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米屋のテッチャン

島根県益田市横田町から中国山地へと深く入っていくと、匹見町という小さな町がある。今は過疎で悩む町となっているが、匹見峡という絶景があり、雪解け水がせせらぎとなって集まる匹見川の源流では良質の山葵が育つため、少しは見直されつつあるようだ。

僕の家は、農村を通る幹線道路と匹見方面へと向かう道路がつながっているポイント「匹見口」の近く、100戸は集積している集落にあった。すぐ横を流れる匹見川と中国山地との間、農地と堤防と道路に囲まれた小さくまとまった町だった。大家は、田舎の大店徳田商店。生鮮品以外は大体揃う小売店であり、饅頭の製造販売もしていた。堤防へと続く短い通りには、魚屋、米屋、八百屋、本屋、駄菓子屋、電器屋、郵便局、美容院などが民家を間に挟みながら連なっていた。脇へ逸れると、戦後の水害の後に建てられたという仮設住宅が長屋のように存在していたり、神社があったり、金魚の養殖場があったり、公務員住宅が固まっていたりした。まるで、60年代の日本の典型的な町並みがコンパクトにまとめられているようだった。しかも、ほんの少し足を伸ばすと、もう田園が広がっている。夏になると鮎の魚影が大人も子どもも夢中にさせてしまう川まである。ネオンの明かり、排気ガスの臭い、往来にこぼれるヒットメロディ、着飾った男女などとは無縁だが、小さく浮き立つ程度の刺激とのどかな暮らしが共存している、子どもにとってはとても過ごしやすい町だった。少なくとも僕は、中学校を卒業するまでの4年間、横田で過ごせたことを幸せだったと思う。故郷が場所ではなく、ある時代の自分自身とその環境だとするなら、僕の故郷は、間違いなく島根県益田市横田町である。

近所に、同級生が多かったことも幸いした。幼い頃からの遊び仲間に、僕は大きな抵抗なく参加させてもらうことができた。そんな時、リーダーシップを発揮していたのが、米屋のテッチャンだった。僕は、すっかり彼が気に入っていた。

60sFACTORYプロデューサーKAKKY(柿本)

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