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蛍光灯、ランニング、カレーライス、あんぱん‥‥⑨

少し汗ばむほどの陽気。初夏を思わせる春休みの一日の午後。小遣いを握り締めて入ったいつもの万屋で、突然声を掛けられた。「こんにちは~。柿本君!」飛び上がるように振り向くと、背の高い(少なくとも156cmの親父よりは随分大きく見えた)若い男の人の微笑と出くわした。それが、沢勝利君のお父さんだった。一度だけ夕暮れの後姿を見たことがあっただけだったが、なんとなくそうだと思った。そして目線を少し落として確信した。そこには、土に汚れた父親のズボンを握り締めている沢君の弟がいたからだ。彼は僕の目線とぶつかると、少し顔を背けた。

沢君のお父さんの右手には1本のラムネが握られていた。栓を開けた後、こぼれないよう口で押さえた直後のようだった。「こんにちは~」。戸惑いながら挨拶を返した僕ににっこりとして見せながら、沢君のお父さんはラムネをあおった。「ちょうだい」。すかさず、か細い弟の声が聞こえた。お父さんは無視。「チョーダイ!」。弟の声が大きくなったその時、ラムネから口を離したお父さんは、小さくゲップをした後、叱り付けるように言った。「子供には身体によくないんだ!だめ!」。僕は驚いた。そんな話、聞いたことがない。ひどいなあ、と思った。振り向かないようにしながら駄菓子を買って帰ることにした。沢君の弟が一足早く、泣きながら走っていった。

帰ろうとすると、沢君のお父さんが近づいてきた。その右手にはラムネ。左手にはあんぱんが握られていた。横をすり抜けようとした僕に、沢君のお父さんが声を掛けてきた。「あんぱん好き?」。「はい。まあ」。「分けてあげようか?」。僕は、ちょっと怒りを覚えながら「いいです」とお断りした。すると沢君のお父さん、照れ笑いの表情を見せながら「あんぱんは丸いから、ちょうど半分にするのは難しいからねえ。円周率を使わないとねえ」と言って、あんぱんを口にした。僕は、円周率という知って間もない言葉と沢君のお父さんの容姿と言動の落差に一瞬戸惑い、足を止めたまま「そうですねえ」とあんぱんを口一杯に頬張る沢君のお父さんの横顔を見つめていた‥‥。

僕は、沢君兄弟が可哀想だった。彼らの生活や将来を思い描いて暗い気持ちになった。そして、何もして上げられないことに落胆しながらお別れをして、転校していった。

ずっと後のことである。高校2年生の秋、沢君から突然手紙が届いた。引越しを繰り返しているのに、どうやって住所を見つけたのだろう、と思いながら、でも少し心ときめかせながら、僕は手紙を開けた。便箋2枚にぎっしり、小さく汚い字が並んでいた。

お父さんが亡くなった知らせだった。山で作業中の事故だった。

返事を書くには重すぎた。やっと書こうと決心したのは、1年後。高校3年生の夏休みだった。推敲を繰り返して書いた手紙はしかし、届くことはなかった。

60sFACTORYプロデューサーKAKKY(柿本)

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