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蛍光灯、ランニング、カレーライス、あんぱん‥‥⑧

昭和30年代。貧しくも懐かしい時代である。昭和40年代、自分の中にある田舎を消し去ることに汲々とし、消し去ることが出来なかったことに、今安堵している人は多いのかもしれない。昭和30年代には、どこか凛とした、自らの役割をきちんと背負っていこうとする姿勢が、親にも子供にも残存していた、と言い切ってしまうと美化し過ぎだろうか。ただ少なくとも、“分をわきまえる”ということが、自らを律するための必要条件として認識されていた時代ではあったように思う。「もったいない」という言葉が、「自分にはもったいない」との意味で使われることが多かったのは、その証左のような気がする。多過ぎる情報に惑わされ、いつの間にか間違った平等意識が権利意識へと変化を遂げ、分不相応なまでに過多となってしまった欲求に振り回される‥‥。背伸びしては人の目線と交差し、手を伸ばしては人の指先にぶつかる‥‥。といったことを繰り返した昭和40年代以降、残ったのは、空虚なモノたちだけだった、ということはないだろうか。

昭和30年代、中国山脈の山襞に寄り添うように暮らしている沢谷村の人たちの、相手が自然だからこそ毅然とした暮らしぶりは、小学校低学年の田舎の町育ちの少年の心にも小さくきちんと響いていた。もちろん、時にはそれは厳格な顔付きで迫ってくるものでもあった。県道の道端に生えていた一本の蕗を抜いただけで、家に抗議に来た農家のおばさんから泥棒呼ばわりをされ、「蕗一本くらい」と口走ってしまい親父に頭を引っ叩かれた時。多久茂君が床にひっくり返した弁当箱の中身に手を伸ばした沢君に「止めろ!」と怒鳴った僕の脇で、「きれいなところだけ取れば」と言った友達の優しい横顔を見た時。「餡餅食べる?」と手渡され、喜んで齧り付いた餅の中の餡がしょっぱかった時‥‥。暮らすことの原点、すなわち生きていくということの重みを、僕は刻み込まれた。

沢君への興味は、そんな刺激もあったからこそのこと。彼と彼の弟の、子供ながらに向き合っている“生”は、僕の周りにあるのどかな“生”と、色も匂いも違っていた。冬になるとPTAのお母さんたちが、ボランティアで提供してくれる「味噌汁給食」という不思議なものがあったのだが、沢君兄弟は、それだけでお昼ご飯を終えることが多かった。その姿は、彼らの厳しい日常を思わせた。他にもたまに「今日は弁当忘れた~」と言い訳しながら、具だくさんの味噌汁をお替りする子もいたが、沢君の味噌汁依存は群を抜いていた。野菜を持ち寄るという負担の少ない方法で、PTAが人助けをしているのが「味噌汁給食」だと、やがてわかった。無理をせず、人にも無理を強いることのない節度ある人助け。それも貧しさの中での共同体のあり方を示すものだったのだ。しかし、それにしても沢君のお父さんは一体どんな思いで、どんな暮らしをしているのだろう。ほとんど山に入っているためか、見かけたこともない一人の大人の男へと、疑問や不信感を抱きながら、僕の関心は拡大していっていた。

小学校3年から4年になる春休みの暖かい午後。転校直前だったと思う。僕は、遂に沢君のお父さんと出くわした。小学校前の万屋の店先でのことだった。

60sFACTORYプロデューサーKAKKY(柿本)

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