた。ややにこやかな中にも驚きを含んだ表情だった。僕は、地面に何か書いていたのだが、ただならないことのような風情に立ち上がった。友達も一緒に腰を上げた。「洋ちゃん。‥‥‥‥」。聞き取れない。「何~?」との僕の大声に小走りで近づき、荒れた息を整える時間も惜しむように、充分近づいたのに、お袋は大きな声を上げた。「絵の出るラジオがあるんだって!」。僕は、耳を疑った。友達の目を塞ぎたい衝動に駆られた。お袋が突然、見えないくらい小さくなってくれないかなあ、とも思った。でも、「それは、テレビって言うんだよ」とは言えず、「へえ~~」と、驚いてみせた。山陰本線の線路を挟んだ反対側、小高い所にあるお宅にテレビが入った、という情報が、誰かから間違った呼称で伝えられたものだった。

それは、やがてすぐにやって来る“アメリカン・グラフィティ”な時代の予兆のような事件だった。もちろん、その後「絵の出るラジオ」についてお袋と言葉を交わすことは一度もなかった。

60sFACTORYプロデューサーKAKKY(柿本)

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