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蛍光灯、ランニング、カレーライス、あんぱん‥‥⑥

平日は、午後3時に10円。日曜日は、午前10時に5円と午後3時に10円。というのが、当時の僕の小遣い。浜田市で祖父母、叔父叔母と暮らしている分には、小遣いは4人の分担制だが、お袋は一人で負担しなくてはならない。手取り2万円程度の給料から、雑誌の定期購読料と月額にすると320円の小遣いを子供のために支出するのは痛かったに違いない。時折、親父に相談しているのを小耳に挟んだが、親父は「もう少しの間、我慢してくれ」と言っていたような気がする。肺結核を患っている間母親の実家に預けっぱなしだったことや離婚してしまったことなどが後ろめたかったのだろうが、甘い父親ではある。1年後に減額されるが、当時の子供にしては潤沢な小遣いだった。キャラメルの「日の丸」や「ねぶり籤」に費消されるだけで、時には気前よく友達に奢っている息子の姿を見ると、借金の返済に苦労していたお袋からすると、苛立たしくてたまらなかったことだろう。その思いが鬱積していたのか、11月21日。貯金箱を割って取り出したお金で、遠くの雑貨屋まで足を運び、誕生日のプレゼントとして買ってきた割烹着と爪楊枝を、満面の笑みを浮かべながら「誕生日おめでとう」と差し出した時、お袋の第一声は「このお金どうしたの?」というものだった。その目は冷たく、その声は刺すようだった。僕は差し出した割烹着と爪楊枝をお袋に投げつけ、泣きながら外へ駆け出した。そして、玄関を出たあたりで、お袋への恨みの言葉を口の中で繰り返した。しかし、小学2年生のガキが高額の小遣いを気まぐれで貯めて、生意気にも割烹着などを買ってきて差し出したのだ。そのお金の工面に苦労していたお袋の悔しさと憤りは、今となってはよくわかる。コトの因果関係はガキにはわからないものである。いや、コトの因果関係がわからない者のことをガキと言うのかもしれない。

そんな温室育ちのガキも、その冬休みには、生活というものの厳しさや貧しさというものに触れることになる。一つひとつが心に突き刺さるようなことばかりだった。

沢谷村の冬は厳しかった。初めて経験する膝上まで埋まる積雪。あと1枚を必要とする寒さ。炬燵に足を入れていても肩口からしんしんと忍び込んできて身をすくませる冷気。そんな季候の中、友達は遊びに誘いに来た。その中の一人、あまり親しくなく名前も覚えていなかった一人の格好に、僕は目を奪われた。ランニングシャツ一枚だったのだ。寒そうに震えながら、でもなんとか笑顔を見せようとしている彼は、沢勝利君(だったと思う)という、近所に住んでいる男の子だった。農家の離れから新築の教員用住宅に、秋に引っ越したばかりの時、数人の友達が見学に訪れ、居間の蛍光灯のスイッチをゆっくり引っ張っては点け、消しては点けていた時に、しばらく経って光を放つのを見て「蛍光灯だ~~」と、感嘆の声を上げていたのが沢君だった。蛍光灯を備えた家がほとんどないため見たこともないのに、言ったことに対して反応の鈍い子のことを蛍光灯と呼ぶことだけは浸透していたので、その意味を実物の蛍光灯で実感したようだったのを、僕は思い出していた。しかし、ランニングシャツ1枚は、異常だ。奥のDKから顔を出した親父が「沢君、寒くないかい?」と声を掛けた。沢君は「平気で~す」と明るく応え、その直後に大きなくしゃみをした。みんなが笑った。沢君もうれしそうに笑った。が、僕は笑えなかった。少しだけ、身震いした。

それからだった。僕は、沢君と過ごすことが多くなっていった。同情と興味の対象だった。二つ違いの弟がいた沢君は、しばしば弟と一緒に現れた。そのことも僕の関心を掻き立てた。兄弟の関係、そこから垣間見える彼らの家庭、すべてが興味深かった。

60sFACTORYプロデューサー KAKKY(柿本)

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