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蛍光灯、ランニング、カレーライス、あんぱん、‥‥。①

中国地方で最長の川、江の川(ごうのかわ)。その河口付近に位置する町江津市と中国山地のほぼ中央部に位置する小都市広島県三次(みよし)市を結ぶ三江線という田舎路線がある。この三江線、全線開通は、なんと1975年。モータリゼーションの本格化から約10年。陸の孤島島根県の利便性を高めようと、鳥取県と岡山県を結ぶ伯備線のような活用を意図していた陰陽路線は、生まれた時から廃線同然だった。

その三江線、江津、三次双方から工事が進められ、江津からを三江北線、三次からを三江南線と呼んでいた。僕の初めての長旅は、2歳半の時。親父が女房(つまり、僕の母親)を連れ戻しに行った宝塚までの往復の旅。後年耳にしたところでは、しばらく宝塚に住んでいたようだが、僕の微かな記憶には、宝塚動物園での楽しい思い出と二人きりの空しい帰路しか残っていない。米子に立ち寄り、友人の家を訪ねた時、寂しく速い親父の足取りを追うのに精一杯な僕に一度だけ振り向き、「もう少し頑張れ。絵本買ってやるから」と言った親父の笑顔の向こうに、僕を突き放してしまいそうな強張りがあったのが忘れられない。

で、次の長旅が三江北線での引越しである。1956年初秋、小学校1年生の夏休み明け。肺結核の手術・療養から復職した親父と二人暮らしを始めるためのものだった。親父の勤務地は、島根県邑智郡の奥深く、沢谷村というところだった。何しろ地名が沢と谷。どんな所かおわかりであろう。三江北線の終点浜原からバス。右は眼下に渓流、左は切り立った山肌の道を、お婆ちゃんと大きく揺られていると、身体の芯から悲しさがこみ上げてきて、ただひたすら祖父母の元へ逃げ帰りたくなった。「都落ち」の感覚に苛まれるのも無理はない。田舎にも差はある。

僕の生まれたのは、島根県浜田市。山陰有数の漁港である。漁獲量は多く、戦後の復興期、缶詰工場や蒲鉾工場も稼動を始め、街には活気が溢れていた。活動写真の弁士を辞めた後、カフェのオーナーになっていた祖父は、戦後、進駐軍相手に切り替えたりしたものの結局うまく行かず、僕が幼稚園に行く頃は、ニコヨン(日雇い労働者)をしていた。家だけは何とか手放さずに済んだのが幸いし、高校を出てすぐにトラックの運転手になった長男、近所のカフェ(今のスナック)で働き始めた次女の収入に助けられながら、なんとか暮らしていた。教師だった親父と結婚し同居している長女が一番親孝行だったはずなのに、肺結核という病気と19歳の終わりに出産した僕というコブのせいで、皮肉にもお荷物と化していた。しかし、幼い子供の日常は、別の次元で回転している。貧しさも不自由さも寂しさもあまり痛感することなく、僕はそんな大人たちの間を漂いながら暮らしていた。そんな僕にとって、小学校入学は、暮らしを大きく変える大イベント。しかも、同級生は数多い。まるで、別の社会に飛び込む感覚である。

美緒子ネエチャン(母親の妹。本当は叔母だが、そう呼ばないと殴られた)が買ってくれたデニムのサロペットに、良樹ニイチャン(母親の弟)が買ってくれたランドセルを背負い入学式に行った僕は、学生服の集団に腰が砕けそうになった。仲良くなって、毎日味噌汁ご飯をあげていた野良犬のメリー(おじいちゃんの命名。弁士らしい!?)の連日の校門までのお迎えがなかったら、僕の腰は砕けたまま、友達を作ることなど出来なかったに違いない。1つだけあった養護クラスに入れられた僕は、教室の後方にある畳敷きのスペースに授業中に横になることもなく、保健の先生に険しい顔で連れて行かれることもなく、いたって順調に夏休みまでを過ごした。人気者になったメリーのお陰で友達もでき、なんだか明るく楽しい日々がやってきそうな予感もし始めていた。

その矢先である。単身で赴任していた親父がやってきて、祖父母たちと夏休みを過ごしている僕を見て、こう判断し、決断したのは。「おじいちゃん、おばあちゃん、叔父さん、叔母さんたちと暮らしていると、わがままになっていけない。このままでは先が思いやられる。彼らと引き離すべきだ」。僕は、祖父母とのやり取りをこっそり聞いては「なんて余計なことを!」と歯ぎしりしていたが、親父の意思どおりに事が進んでいくのはわかっていた。暗澹たる気分だった。チャンバラ専門の映画館、「エデンの東」を観た無料で入れてもらえる洋画専門館にはもう行けない。お隣の「冷やしアメ」も二度と飲めないだろう。角を曲がったところにあるパン屋さんのコッペパンは‥‥。などと、布団の中で思っていると、親父に対する殺意さえ生まれる夜もあった。しかし、僕が身を捩っているのをよそに、結論はあっさりと出てしまい、引越しの準備もさっさと終わってしまった。そんな朝のことだった。味噌汁ご飯をあげようと「メリー!メリー!」と、表に出て呼んでいる僕に、おじいちゃんがそっと近付いてきて耳元で言った。「メリーは、獲られたよ。市役所の人が捕まえていったから、もう会えないよ」。僕は、「うそ~!」と叫んだまま立ち尽くした。涙も出なかった。

それから2日か3日後のことである。大きく揺れるバスは、僕に起きた激動そのもの。これから、これまで以上にいいことがあるなんて、とても考えられなかった。

ところが。ところが、である。沢谷村の1学年1クラスの小学校には、僕を揺さぶる、新たな社会があった。僕は、おばあちゃんの膝の上から世の中を見ていたに過ぎないことを痛感させられたのである。

           ‥‥つづく‥‥

   60sFACTORYプロデューサー KAKKY(柿本)

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